SS詳細
恋愛偏差値35
登場人物一覧
●期間限定の恋
通された応接間からブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017) は窓の外の景色を見た。
十一月も中頃、晩秋の色彩に染まる風景は冬を前にした一抹の寂寥感を感じさせるものだ。鮮やかに色付いた木々は美しいが、程無くして枯れ落ちてしまう事を彼女は知っている。
(まるで、――みたいだな)
流麗なその美貌に僅かに皮肉な笑みを浮かべたブレンダはハッキリと自嘲していた。
そんな風景は、まるで他人事の範囲に収まっていない。
色々――本当に色々あったこの世界は彼女にとってとても愛しいものになったが、同時に何処までも異質のままだった。
(もし、全てが終わった時、叶うのなら私は――)
そこまで考えてブレンダは小さく頭を振った。
シュペル・M・ウィリーの言明がある限り、ブレンダの望みは必ず叶う。それはこの世界との、誰より愛する――との決別である。
(弱いな、まるで)
口の端に浮かぶ自嘲の笑みは考えただけで深まった。
繰り返すが、黄昏の景色は他人事では有り得ない。
やがて来る
「……あら。笑っていらっしゃいますの?」
蝶番が小さな軋み音を立てるのと同時に、そんな言葉がブレンダの意識を部屋の中へ引き戻していた。
ゆっくりと視線をやればドアの前には気付けば一人の美しい女が居る。
「この私から呼び出しを受けて――随分と余裕を見せてきますわね。癪ですわ」
「クリス、殿」
「ええ、クリス・フランドルですわ。御機嫌よう。
そちらも悪くはなさそうで安心いたしましたわ」
『戦争』を前にブレンダが――自嘲のそれなのだが――笑っていた事が随分気に障ったのか、ブレンダの対面になるソファに腰を下ろしたクリスは何とも皮肉な調子でそう言った。
(……誤解だが、言っても解けぬだろうな)
目前でブレンダを値踏みし、鼻を鳴らす彼女は名乗りの通りのクリス・フランドル。
フランドル家は幻想ではフィッツバルディ派に属する小貴族だったが、クリス自身の辣腕を以って近年はその存在感を増している。彼女はブレンダより幾つか下だが、こと政治力という点においては俊英と呼ぶ他無い実力を発揮し続けている。
「最後までその御機嫌と余裕の侭に御帰りになれれば良いですわね?
尤も、こちらは漸く設けた『話し合い』なのです。
貴女からきちんとしたお言葉を頂かない事には引き下がる心算もございませんけれど」
「お手柔らかに、は通じまいな」
「ええ、勿論――」
赤い唇を三日月に歪め。クリスは華やかに、毒花のように笑っていた。
さて、問題は何故フィッツバルディ派の協力者とも呼べるローレットに属するブレンダが敵愾心を隠さない彼女に呼びつけられたかになるのだが――
「まず、確認させて頂きますが――
ブレンダさんは旅人で特異運命座標、ですわよね」
「ああ」
「この混沌の守護者であり、終焉を回避する高貴な義務を背負っていらっしゃる」
「……ああ」
クリスの皮肉な物言いにブレンダは察する。
やはり今日の『話し合い』とやらは真綿で首を絞めるような話になるのだろう。
ブレンダ自身自覚しながらも、目を背けてきた『その事』に対しての――
「感謝いたしますわ、
ですが、貴方は異邦人。全てに決着がついた時、如何なさるかは決めておいで、ですわよね」
「……………ああ」
これまでで一番重く頷いたブレンダにクリスはより一層華やかな笑い声を上げていた。
「では、如何なさるのか。そのお口でご教授頂ければと!」
「……………」
ブレンダの表情が苦虫を噛み潰したようなものに変わった事に満足したのかクリスは白磁のカップに口付けた。
「良い茶葉が手に入ったのです。職人に用意させたお菓子もね。もし宜しければご賞味下さいませな?」
クスクスと笑う彼女は実に嗜虐的だった。
ブレンダはぐ、と丹田に力を込め――内心の有様とは裏腹に堂々と「ありがとう」と麗人の微笑を浮かべて見せる。
「……っ、……それで、御答えは?」
『やり返された』事に今度は分かり易く美貌を歪めたクリスに少しの時間を置いたブレンダは答えを返す。
「帰る、と思う」
「元の世界に、ですわよね?」
言質を確かめるようなクリスの問いにブレンダは「ああ、その通りだ」と頷いた。
「私は元々この世界に迷い込んだ存在に過ぎない。
混沌を知り、理解し、愛し、その先行きを守ろうと思っている事には一片の嘘も無い。
しかし、元の世界に愛着が無い訳でも、元の世界ですべき事が無かった訳でも無い。
「そのお言葉を聞きたかった」
頷くクリスにブレンダは、
(分かっているよ。そんな事は)
珍しい事に内心で舌を打って毒吐いた。
『敵の罠』に真向かい、その意図ごと踏み潰すのは戦場で時に疾風となり、暴風となるブレンダにとっては日常の出来事だ。
しかして、この場でそれをなぞるのは実に、実に痛恨だった。
逃げられれば良かったのに、と弱気の虫さえ安易に囁く。
酷い理不尽だ。逃げても良いのに。
「本題はまだかな?」
見栄を張るなよ。既に分かっているのだろう?
