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幕間劇が終わる時

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠
チック・シュテルの関係者
→ イラスト
チック・シュテルの関係者
→ イラスト


 ――――――例えば。
 今現在生きているあなたが『誰かの代役』に過ぎず、今すぐにでも死に絶え、その立ち位置を誰かに譲るべきなのだと言われたらどうするだろうか。

「は、はっ……!」

 ……誰も居ない何時もの街並みを、一人の青年がただ走る。
 濡烏の色をした髪と瞳が特徴的な男性だった。普段は端正な造形であろう面立ちが、今この時ばかりは恐れと焦燥が綯い交ぜになったような表情となり、ただ只管に走って、逃げ続けている。
 ――そう、「逃げている」。それは、一体何から?

「状況を分析せず、感情に任せて無軌道な行動に走る。
 無駄なことが好きだね、××(きみ)は」
「………………っ!!」

 走り続けていた青年のすぐ背後から聞こえた声。強張りを深めた青年の顔を見れば、それが逃げていた『元凶』のものであると誰しも分かったであろう。
 疲れ果てた足が止まる。逃走と言う意志が折れる。
 ただ、背後より聞こえる声の主を振り返ることだけはせず、ただ立ち尽くした侭の青年に、声は単調なペースで彼へと語り続けていた。

「時が来たんだよ、『カノン』。君の名は、存在は、幕間劇には過ぎた代物だった。
 物語は本筋に戻る。喜劇は終わり、これからは哀惜と悲嘆に塗り潰された悲劇の始まりだ」
「……何を、貴方は」

 聞こえた言葉は不快なものだった。
 自らを用済みのように吐き捨てる口調。己の言葉が絶対であるかのような傲岸な態度。
 その全てに腹が立ち、振り返って反論しようとするたびに、青年の身体は動きを止める。それが『最後の一線』を越えることだからと、本能が理解しているために。

「貴方は一体……誰なんです」

 辛うじで、絞り出したのはそんな言葉。
 見慣れた街。見慣れた景色の中で、唯一ぽっかりと人の存在だけが欠如したセカイで、小さな声音は奇妙なほどに大きく響いた気がする。
 数秒の沈黙。後に帰ってきたのは――くつくつと言う、漏れ出る笑い声だった。

「君自身が既に理解している問いへの回答に、態々俺が付き合ってやる理由はないな」
「………………」
「君も判ってるはずだ。君が自覚した俺の存在は一個の契機であると。
 かみ合った歯車は止められない。君自身がそれを望もうとも。けれど、どうしてもそれを望むと言うのなら」

 ドン、という音が背後から響いた。
 同時に衝撃。青年には、それが何かを振り返る必要は無かった。

「……自らを諸共に、道連れにでもしてみせるかい、『俺(カノン)』?」

 青年の眼前には。
 己を背後から貫いた腕が、引き千切った心臓を掴んでいる光景が映っていたから。


「……カノン?」
 それは、依頼の帰りのことであった。
 自宅への帰路を歩んでいた『燈囀の鳥』チック・シュテル(p3p000932)の視界の端に映ったのは、街路樹の近く座り込んでいる知己の青年――カノンの姿であった。少しの間見ていた友人が一向に動かない様子を見て、チックは静かに彼の元へと近づいていく。
「カノン、どうかした?」
「あ、チック……さん」
 かけられた声に振り返るカノン。
 困惑した表情の彼の手のひらには――小さな野鳥の雛が鳴き声を上げている。
「……あ」
 座り込んでいた理由に得心いったチックに対して、カノンは何処か弁明するかのように言葉を述べていく。
「偶然見つけたんですが、近くに巣も無いし、親鳥も見当たらなくて。
 恐らくは他の野鳥が食べようと運んでいた時に、偶然落としてしまったんだと思います」
「……どう、するの?」
「それは……」
 チックの問いは、恐らくカノン自身が現在も自らに問い続けているものに違いない。
 しばらくの後、カノンは自らの手巾に優しく雛を包み込み、ゆっくりと立ち上がった。
「一先ずは、この子が独り立ちするまで育ててみようと思います。上手くいくかはわかりませんけど」
「……ん。そっか」
 一つ礼をして、その場を去ろうとしていたカノンを――しかし、何となくチックは後ろに着いていった。
「チックさん?」
「……その。おれにも、手伝う、出来るかも、だから」
 たどたどしいチックの言葉に、申し訳なさから苦笑を浮かべたカノンは、「有難うございます」とだけ返した。

