PandoraPartyProject

SS詳細

Shake your happy maker

登場人物一覧

ソア(p3p007025)
無尽虎爪
アルヴィ=ド=ラフス(p3p007360)
航空指揮

●The Lore
 神の見えざる手によって資源は世界に分配される。
 しかしながら需要と供給の天秤が正しく釣り合わぬと断じられた場合、特に貨幣が関わる場合において――……人為が介入するのは、ごく自然な流れである。
 貧困と富裕、理性と欲望、空と大地。
 対極が混ざり合うこの混沌と云う世界を黒か白かで分別することなど不可能で、世に満ちる灰色の事柄に善だの悪だの名づけているのは個々の主観や価値観だ。
 そんな他人の主観に巻き込まれ続けた結果、鬱蒼とした森を翔る漆黒の青年は様々な名を持つようになった。
 特異運命座標、航空猟兵。またはアルヴァ=ラドスラフ。
 もっと沢山の肩書きや名前で呼ばれていたのかもしれない。しかし胡蝶の如く気まぐれな海馬が彼に語りかけてくることは無かった。
 だから空白に喰い荒らされた記憶のまま、無法者として今を生きている。
「どいつもこいつも、金のかかった新品の装備ときたか」
 まったく反吐が出そうだ、と樹上に潜んだアルヴァは獲物の群れを観察した。顔を隠すため念入りに巻きつけられた漆黒の頭巾、その奥から覗く銀の隻眼が丹念に情報を拾い上げていく。
 光届かぬ森の奥に設けられた裏街道を使うのは疚しい稼業に手を染めた者たちだ。
 破壊されつくした馬車の残骸に、皮を剥がされ冷たくなった馬の死骸。焼け焦げた赤と黒の肉塊は身包みを剥がされ、元の性別すら分からない。
 そんな惨憺たる光景を覆い隠すように金色の硬貨や豪奢な織物、そして死者への冒涜があちらこちらに散らばっていた。
 アルヴァは外套を拡げると梟のように枝から飛び降りた。擦れた葉陰のざわめきが、呼び鈴代わりに侵入者の来訪を知らせる。
 招かれざる黒鴉を見た盗賊たちの反応は様々だった。
「誰だァ、お前」
 武器を抜いて警戒を露わにする者。
 己の頭蓋を指で示しながらさげずんだように嗤う者。
 まだ未成熟と分かるアルヴァの痩身を値踏みする者。
「金目の物を全部寄越せば、命までは盗らねえよ」
 男とも女ともつかぬ、強奪を目的にしている割には品の良い脅しが布越しに響けば、幼子からフェアリーテイルを聞かされたと云わんばかりの嘲りがドッと湧いた。
「冗談にしては笑えねェなぁ」
 加虐性に満ちた仄暗い眼差しが、アルヴァの逃げ道を塞ぐように四方へ散っていく。それでもアルヴァは冷えきった眼差しで盗賊達の動きを一瞥するだけだった。
「金目の物を全部寄越せだって? それはこっちの台詞だ」
 粘着質な笑い声がひたひたと澱んだ空気を侵していく。自分を値踏みする眼差しに欲が色濃く滲むのを見て、アルヴァはこれみよがしに嘆息した。
 悪人を倒すのが善人だけとは限らない。
 目の前にいるこの盗賊たちが良い見本だった。
 警告を受け取らず、実力差も分からない。そんな馬鹿に少しでも慈悲をかけようとした時間の無駄を悔いるように疲れた片目を伏せる。
 悪党商人から金を奪おうが盗賊から奪おうが結果は同じ。多少血に塗れようが金は金。問題ない。
 人は時々アルヴァに「義賊」のラベルを貼るが、この場合の義とは一体何だろうなと薄月のように自嘲する。
「殺すなよ。高く売れそうだ」
「手足の一、二本は落としても良いよな」
「死んでなきゃ構わんだろう」
 蛞蝓のように光る牛刀の切っ先が、下卑た声と共に侵入者へと向けられた。
「交渉決裂、だな」
 破れ、擦り切れた外套の片側が音もなく開く。
 羽搏いた黒き片翼の下には身の丈ほどもある優美な漆黒の砲身。その月食の如き銃口が、盗賊たちの眉間を捉えていた。


