PandoraPartyProject

SS詳細

宝箱の開き方

登場人物一覧

綾敷・なじみ(p3n000168)
猫鬼憑き
仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)
陰陽式
越智内 定(p3p009033)
約束

「……ああ、こっちだ」
 ひらりと手を振った汰磨羈の姿を見付けて定は「こんにちは」とおずおずと頭を下げた。
 話したいことがあると汰磨羈から連絡を受けて、向かった先はカフェ・ローレットではなく希望ヶ浜学園内の大学敷地に存在するカフェであった。なじみには秘密にして話したいと言われ「どういうことだい?」と問いたくなったのは致し方がない、そんなお年頃になったのだ。
「なじみの事で話したいことがあるのだが」
「……なじみさんの?」
 その為に、大学内のカフェを指定したのだと気付いてから定は「ここならなじみさんが来る可能性もないもんね」と頷いた。だが、テイクアウト用のコーヒーを購入してから汰磨羈は「少し場所を変える」と提案した。どうやらカフェはあくまでも待ち合わせ場所のつもりだったようだ。
「どこに?」
「ああ。少しのツテが――」
 そのツテとは水夜子だ。希望ヶ浜大学に進学した彼女は、サークル棟の一室が今日は使われないと紹介してくれた。曰く、今日は講義室で民俗学研究会の面々は教授の大発見に耳を傾けるのだそうだ。訪れたサークル棟は照明も付けられず暗く鬱蒼とした空気感を感じさせた。ひんやりとした空気感を膚に感じながら、傾いだ民俗学研究会の看板を確認する。
 解錠済み放置されていた室内は本棚に取り囲まれた湿っぽい空間だった。漂う空気は冷たく、テーブルに置き去りになっていた課題だけが生活感を感じさせた。
「ここかあ」
「……自由にしていいらしい。まあ、少し話したら出よう」
「あ、うん。そうだね。何となく人のテリトリーって居心地悪いし」
 テイクアウトしたコーヒーを啜ってから定はパイプ椅子に腰掛ける。同じように椅子に腰掛けて対面した汰磨羈は一度、息を吐く。
 改めて向かい合えば、己が抱えてきた情報の多さが一気に錘のように身へと積もった。汰磨羈が「その」と、意を決して口火を切った。
 話すのは猫鬼と相対したあの晩のことだ。あの、温かな珈琲の湯気が、今と重なる。

 ――わたしもね、冷たい猫じゃないから。ちゃんと教えてあげることは出来ると思う。
   わたしは綾敷の血にへばりつくようにして過ごしている怪異なんだ。

 全てを、洗いざらい包み隠さず。彼に話すことが当たり前であると云う様に淀みなく伝える。その言葉を聞きながら変化をする定の表情は見ない振りをして。
 屹度、彼だって想像している筈だ。いや、もしかすると気付いて居た事かも知れない。誰もが目を逸らしていた綾敷なじみの秘密。見せたくはなかった部分。

