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SS詳細

My Dear.

登場人物一覧

九十九里 孝臥(p3p010342)
弦月の恋人
空鏡 弦月(p3p010343)
孝臥の恋人


 練達の街。
 再現性東京の住宅街から街を抜け、大きなショッピングセンターにきた孝臥と弦月。
 風に揺れる朝顔のグリーンカーテン、街路樹の緑。八月も終わりかけだと言うのにまだ暑い。近くでアイスを食べながら、特別な今日を迎えた。太陽は燦々と輝いて、二人の行く道を照らす。普段ならば鬱陶しいと思ってしまうが、今日ばかりは運がいいと笑えてしまうのは薄情だろうか?
「誕生日、何が食べたい?」
「ならんーと……和食と、あとレアチーズケーキかな」
「毎年そうじゃないか? 飽きないのか?」
「まぁな、むしろこれを食べないと落ち着かねえんだよ」
「そうか?」
「ああ」
 首を傾げた孝臥に気にすることはないと肩をすくめれば、そんなものかとやや不満そうではありながらも頷かれ。
 今日――8月23日は弦月の誕生日である。
 その為に今日は買い出しに来ていた。本人の好きな食べ物を作ってあげようという孝臥の想いによりサプライズなのはプレゼントだけ。というより、孝臥にとってはサプライズであっても、弦月は感づいてしまう。なにせ勘がいいのだ。
 孝臥がそわそわしていたらなんとなく何か気になっているのだろうと考える。そこから近くにあった、または起こるであろうイベントを逆算する。そのそわそわが落ち着いた頃には何かしらが一段落付いたと見るべきであろう。
 そしてひとまずカレンダーを確認し、悟る。そういえば己の誕生日が近いではないか、と。
「作る時になにかこだわりはあるのか?」
「そうだな……特にこだわりらしいこだわりはないが。下にクッキーがしいてあるのが好きだろう?」
「おう」
「だから、直前までに美味しいクッキーを見つけることだな。今年は混沌だから、新しく美味しいクッキーを探していたんだ」
「そうか、世界が違えばクッキーだって違うもんな」
「そうなんだ。だから直前までクッキーを食べまくっていただろう?」
「……あれは、そういうことだったのか」
 此処最近は軽食になにか食べようかと思ったらクッキーしか無い、またはクッキーをアレンジしたものが出されるものが多かった。それから感想を求められることも、成る程、あの行為にも意味があったのか。
 家系的に良いものを沢山食べて来てはいる弦月。そのため弦月の舌を信頼しているのだろう。けれど孝臥はそれを語らない。好みに合わせようとしているのは本心だろうし、弦月が実家を良く思ってはいないのも知っているから。
「ただクッキーを買いすぎただけなのかと思ってた」
「まさか、それならダースだったり箱買いしてると思うぞ?」
「うっかりが過ぎるな。ま、そうなったって食べきってやるさ」
「心強いな。よし、それじゃあこのメモに書いてあるものを探してくれ。俺はクリームチーズとヨーグルトを見てくるから、弦は好きなクッキーを頼む」
「わかった」
 此処最近で美味しかったと思うクッキーを手にとって孝臥のところに戻る。
 随分と自分は愛されているな、と感じる。そりゃもちろん孝臥の想い人が自分であるから、というのもあるだろうが。幼馴染としても、相棒としても大切にされていると感じるのだ。それはとても嬉しいし、くすぐったい。それから、ありがたい。
 牛乳とヨーグルト、バターなどなどケーキ作りに必要であろうものをカートに入れていた孝臥は、弦月がカートにクッキーを入れたのを確認すると、カートを押して進んでいく。
「晩御飯は何が食べたい?」
「うーん……」
 随分と新婚のような台詞を吐いてくれるものだ。ときめいてしまうではないか。
 思わず漏れかけた声をぐっと抑えて爽やかな笑顔で返す。
「熱くないやつ」
「うーん……米をつかうと全部熱くなりそうだぞ?」
「それもそうか。あ、巻き寿司がいい」
「それなら準備も簡単でいいな。少し時間はかかると思うが、かまわないか?」
「俺も手伝うぞ」
「いや、今日の主役にそんなことをさせるわけには……」
「いいんだって。今日の主役のいうこと、聞いてくれないのか?」
「……はぁ、ずるい奴だ。わかった、じゃあ手伝ってもらおう」
 本当は嬉しいのだろう、そっぽを向いた耳が紅潮しているのを見ると胸の内を優越感が満たしていく。こんな顔を見られるのは俺しかいないのだ、と。
「さ、てと。じゃあ買いに行こうぜ、刺し身!」
「…………だな。今日は奮発しよう」
「お、珍しく財布の紐もゆるい」
「記念日だからな」

