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君の瞳の奥で星が散っていた
登場人物一覧
あの海の音を忘れる事が出来ない。星を詠み、占い、世界の在り方を教えてくれる空をパサジール・ルメスは決して厭うことはない。
年若い少女たちが星詠みに憧れた事だって、きっと当たり前の事だったのだ。美しい星が未来を占ってくれるその奇蹟を旅人の少女たちは焦がれ求めていたのだから。
そうした流浪の民を狙った魔種。悪しき存在との戦いを終えてニアの心の中に残ったのはリヴィエールが死ななかったという安堵と、彼女の『家族』を殺したものを取り逃がした事への申し訳なさ、そして、悔しさであった。己の躯に巻かれた包帯なんて気にもならない程、怪我を負いローレットへと搬送されていくリヴィエールの「巻き込んでごめんなさいっすよ」という言葉がニアの耳から離れない。
ユリーカよりリヴィエールも落ち着いた頃だろうからもしも会いに行くならローレット内に割り当てられた自室に行くといいとかけられたアドバイスを思い返しながらニアはローレットの中を歩んでいた。板張りの床がぎしりと鳴って、歩くたびに己の心の中にずしんと何かが圧し掛かる。
(取り逃がした……アイツを――リヴィに怪我させて、護り切れなくて……)
自分自身に魔種を倒せる力があるだなんて思ってはなかった。自分が強ければ魔種を倒せたとは言わない。けれど、仲間達と力を合わせればそれに近しい事が無しえたかもしれないのに。ニアは唇を噛む。頭の上でいつもならばぴこりぴこりと動く耳はぺたりと折れて、彼女の心を現しているかのようだった。
力不足を感じ、落ち込みながらもリヴィエールには謝らなくてはならないとニアはゆっくりと扉をノックする。
何時もならば感じぬ緊張は負い目によるものだろうか。あの魔種と次、交戦する機会があったならば逃がして利する気もなければ『次こそは』と考えているのも確かだ――譬え、刺し違えてだって。きっと。
静かに息を吐く。「どーぞ」と間延びするように返ってきた言葉は室内で何かしか作業をしている途中といった調子だ。
「あー……オジャマシマス」
「お邪魔されるっす」
緊張を吐き出す様に、胃の中身を其の儘、言葉と共に出した。ふう、と溜息を交らせたことに気取られないようにとニアが視線を向ければパカダクラの背に向かって一心不乱に何かをするリヴィエールの小さな背中があった。
「……えーと?」
「……」
「リヴィ……?」
ニアの声に気付きリヴィエールが「あ、ニアっすか」ときょとりとした調子で振り返る。手は未だにパカダクラに夢中と云った調子で、ニアに「ちょっと待ってくださいっすよ!」と明るく言ったと思えば視線と共にすぐに逸らされる。
「何して……?」
リヴィエールの手元を見遣れば、彼女は一心不乱にパカダクラの絡んだ毛のブラッシングをしている様だった。
「実は怪我をしたからってブラッシングをサボってたらクロエの毛が大変な事になってしまったんすよ。
それで、ブラッシングしたらその……ブラシが絡まって取れなくなってしまったっす。毛を切るのも可愛そうなので今、必死に――あれ……」
あの魔種との一件で暫くの間はパカダクラの世話も禁じられていたというリヴィエール。その間は言いつけを守っていたのだろうが、動いてもいいと許可が出てからパカダクラに構えば毛が絡んで絡んで仕方がなかったという具合なのだろう。
「そっか。何か手伝う?」
「あ、いいっすか? じゃあ、そこを持って――」
リヴィエール自体に何か変化は在るのだろうかと一抹の不安があったものの彼女は普段とは何も変わらない。寧ろ、いつも通り過ぎて拍子抜けした位だ。パカダクラは大人しくリヴィエールが奮闘している様子を眺め続けている。
リヴィエールと共にパカダクラの毛が絡んだブラシをそっと握りしめたニアは彼女に絆創膏が張られ、包帯が巻き付けられている事に気付き掌に力を込める。怪我の後は生々しく、彼女自身が望んで敵陣へと飛び込んだことは知って居れど守れなかったことがどうにも悔しくて堪らないのだ。
「……どうかしたっすか?」
「あ、いや。何もないよ。リヴィ、怪我で暫くは仕事してなかったみたいだし、調子はどうかと思って」
「そう! 聞いてくださいっすよ。すっごい暇で暇で。部屋でのんびりしてないとアルテナさんにも怒られるっすし、亮さんにも『寝る子は育つ』なーんて言われるんすよ」
拗ねた調子で云うリヴィエールにニアは小さく笑う。どうにも調子が崩れてしまう。自己評価が高くないニアにとってはリヴィエールの為にできる事はとぐるぐると考えこんでしまいがちなのだが、当のリヴィエールは何も気にする素振りはないのだ。
「ニア。あの星詠みヤローのことはいいんすよ。そんなことよりお腹空かないっすか?