 カノンが自宅――正確には住み込みで働いているパン屋――の裏手に到着し、店主である夫妻に話を通し、了解を貰うことが出来た。が、
『――ただね、カノン君。分かっておいて欲しいことがある。
 君の行いは、間違いなく命を尊ぶ善性からくるものだろう。けれどこうした命を戴く存在が居ることも、野生の世界のサイクルの一つではあるんだ』
 人間の勝手でそれを過度に乱せば、自然界の食物連鎖は乱れる。それを優しく諫めた店主の言葉に対して、カノンは深々と頭を下げ、チックも居た堪れない様子で俯くばかりであった。
 ……けれど、それでも。
「『次』が有れば、その時はちゃんと考えて行動します。けれど、今だけは。
 この子を助けると一度決めた以上、それを貫き通したいんです」
 そう言って、再度謝罪の為に首を垂れるカノンに、店主は笑顔を以てそれを認めてくれた。
 それまで「店主夫妻の役に立ちたい」ということを除き、自ら積極的な願いを抱いていなかったカノンが、今こうして己の望みを強く表している。その姿を店主も応援しようと思ったのだろう。
(――――――?)
 けれど、チックはカノンのそうした姿に、何か危うさにも似た違和感を覚え、それを拭えずにいたのだ。


 変化は唐突であり、如実なものであった。
 以前見ていた自分の夢。重油のような黒いヒトガタたちの中で、自分だけが何時も通りを過ごしていたセカイは、彼が最も大切に想う友人との約束によって打ち祓われた。
 恐れの源が消えたこと。同時に、恐れる自らを勇気づけてくれる存在が居ること。
 その全ては、繰り返される悪夢に悩まされていたカノンが日常へ還るには十分な理由であった。
 ――――――そのはず、なのに。

「反復する悪夢の中で耗弱し、疲弊した君からこの身体を取り戻そうとしたんだけどね。
 君は俺が想定していた以上に俺から乖離し、また自我を確立させていた。この辺りは君が周囲の人々に恵まれ過ぎていたことが原因だろうけど」

 悪夢は、再び顕れた。それまでのように意図を掴めぬ漠然としたものから、確固たる人格を持ったカタチへと姿を変えて。
 自らを貫いた腕はそのままに。臨む光景がどれほど生々しくても、痛みはなく。ただ、自己と言う存在が消えゆく喪失感だけをカノンは覚えている。

「ただね。あの悪夢は『結末』を早めるだけのもので、『結末』そのものではない。
 もう分かっているだろう、俺(カノン)。行き着く先を分かっていながら、君は何故――」
「……そんな、の」

「何故、無為な抵抗を続けるのか」と。
 そう言おうとした声の主に、カノンは嗚咽交じりの声を吐き出した。

「嫌だ。そんなのは、認めたくない。
 それじゃあ俺は、カノンとしての『俺』は……!」
「……ある日。自らの嘘によって然る貴族を騙し、一つの部族を滅ぼさんとした罪人が居た。
 彼はその罪を咎められ、貴族の手により死を以て罰せられるはずだったんだ」

 カノンが口にしかけた真実を、覆いかぶせるようにもう一つの声が響く。

「だが、運よく彼は逃げ出した。今の自らを知る者が全くいない場所へ。
 その果てに、彼は自らの潜伏も兼ねて、逃げ延びた先で自らの『翼』を削ぎ落して記憶を封じ、別個の人格を隠れ蓑に今日まで生き続けてきたんだよ」
「………………」

