PandoraPartyProject

SS詳細

重ねた手の温もりは

登場人物一覧

星穹(p3p008330)
約束の瓊盾

 ピピピと無機質なアラーム音が部屋に木霊する。柔らかな布団の温もりは魅力的だが、その誘惑を断ち切り星穹は身を起こした。長く滑らかな銀の髪が肩を滑り落ち、微睡みつつも冷たいフローリングへ足を降ろす。
 くぁと短く欠伸を噛み殺し洗面所へ向かい、冷たい水で顔を洗えば漸く眠気から解放され鏡の中の自分におはようと呟いた。少し前まで冷たい水が気持ちいい真夏だったというのに、今では温かいお湯が恋しくなるような肌寒い季節だ。かつて恩師が歳をとると年月が早く過ぎるなんて愚痴を零していたが、自分も少しは大人になったという事なのだろうか。

 ふと壁に掛けた時計を見上げると約束の時間まではまだ十分に時間があった。目覚まし時計を早くセットし過ぎたらしい。もっとも、年頃の女性の準備というのは何かと時間がかかるもの、ましてやそれが大切な誰かと出かける準備なら猶更だった。
 パジャマ代わりのワイシャツのボタンを外し、ベッドの柵へ賭けクローゼットから昨日選んでおいた洋服を取り出す。インナーは控えめなフリルが可愛らしいオフホワイトのブラウス。暖かな茶色と品の良い濃い青のチェックが上品な印象を与えるジャンパースカート。下は黒いタイツを合わせてきゅっと引き締めた。背中のファスナーを引き上げ姿見の前で一回転すればいつもの凛とした忍び姿から一転、可愛らしい年頃の『女の子』がいた。蝶よ花よと育てられ、この手を血に濡らしたことなんか無さそうな女の子。口の端に自嘲の笑みが乗る。それを頭を振りかぶって追い払い、無理やり笑みを作る。今日は彼とのお出かけなのだ、今日くらいは一人の女の子になったっていいじゃないか。

 姿見の前から鏡台の前に移動し引き出しからお気に入りのコスメを取り出す。化粧水と乳液で肌を整え、リキッドファンデーションをムラなく伸ばしコンシーラーで隈を消していく。ブラシでくるくると円を描くように仕上げのパウダーを乗せて下地は完成。アイシャドウはチョコレートをイメージしたパレットのものを選んだ。暖かで上品なそれを瞼に伸ばして、目頭と中央にキラキラ輝くラメを乗せればぱっと華やかになった。アイライナーは黒とこげ茶と悩んで後者を選ぶ。最初は真直ぐな線を引くのもやっとだったのに、彼とのお出かけを繰り返すうちにすっかり慣れてブレの無い美しいラインで目元を縁取れるようになった。マスカラを慎重に重ねてチークはオレンジ系をほんの少しだけ。リップはきつ過ぎないようにヌーディな色に。唇に馴染ませ、左、右とチェックし最後に星穹は大きく頷いた。
 髪はあえて下ろしたストレートヘアにして片側だけ耳に掛ける。お気に入りの菱形ダイヤが二つ連なったイヤリングを露出させた耳に付けた。再度時計を見上げればあっという間に時間は過ぎていて、星穹はトートバックに必要なものを詰め込んで家を出た。


「やぁ、星穹殿」
 星穹がマンションから出ると既に待ち人はそこに立っていた。緩やかに右手を上げた彼、ヴェルグリーズは薄手のジャケットを羽織り暖かそうなタートルネックのトップスに黒いスキニージーンズという出で立ちだった。こうして連れだって出かけるのは初めてではないというのに、会うたびに彼はかっこよくなってて、きゅっと胸の奥が締め付けられるような不思議な感覚になるのだ。
「申し訳ございません、ヴェルグリーズ。お待たせしましたか?」
「ううん、俺も今着いたところだから」
 そういって手を差し伸べてくるヴェルグリーズの手を星穹は取る。自分の物より僅かに冷えているのは彼が剣の精霊種だからか、はたまた今来たところと言っていたが本当はずっと前から待っていたのか。ヴェルグリーズならやりかねないと星穹は苦笑した。
「星穹殿?」
「ふふ、なんでもありませんよ。それより今日の映画楽しみですね」
「うん、星穹殿は映画が好きだからね」
 シレンツィオ・リゾートで二人で忍者の映画を見てから星穹はすっかり映画の虜になった。ラブロマンス、アクション、ホラー、アニメーション……様々見てきたが今回選んだのは戦国時代から現代にトリップしてきた凄腕の忍者がヒロインに間借りしつつ元の世界へ戻る方法を探りながら、バトルを繰り広げる――というストーリーのアクション映画だ。
 劇場について幸いにも中央辺りの良い席を取れた二人はキャラメル味と塩味のポップコーンとドリンクはもちろんLサイズ。公開予定の映画のコマーシャルを見てあれが面白そうだ、あの俳優の演技が気になるなど他愛ない話をしていればあっという間に時間は過ぎて開演を告げるブザーがなった。楽しいおしゃべりはいったん中止し、二人はスクリーンへ向き直った。


「素晴らしい映画でしたね……!」
「そうだね、とっても面白かった!」
 二時間後、興奮冷めやらぬ様子で二人は劇場から出て、同じ商業施設内のレストランに入った。注文をした後パンフレットを取り出して、シーンを振り返り余韻に浸りながらの感想会としゃれこむ。
「でも最後のシーンは切なかったね」
「あんなに想いあっていたのに……」
 目を閉じて瞼の裏に蘇るのは少しずつ愛を育んだ忍者とヒロインの別れのラストシーンである。元の時代に帰ることになった忍者をヒロインが行かないでと縋りつくシーンだ。
『私は忍びなんだ。帰らなくちゃいけない。それに――』

