反の蝕

登場人物一覧

　魔術師は殺した――自らの時を。即ち、有限なる己の存在を殺したのだ。永遠を求めて生命を理に捧げ、唾棄すべきほどの血肉を注ぎ込んだ。それは正しく病的で何者にも阻めない『執着』と説けるだろう。チクタクと嘲笑う針が忌まわしく思え、何度壊したのか数えていない。己に残された生命は何時間・何分・何秒だろうか。魔術師は絶望する。僅かだ。自己が崩壊し、奈落に呑まれるまで――老いたのか。病なのか。他者からの干渉か。もはや理解する必要などない。ただ、恐ろしいほどに這いウネル『終』に震えながら、机に縋るような格好で紐解く、捲る、閉じる、繰り返し繰り返し――何日経ったか。何年経ったか。地獄のような脳髄も愈々悟る他になかった。一週間、いや、四日……死の間際だ。吐き気がするほどの最悪が精神に這入り込んでくる。狂いそうだ。否。狂っているのだ。叶えねば成らない。捲れ。捲れ。めくれ……そうして在った。それが『反魂の法』だ。
　術は理解した。命が枯れていく。急げ。魂が泣き叫んでいて上手く唱えられない。耳が遠いだけだ。意識が遠退く程度だ。大丈夫。まだ、己の存在は『生きて』いるぞ――酷い臭いだ。何重にも視える窖が魔術師を拒絶している。数多に蔓延る輝きが。安寧が魔術師を否定している。総ての回転（規則）が魔術師を突き放した。落ちる。墜ちる。違う。戻っていく――ふわり。感覚がおかしい。触れる事が出来ない。ぐぅるりと一回転しても、世界は全く『いきた』ままだ。ああ。成功だ。魔術師は確かに時を殺し、肉体と称される牢獄から解放されたのだ。素晴らしい。素晴らシイ。生は本当に無意味な恐怖だったのだ。されど魂だけでは何も成せぬ。適当な器に憑かねば成らない。出来れば人間が好い。人型ならば良い。決めた。決めたゾ――付着し、融け、這入る感覚が心地酔い。酒や煙草や魔術よりもたまらなイ。
　しかし。魔術師は直ぐに『法』の欠陥を叩き付けられた。器の寿命は伸ばせない。死の恐怖は未だに己を舐っていたのだ。轟々と燃える地獄のような真実に苛まれ、一時は器から離れ『続けよう』と為した。されど。絶望は再び訪れる――器の無い魂は何れ擦り切れ、楽園にも奈落にも至れず、消滅してしまうのだ。魔術師は歩む事を運命として粘着（つ）けられた。死を回避する為に器を変える。あア、己は【亜屍】だ。死にぞこないの滑稽な浮遊物だ――ふよふよ、ふよふよ、ふよふよ。
　ある時、亜屍は美少女だった。綺麗な雪を踏みながら、通り過ぎる大人どもを眺めていた。ある時、亜屍は青年だった。外で元気に遊ぶ子供を観ながら、つまらない本を捲っていた。ある時、亜屍は獣だった。生肉を貪る同種を視ながら、彼等の演技を懸命に行った。何故か。器とした生物の『我』が強ければ強いほど、追い出される可能性が増すのだ。故に亜屍は『元の魂』を破壊し、奪い尽くしたのだ。たとえ相手が小蠅で在ろうが何で在ろうが、悉くの自我を滅ぼしていった。支配された魂の逝き先など、誰にも解らない。解らない方が好い。禁忌に手を出して、其処に首を突っ込むなど、消滅よりも恐ろしい何かが『在る』に違いないのだ。神や天使や悪魔でも、触れない理の最下（いやした）、遍くものを冒涜するかのような『おもい』が待ち望んでいる可能性。だが――それでも魂は徐々に削れていく。器を失い、次を得て、死ぬ。繰り返せば消滅がじりじりとうたう。多少の傷や欠陥は問題ない。ああ。もう。限界ダ――絶望が嗤う。死が忍び寄る。最低の人生が……魂としての生が。世界の理に殺されてしまうのだ。終いが近い。それでも。亜屍は諦めなかった。もはや一種の呪いで在り、狂気とも呼べる想いが『奇跡』を――破滅寸前の『両者』を引き寄せたのかもしれない。賽の河原の鬼にでも成った気分だ。沈んでいる暇など在り得ない。

　死にたくなイ。まだ、活きて、生きられル。

　遂に。首は繋がった――亜屍は大地と呼ばれる肉体に『執着』し『終着』したのだ。彼等の精神が一致した事が。生への病的、狂気的な縋り付きが起こした『法外』の結合。兎の真っ白に付着した真っ赤は、自らが死に絶えるまで落ちないだろうが。そのような『絶望』は二度と御免ダ。兎に角。兎は要らないが、肉を再生させる魔術だけは発動された。がちゃり……この魂は決して滅ぼせない。追い出せない。亜屍の力は既に無に等しく、混沌に塗れて『1』と化した。此れは絶対に覆せない真実だが。それ故に希望は残された。
　先ず。殺されない。二度、首を落とされない『力』を望まねば成らない。経験と知識を積み重ねれば、何れは『魔術師』としての己を取り戻せるだろう。偉大なる死霊魔術の根源は朦朧とするほど深いものだが、何、俺『達』なら到達出来るサ。戦い、勝ち、書を集め、知り、繰り返し繰り返し繰り返し――亜屍はこう、名乗った。

　――【赤羽】ダ。そう呼べヨ。

　魔術師は殺せなかった。