「火薬のにおい。それから……」
 目深にかぶったフードの奥で、白い鼻梁がヒクヒクと動く。
 大き目のパーカーから覗く手足は、滑らかなオレンジと黒縞の毛皮に覆われていた。その艶々とした毛並みは獣種とも旅人とも異なる、森に愛された者特有の煌めきを宿している。
「血のにおいっ」
 高揚した気分に合わせてか。パーカーの裾を持ち上げた虎の尾がしなやかに揺れている。甘やかな声で叫ぶと、ソアは無邪気な子供のように駆け出した。
 虎のように力強く、しかしティータイムへと急ぐ少女にも似た軽やかさを保ったまま荒れ果てた悪路の森を征く。
「誰が戦っているんだろう。盗賊さんだと良いなぁ」
 うふっと好戦的な微笑みを零して、ソアは赤い舌で桃色の唇を湿らせた。

『森に住む盗賊を一人残らず殺して欲しい』
 ソアがローレットで受けたのはそんなありきたりな依頼だった。
「盗賊って悪い人たちのこと、だよね」
 獣の特徴を人間の身体に宿した特異運命座標の幼い言動に、依頼主の代理人だと名乗る男は憮然とした表情を浮かべた。にこにこと、朗らかな表情で果実水を飲む小娘が本当に殺しなど出来るのかと疑う眼差しだ。
 森から出たソアは人の世界で仕事をしていく上で様々なことを教わった。
 例えば「遊ぶ前はちゃんと依頼主に確認しておくんだよ。あとから文句を言われても面倒だからね」だとか。「イレギュラーズたちが舐められないように時々は力関係を教えてあげようね」だとか。
 だから不躾な視線を真正面から受けとめつつ、尊敬すべき姉からの助言をきちんと守る。
「なら遊んだあとに食べちゃうね」
「……はっ?」
 さらりと告げたソアの表情があまりにも毒気の無いものだったので、代理人は一瞬、耳を疑った。
「殺しても、良い人たちなんでしょ」
 澄みきった琥珀が、ぽかんと呆けてしまった男を見つめる。ぱちぱちと疑問で瞬くソアの瞳は凪いだままだ。そこには何の駆け引きも忌諱も罪悪感も映ってはいない。
「なら、たべても、いいよね? 悪い人たちなんだもんね?」
「ヒッ……」
 相手の死を明確に予言するその言葉には心からの喜色がこもっていて。目の前に座る存在が人間を模した別のナニカなのだと、今になって代理人は理解した。
「こ、殺すなら、相手をどうしようがアンタの勝手だ。消してもらえれば問題はないっ。では失礼する!!」
「あ、おにーさん。これ前金じゃなくて全額だよ……行っちゃった」
 逃げ出すようにギルドから出て行った代理人を見送りながらソアはグラスの底に残った薄い水で遊んだ。
「突然どうしたのかな。お腹痛くなっちゃったのかな」
 ソアにとって相変わらず人間の世界は面白く、分からないことだらけだった。

