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烏夜を越え
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良かったんですか。
唇に乗せた言葉は普段の軽薄さは鳴りを潜めて。立ち竦む仙狸の女を眺めた水夜子の眸には悲痛な色彩が宿されていた。
良かったに決まっていると応えた汰磨羈はあの結末に辿り着く一助であったのだと己の行いは正しかったと断言した。
そう、間違っては居なかった。
少なくとも汰磨羈にとっては、の話だ。
「――"御主"にとっては、どうだったのだろうな?」
罅割れた刀身。慈愛を求めた鬼子によって振るわれた妖刀『絹剥ぎ餓慈郎』。
知らぬ温もりを求める余りに御霊を剥ぐにまで至ったこの刀には。その鬼子の想いが、魂が染みついているのだから。
汰磨羈にとって、晴陽は大した繋がりのある女ではなかった。だが、水夜子にとってはそうではないだろう。彼女の内心や境遇はさておいても、晴陽に情がある。其れこそ、大切だと臆面もなく告げられる程に、だ。
そんな従姉を護った証。それが汰磨羈の視線の先に存在する妖刀の罅なのだとすれば。
茄子子の
「"御主"は、その中で何を感じた?
……求めていたモノを、慈愛の温もりを知る事は出来ただろうか……これで終わるとしたら、満足出来るか?」
――微かな、金属音が響いた気がした。
罅割れた刀を元の姿に戻す、という事は不可能に近いだろうと水夜子は澄原病院の応接間でそう告げた。
無論、汰磨羈とてそれは承知の上だ。刀は単なる鍛造品ではなく、恐ろしい程の執念に満ちて鍛造されたそれは職人の技。業とも言い換えられよう。
繊細にして複雑怪奇な技術を駆使しているのだから相応の代物として用意されたのだ。
「理解している。もはや、"直す"というレベルでは済まん事位は、な……」
「……ならば、どう?」
水夜子の表情は暗い。彼女からすれば自身が持ち込んだ依頼である。晴陽や暁月には汰磨羈の訪問を隠した理由も彼等が汰磨羈の愛刀の現状を知れば気に病む可能性があったからなのだろう。飄々とはしているが、そうした部分は非常に少女らしい気遣いをするものだと汰磨羈はソファーに腰掛けたまま罅割れた妖刀を見下ろす水夜子のかんばせを眺めていた。
「この妖刀を再誕させるとするならば、刀身を完全に溶かし、打ち直すしかないだろう。それは最早、転生と呼ぶ他無い所業だろうな」
「それでは、同じ刀として生まれ変わることはできません」
「ああ。刀工も変わるのだから、当然の話だが……だが、それでも、だ。
もしかすると、その鋼に宿った想念は、魂は、何らかの形で受け継がれるかもしれない。恐らく、奇跡に等しい確率になるだろうが――賭けてみようと想う」
汰磨羈の言葉に水夜子は息を呑んだ。それは分の悪い賭けなのではないかと彼女は感じたのだろう。
汰磨羈にとってはこの刀をここで終わらせてはならないと感じていた。此れを死に体にさせてしまった責任を感じているという事もある。
だが、それ以上にこの様な結果だけを残して逝く程にこの刀の執念は甘くなどない筈なのだ。
「此れは最早、単なる妖刀の範疇では無い筈。ならば、いける筈だ」
「それは、確信ですか?」
「いいや、希望的観測だ」
今まで共に戦場を馳せた。人を斬り、魔物を斬り、あやかしを斬り、人とは呼べぬ魔に転じた者をも斬り伏せた。
覇竜の強き生命を斬り、あの妖刀血蛭とも鎬を削り合い、竜の体を斬り、その血を啜った。
そして、最後には――真性怪異に、その刃を突き立てたのだ。
「此奴のその刃は、私の戦いそのものだ。その全てが、刀身に染みついている。……ならばこそ、その刃を以って理解している筈だ」
「たまきちさん……」
共に戦場を駆けてきた以上、一心同体とも呼べる。そんな汰磨羈が覚悟を決めた。生き抜き生かす覚悟を女が懐いたならばその刀も共にあるべきだ。
故に、この刀を生かしたい。汰磨羈の真摯な言葉を受け止めてから水夜子は頭を悩ませた。
其れを活かすに相応しい刀工。澄原家の伝手を使えば相応の存在には出会える可能性もあるが、その技術的な部分は水夜子には保証しかねた。
「姉さんや暁月先生にも相談をしましょう。……私も汰磨羈さんの刀を再誕させる事には賛成です。
貴女がそれが成せるのだと口にしたのならば、それは希望的観測ではないのですよ。絶対にそうなるべきものなのですから」
そうと決まればと勢いよく立ち上がった水夜子は内線で晴陽を呼び出し、aPhoneで暁月に連絡を取った。澄原の伝手と燈堂の伝手。両方を利用できるならば利用してやると豪胆に言い切った彼女に「頼りにして居るぞ」と汰磨羈は揶揄うように笑うだけだ。
水夜子が汰磨羈に連絡したのは其れから三日後のことである。希望ヶ浜内に『妖刀』ばかりを打つ刀工がいるのだという。
「実は私にも縁がありまして。私が所有している夜妖を封じた鞭『窮奇』と呼ばれる此れなのですが……こうした武器を作っている工房なのだそうです。
あまり表に出てこない方ですが今回は引っ張り出しましたよ、ふふん」
再現性東京の中でも少しばかり田舎に近い地方に拠点を置き、悪性怪異:夜妖<ヨル>を武器に封じて利用しているという職人は汰磨羈の刀の再誕に興味を懐いたのだそうだ。
全てを一度融かし、新たに鍛造する。その際に
「繋ぎ、か。どの様な怪異を宛てにしている?」
「ええ、とっても良いのが居ますから。彼女を宛てにしようかと思いまして」
彼女、と告げられた時点で汰磨羈の脳裏に過ったのはつい最近、肉体を得たという可愛らしい神様未満の姿であった。真逆、と呟いた汰磨羈は職人の工房に辿り着いてその予感を確信に変えた。
黒い髪には桜の花が舞い踊り、街歩きに適した衣服に身を包んでいる水色の瞳の娘。若宮と呼ばれていたそれは蕃茄と名を改めて澄原病院に保護されながら日常生活を送っているらしい。
「みゃーこ、たまきち。待ってた。蕃茄の欠片を使えばたまきちの刀が強くなるって聞いた。使って良いよ」
「……と、言うことです。蕃茄さんは紛うことなき真性怪異『だった』ものです。現在は神様未満のような存在ではありますが、神性を有していることは確か。
彼女の神性の欠片を
汰磨羈は上手くいくのかと水夜子を見遣った。現在の蕃茄は神性を有しているがそれ程強い自我を持ち得ているわけではない。故に妖刀と反発することなく、その自我を多きく削る事なく活かす事が出来るのではないかというのだ。
勿論、職人の執念の賜と云えるのであろうが、出来うる限り汰磨羈の希望に近いし形に鍛造すると彼は告げた。
「……生かせることが出来るのか」
「出来ますよ。だって、たまきちさんがそうするって言ったんですから。みゃーこちゃんは嘘を吐きませんよ?」
にこりと笑った水夜子は罅割れた刀が暗き夜を越え、新たな生命として陽の下にその姿を見せてくれることが楽しみだと微笑んだ。
「大丈夫です。蕃茄の加護も少し付け足されますから……貴女は烏夜をも祓う事の出来る力を手にできますよ」
それから、私を助けてくれれば――なんて。そう笑った水夜子に汰磨羈は「分かって居るよ」と肩を竦めたのだった。