 ――一番簡単な祓い方はなじみが子を成さずになじみごとわたしを殺す事だよ。それが最終手段だと思ってくれた方いい。

「事態を先送りに出来るかもしれない方法には気づいただろう? ……まぁ、御主がその手段を選ぶとは思っておらぬよ」
 猫鬼の簡単な祓い方も、先送りの方法だって、定は認識していた。認識した、というよりも予感が確信に変わったとも言える。
 ――定はなじみの父親の話をうっすらと聞いた。海、彼女が行きたいと願った東浦区のあの場所。
 なじみの父親は己に憑いていた怪異である猫鬼に『喰い』殺されている。そしてその怪異はなじみに移った。身に巡った血を伝って宿主を変えた、遺伝する不治の病。
 そう、綾敷の血に憑いた怪異だというならば『憑物』として移行することは易いはずだ。血を絶やさねば良いのだから。
 綾敷なじみの父方の血筋を絶やさなければ全てが続いていく。だが、猫鬼はなじみが子を成す未来を作らず死ねば全てが丸く収まるとも言って居た。
 詰まり、だ。猫鬼という怪異を祓うならばなじみでその一族を途絶えさせる事が最も簡単なのだという。
 同時に、なじみそのものを『猫鬼という怪異に喰われないように』彼女に子を成して貰えば延命の措置が出来る筈だ。
 怪異である猫鬼はコミュニケーションを取る事が出来る。ならば、猫を説得して『綾敷なじみの子』に憑いて貰えば良いのだ。
「……なじみさんを食い殺さずに、子供に『怪異』を移して、延命できる可能性はあるよね。勿論、それは、そうだ」
「ああ。なじみが子を成して、その子供が『子を成せば』猫鬼の興味が其方に移る可能性はある。だが、そもそも、だ。
 猫鬼となじみが交した約束は有効だ。あくまでも、猫鬼がなじみから離れている時間が長くなるだけ――なじみが猫鬼に最後を与える結末は変わらない」
 なじみが子供を成せば、彼女が猫鬼に喰われる可能性が減るだけだ。それでも、なじみが死ぬ際に彼女は全てを猫鬼に差し出して死ぬ事になるだろう。
「……かといって、このままだと確実に、二人とも終わってしまう。両方を救う・片方を救う、どちらにしても何かしら手を打たないと終いだ」
「でも――」
 定の唇は震えた。
「僕が、その手段を選ぶかどうかは別の話だと思う。だって、僕は僕だ。なじみさんじゃない。
 何と言えば良いのかな。友人って言うと寂しいけれどさ、僕はなじみさんに其れを求められる関係性でもない。そういう事に口を挟めやしない。
 紙切れ一枚でも彼女と僕を繋ぎ止める物がそこにあるならば、また……違うのかも知れないけれどね。そう言うものでもないだろう?」
「まあ、そうだな」
 肩を竦めた汰磨羈に定は何となく遣る瀬なさを感じていた。大枠で言えば、友人と言えども他人だ。家族ではない。
 そうした柔らかすぎる場所に踏み込むことだって難しい。柔い心の弱い部分。彼女が隠していた、恐ろしい真実。
 けれど、定はなじみがそうしたことを求めないことは分かって居る。分かって居ながらも「なじみさんはそんな選択肢取らないよ」とは言い出せなかった。

 ――定くん、私ね。幼稚園の先生を目指しているんだ。

 その言葉だけでも、彼女が子供を好いていることが分かった。小さな命を抱き締めて、朗らかに笑う彼女は、屹度、幸せだと言うのだろう。
 子供が好きなのだと口にしたことがないのは、ひょっとすれば諦めであったのかもしれない。
 己が子を成せば猫鬼の影響を受けてしまう。だからこそ、自身は血を絶やしてでもいい。少しでも、幼い子供達と関わっていたかったのだろうか。
「……」
 思い沈黙。俯いた定を一瞥してから汰磨羈は「それで、だ」と話を進めるようにテーブルを爪先でこつりと叩いた。
 此の儘、手を拱いていても事態は進みやしない。二人の中の目的は『綾敷なじみと猫鬼の救済』であるからだ。
「……猫鬼の話しではなじみの母親は静羅川立神教に入信していた。それ以上に、猫鬼も関わりがあると言っている。
 猫鬼はその場所が居心地が良いと言っていたが……静羅川を探れば、何か分かるかも知れないな」
「静羅川立神教か。そう、そうだね。僕も少し興味はある……けど。猫鬼とは別の事でかもしれない」
「もう一つの案もある。猫鬼のルーツを探る事だ。逆転の発想ではあるが、現状を鑑みた上での解決方法が見つからないのであればそのルーツを遡る事が求められる。
 猫鬼はいかにして綾敷の血に取り憑いたのかを探る事が目的だ。始まりとはなんであったか。些細なことかも知れない。
 夜に爪を切るような、朝に蜘蛛を殺すような、そんな些細すぎる事である可能性はある」
 汰磨羈は定の様子を確認し、取るべき行動を選ぼうと考えていた。勝手なことをしてはならないと思ったからではない。ただ、なじみを一番に考えているのは定なのだと汰磨羈は何となく彼と、彼女の様子を見て確信していたからだ。
 汰磨羈が思う定という青年は怖がりで臆病な割りに思い切りが良い。だからこそ、聞いておこうと考えた。独断ではなく、彼の答えを聞いてから。
 定は口を噤んだ儘、汰磨羈を見詰める。
「汰磨羈さんは、さ」
 いや、聞かずとも分かる。彼女は屹度、猫鬼を救おうと考えているのだ。それが良く分かる。怪異さえも救済してやりたいと、考えているからこその問答だ。
 猫鬼を祓えばなじみは幸せになれるはずだ。だが、それが猫鬼という存在を否定することを汰磨羈は知っていた。
 同様に、手を拱いて現状を維持すれば時限爆弾のように猫鬼はなじみを蝕んで何れは爆発する。その時に、なじみに子が居るのかどうかで猫鬼の命運は決まるがなじみという娘の悲惨な結末は免れやしない。主治医でさえ「現状維持」を言い渡す不治の病、獣憑き。猫に憑かれた娘は具体的な解決策もなく、共存の方法さえ知らないようではあった。
 ――だが、猫鬼は『一番簡単な解決方法』と言っていた。それに、懸けたいのだ。それ以外の解決方法をあの意地悪な怪異が知っている可能性もある。
「いや……。案を有り難う。汰磨羈さん。
 ……僕は、答えを出せないよ。情けないかも知れない。意気地なしだと誹られたって仕方がない発言だぜ。それでも、さ。僕には無理だよ」
「何故か聞いても?」
「僕が意気地ないからだ。なじみさんの心の柔らかい所、テリトリー。綾敷なじみという存在そのものに僕が踏み込むことを恐れているのかもしれない。
 僕らが知っているなじみさんは何時だって元気で、笑顔を絶やさない。少し悪戯っ子で、それで無鉄砲。夜妖の所に飛び込んで一人じゃ何も出来ないって泣いてるような子だ」
 汰磨羈は黙って聞いている。彼の方が、綾敷なじみをよく知っていると感じているからだ。
 定くん、たまきちちゃん。そんな風に呼びかけて。ころころと笑って、楽しげに振る舞う。手を繋いで、勢い良く引っ張って。前のめりに勢い良く進んでいく少女。
 それが汰磨羈が想像するなじみだ。落ち着き払っていたって、気紛れな猫のように直ぐに表情を変えて仕舞う――掴み所のない風。
「最近、思うんだよ。なじみさんって誰にでもそんな態度だけれど、それって逆に『そう見せたくて』振る舞っているのかなって。
 本当のなじみさんは、なじみさんが意図的に自分の見せていない部分を隠しているんじゃないのかい?
 僕らは、なじみさんが本当は見て欲しくない所を仕舞い込んだ箱を無理に開こうとしているんじゃないのかな。そう思えば、答えは出ない」
 定は思い出す。ジャバーウォックと立ち向かい、その恐怖に足元が暗くなった気がしたあの日を。全てが終わった後、傷だらけの体でも部屋に閉じこもることが怖くて『日常』を求めた自分の前で笑っていた彼女を。
 あの時『うーん、そうだね。うん。怖かったけど、もう』という言葉の意味を、今なら分かる。
 あの日、彼女はその感情を忘れてしまっていたのだ。そんな不必要な恐怖も、不必要な苦しみも猫にくれてやったのだ。それ以上に、大切にしていたい『宝箱の中身』があったから。
 綾敷なじみは、そうやって不必要な情報や感情を猫に渡していた。だからこそ、彼女は何時だって可愛い女の子で居た。居てくれた。居たけれど。

