PandoraPartyProject

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失われた物語。或いは、偽りの代償…。

登場人物一覧

セレマ オード クロウリー(p3p007790)
性別:美少年
セレマ オード クロウリーの関係者
→ イラスト

●賢くも愚かな選択
 刻々と。
 時間ばかりが過ぎていく。
 かつての都も、すっかり砂に埋もれて朽ちた。
 見渡す限りの砂丘の真ん中、ポツンと佇む石造りの塔。
 半ばほど、砂に埋もれた階段を下りた先にあるのは、蝋燭の灯で橙に染まる小さな部屋だ。
 部屋の壁に取り付けられた本棚には、古い魔導書が並んでいる。
 本棚の前には古い黒檀の木机と、青い髪の男が1人。セレマ オード クロウリーは、机に肘を突いたまま、身じろぎもせず俯いている。
 セレマの足元には、陶器の壺や干からびた胎児の遺体、緑青の浮いた銅鏡に、錆びだらけの鉄検などが雑多に散らばっていた。どれも石灰で文字が刻まれている辺り、セレマの研究対象であったことは明白。
「……来たか」
 渇き、掠れた声を零して、セレマはゆっくりと顔をあげる。
 長い間、まともに睡眠を取っていないのかセレマの目は血走っているし、目の下には濃い隈がすっかりと張り付いてしまっていた。
 部屋の入口へ視線を向けて、数秒ほどが過ぎただろうか。
 ペタペタと、暗がりの中から誰かの足音が響く。
「わぁ、本当にこんなところに人がいた」
 現れたのは、少女のような“何か”である。白金色の長い髪に、6本の腕、背中には蟲のような翅を備えた魔物だ。
 名をドゥファイス。
 "詩情の魔精"と呼ばれる人外の存在は、手にした手紙をセレマへ見せると、さも楽し気ににこりと笑う。
 それからドゥファイスは、足元に転がる古い紙……パピルスと呼ばれる物だ……を拾い上げると、途端に表情を曇らせた。
 セレマの研究の成果だろうか、パピルスには赤いインクや石灰で無数の文字が書き込まれていた。
「古い神話を記したものだね。せっかくの文学に何でこんなに酷いことをしちゃったの?」
 そう言ってドゥファイスは、木机の上にパピルスを置く。
 セレマはそれに視線を向けると、うんざりとした表情で言葉を紡いだ。
「けっこうな間、解読を試みたが……書かれているのはただの神話だけなのか? あぁ、だとしたら、とんだ徒労だった。無駄な時間を過ごしたものだ」
 セレマが塔を発見したのが数年前。
 塔の正体は古い時代の墳墓だ。
 墓を暴き、片っ端から遺物を漁り、古い時代の文字の解読を試みて……。
 それらのすべてが無駄であったと知ったセレマは、疲れたように肩を落とす。
「まぁ、いいさ。自分の数年が無駄だったと分かったのなら、それもまた成果と言えるだろう。そんなことより、ドゥファイス……ここに来たと言うことは、手紙は読んでくれたんだろうな?」
「えぇ、もちろんよ♪ “古い友人へ手紙を送るため”に、私と契約を交わしたいなんて……ねぇ、貴方は何を考えているの?」
 ドゥファイスは人間が苦悩の果てに生み出す詩歌、文学、音楽を偏愛している。
 表現力の向上に葛藤する才なき者に対して惜しまず手を貸し、才能の開花を促すという。
 それがドゥファイスの契約だ。
 契約の代価は「尊い記憶」。
「貴方は私との契約を望むのね? 契約の代価を知っているんでしょう?」
「…………あぁ」
 暫くの沈黙の後、セレマは答える。
 喉の奥から、絞り出すような声だった。
「心臓が鼓動を刻んでいれば、生きていると言えるのかな? 考えることも、喜ぶことも、泣くことも出来ないまま、病院のベッドで横たわるだけの人生に価値があると思えるのかな? 大切な記憶や思い出が、生きる糧になるってこともあるんじゃぁないかな?」
「なんだ? 随分と心配してくれるんだな? "詩情の魔精"がこんなに親切な奴だったとは知らなかった」
 真白い紙を机に置いて、セレマはペンを手に取った。
 インク壺の蓋を開けるセレマの様子を眺めながら、ドゥファイスはにぃと口角を吊り上げる。
「あはは! 親切? 親切っていうのは他者へ対しての“愛”があって初めて与えられるものの名前だよ? 私がセレマ君を愛していると思うのかな?」
「……まさか。そんなわけは無いと自分は知っているよ。ドゥファイスが愛しているのは、詩歌、文学、音楽だけだ」
 ドゥファイスという存在について、セレマはすっかり調べ尽くした。ドゥファイスの愛するものを、セレマは詳しく知っている。彼女が決して“善意”で人に関わることなど無いことを、セレマは正しく理解している。
「私はね、知っているんだよ。セレマ君の手紙を読んで、君のことを理解したんだ。だって、ねぇ……私が何を聞いたって、セレマ君は私と契約するもんね?」
 まるで花が咲くように。
 頬を赤く染めた魔精は、酷く醜い、幸福そうな笑みを浮かべた。