●The Roar
 細くなった瞳孔と鋭い嗅覚が緑陰の向こう側を探り続ける。
 獣としての本能が、視線が、強者を求めて左右に揺れていた。
 そして、捕えた。
 夜の忘れ物の如き黒い布で全身を包みこみ、地面に散らばった黄金色の硬貨を拾い集める黒装束の姿を。
「みーつけたっ」
 わずかに残った戦いの匂いが甘くソアを誘う。
 観察しようと止めたはずの足が、知らず動いていた。
「ねえ、なかま割れ?」
 声をかけられ、黒い布に包まれた顔がソアを見た。警戒の色を強くにじませて――それでいて、どこか億劫そうに見える動きだった。
 人間というより影で出来た人形みたいだとソアは感じた。
 二人の他に動く者はいない。
 うめき声があちこちから聞こえているのだから、何人かは生きているのだろう。あとは死んでいるか、気絶しているかのどちらかだ。
 もうすっかりと終わってしまった現場を眺めながら、楽しくない獲物ばかりだと落胆する。けれどもソアは完全に落胆しきったわけではなかった。
「あーあ、いけないんだ。それ、横取りって言うんでしょ。ボク知ってるよ」
 まるで悪戯を告発しようと企む童のように告げて、一歩。また一歩。
 美味しそうで、楽しそうな。素敵な餌の元へと歩み寄る。
 ぴちゃり。土に染みこんだばかりの血液が、湿った音を立ててソアの足元を濡らした。その異質さが、殺気が、薄暗い森のなかで悪夢のように揺らめいている。
 アルヴァは首を動かした以外、人間らしい動きを見せなかった。石のように微動だにせず、感情の揺らぎすら無く。息が詰まるほどの緊張感の中、そこだけ切り取られた無であるかのように立っている。
 ソアから内臓を抉り取るほど強い視線を感じるのは、獲物として認められたからだろう。
 まったく嬉しくない話だとアルヴァは内心一人ごちる。
 突如として現れた猛獣は活きの良い餌だけを狙っているのか、最初からアルヴァだけを見ていた。
 ソアから視線を逸らさないまま、けれども己の情報を相手に与えないように一切の反応を消し続ける。
「あーそびーましょ」
 ソアはかぶっていた灰色のフードを脱ぐと、チャックをゆっくり下へおろしていった。
 肉感的な身体が解放されていく。動きやすさを重視した活動的なタンクトップとショートパンツ。健康的な色気を感じる身体と風にそよぐ黄金の髪。
「……またイレギュラーズか、面倒なことになった」
 ソアの顔が見えた瞬間、先ほどから纏っていた薄らとした倦怠感を一層強めてアルヴァは思わず溜息混じりの声を漏らした。
「また?」
 きょとんと幼い仕草でソアは首を傾げる。
 まさかこの距離から声を拾われると思っていなかったアルヴァも、しまったと云わんばかりに顔を逸らす。
「またってどういうこと?」
「チッ」
 アルヴァの舌打ちと、靴底が地面を躙る音は同時であった。
「あー、逃げたっ」
 ソアは空駆ける人影を追いかけ、頭上を見上げた。
 遥か樹上をはしる黒影はソアの眼をもってしても見失いかねない早さで遠ざかっていく。
 あれだけの殺意を向けられて、それでも戦闘にならないとは。
 ソアは些か拍子抜けした気持ちだった。逃げ出した理由が分からない。盗賊にも色々あるのだろうか。
 それとも、遠距離からの攻撃を得意とするのだろうか? 
「いいもん、答えてくれなくたって。ボクの獲物が減った分はあなたに愉しませてもらうからね」
 逃げる獲物を捕まえるのも狩りの醍醐味。それは空を翔ぶ相手であっても変わらない。
 鳥だろうが天使だろうが墜としてしまえば良いのだ。
 ソアは駆け出す。まるで迅雷の如き速度にも関わらず、音の無い足音は生まれながらの狩人が備え持つものだ。
 亜音速にも近い速さともなると、通り抜けた旋風が豪速の衝撃を放つ。黒と金、二陣の疾風が緑を薙ぎ倒していく。
 やはり追ってくるか、と諦めにも似た感情でアルヴァは地を見下ろした。自分につかず離れずの距離を保ち続けるイレギュラーズの女性。
 持久力ではややあちらに分がありそうだが、さてどうしたものか。上空を制している分、逃げの一手を貫くアルヴァの方がやや有利だろうか。
 樹々の間を飛び回り撹乱するが、一定の距離を保ってソアは諦めることなくアルヴァの足元に食らいついてくる。
 しかし、あれだけの殺意を向けられてもアルヴァにはソアを害する気持ちが湧かなかった。
