SS詳細
クウハと聖霊の話~トラブル・トラブル~
登場人物一覧
ガシャンと、松本診療所の窓ガラスが割れた。そこから顔を突き出しているのはクウハだ。そのレザーパンツへ手をかけて逃すまいと執念を燃やしているのが聖霊。クウハがわめく。
「離せ! 離せよー! だから俺は幽霊だって言ってんだろうが!」
「黙れ! ガラスによる裂傷! 傷口への異物混入も追加だ! おとなしくベッドへもどれ!」
「ほっときゃ治るって言ってんだよおおお!」
「てめぇが幽霊だかなんだか知らねぇが……怪我した上で医者の目の前でほっときゃ治るってのは喧嘩売ってるって意味でいいよなぁ……?」
「医者怖ぇ~~~~~~~~!!」
蒼穹にクウハの絶叫が響き渡った。
「紫ラメは、いかがなものかと」
処置室でのんびりしていたアネストが、開口一番そうのたまった。この程度のドタバタは慣れているらしい。
「なんで俺様のぱんつが紫ラメだって知ってんだよ!」
「さきほど聖霊がズボンをひっぱっていたとき、覗いたゆえに」
「見てんじゃねえ!」
「ブーメランだったな」
「オマエも冷静に指摘してんじゃねえよ聖霊!」
「医者が冷静に患者の体を観察するのは当然だろう」
「あ~~もう二言目には患者患者患者、だから俺は幽霊だからほっといてくれっての!」
ガッと両肩をつかまれ、クウハはうめいた。目の前に聖霊の真顔がある。
「腹に大穴が空いているやつを、見過ごせるほど俺は心が広くない」
「う~……」
怖い顔のままの聖霊とは逆に、アネストが目を細める。
「ふむ……しかし私も聖蛇として過ごして、聖霊の助手になり久しいが悪霊の患者は見たことがない。よければ麻酔を掛けた上で身体を見せてもらってもいいだろうか、人と同じ作りなのか気になる」
「同じなわけねーだろ。幽霊だぞ、幽霊」
そもそもちょっとした依頼で聖霊といっしょになったのが失敗だった。
顔を合わせた瞬間からいけ好かねえやつと思った。あのカンは当たってたわけだ。そして俺は依頼でヘマをやらかし、重症を負った。聖霊いわく腹に大穴が開くレベルの。とはいっても俺様幽霊なんで、べつに痛くなーい、つらくなーい。モツが飛び散るわけでもねえ、ちみどろになるわけでもねえ。ちょっと体幹がぐらぐらして歩くのがうっとおしいくらいだ。めんどくさいから空飛んで帰ろうとしたら、こいつに捕まった。
「俺も自称幽霊の治療は初めてだ。だが全力を尽くさせてもらう」
もうこの時点でヤベェやつって匂いがぷんぷんしてたね。そこから先はもう尋問の世界だ。どういう生活をしているか。傷の負った時の経過はいかがか、なにをもって正常と言えるのか。俺が尋問に疲れ切ったところを強引に引きずられて、この松本診療所へ連れてこられた、というわけだ。
「俺ァ幽霊だからな。死にゃしねーからいいんだよ。ほっときゃその内、治んだろ。それでも治療するってんなら止めねーが」
なんて煽った俺にも責任の一端はあるかもしれないが。
「まずは異物の摘出からだな。アネスト、麻酔を頼む」
「だーかーらー! 俺は幽霊だって言ってんだろ! そんなもん効かねぇよ!」
「言われたとおりにしたら傷口にメスの冷たさがしみるといったのはクウハだろうが!」
「ふむ聖霊、彼にはどのような麻酔を投与する? 通常の人間種と同じでいいか?」
「そうだな。どちらかというと彼の肉体の属性はカオスシードではなくグリムアザースに近いようだ。まずはそれを試して、効きが悪いようならレガシーゼロ用の麻酔を……」
「オマエら、俺を置いて話を進めてんじゃねえ!」
また肩ガッ!