 ――君を抱きしめるには、余りにもこの手は血で汚れすぎてしまった。

 そういって哀しい微笑みを浮かべた目元があまりにも印象に強く残っていて、その台詞は星穹に深く突き刺さった。アレは空想上の話フィクションだが星穹の手は本当に血で染まっている。拾われ、目の前の大きな背中を追いかけて、忍びになったことを後悔はしていない。だが、この手でヴェルグリーズの綺麗な手を握るのが時々無性に怖くなるのだ。自分にそんな資格があるのかと、もう一人の自分が冷たく問い詰めてくるのだ。

「――星穹殿? 大丈夫かい?」
「あ……ごめんなさい。ぼうっとしてしまって」
「体調がすぐれないとか?」
「いえ、そんなことありません」
 笑みを作る星穹にヴェルグリーズは何か言いたげだったが、こういう時の彼女は何を言っても誤魔化してしまうので深く追求しないことにした。その代わりにそっと自身の手を星穹の手へ重ねる。
「もし、星穹殿があの忍者と同じ立場だったとしても。俺はその手を離すつもりは無いよ」
「えっ?」
「あのヒロインは最後に忍者の手を離してしまったけれど、俺はきっとできない」
 まるで星穹の不安を見通していたかのようにヴェルグリーズは真直ぐに星穹の瞳を見つめ言葉を紡いだ。
「俺は君の相棒で、パートナーだから」
 その言葉でじんわりと心の内がほぐれ、暖かな気持ちになっていくのを星穹は感じた。そうだ、この人はこういう人だった。ふわりと微笑み、星穹は重ねられた手の上に更に空いていた手を重ねる。
「……ありがとうございます。ヴェルグリーズ様」
 暫くそうしていた二人だがウエイトレスが此方に向かってくるのが見えた為、一旦手を離した。星穹はオムライス、ヴェルグリーズはハンバーグをそれぞれ注文し頂きますと両手を合わせた。ふわふわとろとろのオムライスと肉汁たっぷりのハンバーグを楽しみながら二人は今日の献立について考える。
「洋食もいいけど和食もチャレンジしてみたいですね。ああ、でも中華系も美味しそうだし……」
「星穹殿は最近料理に凝っているからね」
「はい! もう鍋は焦がしませんよ」
 すこしでも喜んでもらおうと始めた料理。
 先生に習い始めた頃は火加減の違いも判らず、黒い塊ばかり錬成していたが、持ち合わせた吸収性で星穹の料理の腕はメキメキと上達していき、今では冷蔵庫の余っている具材で献立のメニューを考えられるくらいになった。そんな彼女の料理をとても楽しみにしているのが目の前のヴェルグリーズ、それから家で待っている息子の存在である。
「なにかリクエストとかありますか?」
「リクエストかぁ……うーん、悩んでしまうね」
 グラタン、カレーライス、いやジャンルを変えて焼き魚の定食なんて言うのも乙だ。眉根をよせて真剣に悩みだしたヴェルグリーズに星穹はくすりと笑み零す。さっきまで此方を安心させるような優しい表情だったのに今度は夕飯のリクエストに悩む子どものような表情をしている相棒が愛おしくて仕方ない。
「……買い物しながら考えてもいいかな? 今すぐには決められそうになくて」
「もちろんですよ」
 気恥しそうに頬を掻くヴェルグリーズの頭を星穹は緩く撫でた。
 これはそんな、暖かで優しい陽だまりの様な日々が続いていくと信じて疑わなかった頃の噺。





  • 重ねた手の温もりは完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2022年10月24日
  • ・星穹(p3p008330
    ※ おまけSS『虚ろに消えた呟きは。』付き

おまけSS『虚ろに消えた呟きは。』

『もし、星穹殿があの忍者と同じ立場だったとしても。俺はその手を離すつもりは無いよ』
『俺は君の相棒で、パートナーだから』

 ヴェルグリーズはああいってくれたけど。私はその手を受け入れられるだろうか。
 楽しかった一日が終わり、帰宅した星穹はベッドに入りレストランでの会話を思い返していた。スクリーンの向こうの二人は結ばれなかった、ヒロインの想いを受け止めながらも忍者は自分の時代に帰ることを決めたのだ。星穹はその気持ちが痛いほどわかる。

 この血に塗れて汚れた手で、大切な存在に触れて穢してしまうことへの恐怖。
 自分と一緒になっては絶対に不幸な目に遭わせてしまうという絶望。

 あの忍者はヒロインをとても想っていたからこそ、その手を取らず抱きしめ返さなかったのだ。本当は一緒にいたかっただろうに。それが伝わったからこそ、ヒロインは自身の想いを閉じ込めて手を離した。映画はそこでエンディングを迎えたけれど、屹度ヒロインはあのあともう二度と逢えぬであろう忍者を想いながら生涯を過ごしていくのだ。
(私は、どうするだろうか)

 もしあの映画と同じように、彼の元から去らないといけない時が来たとして。私は彼に抱きしめられたらどうするだろうか。暫く考え込んでみても黒い靄がかかった様になってなんにも考えられなかった。
(……寝てしまおう)
 結局結論は出ないままで、星穹は布団をかぶり直した。ふわふわで暖かな布団は朝と変わらず優しく夢へと誘ってくれるのに、瞼をきつく閉じても、眠気がやってくる気配は無い。眠らねばと強く思うのに思えば思う程目が冴えてしまう。
「……ヴェルグリーズ」
 小さく、呟いた声が空っぽな部屋に虚しく響いた。



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