PandoraPartyProject

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メディカのわすれもの

登場人物一覧

アーリア・スピリッツ(p3p004400)
キールで乾杯
アーリア・スピリッツの関係者
→ イラスト

●まだ夢のままで
 ならぶぬいぐるみ。綺麗なシーツ。
 まだ暖かい風の吹き込む窓の、蝶模様のレースカーテン。
 ベッドサイドの棚にはこぼれ落ちそうなほど沢山のお菓子が並び、お皿にあけたチョコレートクッキーが積み上がっている。
 ひとり誰かに語りかける、女の声。
 最近寒くなってきたわね。眠ってばかりで風邪をひかないかしら。まえにこんな冒険をしたのよ。世界はとっても広いわ。
 ベッドに腰掛けた紫色の髪をした女性が、そっと少女に手を伸ばした。
 同じ髪色の、ねこのぬいぐるみを抱えて眠る少女。
 名を、メディカ。
 髪を撫でようと、指先が触れかけたところで、女の……アーリア・スピリッツの手が止まった。

 脳裏によぎる、苦い悪夢。
 妖精の悪意によって流し込まれた恐怖の幻覚だと理解しながらも、アーリアはあの悪夢が『起こりえない災い』などとは思えなかった。
 起こりえないと信じたい気持ちと同じくらいに、もしそうなってしまったらという恐怖を、きっと拭いきれていないのだろう。
 自分でも呆れるほど酒に酔ってめまいと頭痛で立てない朝も、酷い怪我をおって痛みに苦しむ夜も、一日か二日すれば消えてくれるのに。
 恐怖だけは、まるで身体の奥底に染みついてしまったかのように消えてくれない。

「恐怖には、三つの種類があるという」
 部屋の外から聞こえる声に振り返ると、開いた扉の縁に寄りかかるようにして一人の神父が立っていた。
 顔の殆どを火傷や拷問跡に覆われたが、瞳だけが聖なる輝きを失わない。
「スナーフ神父……」
 アーリアの反応に頷いて、神父は部屋に入らぬギリギリのラインにつま先を置いた。
「アクティアム妖精とやりあったそうだな。その様子からすると、妹君……メディカ君への恐怖を掘り返された、といった所か」
 平坦に喋る神父に、アーリアは僅かに頭を垂れさせる。
 垂れた前髪の間から、戸口ごしに見える神父の横顔を見上げた。
「いじわるなことを、言うのねぇ」
「そう思うか」
「それだけを言うために、姉妹の面会に立ち入ったわけじゃないんでしょう?」
 神父は口の端だけで笑うと、『中へ入っても?』とジェスチャーをした。
 アーリアがベッドサイドに置かれた椅子を手で示すと、神父はゆっくりとした足取りで部屋へと入った。
 カーペットの柔らかい毛が、神父の黒い靴底を受け止める。
「君の抱くであろう恐怖は、二通りある。
 ひとつは、君を憎む人間が君やそれに類するものを害する恐怖。
 もうひとつは、君が犯した過ちが遡行し、今の君を追いかけてくる恐怖だ」
 椅子に腰掛け、両手を組んで膝におく。
「私は、こう見えても神父でね。精神衛生(メンタルヘルス)は専門分野だ。ここはひとつ、カウンセリングを?」

●チョコレートクッキーが舌に乗る
「なるほど……聞かせてくれてありがとう。
 古い文献によれば、アクティアム妖精は精神医療の現場で用いられたケースがある。
 潜在的に抱く恐怖を掘り起こし、カウンセリングの方針を定めるというものだ。
 意図せず君は、過去の恐怖に向き合い乗り越えるための検査薬を手に入れたのだろう」
「恐い夢を見ることが、恐怖を克服するための手段?」
「鋭いな。それもまた、精神医療の一手段だ。鉄帝北方小部族におけるシャーマンは、正体不明の恐怖におびえる子供にあえて悪夢を見せ、恐怖との向き合い方を学ばせるという。
 だが、まあ、私は薬や妖精や魔法に頼らないタチでね。学習療法をとらせてもらう」
 神父はどこからか一冊の聖書を取り出し、表紙を開いて見せた。
「お説教を聞く年頃じゃないわぁ」
 すこしすねたように唇をとがらせるアーリアに、神父はまた口の端だけで笑って聖書の中身を見せた。
 ページ部分はすっかりと切り抜き接着され、木製のキューブがひとつ、そこには収まっていた。
 キューブに刻まれている文字は、『medica』。
「学習療法とは、恐怖の根源を学び『未知の恐怖』を解消することにある。
 君が過去の過ちだと考え、正体不明の恐怖に追われるならば、その正体を照らせばよい。
 その光として、この資料は存在する」
 キューブを取り出し、アーリアの手のひらにのせる神父。
 途端。アーリアの脳裏に古い風景が投影された。