弱気の虫が自身を詰る。
強くも無い癖にそれを許さぬブレンダ・スカーレット・アレクサンデルに恨み節を投げつけてくる――
「おためごかしは結構、という事で宜しくて?」
「ああ。『お互いに忙しい身の上』だろう?」
見て分かる通り二者はまるで友好的な関係では無い。
どちらかと言えばクリスが食って掛かる形で成り立っている険悪な空気だが、ブレンダ側も強張っているのは否めない。
確固たる目的を有した『女の会談』なれば、前置きが十分というブレンダの言葉は頃合いなる正鵠を射抜いていた。
「では、ハッキリと申し上げましょう。
今日、貴女をお呼び立てしたのはシルト――シルト・ライヒハート様、貴女の『恋人』についてのお話があったからです」
「……それで?」
「分かっている」と返さず「それで?」。
ブレンダはこの期に及んでの自身の『逃げ』を否定出来ない。
「それで? 随分と酷薄な反応をしますのね?
貴女は先程、仰ったではありませんか。事を終えたらご自身は元の世界へ帰るのだと。
「……っ……」
クリス・フランドルはかのフィッツバルディ侯にも認められる程『優秀な女』である。
手痛い場所を的確に突いてくるその言葉は誘導尋問のようにブレンダから口にしたくない言葉を引き出す意図的なものだ。
だが、ブレンダは『逃げられない』。
「それは……私が貴族であるからだ。クリス殿や――シルト殿と同じ、務めを背負っているから、だ」
「素晴らしい!」
パチパチと手を叩いたクリスは上機嫌に続ける。
「つまる所、貴女の恋人――シルト様は神託の成就をもって、貴女に『捨てられる』という事ですわね。
酷いお話ですわあ。思わず涙ぐんでしまいます。終わりの決められた恋! 絶対に先の無い恋!
……流行の小説ならば素敵ですけれど。分かっているのに見ない振りだなんて!
何て酷いお話でしょう。何て酷いお飯事でしょうね?」
「神託の成就が何時なのかは――!」
「――言い訳ですわ。
思わず反論仕掛けたブレンダをクリスの言葉が一蹴した。
「それとも、貴女は自身の誇りにかけて――全力を尽くさない不純を認めるのかしら?
御存知かは知れませんけど、私はシルト様の幼馴染。それから彼を愛しています。
「――――」
ハッキリとした宣戦布告は強烈な意志を帯びていた。
「貴女は高貴な責務を負うシルト様を元の世界へさらいますか?
彼の誇りを無視し、為すべきを投げ捨てさせ――己がエゴに付き合わせるでしょうか。
……いいえ、貴女は敵ですがそんな事はしない。
だから、貴女の恋は時限式なのです。絶対に」
否定出来ず、ブレンダは唇を強く噛んだ。
「ですが、実を言えば私は貴女を嫌いにはなりきれない。
苛めておいて、と仰られないで。
誰だって、二十年の恋を横からさらわれれば少しは感情的になるものでしょう?」
抵抗出来ないブレンダに笑顔のクリスは畳み掛ける。
「暫くだけ、シルト様を貸しておいて差し上げます。
終わりが決まっているという事は、やがて用事は済むという事です。
私は五年経っても変わらないし、十年経っても彼を愛していますから。
どうぞ、後の事は御心配なく!
貴女は誰が相応しいのか位は分かる女性でしょうから!」
●戦闘力35
茜色に染まった帰り道。
平素の威風堂々とは余りにも程遠く。
人目を憚り、しかしブレンダ・スカーレット・アレクサンデルは泣いていた。
「……そんな事、言われたって……」
脳裏に過ぎるのは楽しかった出来事ばかりで。
シルトと過ごした些細な、そして大切な思い出ばかりで。
それでも、クリスの言う通り――自分は元の世界に帰るしか無くて……
「……っ……」
胸が詰まる。
クリスの言葉は残酷ながら確実過ぎる事実だった。
彼女はずっと見ない振りをしていたブレンダ自身の弱さを指弾しただけだ。
分かっていたのだ。分かっていたけれど、余りに嬉しくて、余りに温かで、余りに幸せで――それを見たくなかっただけで。
「う、……っ、ぅ……」
考える程にブレンダの胸の中はぐちゃぐちゃになる他無い。
美しい面立ちはもう見る影も無く。
「わああああああああああ――!」
彼女は泣いた。何十年振りに、大人になって初めて号泣した。
- 恋愛偏差値35完了
- GM名YAMIDEITEI
- 種別SS
- 納品日2022年11月15日
- ・ブレンダ・スカーレット・アレクサンデル(p3p008017)
※ おまけSS『35×2』付き
おまけSS『35×2』
●どっちもどっち
「……」
来客の去った応接間でクリスは一人佇んでいた。
とっておきの茶葉から淹れた紅茶はとうに冷めている。
渋くて呑めたものではないそれにも構う事無く、クリスは幾度と知れない溜息を吐いていた。
「……………」
その表情は浮かないものだ。
少なくとも恋敵をやり込めたという達成感は何処にもない。
美しい顔は唯、虚しく。唯、傷付いた顔をしていて、やり取りに勝者等居なかった事を告げていた。
「……期間限定、ですって?」
クリスはシルトの性格をよく知っている。
「貸しておいて差し上げる、ですって?」
幼い頃に自身の手を取ってくれた『王子様』がどれだけ真っ直ぐかを知っている。
「相応しいのは誰か、ですって?」
『彼女』がもし彼に相談をしたならば、どうなるかなんて。
「……愛して貰える自信があったなら、私が相応しいならこんな事するもんですか……っ……」
混沌の為に戦う、終焉を回避する彼女を痛めつけるような真似を。
思っても居ない、自分を騙す事さえ出来ない嘘を吐いてまで、あんな見苦しい真似を――
「……っ、う……」
顔を両手で覆ったクリスはもう溢れ出す涙を止める余裕を失っていた。
「わあああああああああ――」
丁度同じ時間、二人は泣いた。大いに泣いた。
――恋愛偏差値35。これぞ地獄の黙示録(ニヤニヤ)