 ――――
 ――

 かくして買い物を済ませ、二人の家へと帰ってテキパキと荷物を片付けていく。なにか手伝おうかと言おうとしたところをまな板と包丁を押し付けられ、魚を切るように言われる。弦月。
「え?」
「今からケーキ作るから。そっちは弦に頼んでも?」
「そういうことなら、任せとけ」
「ああ、任せた」
 たった一人の、自分の誕生日をここまで真剣に考えてくれるのはきっと孝臥だけだろうと、弦月は思う。
 元の世界に居たのは空鏡の名前と権力、名声に目を眩ませた欲望に塗れた人間だけ。そんな人間達に囲まれて心の内がどんどん冷え切っていくのを自覚していた。自覚していたのにも関わらず、その場から逃げ出すことも出来なかった。運命とは皮肉なものである。孝臥に告白しようとしていたその瞬間、あれ程どうなったってかまわないと思っていた世界から異世界へと召喚されたのだから。
 親の。実家に関わる人々の声はうるさく、煩わしく。そんな世界を振り捨てて、混沌でこうやって二人で暮らすことが出来るようになったのは幸いだろう。たった一人愛する人がいて、それ以外のどうなったってかまわない人達は元の世界に捨て置いてきた。誰の声に苛まれることもなく、今こうやって二人で暮らすことが出来ている。それがどれほど幸せか。
 もともと切ってある魚を捌くのなんてあっという間で、あっという間にお皿に盛り付けまで終わってしまった。ので、暇だと目で訴えると、もう大人しくしていろと首を横に振られる。仕方ないので自室で本でも読んでいようとベッドに横になる。つもりが、眠ってしまった。


「…………寝た?」
 レアチーズケーキを作りながら、何も物音が聞こえてこないことを不思議に思った孝臥。小さくノックをして部屋に入れば、本を顔に乗せたまま眠っている弦月の姿。
 これは早く作ってあげないとな。そうでないと、弦月が朝まで眠ってしまうかもしれない。
 微笑ましい寝顔をそっと手で撫でながら、孝臥は急いでキッチンへと戻ったのだった。
 そういえば、初めて作ってあげたケーキもレアチーズケーキだっただろうか、と思う。
 クッキーをつぶしてバターと牛乳になじませながら、孝臥はふと昔を懐かしむ。もう短いと言い捨てることは出来ないほど長い間一緒にいる。その為にある程度お互いの好みは知り尽くしているつもりだ。好きな人の好みを除いて。
 元の世界では運よく出来なかっただけで、混沌でならばもっと好きな人が見つかるかもしれない。そうなれば今孝臥と同居している理由もなくなる。それは少し……いや、だいぶ寂しい。
 もやもやとする気持ちをクッキーに押し付ける。あんまり潰しすぎるとよくないのでぱっと手をはなして、型に敷き詰めて、それから冷蔵庫で寝かせておいて。
 ヨーグルトを水切りして置きながら、クリームチーズをレンチンする。もう慣れた作業だ。こうやってもんもんと思考を働かせることも出来るくらいなのだから。
 やや柔らかくなったら砂糖を入れて混ぜる。ぐるぐるぐるぐる。複雑になっていく思考のように。
 クリーム状になったのを確認したら、そこに生クリームやレモン汁を入れて、また混ぜる。
(…………それにしても、だいぶなれたとは言え、そろそろ別のケーキでも良いのにな)
 毎年律儀にレアチーズケーキを頼んでくれるのは、孝臥がレアチーズケーキしか作れないと思っているのだろうか。弦月が喜んでくれるようウニと、他にも幾つかケーキを作れるように仕込んでおいたのだけれど。そのおかげで、そこまで複雑な技術を求められないケーキであれば大体作れるようになった。普通のケーキは勿論、タルトやロールケーキならば難しくはない。
 だが、今年もレアチーズケーキだ。
 そんなに好きだったのだろうか。その辺はまだリサーチが足りないな、と結論付けて。再び調理に意識を戻す。
 柔らかくしておいたゼラチンを生クリームと一緒に沸騰寸前まで溶かして粗熱を取る。それが済んだら先程一生懸命混ぜたクリームチーズに生クリームを入れて混ぜ、漉す。こうすることで舌触りがなめらかになるのだ。洗い物も過程も増えてしまうが、好きな人の口の中に入るものに妥協なんてするつもりはない。
 先程冷蔵庫で冷やし固めたクッキー台を取り出して型にクリームチーズを注ぎ込む。並々注がれていくクリームチーズを見るのはやや気持ちがいい。表面にフォークで簡単に模様をつけたら冷蔵庫で冷やし固める。これでケーキは完成だ。
「……さてと」
 あとは米を炊いて海苔を切って。そうしておくだけでもう誕生日の準備は完成だ。
 適当に買い物でも頼んで部屋を出させ、その内に室内を飾り付けるつもりだったが、弦月が寝ているならちょうどいい。自室から部屋飾りを探してとってくることにした。