 同じイレギュラーズ同士、怪我をさせたら厄介だという面倒な気持ちが少し。
 女性に対して手荒な真似をしたくないというのが大半だった。
 先ほどの盗賊たちのように欲に塗れた感情を突きつけられるより、純粋な殺意を向けられている今の方がいっそ心地よくすら感じている。
 いっそ一度捕まって隙を見て逃げ出すか?
 それは止めておけとアルヴァの冷静な部分が告げてくる。
 ――分かっているだろう。あれに一度でも捕まれば、ヤバい。
 そう、動物的な直感が告げてくるのだ。
 にこやかに笑っているアレに一度でも捕まろうものなら、四肢をむしられ生きたまま臓腑を喰われかねない。
 生物が持つ生存本能を全力で刺激してくる危険存在を相手にして、どう逃げたものか。
 何度目かになる溜息を、アルヴァが無意識のうちに吐こうとした時だった。
 森の切れ間から真昼の白い太陽と水色の空が覗いた。視界が白く染まる。
 音も気配もなく、ただゾッとした冷たさがアルヴァの背骨を駆け抜けた。戦場では一瞬の間が命取りだ。前進を止め、ふつりと糸の切れたマリオネットのように直角に落下する。
「あれっ!?」
 アルヴァの頭上を白銀の四爪が通り過ぎていった。空中で体を半回転させると驚いたソアの表情を見上げ、アルヴァは少しだけ愉快な気持ちになる。
 胃をくすぐるような柔らかい重力に身を任せて墜ちる。そのまま猫のように地面に着地をすると、幹を踏み台に先ほどと何ら変わらぬ速度で再び走り出した。
「なんでーっ」
 悲鳴のようなソアの疑問が森に住む鳥の群れを一斉に羽搏かせる。
 鳥も、蝶も。空を飛ぶ相手を落とせば大なり小なりケガをするのは常識だ。
 けれども相手はそれが効かない。怪我を負った様子もなく先ほどと変わらぬ速度を保ったままだ。
 アルヴァの身軽な動きは、まるで空と風に愛されているかのようでもあった。
 空を飛ぶ相手。けれども翼や翅を使った動きではない。
 どこか不自然な、何かを守るような筋肉の動きは読み切れず、膨らんだ外套の下にはいつでも構えられる武器を持っている。
 生物が持つ本能的な動きには動物的直観で先読みが出来るソアであったが、アルヴァの動きは違った。
 厄介な相手だ。
 例えるならば計算され尽くした不規則。跳弾を予測するかのような大空を縦横無尽に駆ける、機能美を重視した空間移動だ。
 高度、風速、天候、湿度。そういった数多の情報を精査して生まれた動きや進路はソアの予想を裏切り続け、拳や蹴りも、相手の外套にぬるりと絡めとられるように軌道が逸れる。
「ぶー……お姉さまも誘えばよかった」
 未知の相手に何度目かの奇襲は失敗に終わり、なかなか捕まらない相手にソアは唇を尖らせた。
 まるで白昼夢を相手にしているような気分になってくる。
 遊び半分の気持ちも笑みもとっくに消えていた。その気持ちを代弁するように雷を纏った毛並みがざわざわと黄金の海原のように波打っている。
 けれども雷は使わない。それでは、肉を裂く感触が味わえないから。
 盗賊達が動かぬ屍となってしまった以上、新鮮で熱い血飛沫で楽しませてくれるのは今逃げ続けている、あの黒頭巾だけなのである。
 捕まらないどころか掠り傷一つ負わせられないのも癪であったが、相手から一切の反撃が無いのも解せなかった。
 戦意も殺意も、肉や血のかぐわしさもなく、これではまるで空気と追いかけっこをしているようなものではないか。
 しかし勝算が無い訳ではない。これまでの打ち合いから、ソアは変える事のできない相手の弱点に気が付いていた。
 あとは如何にして其の中に潜り込むかだ。
 針のような瞳孔から人間らしさが消え、剥き出しになった白い牙の隙間から唸り声がこぼれ出る。
 今のソアは依頼や人間らしい考え方といった物を削ぎ落とされていた。
「まいた……訳ではなさそうだ」
 アルヴァは背後を振り返った。直後、突き刺さった殺気に己が抱いた疑問が無意味なものであったと悟る。先ほどの数倍に膨れ上がった殺気。逃げることだけに全力を注いでいたが、それが相手には挑発と映ったのかもしれない。
 いつまで逃げられるだろうかとアルヴァは自問する。
 何合か打ち合ってみてソアについて理解したことがある。
 相手ソアは、強い。