「いいか? クウハは今俺の管理下に居るんだ。そこを忘れてもらっちゃ困る。腹の中でガラスの破片がガシャガシャ言っても平気なおまえにはわからんかもしれんがな」
「だ、だから俺は幽霊……」
「医者の治療を受けるってことは医者の管理下に入るということだ」
「はなし通じなーいこわいやだぴえん、わけわかんねーほっといてくれっていってんだろ!」
「病識がないのが一番困る」
「困ってるのは俺だ! クウハ様だよ! わけわかんねーやつにしょっぴかれて監禁されて、やだちょっとこれえっちな展開になるやつじゃねぇの? 医者と患者のパワハラめいた禁断の恋?」
「よくまわる口だな。鎮静剤をもってこい、アネスト! もう全麻だ全麻!」
「いや、オイ! そこまでするこたァねェだろ!? 分かった! 分かったって! 分かったって言ってんだろ!?」
しょうがないのでクウハはごろりと手術台へ横になった。開腹手術、というやつだろうか、ご丁寧に鉗子でもって傷口を固定され、広げられる。
「暴れるなよ?」
「へーへー、おとなしくしまっさぁ」
こんなものマジでそのうち治るのにな、とクウハは思う。聖霊があんまり真剣だから茶番に付き合ってやっているだけだ。冷たい感触がする。聖霊が器具を使い、細心の注意を払いながら自分の体内のガラス片を取り出しているのを感じる。肉(肉?)に食い込んだガラス片は、たしかに動く度にじゃらじゃらしてしゃらくさい。クウハにとってはその程度のものだった。それをこんなふうに大怪我扱いされるのはこそばゆい。
「いや、実際大怪我だからな?」
クウハの心を読み取ったように術着を着た聖霊がぼそりとつぶやく。
「いやー、なんかその、怪我をする? ってのがわかんねぇんだよな、俺。なんせ幽霊だから」
「おまえの与太事はまったくどうでもいいが、痛覚がなく、臓器もない、どうやって生命活動をしているのか興味はある」
「てゆーかいい加減解放してくんねぇかなあ」
「ウォーカーが百人いたら全員違う体質と思え、とは俺の父の言葉だ。クウハもウォーカーであるからして、この世界および俺の持つ常識外であることは間違いない。だがな、大怪我してるやつを医者として見過ごせねーのよ」
「またそれか」
「そっちこそまたぞろ俺は幽霊と言いだす気だろう? 何回目だ?」
「俺様は真実しか言ってねぇ」
「俺だって誠実に向かい合っているつもりだ」
その結果がラッチカンキンですか。やっぱ医者怖いわ。クウハはげんなりした。
「よし、異物をすべて取り出せたぞ」
なんて言っている間に手術も山場を超えたようだ。そもそもじっとしているのが嫌いなクウハはほっとした。この終わりの見えない地獄から解放されるならなんにでも媚びへつらうつもりだ。もちろん目の前の聖霊を除いてだが。
「おわりか?」
「いや、次は目視で取り除けない部分を切除する。アネスト、今度こそ麻酔を頼む」
「うむ、グリムアザース用でいいのだな?」
「ああそれで頼んだ」
もうどうにでもしてくれとクウハは諦めモードに入った。
とりあえずひとつ学んだことは、この聖霊という男は、おとなしくしていればこっちの体をいじくり回すだけで満足してくれるということだ。もう口論も疲れた。とりあえずここは身を任せよう。アネストがクウハへ麻酔を打つ。あっというまに意識が飛んだ。
朝のベッドの中で、聖霊は大きく伸びをした。昨日は大手術だった。いやがる患者を説き伏せ、開腹手術をし、なのにケロッとしている様子の患者へ麻酔をかけて、どうにかこうにか黙らせた。麻酔をかけたのは手術へ集中したいという聖霊自身の思惑も大きい。アネストはいつもよくやってくれている。こちらの意図をよく読み、しっかりと結果を残してくれる。それもこれもアネストが聖霊の使い魔である聖なる蛇だからだろうか。主人と使い魔は阿吽の呼吸というやつで、アネストは常にぴったりと聖霊のやりたいことへ寄り添ってくれる。じつにありがたいと思う。
眠気飛ばしに熱いシャワーを浴び、脱衣所で体を拭いていたら、そのアネストが駆け込んできた。
「聖霊!」
いつも落ち着いているアネストにしては珍しいこともあるものだ、聖霊は体を固くする。
「何事だ」
「じつはクウハが、いや、実際見てもらったほうが早い。来てくれ、いますぐ」