「……んぁ?」
 寝ていた。よだれも見事に垂らして。
 時間を確認すれば夜の九時。昼から今まで寝ていたのだ、腹ペコだしもう眠れそうにない。とりあえず部屋を出ようと扉を開けたのだが――

「誕生日おめでとう!」
「?!」
「……そ、そんなに驚くなよ、ショックだ」
「いや……俺が寝てる間に、これ、全部やったのか?」
「? ああ……そうだな。やりすぎたか?」
「いや。これ全部一人で準備させたのかと思うと申し訳なくて……」
 室内もテーブルも、食事のよういまでしっかりされていて。あとは主役たる弦月が来るのを待っていたと言わんばかりのところにクラッカーを放たれれば驚きもするものだ。
 得意げに笑った孝臥が愛おしくてたまらない。ぎゅっと抱きしめれば、孝臥もおずおずと抱きしめかえしてくれた。……ああ、大好きだ。そんなことを心のうちで噛み締めながら、誕生日パーティは始まった。
「ん~~~!」
「美味しいか?」
「ああ、美味い」
「まぁ、何も料理してないけどな」
「いや? 魚とか、飽きないように味付けしただろ」
「さすが、何でもバレるな」
「そりゃ、考えてることは何でも解るぞ。孝は俺に隠し事は出来ない」
「……ひとつくらいは上手くいってると思うんだけどな?」
 寝てる間に買ってきたのだという酒やジュース、つまみにお菓子。どれもこれも弦月の好きなものばかりだ。どこまで好きになれば許されるのだろう?
 緩む口元は口の中に手巻き寿司を押し込むことでごまかした。そこに酒も加えれば、ああ、と幸せが満ちていく。どれほど飲んでも酔うことはないけれど、好きな人と過ごすこの時間には酔いしれて溺れたって誰にも文句は言わせない。
 マグロにサーモン、いくらにたくあん、きゅうり、海老、肉のそぼろにキムチなどなど弦月も孝臥も好きなものばかりで埋め尽くされていて。和食と言えば和食だがやや現代的。こういった食事を誰の目も気にせずに食べることが出来るのも、孝臥と暮らしている今があるからだ。口一杯に手巻き寿司を詰め込んでもごもご言いながら首を傾げた孝臥に、笑みがこぼれた。