 ――分からないよ! 分かるわけがないじゃない。私は、皆のように戦えやしない。此処から飛び出すことだって出来やしない。
 励ましも、助けもいらないのなら君がしたいことをすれば良いじゃない。
 私は君とは違う。私は君じゃないから君の事なんてちっぽけも知らない! ……知らないんだよ。

 痛々しい程に、彼女が叫んだ。知らないじゃない。覚えていない。忘れてしまった。『僕の事も』いつかは喰われて消えてしまうのかもしれない。
 そうなっていないのは彼女が他の物を捨てたって、護っていてくれようとしたからだ。自分との、思い出を、約束を。
「なじみさんは、意図的に『綾敷なじみ』でいてくれるんだ。何を喰われたって、変わらず飄々と、忘れたことを悟られないように」
「そう、かもしれんな。猫はなじみの記憶をも喰っている。
 だが、そんな変化など感じられない。……なじみはあくまでも綾敷なじみを演じているのだろうな。
『怪しくないふつうの女の子』『何処にだって馴染んでいるクラスの少女』、それを意図的に演出し『非日常』である猫鬼の部分を余り曝け出そうとはしていなかった」
 それでも、彼女が猫との共存を上手く熟して行こうと考えたのは、イレギュラーズとの出会いのお陰なのかもしれない。死を待つだけだった彼女は、それでも生きていく為に大切な思い出を抱き締めておきたいと考えた――そう、思えてしまえば汰磨羈は唇を噤んだ。
「……それでも、現状維持は」
「分かってるよ。分かっているさ。僕だって、其れは嫌だ。
 それでも、此れは自惚れかも知れないけれどさ、越智内定が必要であれば綾敷なじみは助けを求めてくれると――僕は信じてる」

 ――なじみさんが困ったとき、辛いときは半分こして欲しい。なじみさんが苦しいときも悲しいときも、僕が君の力になれるように。

 あの約束はなかったことにはしたくない。努力をしてくれると笑ったその言葉までもを『忘れられてしまう全てなかった事』にはしたくなかった。

 ――私は弱音を吐くのも、悲しいことを伝えるのも得意じゃないから君が気付いてくれると嬉しいな。
   悲しい時に、真っ先に君がやってきて大丈夫って笑ってくれれば怖いことだってへっちゃらになれるんだよ。

