SS詳細
彼岸に見る夢
登場人物一覧
●
「嗚呼! 嗚呼やめて!!」
女の悲鳴と肉を刻む音が彼の夢を支配する。
「痛い……痛い痛い……死んでしまいます……死にたくない……!」
それは自分の目線で女を嬲り殺しにしている光景。■■は何が起きてるんだと思うでもなく、ただ無情にその手に持つ刀を振り下ろしている。
「■■!! この下郎!! そんなことだから■様にも嫌われ──」
弄ぶようにして刀を振るっていた■■はその
その首から血が噴水のように散乱する中、■■はただただ無気力に座り込んでいた。
これは
●
その中の区画の一つ……
が、そんな華やかな印象だけではない。
中でも希望ヶ浜は異世界『地球』からこの世界に召喚され、変化を受け入れなかった人々の聖域である。
科学文明の中に生き、神や魔――怪異を遠ざけて生きてきた人々は、世界に適応出来なかった。
高層建築物に隠れ、迷路のように入り組んだ路地に守られるようにして、人々は生活している。
コンクリートに囲まれ、目を閉じ、耳を覆って――街は今日も偽りの安寧を享受しているのだった。
……と言うところが通説だろう。
とは言え安寧の地にも脅威は存在する。それは悪性怪異:
継ぎ接ぎだらけの複雑すぎる都市、その影は怪異達が潜むのに丁度良かった。
潜みやすい社会の影には往々にして『怪異』が潜んでいる。そして人と共存している怪異の全てが必ずしも善良な訳ではない。
夜妖と呼ばれる悪性怪異もまた、眠らない街に蠢いている。それは人々を襲い傷つけ、時にその命をも奪う。
それに対抗すべく人々を育成していくために開校されたのがかの希望ヶ浜学園なのである。
……と、希望ヶ浜の話は軽くこんなものでいいだろう。
そんな旅人の安寧の地の一つである希望ヶ浜にあるマンションの一室に男が二人住んでいる。
●
それは淀みのような感情の芽生え。
「こうも部屋の前で待ち伏せられては困るのだが……」
「そんな連れないこと言わないで下さいよ〜」
この世界の平和、兼ねては冬の一大イベントであるシャイネン・ナハトも近づくこの頃。住んでいるマンションの部屋から出た『特異運命座標』
「ひと目で好きになりました!! 付き合って下さい!!」
そんな突拍子もない告白を見かけたのは秋も深まっていた頃だと思う。孝臥は覗いたわけではない。ただそこが玄関先だったと言うだけだった。
「……弟さんですか?」
「え、いや……」
孝臥にとってもこの場は居た堪れないとは思ってはいるのだが、表情がわかりにくい彼を女性は睨むばかりで。
「……
「ええー!?」
流れるような会話のテンポだったが弦月の言葉に孝臥は安堵しつつも自分のそんな感情に心の中でため息をつく。
(
いつかは隣を外される運命に孝臥は怯えている。きっと、いつか、訪れるかもわからない未来を恐れている。弦月にそんなつもりは全く無いとも知らずにだ。
「私、生田 幸って言いますからーー!! これからアタック頑張りますからーー!!」
「はぁ……」
元気よく叫ぶ幸に弦月は大きくため息を付いた。
「弦はモテるな」
「抜かせ。俺がああ言うタイプが苦手なの、孝は知っているだろう」
「まぁな。俺も苦手、だな」
特に。特に自分を睨んできた目なんかは最悪だったと思うと孝臥。いつも夢に見る光景を思い出してしまうから。そんなことは弦月には言うつもりはないが、密やかに思い出すぐらいの話だ。
そして今。
「男二人で暮らしてて不便はありませんかぁ? たまには息抜きでもいいですから……私、お相手になりますよぉ?」
「気持ち悪いことを言うな」
「あは、笑顔なのに辛辣だ〜」
「はぁ……」
日々ダメージ耐性ができてるのか、幸は傷ついてる様子はあれから少なくなってきていた。いや、出会った時もそこまで傷ついている様子はなかったけれども。