「ふー、食った食った」
「ケーキは明日にしておくか?」
「いや、食う」
「でもお腹いっぱいなんじゃ」
「年に一度の楽しみを奪ってくれるなよ」
「そ、そうか。じゃあ持っていくぞ?」
「おうよ」
 毎年の楽しみ。年に一度のとっておき。
 孝臥の作ったレアチーズケーキだけが、心から弦月の誕生日を祝ってくれるものだった。
「最初はあんなにぐちゃぐちゃだったのになあ」
「毎年誰かさんに作らされるからこんなに上手くなったんだ」
「はは、ありがたいこった。今年はデザインも洒落てるな」
「変化くらいは加えたくもなるさ。上にゼリーの層を作るかも悩んだぞ」
「もうパティシエになったほうがいいんじゃないか?」
「たまに思うよ、俺も」
 テーブルの上に置かれたレアチーズケーキは見事なもの。フォークで作られた溝は均一な五線譜を描いている。
「切るのがもったいない……」
「でも切らないと食べれないぞ?」
「そうなんだけど、こう……伝わらないか?」
「ああ」
「そうか……」
 仕方ないと取り出したアデプトフォンに写真を残しておいて。名残惜しそうな弦月を横目に、孝臥が八等分に切り分けた。
 口のなかに広がるチーズの濃厚な甘味。クッキーはサクサクしているけどほどよくしっとりしており、チーズと合わされば最高に美味しい。食感も最高だ。そう、美味しいのである。
「はあ~~」
「ん?」
「誕生日って感じがする……」
「そうか?」
「ああ。俺の誕生日、って感じだ」
 にっと笑う弦月の笑顔は胸が痛いほどに切なく動く。とくんとくんと高鳴る鼓動がやけにうるさいから、レアチーズケーキを一生懸命噛んで誤魔化した。
「ありがとな」
「何が?」
「何がって……今日のこと、ぜんぶだよ」
「いいや、俺がしたかったから……」
「それなら尚更。ありがとう」
「……どういたしまして!」
 あんまりにも優しく見つめられると照れてしまう。少々乱雑な返事に弦月は声をあげて笑った。
 今夜はたっぷりと飲まないと眠れなさそうだ、と笑った弦月に付き合って二人はテラスへ。
 高層ビルの夜景と美味しいワイン、それからレアチーズケーキとおつまみたち。やや不釣り合いな光景ではあるが、それもまた一興。
「そういえば、なんでレアチーズケーキなんだ?」
「え?」
「一応他のケーキのリクエストもあるかもなと思って作れるようにはしたんだが……」
「それはそれですごいな……」
「レアチーズケーキ、好きなのか?」
 孝臥の問いかけの裏に隠された本心――気を遣っているのではないかと言うこころ。それを見透かした弦月は、グラスに入ったワインをぐいっと飲み干してから、また並々ワインを注いでいく。
「孝が初めて作ってくれた誕生日ケーキだからな、これは」
 ずいぶんと懐かしい昔の話だ、と思う。スポンジ生地を焼く必要もなく。泡立て器に不満を持つ必要もないレアチーズケーキはまさに作りやすいものだった。冷やす時間こそ沢山かかるが、火の取り扱いもない。子供が作るにはぴったりだった。
 初めてにしては上手く行ったかもしれないが、今思い返せば不恰好すぎるそれを、弦月は心底嬉しそうに食べてくれたのだったか。だから料理が好きになった。料理ならば繋がれる。料理なら笑顔がみられるのだ、と。純粋な孝臥少年の無邪気すぎる動機によって今となってはばっちり胃袋も捕まれている弦月。最早隠す必要もないくらいにばっちりと。
「来年も頼むぞ、孝」
「……あ、ああ」
 孝臥はぼけっとした顔をして、それから慌ててうなずいた。
 来年も。
 そう弦月はいったけれど、来年もまたこうして友達として、幼馴染みとして、悶々と恋心をおさえつけたままに祝わなくてはならないのだろうか?
 そんなの、辛すぎる。何より、弦月に申し訳ない。
 両想いだとは全く考えていない孝臥にとって、弦月が願う来年と自分の想い描く来年は違うかたちをしているのだろう。自分を大切に思ってくれている友に対して、なんと不誠実なことか。きっと弦月を好きだと伝えたら彼はもう今のままの関係では居られなくなる。
 痛い。
 胸が、苦しい。
「孝?」
 俯いた孝臥に弦月は不思議そうに声をかける。
「……プレゼントを忘れてきた。取ってくる」
「それじゃあサプライズの意味がないだろ」
「確かに……まあ、少し待っててくれ」
 逃げるように部屋に走っていった孝臥の背を眺めつつ、弦月はワインをどんどん飲み進めていく。
 そうして数分がたった頃、孝臥は日本酒の瓶を抱えながら戻ってきた。
「はい、これ。改めて、誕生日おめでとう」
「おお……開けても?」
「ああ、プレゼントなんだからな」
 当たり前の問いに思わず笑みがこぼれる。この人のこういうところを好きになったのだ。
「これは……」
「グラスだ。掘って貰ってるのは月下美人」
「おお! 月下美人か……」
 これもまた懐かしい。初めて孝臥から貰ったのは、月下美人を沈めたハーバリウムだった。初心者が一生懸命作ったのが丸わかりのややお粗末なものではあったけれど、弦月は今でも宝物にして居る。それは今はこちらの世界にはないけれど。
「空鏡の人間がそんな貧相な物を持つべきでない」
 と捨てられかけた時は激怒もしたくらいには、特別で大切な宝物なのだ。その頃から家が気に食わなくなりだしたんだっけか。曖昧な記憶は思い出さないに限る。思い出して傷ついたときに過去を恨むことになるからだ。
「お酒でも、お茶でも、これで好きなものを飲んでくれ」
「いいプレゼントだな。ありがとう」
「好きでやってることだから、気にするな」