「ありがとう、汰磨羈さん。教えてくれて……。
 きちんと、なじみさんに向き合って、僕も僕なりにどうしていけばいいのかを考えるよ」
「ああ。何をするにしても、一人で行きすぎるなよ。私も力を貸す。
 それに、猫鬼を救いたいというのは私の考えだ。御主にとってはそれ程、重要視する要素ではないかも知れないが……それでも」
 定は首を振った。猫鬼のことだって、嫌い切れていない。把握し切れていないけれど、彼女もなじみの一部だと思わずには居られなかったからだ。
 だからこそ、今度問い掛けたのは定の番だった。慎重に手探りで、互いの手札を確認し続ける。
 自身達は違う人間だ。同じ目標を抱いていたとしても、手段も、考えも何もかもが一致しているとは限らない。ゴールだって、僅かなズレを産む可能性だってある。
「もし、もしもだよ。際にどちらかを選ばないといけなくなった時、汰磨羈さんはどうする?」
 目を見開いた汰磨羈は息を呑んだ。唇が震える。そんな、未来を想像してこなかったわけではない。だからこそ、その問い掛けへの答えが決まり切っていたからだ。
 決まっているのに、それ以上を求める己はなんと強欲なのだろうか。汰磨羈は浅く笑みを浮かべた。
「……本当にどうしようもないと判断した場合、なじみを生かす方を選ぶさ。それは、私の責務だ」
『人を害する災厄を祓い続ける』。それが汰磨羈の中に存在する、行動理念であったからだ。それを曲げることはない。
 曲げることはない癖に、どうしようもなくハッピーエンドを求めてしまう。
「そっか……」

 話を終え、サークル棟を後にした汰磨羈と定は所在なさげに大学構内を歩いていた。
 それ以上、会話をする事のない心地の悪さは答えが出なかったことに起因している。難題を前にした人間はどうして言葉数が減るのだろう。俯き気味に足元を見詰めていた定はふと、顔を上げた。見知った声が聞こえた気がしたからだ。
「あれ、あれあれ? 定くんとたまきちちゃんだ! おやっほー」
「ああ、なじみさん。おやっほーって挨拶にハマってるの?」
「うん。おーい、おはよう、やっほーを混ぜてみたんだよね。便利じゃない?」
 にんまりと笑って駆け寄ってくるなじみに、定はややズレた問いかけをした。本来ならば「どうしてここにいるの?」と問うのが先であった筈だ。
「なじみ、此処にはどうして?」
「あ、あのね、教育学部を見学して良いって言われたから見に来たんだ」
 見学したかった講義があったのだとなじみは笑った。幼稚園教諭になることを目指しているという彼女は「ピアノも練習しないとなんだよねえ」とやる事が多いと天を仰いだ。うんと伸びをする彼女は「ちょっとは弾けるけど自信がないなあ」と呟いた。
「楽器の経験があるのか」
「うん。実はなじみさんのお父さんって幼稚園の先生だったんだ。子供が好きな人でね、ピアノもお父さんが教えてくれてた。
 私、お父さんが大好きだったから……それに、小さな子供も好きなんだぜ。お父さんみたいに子供が好きで、優しい幼稚園の先生になれたらなあ」
 夢を語るなじみは「その為には大学に受からなくっちゃね」とやる気を漲らせた。大きめのリュックを背負っていた彼女は参考書を何時も持ち歩いているのだという。
 大学生になれば、ひとつ大人になる。それが彼女の転機。
「なじみならなれるさ。勉強も分からないことがあればイレギュラーズを頼れば良い。皆、教員などをしていて得意分野も分れているからな」
「僕も、ある程度なら教えられるかも知れない。ある程度だよ」
「本当に? 頼りになるぜ」
 にんまりと微笑んだなじみは汰磨羈と定の間に割って入るように飛び込んで二人と手をぎゅっと繋いだ。嬉しそうに微笑んで「帰ろう?」と声を弾ませる。
 こうして微笑んだ思い出を、彼女は大寺院大事に宝箱に仕舞い込んでくれる。
 些細な感情でさえも、猫鬼は食らい付くしてしまうから。それでも、大事に抱き締めていてくれる彼女に「うん」と定は頷いた。
「そうだな、帰ろう。その前にコーヒーでも飲もうか?」
「いいですねえ、なじみさんラテがいいな!」
 汰磨羈は頷いてからふと、振り向いた。なじみの足元から伸びた影で猫がにゃあと小さく泣いていることに気付いた、それだけだった。

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