(それに、弦の様子も)
(……俺は必要なくなる日も……近くなってきたってこと、だろうか)
自分でずっと無意味に言い聞かせていたことだと言うのに、心のどこかでそうでありたくないと願うのはなんて傲慢なんだろうと思う。
「ねぇアンタ」
「……?」
思い悩んでいたところで、いつの間にか目の前にいた幸を孝臥は無表情のまま見る。
「アンタ、空気読めないわよね」
「は?」
急に飛んできた罵倒に孝臥から呆れたような声が出る。
「こういう時は相方の幸せを願って二人きりにすべき場面じゃないの?」
「はぁ……」
弦月の嫌そうな態度が伝わっているのかいないのか、そんなことを言い出す幸に孝臥は呆れたまま。
けれど彼女の自分に対する目線の類くらいは解る。
(邪魔、なんだろうな……)
ポツリと心の中で呟いて苦笑する。昔から浴びせられてきた視線の類を見分けるのは孝臥にとって動作もないことだった。
「まぁいいわ、別に邪魔されてるわけじゃないしね」
「じゃあ……」
なんで、と言いかけたところで幸は食い気味に。
「協力してくれたっていいじゃないってこと!」
「協力?」
「そうよ! きょーうーりょーく!! こぉんなに可愛い私がこんな長期間アタックしてるのにそういう情も沸かないっていうの?」
「はぁ……」
こういうタイプの女は自意識過剰が酷いなと思う。孝臥にとってそこまで可愛いとも思っていないし、第一紛うことなき
「反応うっす!! まぁもう本当にいいわ、アンタは期待外れよ。やっぱり自分の魅力だけで勝負しないとよね」
シャイネン・ナハトも近いのだし。
孝臥はその言葉にピクリと反応する。まさかこの世界の聖夜に弦月を誘おうとしているのか? 弦月が彼女の誘いに乗るとは思ってはいない。だがこの数ヶ月の彼女を見てきてそろそろ違った方法を取るのかとも思えてならない。その方法に、女程度に、弦月が遅れを取るとも思えないけれど……しかし、でも、と少し不安に思うぐらいには孝臥の劣等感が自身の精神力を阻害する。
空気が読めない、期待外れ、邪魔……その言葉は孝臥にとって最も不快な言葉だ。
──
────
「ほら、これが今日の食事ですよ」
「……」
冷たく手入れのされていない畳と古びた襖で仕切られた暗い部屋。
孝臥が亡き父に代わって継いだ叔父に齢九を迎えた頃に孤児院から引き戻され過ごしていた九十九里はそんな場所だった。
高貴な家柄らしいことは何も与えられず、『妾の子』と言うだけで凡そ食べ物には程遠いもの、良くて出来合いの冷めた食事、土のついた生野菜を出されることが常だった。
「不満なら下げますよ」
「っ!」
孝臥は出されたものを食べる他なかった。生きていく為にはとにかく食べなくてはならなかったからだ。
「そんなにガツガツしなくてもこの程度の粗末品なら腐るほどあります。全くこんなものを好むなんて……妾の子らしく汚らわしい子供ですよ」
(……別に、好きで食べてるんじゃない)
そう思いながらも言葉を飲み込んだのは孝臥の優秀さが少し見える気がした。それでもこの状況を打開する方法が思いつけずにいたのはまだまだ子供だったと思える。
「まぁお前は見ているだけで不愉快なのですが。お前を見る度に痩せ細っていく奥様が不憫でなりません」
「……」
奥様……
菫が自身をこうして傷つける理由など孝臥は嫌というほど思い知らされている。例の「妾の子」だとということだ。字面だけでも察することは出来るが、菫は孝臥の亡き父、自身の亡き夫である
(義理母様もこの料理長も……)
言いかけたところでそれ以上の言葉を孝臥は知らず、現実から逃げられないかと目を閉じる。
──パシンッ