 早速使い始めることにしたのだろう弦月は、日本酒をくいっと飲み干してご満悦。用意しておいたつまみを食べながらご機嫌に月見酒。時折レアチーズケーキもつまみながら、最高の贅沢に笑みを浮かべる。
「懐かしいな。初めてくれたプレゼントも月下美人だった」
「なんだ、覚えてたのか」
「そりゃな。宝物だから」
 グラスをまじまじと眺めながら微笑む弦月はまさしく優しくて頼りがいのある最高の相棒で、それから想い人で。
 恋人でもないのにそんな笑顔を見せられたらときめいてしまう。
「はー……幸せだ」
 こうして人間らしく暮らせているのは孝臥のおかげに他ならないだろうと、弦月は思う。もしも孝臥と出会わなければ、ずっとあのくそったれな世界のなかに閉じ込められていたのではないか。混沌も不思議なところは沢山あるが、それでも、家柄も身分も帳消しになるこの世界は二人にとってはあまりにも優しくて罪深い。こうして塒をしっかりと構えてしまうくらいにはこの世界に順応しきっているのだ。
 そしてそんなことを思うのは弦月のみならず孝臥にも当てはまる。弦月がなにかを言おうとしていた最悪のタイミングだったとはいえ、それがなければこうやって二人で暮らせていたかもわからない。多くを弦月に救われて、そうして弦月のそばに居たから今がある。彼が居なければ今の自分は居なかっただろう。
 故に、彼の誕生日を祝える事実はやはり嬉しいものだ。大切なひとの誕生日をこうして祝えるのは何にも変えがたい喜びであるから。
 ……けれど、こんな気持ちを抱えて暮らすのもそろそろ辛い。好きが。想いが募れば募る程に、この恋心は抑えていようと、秘めていようと決めていたのにも関わらずに暴れだす。
(……そろそろ区切りをつけないとなあ)
 美味しそうに酒をのみ、食事をして、ありがとうと笑いかけるべきは、自分ではなく他の綺麗な女の人であるべきだ。いや、男だって構わない。弦月を幸せにしてくれるのならば。
 涙がじんわりと視界をつつむ。そんな自分が情けなくて、ぐいと酒で押し込んで涙をこらえる。
(諦めないと)
 そうだ。もう何年も弦月の隣を独り占めしてきた。そろそろ他の誰かに変わらなくてはいけない。
 ……なんて思っているのだろうと察した弦月。好きだからこそ隣に居て貰っているのに、と嬉しいようなあきれたようなため息が漏れる。そんなところも、好きではあるのだけれど。
 ケーキを食べつまみを食べ黙々と酒をのみ進める孝臥。普段ならば制止こそしていたけれど弦月はご機嫌なので少し気付くのが遅れた。
「……って、あ、おい!」
「ん……?」
「あちゃー……」
 そう、孝臥がごくごくと飲み進めていたそれはとても強い酒。弦月であればこそただのジュースのようなものだが、孝臥にとっては強すぎる酒だ。
 故に。
「んー……」
「はぁ……」
 みるみる内に酔っていく。以前のこともあり早いうちにお酒を取り上げ、晩酌はあとで一人でしようと心で決めて。
「孝、そろそろ暑いから部屋に戻ろう」
「うん……」
 もう酔いがまわっているのだろう孝臥は、ぽやぽやと酩酊しつつも弦月についていく。室内のテーブルに晩酌をおいた弦月は孝臥の部屋の扉を開く、の、だが。
「ん……?」
「寝ない、ぞ」
「でももう、誕生日は終わったぞ?」
「弦が寝るまでは、誕生日だ」
 なんとも嬉しいことを言ってくれるが孝臥はもうすでにべろべろでふらふら。けれど眠るつもりもないのならせめて目の届くところで見ておかないと。
 仕方ない。と、言い訳して、ソファの横を叩けば、嬉しそうにとすんと座ってくる。かわいい。
「弦は、他にほしいものとか、してほしいことはあるか?」
 咄嗟にお前が欲しいと伝えそうになるのをぐっっと飲み込んで。まだ告白するときではない。早急にしようとは思っているが酔っているときは夢だと思われそうなのでしない。
「うーーん……」
 とりあえず悩む素振りを見せる。特に欲しいものらしい欲しいものはない。孝臥とゆっくり暮らす現状に満足しているし、それ以上の幸せは今のところ見つかりそうにない。これからも孝臥が隣に居るであろうことは確実であるから、結婚指輪を見繕わねばとかそんな遥かな未来でしか浮かばないのだ。
「じゃあ、今度ケーキを作ってくれ。俺のために練習してくれてたやつ」
「ほかには?」
「えーと……じゃあ、週末でかけよう。映画とかどうだ?」
「うん」
 嬉しそうに表情をとろけさせる孝臥の破壊力といったら!
 こんなにもかわいくて愛おしい孝臥の魅力に気付かない人は愚かだと思いつつも、他の人間に奪われたら憤怒どころでは済まないだろう。真逆な二つの感情に苛まれる自分がおかしくてたまらない。
「じゃあ、週末はデートだから。楽しみにしててくれるか?」
 誕生日くらいは夢を見たっていいだろう。
 誕生日くらいは、浮かれたっていい。
 デート。
 普段はからかうときにしか使わなかったけれど、本当はずっとそう思っていた。ただの買い出しだとか、お出掛けだとか。そんなことじゃなくて、デートなんだと伝えたかった。
 こんなにも泥酔してるときに伝えるのは卑怯だとは思うけれど、酔った方が悪いのだ、と責任を押し付けておく。ずるい男だ。
「……ああ」
 ふわりと花が咲いたように笑った孝臥。
 世界が止まったようだった。
 明確に示されるとやはり苦しい――俺は孝臥に恋をして居るのだ、と。
 幸せだと思えるのは。
 今日が愛しいと思えるのは。
 生まれてきて良かったと笑えるのは。
 すべて孝臥がそばに居てくれたから。
 どれだけ好きになろうとも離れられそうにない。そう思った弦月。
 こっくりこっくりと眠りに落ちそうな孝臥を己の肩を枕にさせ、ゆっくりと晩酌を楽しんだのだった。