 力と速さ、両方を持っている。戦場が森であり、アルヴァが戦意を持ち合わせていないからこそ上手く逃げ続けられているが、地面に落とされてしまえば相手のフィールドだ。
 何日かかっても追い続け、疲れて弱ってきたアルヴァを狙うだけの体力。それはさながら動物の狩りをなぞるようであった。
「自分が獲物なのは避けたいが」
 いつまでも森の中で木の葉のように舞い続ける訳にはいかないだろう。現状を打破する打開策が浮かべば良いのだが、その糸口も、考える時間も無い。
 アルヴァは言葉や態度で感情の機微を読み取るのが苦手だ。
 けれども長年争いごとに身を置いて来た者として、自分に向けられた殺意は分かった。嬲り殺しにしてこようと愉悦に光る眼も分かった。
 そして自分を追いかける相手から「美味しそう」「お腹空いた」と本気の食欲を向けられていることも……嫌々ながら理解してしまった。あまり考えたくは無いが、一応は仲間のカテゴリーに入っている相手から頭からバリムシャと喰われる可能性も考えなければならない。そんな事実に、霞みのような頭痛がやってくる。
 いっそイレギュラーズと言ってしまうか?
 ダメだ。前のような事になるのだけは避けたい。懐にしまった金貨が重さを増したような気がした。
「今のうち、にッ!?」
 ソアの爪が遂にアルヴァの顔面を捕らえた。
 視力が無い、死角となる右側面からの急襲。
「ねえ。そっちの眼。見えて無いでしょ」
 気づかれた――けれど、浅い。
 扱いなれたHOUND&CHIMERA Model 7360の銃身が盾代わりとなり僅かにソアの爪の軌道を逸らす。
「……殺気をデコイにしたのか」
 切り裂かれた頭巾がソアの爪にまとわりつき、アルヴァの代わりに無残な姿と化していく。
「あれ……あなたはたしか……」
 どこかで聞いたような声だとソアの耳がぴくりと動いた。散華する黒布の奥から露わになったのは乱れた空色の髪と銀の隻眼。まだ幼さの欠片を残した見覚えのある青年の顔に、ソアの表情が戸惑うように揺れた。
 爪が食い込んだのか、アルヴァの白い頬からは血が一筋流れ出ている。焦点を結ばぬ白濁した眼球と殺意の籠らぬ銀眼。答える代わりに視線が交差し、困ったようにソアは視線をさまよわせた。
 その隙を見逃すほどアルヴァはお人よしではない。
「これ以上は損失の方が大きい、か」
 己の半身とも言える銃身が僅かに軋む感触にアルヴァは素早く決断を下した。
 痺れる腕は、一撃にこめられた衝撃の大きさを物語っている。ソアの二撃目を受け止めるどころか流しきるだけの耐久力は、武器にもアルヴァにも残されていない。
 ソアを見れば、彼女はまだ混乱の渦から戻ってきていない様子であった。考える間すら惜しいとばかりに懐から宝玉を取り出し発動する。アルヴァは再び風を纏うと空へと駆け出した。
「あっ」
 縋り付くような声を無視して、金と黒の影は交差する。
「待ってよーっ」
 ソアは慌てて振り返ったが、そこには誰もいなかった。
 ざわざわと森を吹き抜ける風のざわめきと枝だけが、残り香のように揺れている。
 きっと今から追いかけても間に合わない。
 先ほどまでの機動力を思い返して、ソアは冷静に判断する。そもそも、今から彼を追いかけてどうするのか。彼女は決めかねていた。
「えっと、今の、ローレットの人だよね?」
 どうして、と誰ともなしに問いかける。
 どうして彼は森にいたのか。
 どうして彼は盗賊と仲間割れしていたのか。
 ボクを仲間だと知っていたから攻撃してこなかったの。
 どうしてそう言ってくれなかったの。
 直ぐには解決できない「どうして」で頭が満ちていく。
 あれだけ焦がれていた鉄錆の匂いも、爪に絡みつく黒布も、今となっては面白くない。
 考えれば考えるほど、こんがらがっていくようで。ソアの中でモヤモヤとした気持ちがどんどんと大きくなっていった。
 話を聞こうにも、あれだけの身のこなしの人物を捕まえるのは難しい。
 罠を仕掛けて捕まえる? お姉さまに相談する?
「うーん、うーん……あっ」
 しばらく悩んだあと、ソアは一つの解決策を思いついた。
 もしもこれが物語なら「こうして、悪い盗賊はみんな森からいなくなってしまいました。おしまい」で話は終わったのだろう。
 けれどもアルヴァにとっては此処からが、新たなる受難の物語の始まりだったのかもしれない。