「っ!?」
いつの間にか眠っていた孝臥は頬からの衝撃で意識を覚醒させる。
「こんな昼間から寝ているなんて何様のつもり?」
目の前にいたのは、
「ごめんなさい義理母さま──」
「母様と呼ばないで!!!!」
「っ!!」
菫は孝臥の頬を何度も打つ。懇情の恨みを込めてか、それとも亡き夫への悲しみか……どちらにしても褒められることではない。
「やめてか──す、菫様!!」
「そうです、そう呼べば私もあなたに手を挙げずに済みましたのに酷い子だわ」
まるで
「こんなに酷い子、死んでしまっても誰も見向きもしないと思っていましたのに……あの気狂いが。こんな子を連れてきて九十九里を継がせる気なのかしら……ああ、浅ましい……」
菫が思い浮かべているのはきっと叔父のことだろうことは孝臥も予想できた。
「何を見ているの、気持ち悪いわね。その根性殺さないと治らないのかしら?」
「……死んだら、そういうの、治るんです、か……?」
「あら珍しく口答え? でもそうね、あの気狂いが居なければ殺していたかもしれないわね」
お前の血はそれほどまでに汚れているのだから。一旦死なないとその血はキレイにならないでしょうね。その言葉を聞いた瞬間、孝臥の中の
「……え?」
孝臥が気づいた時には
「す、菫様……?」
孝臥の近くに転がっていた
(嗚呼、そうか)
──これが
「孝! 孝、これは一体!? 何があったんだ!?」
「弦……?」
そんな現場に駆けつけてきたのは仲良くなって間もない弦月だった。
「弦、俺は菫様とこの料理長を治してあげるんだ」
「なお、す……?」
孝臥は笑いながら頬を濡らしている。
「菫様は言ったんだ。死ねば血がキレイになるって、だから俺がキレイにしてあげた。きっとそう」
曖昧な言葉から読み取れるのは孝臥に
「料理長はわからない。多分一緒にキレイにしてあげたのかも。だってあの人が持ってくる料理はいつも汚かったから……」
きっと血が汚れているんだと思ったんだ。
孝臥の言葉に息が詰まりそうになったが、瞬時に湧いた弦月の感情は嫌悪と言った負の感情ではなかった。
「……俺に任せておけ、どうにかする」
「どうにか? 子供な俺達に何が出来──」
「──どうにかする!! 絶対にだ!!」
「……弦」
それから弦月は本当にどうにかしてしまった。
菫のことは孝臥を憎むあまりに錯乱状態に陥り、腰に添えていた短刀で首を切って自害したことに。料理長の方も適当な理由をつけて処理され、二人共早々に火葬にかけられた。
勿論これは弦月や空鏡家の働きかけだけでは成り立たない。孝臥とは直接この手の話はしたことがなかっただろうが、叔父夫婦とて把握の事実はあるだろう。しかし孝臥は弦月に守られたという
「……何があったのか、全然思い出せないけど……俺はケイサツって場所に行くべきだったんじゃないのかって……思うんだ」
「……そんなこと、俺が許さない」
「え?」
「孝はずっと俺の傍にいるんだ」
「ずっと?」
「そうだ」
「そっか……」
気まぐれで横暴な言葉だろうと思えるのに、今の孝臥にはそれが嬉しかった。傍に居ていいことを許してくれたのは叔父夫婦の他に彼だけだったのだから。
──
────
「げーん!」
「?!」
そこで孝臥は急速に現実へ返る。
聞き捨てられない呼び名、聞きたくもない声が聞こえたからだ。
「……それで呼ぶな」
「えー? 弟さんも呼んでるじゃない! 一人増えたところで……」
弦月は幸の言葉を遮るように彼女の顔の横スレスレの壁を勢いよく殴った。
「──呼ぶなと言った。アンタは好意的な相手の嫌がることをする行為を
「こっわ。そ、そんなに怒らなくても……」
「第一に孝は弟ではない。これ以上孝を愚弄するなら俺にも考えが……」
