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金色の海で君と
登場人物一覧
ある日の事であった。幻想で起こった貴族の一件が落ち着き、ラサや深緑では幻想種の誘拐事件が多発している。
ローレットに所属する特異運命座標達も多忙な毎日を送っているが、それはタントにとっても変わりはない。
何も変わり映えしない多忙な一日に、シンプルな白い封筒は少しばかりの飾り気だけを添えてタントの許へと届いた。
――10月の最初の安息日、地図にある村まで来て頂けませんこと? 貴女と収穫祭を楽しみたいの――
ヴァレーリヤからの招待状を受け取ってタントは「まあ!」と大仰な反応を見せた。「まあ! まあ! どうしましょう!」と慌て用意したワンピース。折角のお誘いなのだからきっちりと準備をしたいとクローゼットから引きずり出したものだ。
お出かけ用としてクローゼットに入っていたそれを着用し、地図を確認しながら約束の村へと向かう。
『収穫祭』を楽しみたい、という文言の通り村をあげての収穫祭が行われているのだろう。ヴァレーリヤの姿を探す前に「お!」と何処からか声がかかる。
「お客人かい! こりゃ珍しい!」
「お前、お客さんがいらっしゃったよ! ほら、さっさと料理持ってきな!」
「わあー! お客さんだってぇ!」
村に一歩踏み入れるなりタントのその姿を見つけた村人たちは次々と詰めかけた。その手にはビールやソーセージ、パンや菓子など様々なものが握られている。ビアツェルトより料理を盛った皿を手に「お客さんどれを食べる!?」と大騒ぎする婦人に「ま、待ち合わせがございますの」と返したのも束の間、子供達がタントのスカートへと飛び付いて「お客さんだ!」とまたも楽し気に声を上げている。どうしてこうももみくちゃにされているかは分からないがタントを目にして村人たちは大はしゃぎだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださ――待って――ぴゃ――――!?」
いっぱいいっぱいになりながらキラリとおでこを煌めかせて慌てたタント。
その叫びを聞き、「もういらっしゃってたんですわね」とヴァレーリヤが声をかけた。
「ヴァッ、ヴァリューシャ様!」
「ええ。ええ。本日は来ていただきありがとうございます。手荒な歓迎でごめんなさいね。
この村、お客様なんて滅多に来ないものだから……みんな張り切っちゃって」
肩を竦めたヴァレーリヤに村人たちが大歓迎を示しすぎたかと頬を掻く。どうやらタントの来訪はあらかじめ村人たちに告げられていたようで、今か今かと村人たちも楽しみにしていたそうなのだ。
「い、いえっ! びっくり致しましたが……良い村なのですわね!
わたくし、あっという間に気に入ってしまいましたわ!」
そうやって歓迎されて、厭な気持になる事も無い。寧ろ自分の為にしてくれたのだからそう思えばこの村の人の良さと云うのも分かる。「それなら嬉しいですわ」とにっこりと笑みを浮かべたヴァレーリヤに「本日はお招きいただき光栄ですわ!」とタントはいつも通りの笑みを溢した。
歓迎し足りないと言った雰囲気の村人たちの輪から抜け出して早速と村の観光兼収穫祭を楽しもうとヴァレーリヤがタントを手招いた。屋台や地域の名物料理も並び、豊穣を祝う事もあってか今日は様々なものを楽しむ事が出来る。
「村人の大歓迎もありましたし、歩いて喉が渇いたでしょう。リンゴジュースは飲む?
あそこのお店のジュース、新鮮で美味しいんですのよ」
「まあ! 早速行きましょう!」
ヴァレーリヤが指さしたその店舗にタントはきらりと額と瞳を輝かせた。彼女がおすすめするというのだからきっとハズレはない。慣れた調子で2つと注文するヴァレーリヤに店主は「レルーシュカ! お友達かい?」と笑みを溢した。
(『レルーシュカ』……?)