●Hello, Nice to meat you.
「あっ横取りくんだ!」
「……」
 ぱっと晴れやかな笑顔を向けられ、アルヴァは180度、綺麗に踵を返した
 いつも賑やかなローレットだが、その叫び声があがった瞬間にざわめきの質が変わったような、そんな気さえしてくる。
 持ち前の危機察知能力をいかんなく発揮したアルヴァは今しがた入ってきたばかりの扉へと足早に戻ったが、ぴったりと身体を寄せられて扉を開けることは叶わなかった。
「ふっふっふ、今度は逃がさないよ~。ここで待っていたら会えるとおもったんだぁ」
 己の肩をつかむふわふわとした感触と鉄腕の如き握力、アルヴァはじろりと隣を見た。
 そこには、アルヴァの胡乱な記憶の中にあっても忘却しがたいほど鮮烈な印象を残した虎ガール……できればあまり再開したくなかった類の……が、素敵な笑顔で立っていた。
「あー、ハジメマシテ」
「はじめましてじゃないよ。昨日森で会ったでしょ? 一緒に戦ったことだってあるし。ローレットの人だってボクが覚えていたから良かったけど、あのままだったら本当に食べちゃうところだったんだからねっ」
 わざとなのか。わざとではないのか。腰に手を当てぷくりと頬を膨らませるソアは注目を集める天才のようだ。周囲の様子を伺いながら、アルヴァはスッと表情を消した。
「人違いだろう」
「人違いじゃないよ、同じ匂いだもの」
「っ、おいっ! 何をして……ッ」
 すんすんとアルヴァの襟元に顔をつっこんでソアは匂いを嗅ぎはじめる。そういった匂いで相手を判別する行為自体はアルヴァにとっても馴染みのあるものだが、衆人環境のど真ん中で密着してやるのは大事故以外の何物でも無い。咄嗟にソアの両肩をつかんでバリっと引き離す。
「匂いを嗅いでたらお腹空いてきちゃった。舐めてもいいかな」
 えへへと笑うソアの無邪気さがアルヴァのお人よしセンサーをいかんなく刺激する。本来なら悩むことなく逃げるべき状況であるのだが、アルヴァはハァとため息をついただけだった。
「やめろ。舐めたら本気で逃げるからな」
 アルヴァは天を見上げた。実際にはローレットの天井を見上げた。
 駆けるべき空は屋根で塞がれ、興味津々な観客に観察され、逃げ場はどこにもない。残された片腕に寄りそう生粋の肉食娘。もはや檻の中に入れられたも同じだった。
「分かった。昨日森で会った。これで良いだろ? だから放せ」
「うんっ」
 乱れた襟元を正しながらアルヴァは半眼でソアを睨みつけた。
「ねぇ。どうしてボクを知らないだなんて、嘘つくの?」
「あー……最近色々あって、記憶が混乱することがあるんだ。昨日の自分が何をしていたのかすら忘れている時もある」
「そうなんだ、大変なんだね」
 嘘の中にはひとかけらの真実を混ぜてやれば良い。
 同情を誘うように俯いて言えば、つられたようにソアはへんにょりと眉を下げた。
「じゃあ昨日のことも覚えてないの?」
「いや、薄らとは覚えている。だが質問しようとしても無駄だ。アンタの知りたいことを俺は覚えていないだろうし、依頼が終わったなら改めて話し合うようなことも無いはずだ」
 少しではあるが金は手に入れた。
 盗賊達があれからどうなったか。そんなものは、アルヴァにとって関係のない話だ。また新しく金を持った賊を探して襲えば良い。
 ソアの攻撃を受け止めた愛銃のメンテナンスには些か時間も資材もかかりそうだが、トータルで言えば収支はプラス、になる予定だった。
「あるある。大ありだよ。あのあとボクのお仕事、すっごくつまんなかったんだからっ」
 ぶーとソアの頬が膨れる。
 内容自体はどうでもよかったが、あまりにもソアが顔を間近に近づけるのでアルヴァはのけぞった。
 逃げられないように相手の肘と胸でがっちりと身体が固定されている。一体いつの間に?
「ふっふー、ボクのごはんのお邪魔はどう返してもらおうかしら。ちなみに、今日のボクはまだお昼ご飯を食べてません」
「……くそっ」
 アルヴァは自分の財布の中身を今一度思い出し、近くにある安めでボリュームのあるランチの店をピックアップし、それから今日ローレットに来てしまった自分へむかって悪態をついた。
 財布の危機だが、命の危機には代えられない。
「ハンバーガーでいいか?」
「いいよっ」
 ぴょこぴょことヒヨコのように飛び跳ねたソアは腕を組んだまま器用にアルヴァの隣を歩く。
「ね、ね、ボクのこと。もう忘れないでね」
「今のは早々忘れられないインパクトだったから数週間は忘れない予定だ。安心してくれ」
「わぁーいっ、ってダメだよー。数週間じゃなくて、数百年は覚えてて」
「俺の寿命を超えてると思うんだが」
「がんばってね」
「頑張って如何にかなるのかなあ、それ」
 ぺたんと伏せたアルヴァの耳が、普段よりも柔らかくしんなりと垂れている。
 晴れた空色を切り取った髪を乱暴に掻きながら、アルヴァは柔らかく微笑みを浮かべた。
「何でこんな事になったんだか」