聖霊は急いで着替えると、アネストについてクウハを寝かせている部屋へ行った。絶対安静を言い渡してあるはずだが。クウハ、だいじょうぶか、無事でいるか、おまえに一体何が起きた。聖霊はドアのノックも忘れてクウハの部屋に入り、がっくりと床へ手をついた。
「ピザ食ってんじゃねーーーー!!!!!」
「ん? どひた? そえよいぽまえらもくうか?」
行儀悪くベッドの上に横になったまま、もっふもっふLサイズのピザをかっ食らうクウハの姿がそこにあった。
「昨日腹の手術したやつがピザ食うな! しばらくは点滴で過ごせといったはずだ!」
「だって点滴ってひたすらぼーっとしてないといけねぇし、ひまじゃん? しかたねぇだろ。宅配ってこういう時便利だよなー」
一方的に引っこ抜かれたらしい点滴セットがさみしく窓際へ置かれている。アネストお手製の栄養剤がだ。栄養、カロリー、温度、すべてにこだわりぬいて作られたそれよりもピザのほうを選ぶ男。しかも堂々としてやがる。治そうという意志が全く感じられない。
「……叩き直す」
「へ?」
「その腐った根性を叩き直す! 健康にあぐらをかいて好き勝手するやつが俺は大嫌いだ! あと寝転がったまま物を食うな!」
(おお、聖霊が今までになく怒っている……)
アネストはぞっとした。こうなった聖霊はもはやアネストではおさえられない。
「俺は医者の言うことを聞かねぇバカが嫌いだ。てめぇが、そこまで言うこと聞かねぇってんなら俺にだって考えがある」
「へー」
それで?とばかりに首を傾げるクウハ。さらにもしゃりとピザへ食いつく。その様子が聖霊の癪に触った。
「アネスト!! 麻酔!! あと拘束具持ってこい!! 完治するまでベッドに縛り付けてやる!!」
「はあ~~~!? 聞こえませ~~~~~ん!!」
「拘束器具を出すのか。喜べクウハ。アレは中々使われない代物だぞ、主に身体が動いて怪我を悪化させないように使われるもので――」
「だからさぁ! 現実見てくれよ、俺ぴんぴんしてるだろ!? なのに治療治療って、まるで俺が怪我でもしてるみたいじゃねぇか!」
「してんだよ、実際!!!!!」
アネストが物置から消毒された拘束具を持ち出してきた。こういうところ、彼は手早い。さすが聖霊のサポーターだ。聖霊が力付くでクウハを押し倒し、その隙にアネストがクウハをベッドへ縛り付けていく。
「こんなところで息の合った連携を見せなくていい!」
「こうでもしなきゃおまえ好き勝手するだろう!?」
「畜生! 俺は悪霊だぞ! 呪い殺されてェのか!」
「うるせぇ、悪霊やら呪いやら怖くて医者できっかよ。呪い殺されたらそれこそ治療するまで付け回してやるからな!!」
うーんとアネストが口を挟む。
「聖霊は呪い殺しても多分気合いで蘇るぞ、彼はそういう男だ」
今後この先一生このうっとおしい男に霊となって付け回される。想像しただけでクウハは背筋が寒くなった。おそらく、いやまちがいなく毎晩枕元に立つ。そんなのはさすがにごめんだ。それ以前に悪霊である自分に悪霊がとりつくなんて笑い話にもなりゃしない。由々しき事態だ、沽券に関わる。クウハは口をへの字にすると、両手をあげた。
「降参、降参。ほらよ、これでいいんだろ? 俺は大人しくする。オマエらは治療という名の自己満足に勤しむ。そして俺をとっとと解放する、これでOK?」
「わかってきたじゃねぇか。最初っから素直に治療受けときゃいいんだよ!!」
かくして彼らの間に協定がかわされ、クウハは松本診療所へ寝泊まりする身になった。
なったのだが。
「ひま。超ひま」
「そうか、俺は忙しい」
「なんかさー、冷たくねぇー? せめて話し相手にくらいなってくれよ、俺様患者よ? 患者の要請よこれ」
「やかましい、俺はおまえの床ずれを防止するので手一杯だ」
「あーここに患者の希望を踏みにじる医者がいまーす。屋敷へ帰ったら幽霊どもへ、言いふらしてやろっかなー」
「どんな悪評を立てられようとかまわねぇが、おまえがひまだからっていちいち相手をしていられるほど俺は退屈じゃないんだ。だいたいそんなのはヤブ医者だと相場が決まっている」
「なんでだよ、どうしてだよ、患者の話を聞いて心を落ち着かせるのも立派な医者の役目だろ。なんだっけ、かう、かう……」
「カウンセリング」
「そうそう、カウンセリング。してくれねぇの? 茶ーしばきながらさ」
忙しいと言っているんだがなと聖霊は渋い顔。ちょっと彼の扱い方がわかってきたクウハだった。