 荒ぐ呼吸。声の主が語る全てを理解しているから――否、「自らの経験」として実感しているからこそ、カノンは反論の声を上げることが出来ない。

「君の存在は、心の奥底でそれを見ていた俺にとって驚きの連続だったよ。
 他者との信頼、愛情、友誼。俺が忌み嫌う何れもに喜びを覚えるような人格が、俺の裡から生まれるなんて」

 だからこそ、と。
 声の主は、カノンを引き寄せた。強引に振り向かされる顔が、その瞳を終ぞ声の主と合わせることになる。

「俺では在り得ざる存在。弾けることを前提とされた泡沫。
 俺(カノン)。君は俺にとって、『俺に磨り潰される存在』として最高の役割を果してくれた」

 其処には、カノン自らと全く同じ顔が、闇を湛えた瞳の侭に優しい笑顔を浮かべていた。


 野鳥を保護して以降、カノンとチックは慣れない雛鳥の世話に腐心し続けていた。
 巣箱の環境はどうすべきか、餌や水はどの程度や間隔で与えるべきか。空を飛ぶ方法をどうやって覚えさせるか。自分たちにとって全てが初めての挑戦は忙しなく、だからこそやりがいを覚えることが出来た。
 少しずつ成長していく雛鳥と、その些細な変化に一喜一憂するカノンの姿を、チックは好ましく見ていたが、しかし。
「……カノン。何か、心配事、ある?」
 だからこそ、分かってしまった。
 健やかに育っていく雛鳥を見るカノンの瞳が、何処か遠いものを見るそれであったことに。
 チックの質問に、カノンは僅か逡巡したが、軈て優しくも思い切ったような口調で彼は口を開き始める。
「店長……リックさんが言ってましたよね。
 弱い存在を食べることで生きる存在も居る。それが世界を形作るサイクルにもなってるって」
「……うん」
 時刻は昼過ぎであった。カノンが住み込みで働くパン屋『アルメリア』の二階に在る住居のベランダにて、巣箱から顔をのぞかせた雛鳥が外へと足を動かしている。
 チックも、カノンもそれを止めることはしない。その内に雛鳥はベランダから足を踏み出し――本来ならば落下するはずだったそれを、一生懸命翼を動かすことで軌道を変えた。
 飛行ではなく滑空に似たそれを幾度も繰り返し、徐々に雛鳥は飛ぶ方法を覚えていく。それは何れこの場所から巣立つために。
「あの言葉は、きっと紛れもない真実で。それに干渉し続けることは、きっと正しいことではなくて。
 ……それでも、目の前で必死に生きようとしている命が有れば、きっと俺はこれからもそれを救おうとするんだろうなって、思ったんです」

 ――――――「だって」。

 続けられた小さな声音。その先を聞き取ろうとしたチックへと、傍のカノン諸共に強い風が吹き抜ける。
 その風に乗って、先ほどまで落ちることしか出来なかった雛鳥が『飛んで』戻ってきた。その姿を嬉しそうに迎え入れるカノンに、チックは返す言葉を失い、彼と共に雛鳥への餌やりを手伝うことにした。



 それが、彼とチックが交わした、最後の会話だったのだ。


 血の通った腕と、冷たい腕が溶けあっていく。
 暖かな身体に、無機質な人形の如き身体が繋がっていく。
 喰われるように一つになる。或いはその逆なのか。自身と言う存在が、自身と全く同じ顔をした『本来の自分』に蝕まれていく感覚に、カノンは嫌悪と恐怖を露わにすることしか出来ない。

「そろそろ起きる時間だよ。尤も、次に目覚めるのは君ではないだろうけど」
「……いや、だ」

 言葉だけの反抗。その虚しさを口にした当人が一番判っていながらも、ならばどのようにすれば抗することが出来るのかを見出すことが出来ずにいる。
 既に二人の自我と記憶は一個のそれと成りつつあった。互いの感覚を我がものと捉えられ、同様に記憶すらも己のそれと回顧できる。
 それを基に、この声の主はカノンに成り代わるのだろう。それは軈て新たな凶行の糧となり、多くの人を慟哭へと沈みこませる。ともすれば、それは今のカノンが信じ、愛する人たちすらも。