その時は疑問でしかなかったが、ヴァレーリヤがむず痒い様な表情をしたものの何も気にする素振りもなく買い物をする事もあってタントはあえて口にはしなかった。訊き間違いかもしれない、と何となく首を傾いだが、それ以上その単語も出ることはなく、ヴァレーリヤは店主にありがとうとだけ言って店を離せる。
「どうぞ。お口に合うかしら」
ヴァレーリヤが手渡したカップはシンプルな何処にでもあるようなものだが甘い香が漂っている。
手渡されたリンゴジュースのカップを傾けてタントは「まあ、美味しい!」とぱちりと瞬く。
村で採れる林檎を丸ごとジュースにしたものなのだというそれは砂糖を入れずとも程よい甘さを感じる事ができるものだった。
「……これは、ヴァリューシャ様の思い出の味なのですかしら? 本当に新鮮で、とっても美味しいですわー!」
「ええ。子供の頃によく飲んでましたの。口に合って良かったですわ。
ああ、それから、あちらの料理もよかったらどうかしら? この地方の名物ですのよ」
通りに立てられたのぼりに書かれた食品には馴染みがあれど料理の名前には余り馴染みないのだと首を傾いだタント。食べられるか分からないならばヴァレーリヤは分けあいましょうか、と屋台で1人前と取り皿を注文した。
「やあ、レルーシュカ! 村の外の友達を連れて来たのかい」
「折角だから村の名物を食べて貰おうかと思って」
タントはまた『レルーシュカ』と首を傾げる。やはり、聞き間違いではなくヴァレーリヤの事を屋台の店主たちはそう呼んだのだろう。先程もどこかむず痒い様な表情を見せていたがこちらでも同じくむずがゆそうな、困ったような笑みを浮かべている。
「その……ヴァリューシャ様、レルーシュカというのは?」
ぎくり、とヴァレーリヤの肩が跳ねた。タントの問い掛けに「ああ! レルーシュカと何時も仲良くしてくれてありがとうね」と店主が笑みを浮かべた事で観念した様にヴァレーリヤが「おじさん」と困った様に声をかける。
「なんだい?」
「ちょっとおじさん……いつまでもそんな子供の頃の愛称を呼ぶ事ないでしょう?」
「いつまでたっても俺達には『可愛いレルーシュカ』さ」
レルーシュカ。それがヴァレーリヤの幼い頃の愛称だったのだろう。揶揄う調子の店主たちにヴァレーリヤが「もう」と拗ねた様子であることをタントは物珍しいと小さく笑う。
可笑しそうに笑う店主がお詫びだとソーセージを2本付け足してヴァレーリヤの御機嫌を伺うがタントは「あらあらー!」と何かを思いついたようなにやついた笑みを浮かべている。
「……タント? 何を考えていますの?」
「いいえいいえ。オーホッホッホ! まあ、まあ。いいですわねえ! 愛称だなんて! 素敵ですわー!」
何時もの如く高笑いとと主ににやりと笑うタントにヴァレーリヤは「おじさんのせい」とソーセージに免じて許すという言葉を付け足して唇を尖らせた。
「それで、『レルーシュカ』様」
「……もう、そう呼ばなくったってよろしいでしょう?」
「ヴァリューシャ様。お可愛らしい愛称ですわー! 素敵でしてよ!」
先ほどまではヴァレーリヤに引っ張られる形で観光をしていたが、今は攻守逆転である。
何処か照れた調子のヴァレーリヤを見ながらタントはくすくすと小さく笑みを浮かべて『幼い頃のヴァレーリヤの話』を聞きたいと彼女に乞うたのだ。
最初はと言えば共に収穫祭を楽しみたいというお誘いだけだった。とある小さな村の収穫祭を楽しもうという目的も、ヴァレーリヤが神学校に入るまでの数年間を過ごした懐かしの場所である事を知ればまた見方が違う。ある意味で故郷のひとつとも呼べるだろうこの場所を楽しむ様に歩むヴァレーリヤは「幼い頃の思い出」と小さく呟いてタントを振り返った。
「ひとつ思い当たることがありますけれど」
「あらっ! 本当に!」
頷くヴァレーリヤはちら、と遠巻きに見えた教会を確認する。村の広場からは少し距離がある小高い場所に立って居る教会に向かうとなれば少しの距離がある。どうしたものかな、と悩まし気なヴァレーリヤに「楽しみですわ」とタントは笑みを浮かべた
「少し歩くのだけど良いかしら? タントに見せたいものがあるの」
「ええ、ええ! 勿論ですわ!」
屋台から離れ、教会へと向かう。途中、村の人々が手を振り挨拶をしてくれるそれが何所か心地よい。
幸福とやさしさの溢れた場所なのだという事が感じられタントの足取りも軽やかとなった。
「疲れてはいない?」
「ええ、大丈夫ですわ! ヴァリューシャ様、こちらですの?」
見上げた教会。その裏手に回るとヴァレーリヤが告げた言葉に首を捻る。てっきりその中に入るのだと考えていたタントは何処に行くのかしらとヴァレーリヤの背を追い掛けた。
裏に回れば教会の塔に通じる通用門がひっそりと存在している。「ここですわ」と扉を開いていたずらっ子の様に誘うヴァレーリヤにタントは秘密基地を往く感覚がして心を躍らせた。
教会の塔を昇らなくてはならないから少し疲れてしまうけれど、とヴァレーリヤがタントに謝るが、思ったよりも距離はないように見えた。
「あら……結構近かったんですわね」
階段を上がりながら思わずぼやいたヴァレーリヤにタントが首を傾げる。
幼い頃はひいひい言いながらこの塔の階段を上ったものだ。途中で疲れて階段に座り込み村の人々からもらったお菓子を齧ったことだってある。幼いころと比べれば、伸びた背丈のせいだろうか、階段は途方もない距離ではなく、さらりと登り切れてしまった事に僅かな寂しさを感じヴァレーリヤは小さく瞬いた。
ぐるぐると時計の針が巡る様に同じように塔を上った最上階。開けたその場所から見下ろしたのは一面の麦畑。
――あの頃と変わりない、美しく、お気に入りだった景色だ。階段を昇る感覚と違って、景色はあの頃から変わりない。
「タント、見てください」
ほら、とヴァレーリヤが振り返る。
風が吹く感覚にタントは一気にヴァレーリヤの隣へとより、窓へと手をかけた。
「まあー…………!!」
開けたその場所に辿り着いた時、タントは感嘆の声を漏らした。
見下ろせば一面には凪ぐ金色。ざあ、と音を立てたそれを追い掛ける様に視線でなぞれば傍らでヴァレーリヤがくすりと笑う。
「ふふ、綺麗でしょう? この季節に見れる特別なものですのよ」
「ええ、ええ、とっても! この季節だけ……そう聞けば、素敵で!