「ああんもうわかりましたってばぁっ! もう言わないようにするからぁ許しよ〜!」
「……はぁ」
ため息をつく弦月の後ろをついていくように孝臥も部屋に戻ろうとした。
「!?」
が、部屋に入る直前で後ろから誰かに腕を引っ張られ、オートロックにも似たシステムが搭載されていたその扉は無情にも目の前で閉じられてしまった。
「……なんだ」
孝臥の腕を引っ張った人物などたかが知れていた。
面倒くさいなと思いながら振り返ってみると……そこに
「ねぇ、弟じゃないなら恋人?」
「は?」
先程まで底抜けの明るさを見せていた幸の目は笑っていない。
「だってそうじゃない? 男同士で暮らしてて友人って可能性だって考えた。でもそれにしては距離が近い気がするし、本当は弟なのかしらって、ワケアリの兄弟なのかしらって……でも弟じゃないと言われたしそれに」
「……それに?」
孝臥は彼女のこの顔を知っている。
「それに……ただの友人にしてはあなたは大切にされ過ぎているじゃない!」
「……ただの幼馴染だ」
「絶対ウソよ!! ただの幼馴染があんな庇われ方するわけないじゃない!! 馬鹿じゃないの!?」
キッと睨む彼女は息をついて
「気持ち悪い」
孝臥の地雷を一つ踏むように呟いた。
「……」
「男同士で愛を囁いてるなんておかしい、常識的に考えてありえない!! なんで異性のアンタが恋敵なのよ!! なんでなんで!!」
一つ、二つ無造作に地雷を踏んでいく幸。当然孝臥は否定……出来ずに黙り込んでいた。
(男同士はおかしい……ありえない……)
自分が自身を抑え込んでいた理由を他人に言われるとその効果は違ったもので、この世の終わりのような気分になる。ああ、やっぱり自分はおかしいんだと、彼女に対する言葉が見つけられず頭が真っ白になる。
「消えろ」
「っ……弦月、さん……」
「弦……」
扉の向こうへ行ってしまったはずの弦月が孝臥の前に出、酷い顔で幸を見下す。
「ああ、これは……っ」
「何度言えば理解する? 俺は何度も何度も答えないと言ってきた。だがお前は聞きもしなければ俺の地雷まで踏んできた。当然の話しだと思わないか?」
「けどそれは、だって……あの人が──」
「──お前はどこまで俺を苛つかせる?」
「あ、あ……」
言葉を遮るように詰め寄る弦月に幸は大粒の涙を溜める。
彼女は浅はかにも弦月をここまで怒らせる自体になるとは思っていなかったようだった。すべては
「アンタのせいよ」
「……っ」
「アンタのせいよ!!」
幸は孝臥にそう言い捨てて自分の部屋に戻っていった。
「……」
「大丈夫か、孝」
「……悪い、今日は一人にさせてくれないか」
「だが……」
「頼む!!」
「……わかった」
珍しく声を張り上げた孝臥に弦月は折れる他ない。
(……孝のことは心配だがあの女の今後について、そろそろ考えておいた方が良さそうだ)
家の力が使えない以上面倒ではあるが、もう
今夜はそれぞれ眠れない夜を過ごすことになりそうだった。
●
それは夢。
──はぁ、はぁ。
──はぁ。
「痛い」
──ああ、またこんな夢か。
「痛い、痛いやめて……し、ぬ……死んじゃう……」
──義理母様と料理長が死んだ日にも観た夢。
──今度は、幸?
「さっきのことは謝るからぁ!! ひっ……し、死にたくな……っ」
──お前も死ぬのか、そうか。
「あ”、ぁ”あ”!!」
──彼女の首に刃が入る。到底女とは思えないほどの呻き声を上げている。
──義理母様も、料理長も、そんな声を上げていたか。
──彼女はやがて多量の血を首から流し、白目をむいていた。
──あの妙に煩わしい明るさの彼女は、見る影もない。
──はは、は……ハハハ……ハハハハ……アハハハハ!!!!