「嫌、だ……!!」

 物心ついたとき。何もわからぬ自分にただ優しく手を差し伸べてくれたパン屋の夫妻が居た。
 周囲に怯え続けていたとき、お喋りや遊戯の輪に混ぜてくれた近所の子供たちが居た。
 そして何より――常に自分に寄り添い、自分の恐れを祓うと約束してくれた、大切な友人が居た。

「『俺』は! 『俺(おまえ)』じゃない!」
「………………!!」

 泥のように粘着き、結合しかけていたもう一つの身体を、感情のままに振り払う。
 再び別たれる両者。それまで悠然としていたもう一人の自分が、今この時ばかりは明確に瞠目を以てカノンを見ていた。

「……一時の陽炎が、何故其処まで抗うのか。理解しがたいね」
「決まってる、俺は……」

 ほんの少し前。チックとの会話を思い出す。
 死に行くことが、喰われることが当然の命を、しかしこれから先も救いたいと言った、その理由。
 ――「だって、俺自身がそうなんだから」と言う。独善にも似た、自他に因らず生きる願いへの執着。

「まあいいや。あと一度くらい、君に猶予を与えるのも悪くはない。
 それじゃあ、今夜ばかりはおやすみ、俺(カノン)。最期の目覚めをどうか満喫してきなよ」

 言葉と共に、街並みは、彼の姿は、瞬く間に白に包まれて――――――



 目覚めた時、カノンは夢の中の全てを覚えていた。
 同時に、夢の中の『彼』が語った言葉が、全て真実であると言う確信も。
「……ごめんなさい、チックさん」
 それを受け止めたカノンは、だからこそ、目覚めて最初にそう呟いた。
 時刻は未だ夜明け前。それでも、自身が勤めるパン屋の店主夫妻が仕込みを始めるまでにそう時間は無いと知っている。
 だからこそカノンは行動を始めた。最低限の荷物と路銀を纏め、二、三の書置きを残して音を立てずにその場を去っていく。
 ……全ては、自らが意識のある内に、可能な限り遠くに逃げるために。


 ……翌日。『アルメリア』を訪れたチックは、そこで働く店主夫妻からカノンが居なくなった旨を告げられた。
 行き先も、その理由も判らぬ突然の失踪。唯一、店主はチック宛てにと残された一枚の書置きを渡される。
 急いで書いたのであろうその走り書きには、短くこう記されていた。

『チックさん。貴方がしてくれた約束を破ることを許してください。
 そしてもし、次に俺が貴方と会った時、どうか俺を信じないでください。疑い、距離を置き、そうすることをみんなにも伝えてあげてください』

 理由の分からぬ願いを記されたそれに混乱するよりも早く、チックが眼を見開いたのは、「約束を破る」と言う最初の一文だった。
「……カノン」

 ――カノン、真っ黒、させない。
 ――カノンの、周りのみんなも。おれが、助ける。守る

 チックとカノンが結んだ約束は、後にも先にもそれだけだった。
 故にこそ分かる。カノンは、彼が言っていた『真っ黒』に、なってしまったのだと。
 ……だが、しかし、けれど。
「カノン。……約束、まだ続いてる」
 小さな書置きを、両手で握りしめて。
 涙をこらえるチックは、困惑する店主夫妻の前で、必死にカノンに向けた言葉を絞り出した。
「約束、守る。絶対に。
 カノン、真っ黒にさせない。また一緒、居る」
 届く筈も無い言葉を、それでも口にするチックの頭上で、小さな雛鳥の鳴き声が聞こえた。
 視線を上げ、空を見る。見えたのはカノンが住んでいた部屋の巣箱から飛び出し、朝方の空を一生懸命飛び回る一羽の雛鳥の姿だった。
 一頻り飛んだそれは、やがて自身と同じ鳥の群れを見つけると、その中に必死に追いついて共に何処かへと飛び去って行く。
 ――チックは、その姿が消え去るまで、ただ黙って見続けていた。

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