久しぶりに美味しいものを食べに行きたいっすよ! ニアも暗い顔してるっすから……ちょっぴり気分転換でもどうっすかね」
「リヴィが行きたいんならついていこうかな。ああ、でも、無理は禁物だよ。
怪我も治り切ってないだろうし――それから、」
「お母さんみたいっす」
「なっ……」
誰が、と言いかけたニアにリヴィエールはからからと笑った。サイドボードの引き出しの中に締まっていたポシェットから手帳とペンを取り出し、皆に色々と聞いたから『美味しいスイーツ』のお店は知っているとリヴィエールはにんまり笑う。
「じゃあ、今日はリヴィエールセレクションっす!」
「……何それ」
「ユリーカさんとかアルテナさんとかに聞いて行ってみたい店をリサーチしてたっすよ。
ニアは問答無用であたしに連れていかれる事が決定したっす! 先ずはシフォンケーキを食べて、それから、キャンディのお店に行って……」
指折り数え、にやりとするリヴィエールにニアは頬を掻く。今日はパカダクラはお留守番だともふもふした毛を撫でて告げるリヴィエールはクロエが唸り相槌を返している。
「許可が出たっす!」
「許可ってパカダクラの?」
「そうっす! それじゃあ、いざ、出発っすよ!」
ぺたんと折れていた耳を気付いた頃にはきちんと立って居た。
シフォンケーキの店とリヴィエールが言ったのは隠れ家的なカフェの事であったらしい。幻想の街のはずれに位置するその場所は知る人ぞ知ると言った雰囲気なのだろうか。
木目のテーブルに可愛らしいランチョンマットが並んだこじんまりとしたカフェは木々の香りと可愛らしいオルゴールが心地よい。沁みついた珈琲の匂いに鼻先を鳴らしたリヴィエールが緊張した様に「あたし、珈琲って飲んだ事ないっす」とニアを見た。
「飲んでみれば?」
「に、苦いって聞いたっすよ……?」
「うーん、まあ、苦いかもね。リヴィも情報屋としてチャレンジしてみてもいいかもしれないけど」
揶揄う様にそう言ったニアにリヴィエールがどきりとしたような表情を見せ「チャレンジ」と小さく呟いている。
「珈琲は大人の味だって聞いたことがあるっす。だから、まだまだ早いかと遠慮してたんすけど……。
ふふん、そうっすか。チャレンジ――大人にちょっぴり近づいてみる。なるほど、なるほど。ありっすね!」
彼女は流浪の民であるが故に自身が子供であるという認識が強いのだろう。しかし、ニアにそう言われれば、とリヴィエールも考える事がある。チャレンジしてみるだけならばタダなのだ。
「あ、でもリヴィ。もしきつければ珈琲に砂糖を入れたりミルクを入れることもできるから……」
「チャレンジ後にギブアップも出来るって事っすね!? お気軽にチャレンジできそうっす」
緊張した様にオーダーとしてブラックコーヒーを頼んだリヴィエール。ニアは彼女がギブアップしたとき様にと甘いココアを注文し、そわそわとしている様子を見守った。
普段の通りの民族衣装を思わせるワンピースに身を包み、パカダクラはお留守番状態でカフェにやってきたリヴィエールはニアをちら、と見遣る。
注文が終わったとどこかそわそわとした調子のリヴィエールはニアを伺っていたのか「ええと」といつになく歯切れの悪い声を漏らした。