狂ったような笑い声が響くのは黒い黒い夢の中。
●
「おはよう孝。……どうした? おい」
朝。弦月がリビングのテーブルで俯いている孝臥に声をかけたが、様子がおかしい。
「今朝、警察が来て」
「警察?」
「ああ。それで幸が、殺されたって……」
「……あの女が?」
弦月は自分が手にかけた覚えはないが……と心の中で物騒なことを過ぎっていると。
「……多分、俺だ」
「どう言う事だ?」
静かに呟いた孝臥は段々と声を荒らげていく。
「俺、悪夢を見たんだ。幸を殺す夢!! 今回に限ったことじゃない……義理母さんの時だって、料理長の時だって悪夢を見て起きた時には目の前で死んでいた!! 俺が殺したんだ、俺が殺ったんだ!!」
「落ち着け孝」
「だが、だが!!」
「孝!!」
「っ!」
弦月に乱暴に肩を抱かれた孝臥は驚いて言葉に詰まる。すると弦月は孝臥の両手を頬に添え額を合わせた。
「孝は偶然悪夢を見て、偶然知り合いが死んで動揺しているだけだ。それにあの女は目の前で死んでないじゃないか」
「そう、だが……」
「お前は何もしていない、夢を見ていただけだ。ほら、お前の刀もここにある、血がついてる様子もない」
「……」
「ほら、お前は何もしていない」
「っ……すまない、弦」
弦月の言葉を聞いて孝臥は漸く落ち着きを取り戻したようだった。
「全く……孝は考えすぎなんだ、単なる夢だろう?」
「わ、笑うな! こ、これでも必死で……出頭すべきだとも考えたんだぞ!」
「ははは! 大げさすぎるだろ??」
「だから笑うな弦!!」
──数時間前。
──ガタンッ
「なんだ?」
深夜。酷い物音で弦月は目を覚ました。こんな時間に何事かと玄関を覗いてぎょっとした。
「……孝?」
血だらけの孝臥がその場に倒れ込んでいた。手元には赤がこびり付いている刀を握りしめている……匂いでわかる。それは血だと。
「孝!!」
すぐに抱きかかえて彼の様子を見たが、どうやらこの血は返り血のようだった。
「……なるほど」
だがこれから詳しく調べられると厄介になりそうだ。
「こういう時に如何に自分の家の力を使っていたかを思い知らされるな……」
弦月はどんなことからも孝臥をなんとしてでも守りたい。だがその力は弦月自身の中ではまだまだ未熟だったということ。全ては空鏡と九十九里の力によって捻ることが出来ていた事実に弦月は拳を握った。
●
《ここで速報です。今月二十六日に起きた殺人事件で新たな進展がありました。
この地区を騒がせていた女性ばかりを狙う連続殺人犯の逮捕により、二十六日の事件についても同じ連続殺人犯の犯行だと断定されました》
リビングに響くアナウンサーの声を聞いて孝臥はそのニュースに釘付けになる。
「あの女のニュースじゃないか?」
「弦……」
孝臥の背後から歯ブラシを加えたままそう投げかけたのは弦月。
「ほら、やっぱり孝のせいじゃなかったろ?」
「……そう、みたい、だな」
「な。じゃあこの話は終わりだ」
「あ、おい!」
弦月はニュースの途中でチャンネルを切り替えてしまう。
「孝には最近負担ばかりかけてる気がするし、飯でも食べに行かないか? 気分転換しよう」
「え? そ、そんなことはないと思うが……」
「最近あんなに取り乱していたのによく言えたな? それにこの世界の一大イベントだって言うシャイネン・ナハトでもあのゴタゴタのせいで何も出来なかったし、良い提案だと思ったんだが?」
そう言えば幸に罵倒された日は丁度シャイネン・ナハトで、今の今まですっかり忘れて居た自分に孝臥は頭を抱える。これほどまでに自分のことに手一杯になってしまっていたのはいつぶりだろうか。
「さて孝、返事は?」
「……どこに、行くんだ?」