そうですわよね、ああ……これが『恵み』ですのね! 本当に、本当に凄いですわ!」
「風に揺れる金色の絨毯、まるでタントの髪みたいで素敵ですわね」
風に靡いたタントの髪を指先で一つまみ掬う様にしてヴァレーリヤはくすりと笑った。
頬を撫でるその気配にくすぐったさを感じてタントは目を細める。金色が反射して、眩しい程に視界に入る。
「これが、『レルーシュカ』様がご覧になった景色ですのね?」
「……もう。けれど、そうね。そうですわ。幼い日、シスターのお説教から抜け出した時もこうして此処で金色の海を見て居ました」
「『金色の海』?」
首を傾ぐタントに「『金色の海』ですわ。そうは見えない?」とヴァレーリヤは問い掛けた。
嗚呼、成程。視界の中めいっぱいに広がった金色の穂。ざざん、ざざん、と音を立てる海の如く美しい躍動を風で作り出し、波を生み出している。それは海と呼ばずして何と呼ぶべきだろうか。
「いいえ、『金色の海』ですわ! とても美しくって大きな海でしてよ!」
タントは手を広げる。秋の風に煽られて髪が大きく揺れた。勝気なその瞳は「まあ!」とぱちりと瞬かれる。
大きく吹いた風に一層波打った金色が何かの音色を運んでくる。それが陽気な音楽であることに気づいた時、ヴァレーリヤは「広場でダンスが始まったんですのね」と遠巻きに見えた明かりを指さした。
「ダンス、ですの?」
「そう。収穫祭は豊穣を神に感謝するお祭りですもの。その感謝を捧げるべくダンスを踊るんですのよ。
これが収穫祭の一番のイベントかもしれませんわね。来年もどうか、こうして居られますようにとお祈りも込めてますの」
ああ、そう聞けば心も体も踊りだしそう。
遠く聞こえた軽快なリズムに合わせて思わずステップを踏み出しかけたタントにヴァレーリヤは「タント」と小さく声呼んだ。
「はい。どうかなさい――」
首を傾げ、いつも通りの笑みを浮かべたタントの前で、そっと、ヴァレーリヤが膝をつく。
ゆっくりとタントの掌を掬い上げて浮かべた笑みは、何処までも美しい。
金色の海をバックに彼女は芝居がかった口調で「お姫様」とタントを呼んだ。
「どうか、私と踊っては頂けませんか?」
ざあ、と風が吹く。その音さえ遠くなる感覚にタントは指先に熱が集まっていくのを感じた。
「この金色の海の中心で、宝石のような貴女をこの腕に抱く栄誉を、私に与えて頂きたいのです」
それは寓話のようではないか。王子様はそうやってお姫様をダンスフロアに誘うのだとタントは知っていた。
ゆっくりと、重なった指先で『王子様』の手をなぞる。きらり、きらりと陽光を反射する金色の海がヴァレーリヤを照らしている。
「……えへへ」
唇から漏れたのは常とは違う柔らかな笑み。普段の明るく、壮大なものではない、甘えたようなそんな。
今日はお姫様。王子様がそうして微笑んでくれるから。重なった指先の熱を其の儘にタントは柔らかにその名前を呼んだ。
「――ええ、どうかエスコートしてくださいまし。……レルーシュカ」
金色の海が揺れている。
まだ、音楽は終わらない――もう少し、この海で踊って居よう。