 鳥のさえずる声が聞こえる。
「ん……?」
 肩がやけに重い。そういえば昨晩はなにもしてない。片付けも何もかもを外に置いてきてしまったのではないか。まだはっきりとは開かない。
 ぼんやりと覚醒しない意識をなんとか揺さぶり起こして、気付く。
 隣から聞こえる寝息に。
(ん……???)
 そういえば何故か肩が重い。それも左肩だけ。まさか、と横を見れば。
「なっ!??」
 思わず大声が出そうになるのを口を覆って押さえ込む。
 肩の重みの正体は、想像通り――穏やかに眠る弦月だったのだ。
 なぜ自分がこんなところで寝ているのか、とか。飲みかけのお酒はどうしてだ、とか。気になることは沢山あるのだが、それ以上に熱くなる顔。
 今下手に動いたら起こしてしまう、という気遣いと、いいやそんなこと気にしてられないと言わんばかりの心臓。こうして触れあっている肩から、拍動が聞かれてしまいそうだ。
(に、逃げたい……)
 心の準備なんて出来ているはずもなく。気持ち良さそうに眠る弦月はこちらの気持ちなんてしっているはずもない。ほどよい疲れだったのか、はたまたゆっくり眠れる肩だったのか。ぐっすりと眠り続ける弦月を今此処で起こすのはあんまりにも酷だ。
「ああ、もう……」
 もう、どうにでもなってしまえ。
 己の肩で眠ってしまった弦月が悪いのだ。こんなところで寝ている自分はしっかり棚にあげて、昂る胸を抑えながら、次に目が覚めるときはこんなサプライズがありませんようにと願った。
 そんな、8月24日の朝が始まった。

  • My Dear.完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2022年08月22日
  • ・九十九里 孝臥(p3p010342
    ・空鏡 弦月(p3p010343

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