「それはこれから決めることだ。まずは近場の食事処でも探すか!」
弦月はそう言って使い慣れてきた
そのニュースの詳細について二人はもう知る必要はない。
《同じ区域で行われていた犯行ですが、最後の事件のみ犯人は毅然として犯行を否認しており、警察の事情聴取は難航しているとのことです》
そこにどんなに重大な欠片があったとしても。
弦月にとっては孝臥だけが大事で、孝臥が安心出来るのならば後でどうとでもしてみせるのだから。
●
俺は知っていた。
「嗚呼! 嗚呼やめて!!」
女の悲鳴と肉を刻む音がその場に響く。
「痛い……痛い痛い……死んでしまいます……死にたくない……!」
それは幼い孝臥が無情で女を嬲り殺しにしている光景。無情にその手に持つ刀を振り下ろしているそういった光景を弦月は見た。
「孝臥!! この下郎!! そんなことだから菫様にも嫌われ──」
弄ぶようにして刀を振るっていた孝臥はその名前を聞いた途端、感情が暴走するまま女性の首を落とした。
その首から血が噴水のように散乱する中、孝臥はただただ無気力に座り込んでいた。
「孝……」
そこで気づく。孝臥からの忌々しい気配に。
その時は少し怖いと思うばかりだったが、次第にそれはいつか聞いた孝臥の実母に関することなのだと思い始めていた。
孝臥の実の母親が人ならざるものであることは聞いていた。あれはきっとその血の影響だったのだろうと弦月は推理する。恐らく孝臥の心のバランスが崩れた時の孝臥の隙を見て
「孝は俺が守る」
怖いと思いながらも既に孝臥への思いに自覚していた弦月は、恐怖よりも情愛が勝ったと言うだけの話だ。
そこからは空鏡家、そして九十九里家の力を駆使して孝臥を汎ゆる災から遠ざけた。そうすれば孝臥も穏やかに過ごすことが出来、そして内に潜む
そして現在に至る。これは自分の不祥事と言っていい。
あんなに気を使っていたというのに、孝臥をまた追い詰めてしまった。そして事を起こさせた。あんな女の為に孝臥の手を煩わせたことが、手を汚させたことが、弦月にとって何よりも悔やまれること。
汚い仕事、仄暗い役割はいつだって自分のやるべきことで、孝臥には何人にも脅かされたくないと思うのに。
「俺が孝を守る。この先ずっと変わらずだ」
あの女は早々に片付けるべきだった。
自分に対する好意などどうでも良くて煩わしくて放置していたが、孝臥には酷く悪影響だった。自分が見えないところで孝臥の心を蝕んでいたことに今考えても無性に腹が立つ。
許せない、許せない、許せない。
「……孝の心を動かすのも、俺だけでいい」
今夜も怪しく月は煌々と揺れている。
どちらが邪であったか、もうわからなくなってしまうほど……酷く酷く眩しく揺れる。
おまけSS『おまけSS『その時まで、その時には』』
●
「弦、弦!」
「ん? どうした」
「どうした? じゃない! さっきから俺が行きたいところばかりな気がするんだが! 弦の行きたいところは??」
「別にない。それに今日はそういう話だっただろ?」
「だ、だが……俺ばかりというのは……」
先程
「俺は孝とならどこでだって楽しめる。だから気にするな」
「っ……そ、そういうことは……好きな女にでも言っておけばいいだろう」
「なんだそれは。お、孝が行きたがってた店あれじゃないか?」
「ちょ、弦!!」
不意打ちで言われた言葉に照れながらも孝臥はなんだかんだ楽しそうで、弦月はそんな彼を見ているだけでも安らげることが出来る。
(いつかその時までは、この瞬間を楽しんでも……いいのだろうか……)
(孝の気持ちに一段落ついたいつかその時には……もう逃がすことは出来ないだろうが)
同じ思いを抱いているはずなのに二人の心は未だこうもすれ違っている。