「ニア、あの時はありがとうっす。あの、あたしが星詠みヤローの所に行こうとしたとき……。
……その、改めてになるっすけど。本当に、本当に、ありがとうっす。
特異運命座標のみんなが来てくれたこと、それから――あたしのため、って戦ってくれたこと」
リヴィエールはどこかぎこちなく言葉を選ぶ。相棒のパカダクラをお留守番させ、カフェにニアを連れだしたのは彼女なりの考えがあったのだろう。
室内で二人きりぼんやりと過ごしているだけでは気も晴れない。リヴィエールとて気にしているのだ。特異運命座標たちには「無茶をしてはならない」と甚く叱られてしまったのだから。
「……あたしの無理と無茶の所為、だと思ってます。けれど、みんなは来てくれて、助けてくれたっす。
だから、あたしはこれからしっかり皆を支えていくつもりっすよ。勿論、ニアのことも」
「……でも、倒せなかった」
「いいっす。あたしはそんなことよりみんなが居て、生きて居てくれて、またこうしてお茶が出来るだけで嬉しいっすから」
にんまりと笑ったリヴィエールにニアは頬を掻く。暫くして、運ばれてきた珈琲とココアを眺めてリヴィエールは緊張した様にその黒い液体を見詰めた。
「これ?」
「そう」
「これを、飲むっすか?」
「そう」
「……に、苦そうっす」
「駄目そうならココアと交換するから」
「い、いけるっすよ! いざ!」
駄目っすと舌をべぇと出したリヴィエールがおかしくなって小さく笑った。
先ほどまでの昏い気配なんてどこかに消える。リヴィエールは「『今から』を楽しむっす」と大きく頷く。
ニアの中で、いつかあの星詠みを倒しきるという決意は口から出る事無く「リヴィ、やっぱりさ、珈琲とココア交換しようか?」という柔らかな普段通りの声音が飛び出した。
「あ、じゃあ、お願いするっす。ニア、この後の予定は?」
「ん? 今日は何も」
「じゃあ、星を見に行こう。あたしはこう見えても星詠みができるっすよ。あのクソヤローなんかより、よっぽど素敵でロマンチックで、それで――」
嬉しそうに提案するリヴィエールは一度帰って相棒のパカダクラと共に秘密の場所に行こうと告げた。
幻想の少しだけ離れた場所。大きな木の根っこに腰かけて、煌めく星を眺めて指させばいいのだ。
想像するに、その瞳には星が煌めく様に輝きを帯びていく。ニアはリヴィエールの大きな瞳に星が散っているように見えて綺麗だと瞬いた。
甘さ控えめのシフォンケーキを食べながら覗いたその瞳はいつも通り勝気で楽し気で、ぱちりと目が合った時、「食べるっすか?」とフォークを差し出しいたずらっ子の様に彼女は笑った。
「……別に欲しくて見てたわけじゃないよ」
「ええ? 恥ずかしがらなくてもいっすよ。ほら、『あーん』」
にいと笑ったリヴィエールにニアは肩を竦める。
ああ、今日も彼女には勝てそうにないのだ。ペタリと折れていた耳も持ち上がり「はいはい」と呆れ半分で口を開けば、それを呑み込んだ時「じゃあ、食べたから今晩の事は約束っす。あったかい恰好をするっすよ」という言葉が返ってきただけだった。