  • Shake your happy maker完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2022年08月16日
  • ・ソア(p3p007025
    ・アルヴィ=ド=ラフス(p3p007360
    ※ おまけSS『トリプルハンバーガーセット』付き

おまけSS『トリプルハンバーガーセット』

「そういえば横取りくんのお名前は何て言うの?」
 あ、と口を開けてソアはハンバーガーにかぶりついた。
 バンズ、パテ、トマト、チーズ、ピクルスにトマトソース。肉を三重に重ねたビッグバーガーだ。
「黙秘する」
 あー、と口を開けてアルヴァもまたハンバーガーにかぶりつく。こちらは片手でも持ちやすい小ぶりのハンバーガーだ。値段も一番安い。
「その横取りくんって呼び方やめろ。横取りじゃない、不可抗力だ」
「なら名前教えてよ」
「断る」
「じゃあ生ハムの原木くん?」
「もっと止めろ」
「えー、ちなみにボクはソア」
「ソア、な」
「ちゃんと覚えててよ?」
「分かった分かった」
 親指についたトマトケチャップを舐めとりながらアルヴァはから返事を返すが、ソアはそれで満足であったようでマフッと再びハンバーガーに食らいついた。
「そもそも、なんで俺を喰いたがる。他に美味そうなもん沢山あるだろうが」
「それよりも横取りくんが美味しそうだからだよ」
「即答か。少しは悩めよ」
「それに強いし」
 だか、当然、と云わんばかりのキリッとした表情を浮かべたソアにむかって、食べ物宣言されたアルヴァはげっそりとした眼差しを向ける。
 食う喰われるといった話は冗談にしたいが、森で向けられたソアの食欲は本気であった。
 イレギュラーズ同士ということで今すぐ襲われるという事はないだろうが、このままでは足の一本くらい食べてもいいよね、と言い出しかねない。
「飾ると素敵なインテリアになると思うんだけどなぁ」
「それは生ハムの原木の話を飾る話だよな? 俺の話じゃないよな?」
「……ぅん」
「不安だ」
 念を押したアルヴァは、兄が妹のわがままを許すかの如く、深い深い息を吐いた。
「分かった。名前を教えればいいんだな? 俺の名前は――」

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