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アーマデルと弾正の話~それは大切な~
登場人物一覧
信じていたすべてに欺かれた。
信じていたすべてに嘲られた。
信じていたすべてに……。
ゆえにあきらめていた。あきらめたることに慣れた子どもに取り憑いていた。そこは心地よかった。私はただ彼の諦念を貪ってさえいればよかったのだ。けれど……。
「アーマデル」
名を呼ばれて腕を掴まれ、アーマデルは散漫だった意識を集中させた。
「すまない弾正。最近、とりこまれがちなんだ」
「とりこまれる? 何に」
「英霊の未練の欠片だ。影響力が大きくなっているのかもしれん」
それを使いこなしてこその俺だというのに。アーマデルはくやしげにうつむく。弾正はアーマデルの手を挟むように両手で握った。
「何者も、俺からアーマデルを奪う者は許さない」
「弾正……」
いいやつだ、と思う。大事な弟が戦場に堕ちる結果となった原因は俺なのに。「それでもアーマデルが大切だ」とまで言ってくれた。ならば俺も、その思いに応えねばならない。アーマデルはひとつうなずくと顔を隠し、壁を滑り落ちた。
今宵は要人の暗殺という名の奴隷商の殺害だ。腐りきったやつは多く、お互いにその腐敗臭を毛嫌いしているやつらは更に多い。アーマデルたちが倒すことでできる密売の真空地帯も、あっというまに強者へ飲み込まれるのだろう。
無益な仕事だ。アーマデルはためいきひとつ。だが受けた以上はやらなければ。そう、受けた以上は。依頼とはそういうものだ。人生とはそういうものだ。諦めて、理想など投げ捨てて、定められた道をゆくしか……。
「アーマデル」
また内側へ入り込みかけたアーマデルは、弾正の声かけで覚醒した。
「すまない。この仕事が終わるまで油断はしない」
「ああ、それはふたりだけのときにしてくれ」
ウインクをすると弾正は暗闇へ溶けていく。
豪奢な廊下を疾駆する。そこはすでに血で濡れていた。想像以上の歓迎を受けたふたりは、それでもひるむことなくターゲットの首を取りに行く。
「なんだ鉄砲玉か!?」
「手強いぞ、固まれ、一斉に発砲しろ!」
廊下の奥へ私兵が集まり、人間の壁を作る。
まずい。アーマデルの背筋が寒くなった。この狭い廊下では避けきれない。走り寄って切り込もうにも距離がある。
「諦念の勇者よ!」
アーマデルは未練の欠片を呼び出し使役した。しかし、あと一歩、あと一歩が届かない。耳が張り裂けそうな発砲音が重なり、硝煙の匂いが立ち込める。そこに立っていたのは。
「弾正!」
アーマデルをかばい、仁王立ちになっていた弾正の姿だった。パンドラで命をつないだ弾正はにやりとアーマデルへ笑いかける。
「音の因子に銃弾のカデンツァとは洒落が効いている。アーマデル。あとはたのん、だ、ぞ……」
「う、うあ、うあああ」
アーマデルは気絶した弾正に覆いかぶさり、ガクガクと震えた。次の攻撃の気配がする。きっと穴だらけの死体が2つできあがるのだろう。だけどあきらめたくない。すくなくとも彼の命は。あきらめたくない。彼の命だけは。あきらめたくないんだ、なにがあろうとも。あきらめたくなんか……。
「あきらめて、たまるか……!」
アーマデルは立ち上がった。その瞬間、赤いオーラが彼をふちどり、なにかが砕ける音が耳元でした。重々しい声がそれに続く。
――吾は絶叫の未練。叶わぬ願いを抱え、唯の一度に全てを賭けた、勇者ならざる者也。
「なんでもいい、俺に力を貸せ!」
アーマデルは蛇剣を震わせた。英霊の絶叫が響き渡る。廊下を駆け抜け、人の壁を崩し、その奥の扉をぶち破って。扉の向こうへ腰を抜かして失禁しているこの館の主を見つけ、アーマデルは駆け寄る。