●ありし日の光
 砂糖壺を開く、小さな手。
 ぼそぼそとくぐもった音がやがて鮮明となる一方で、手は角砂糖を数個握って、手前のカップにひとつずつ落とし入れた。
 まるで自分の声帯から発しているかのように、メディカの声がする。
「吸血鬼、ですって?」
 紅茶がカップから零れるギリギリの、表面張力でやっと維持されるほどまでに角砂糖を投入してから、まるで慣れた手つきで口元へ運んでいく。
 一滴たりとも零れることなく、その中身が唇の熱として入り込んでく。
 見下ろした紅茶の水面には、メディカの顔が反射していた。
 つい、と視線を上げる。
 相手は白い三角ずきんを被った男性である。
 ずきんの下には丸めがねの光。そのまた下には、まるで世界に期待していないかのように濁った目。
 彼は足を組み、キュパ――と音を立てて白手袋をした右手を掲げた。
「そうだとも、異端審問官メディカ。『神の鉄槌』メディカ。
 吸、血、鬼。人間の血をすすり肉を食らい夜と共に寝台へ這い寄るおぞましき鬼、だ。
 我々イスカリオテ第十三部隊は麗しき聖都フォン・ルーベルグをその腐った足で踏み荒らす糞吸血鬼(ファッキンヴァンプ)ども一人残らず灰に返すが使命。
 メディカ、君の管轄区域で二日前殺人事件が起きたな。
 聖なるネメシス国教会のシンボルを逆さに描いた血のペイントと共に『人類よ土に帰れ』というメッセージ。
 君ほどの人物がノーマークということは、あるまい」
「ええ、ええ、存じております。わたくしたちを見守る慈悲深き神を汚す不正義――」
 メディカの手の中で、角砂糖がギリギリと握りつぶされていく。
 いけない、と小さく呟いて、開いた手を口元へと持って行く。
「かならずその人間を叩きつぶしすり潰し骨のかけらすら残さず消し去ってみせます」
「ふむ、ふふ、ふふふ」
 男は、翳した手を口元に当ててくすくすと笑った。
 不快なのだろうか。ぴたりとメディカの手がとまる。
「いやなに、すまない。君はまだ『そこまで』しか掴んでいないのだな。
 奴らは『人間』などではないよ。まして魔種やそれにそそのかされた狂人でもないのだ。
 奴らは既に死した肉体に入り込み鬼となった魔物。人間の死体にしか寄生できない魔物だ。なあ、メディカ」
 男は懐から一枚の写真をとりだし、翳して見せた。
「この男を見かけたら、我々に引き渡すんだ。いいな?」

●そして未来は君の手に
「……これは」
「メディカ君の記憶。その断片だ」
 片目を押さえ、わずかによろめくアーリア。
 神父はキューブを取り上げ偽装聖書箱に納めた。
「彼女は優秀な異端審問官だった。そんな彼女が今こうして長い眠りについているということは、彼女自身が自らと戦っていることを意味している。
 月光人形事件も、彼女の深い信仰心ゆえの誤解だ。
 彼女が反転するとは思えないし、最悪そうなったとしても、彼女は『君のせい』などとは口が裂けても言うまいよ」

「……そう」
 アーリアは目を閉じ、息をついた。
 妹。大事な妹。彼女はいま眠りにつき、彼女が守っていた町は未だ知らぬ牙に晒されている。
 姉として、いま、とるべきは……。

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