●幸せなドゥファイス
 目の前には白い紙。
 片手に持ったペンの先には、黒いインクが溜まっている。
 1本、2本、3本、4本……セレマの背後から、側頭部に、肩に、首に、ドゥファイスの手が回る。
 じわり、と血管を走る血が熱を持つ。
 脳の奥が痺れ、視界が、意識が、目の前の白紙から離せなくなる。
「さぁ、綴るのよ。脳の奥から溢れる言葉を、弾む心臓の鼓動に乗せて、思うままにペンを走らせて」
 歌うようにドゥファイスはそう言った。
 耳朶を擽る甘い声。
 セレマの思考が、甘い蜜の底へと沈む。
「さぁ、一文字目は何? 物語は、詩は、歌は、すべてはその一文字目から始まるの」
 促されるまま、セレマは紙面にペンを置く。
 ジュアン・ダウン。
 セレマの師である女の名前だ。
 ジュアンは、セレマのことを道具のようにしか思っていなかった。けれど、共に過ごした時間や与えられた知識は本物だ。
 ワーニー。
 2つ目の言葉は、ある少年の名であった。
 ワーニー……ワネギウスという名の少年とは、数年の間、一緒に旅をした仲だ。
 彼はセレマとよく似ていた。
 彼はセレマの親友だった。
 けれど、彼は友情以外のものに心を奪われてしまう。
 それを裏切りと糾弾する権利が、セレマにあるかどうかは甚だ疑問だが……そんな彼を、或いはジュアンを恨んでいないと言えば嘘になるだろう。
「でも、2人はセレマ君にとって大切な存在だったんだね」
「……だからこそ、お前に差し出すのだよ」
 2人以上に大切な記憶など、セレマは持っていないのだから。
 ほかに差し出せるものなど、セレマの心臓にも、脳にも、どこにも存在しないのだから。
「こんなことは忘れたほうが自分のためだ」
 知らず、そんなことを呟いて。
 果たしてそれは、セレマの本心だったのか。
 それとも、自分を偽るための言葉だったのか。
 そうする間にも、セレマは紙面に文字を綴って。
 自分が何を書いているのか、セレマはしかし理解できない。
 文字を言葉として、意味のあるものとして認識できない。
 1文字、言葉を綴るたびにセレマの胸から、記憶から、何かが欠け落ちていく感覚がしていた。
 記憶の輪郭が崩れ去る。
 脳にこびり付く光景から、徐々に色が失われていく。
「思いやり……思慕……愛憎、哀愁、驚嘆、幸福!」
 セレマが言葉を綴るたびに、ドゥファイスは歓喜した。
「なんてひたむきで、なんて静かで! なんて、なんて素敵なの!」
 賞賛の言葉もどこか遠い。
 自分が綴る文章に、セレマは何の意味も見いだせないからだ。

 思考がぼやける。
 熱に浮かされたような感覚に包まれたまま、セレマは一心不乱に文字を綴り続けた。
 1枚の紙が、膨大な量の言葉で埋まる。
 2枚目の紙に文字を綴る途中でセレマは気が付いた。
 自分の記憶が……“大切だったはずの何か”が欠けて、砕けて、失われていることに気付いた。
 気づいて、恐怖し、けれど手が止まらない。
「……まて」
「待たない!」
 言葉を綴る。
 何かが欠ける。
 この契約は、決して交わしてはならなかったものだ。
 気が付いた時には、けれどすっかり手遅れだ。人生とは、失敗とは、後悔とは得てしてそう言うものなのだ。
「……待ってくれ」
 掠れた声が喉から零れた。
 頬を伝うのは、汗か、涙か……なぜ自分は泣いているのだ? もはやそれさえ思い出せない。ただ、何かを失ったという喪失感だけがそこにある。
「駄目だ。これは、駄目だ」
「待たないよ! 駄目なんてことは無いんだよ! だって、だって、だってねぇ? セレマ君は私と契約したもんねぇ? 契約は果たされなくっちゃいけないもんねぇ!」
 嬉しそうに少女が笑う。
 ドゥファイスの哄笑が、セレマの意識を削るのだ。
「か、かえ……返してくれ!」
 慟哭。
 悲鳴をあげるセレマの顔を覗き込み、ドゥファイスは瞳を爛々と光らせた。
「返さない! だって、これはセレマ君が私にくれたものだもの! 契約の代償を、返せなんて……そんなことが、まかり通るはずがないのは知ってるでしょう!」
「それでもだ! それでも、返してくれ! それは大切なものなんだ!」
「大切なものなの? そんなに大切なものなの?」
 ドゥファイスは問うた。
 呵々と笑って、問いかけた。
「そんなに“大切”な“それ”っていったい、何なのかな?」
「それは……それは……なんだ? 何を、あぁ、自分は、ボクは何を失くした? 大切な……」

「思い出せないのに“大切”なの?」

 どこか遠くで。
 それはきっと、脳の奥で。
 ガラスの砕ける音がした。

●それは素敵で、無価値な手紙
 空になったインク壺。
 机の上に転がるペン。
 眠っていたのか。
 何か悪い夢でも見たのか。
 背中を濡らした汗が不快で仕方ない。
「あぁ、そうだ……きっと、ジュアンとワーニーの夢を見たんだろう」
 かつて共に旅をした、しかし終ぞセレマの本質を理解することの無かった2人の思い出は、今もセレマの脳に深く刻まれている。
 次に2人に逢ったのなら。
 きっと見返してやると、ここ数年はずっとそんなことばかりを考えている。

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