「俺は、無力だ……」
赤いオーラが再び蛇剣へ宿る。
「俺は、非力だ……」
オーラが燃え上がり、アーマデルの瞳がぎらつく。
「足を、ひっぱってばかりの役立たずだ……」
くしゃりと彼は顔をしかめた。泣き出す寸前のように。
「それでも弾正が、弾正が、俺を大切だと言ってくれた!」
命すらかけて己を救ってくれた。俺はどうやってお前の想いに応えればいい、弾正。
夢中になって新たな力を館の主へぶつける。すさまじい威力に主人は一発でノックアウトされた。だめだ、まだ足りない。まだ殺しきってない。アーマデルは返り血を顧みず尖った未練を引き連れる。絶叫の英霊はその夜存分に血を吸っただろう。
「アーマデル、アーマデル、もういい」
肩を掴まれ、アーマデルははっと我に返った。目の前にはミンチになったターゲット。自分がそれをなしたのだと思うと、急に恐ろしくなった。肩のぬくもりの先にある弾正の胸へ飛び込み、大きく息をする。過呼吸気味の背中を弾正は優しくさすってくれた。
「俺を守るために力を出し切ってくれたんだな。うれしいぞ、アーマデル」
そうだろうか、はたして。俺はただ英霊の未練に取り憑かれていただけではないのか。我を忘れるほどに。
アーマデルは言いよどみ、弾正の胸へぐりぐりと頭を押し付けた。そうしているとすこし安心した。抱き合う二人の隣へ、ほわりと光が浮かぶ。人影が見えるが逆光になっていて顔まではわからない。だがしかし微笑んでいるのは感じられる。
「諦念の英雄……か?」
――いな、英雄の残滓。未練、欠片。かつて英雄であったものの一部。
「俺に何の用だ。恨み言なら……聞くが……」
――いいや、違う。たしかにアーマデル。そなたの魂は居心地が良かった。しかしその座を新たな英霊へ明け渡す時が来たようだ。
「新たな英霊?」
――私の諦念は、そなたの決心とともに打ち砕かれた。これからは世界を巡る元素の一つとなり、そなたの成長を見守ろう。
「……」
アーマデルがほうけた顔をしているうちに、人影は笑みを深めて消えていった。なんの憂いもない、爽やかな笑みだった。
「一翼の蛇の加護がお前に新たな力を授けてくれたのか」
「そうらしい」
「保護者がまた増えたな」
「そうだな。って、弾正、冗談を飛ばしているが、だいじょうぶなのか? このイシュミル製ポーションを飲め。傷にはよく効く、傷には」
「いちち、立っているのがやっとだが、引き上げるだけの力は残してあるさ。さあ、行こう」
夜道を進むふたりは、お互いに肩を貸しあっていた。身長差があるぶん、アーマデルが弾正へ寄り添っている格好になる。
(あの時聞こえた声は、新たな英霊の未練だったのだろうか……)
アーマデルは戦闘中に聞こえてきた重い声を思いだす。
叶わぬ願いを抱え、唯の一度に全てを賭けた、勇者ならざる者。それはまるで、今の己ではないか。勇者ではない。戦士とも言えない。ただの一度にすべてをかけた。ひとまずの願いはかなったが、本命の願いは、この胸のうちにある。
「……たい」
「ん? どうした?」
「変わりたい」
「どんなふうにだアーマデル」
「それは、まだ、わからないけれど」
いまのままではダメな気がするんだ。
夜道へ溶けゆく彼の声は切なく弾正の胸へ突き刺さった。
「どんなアーマデルでも、俺は受け入れる」
「あまり甘やかしてくれるな」
「甘やかしてなんかいないとも。アーマデルはそれだけ俺にとって大事だと伝えたいんだ」
「……言ってろ」
「何度だって言う。ああ、何度だってな」
照れ隠しに避けた顔を見られたか。本音を隠さざるをえない自分を、それでも包んでくれる弾正。自分なんかにはもったいない。そんな気持ちがあふれてくるが、いまはいまだけは、このぬくもりに酔っていたい。