SS詳細
星空に続く足跡
登場人物一覧
パライバトルマリンの潮風が吹き抜けていくシレンツィオの大通り。
真上に昇る陽光は燦々と降り注ぎ、夢見ルル家の白い肌を焼いていた。
美しいタイルの張られたホテルのロビーは日除けの為に広く開放的な作りになっている。
長く取られた日除けを吹き抜ける風は涼しく、日差しの強い地域特有の効率的な作りなのだ。
対照的なコントラストの向こうにはパライバトルマリンの海の色が広がる。
そのホテルからルル家は期待を胸に飛び出した。
「今日こそは勝負なのです!」
拳を握り天へと掲げるルル家。精一杯のお洒落をしたルル家はシレンツィオ・リゾート三番街セレニティムーンのホテルからスチームトラムに乗ってニュー・キャピテーヌストリートへと足を運ぶ。
街中に張り巡らされた線路を、ゆっくりと蒸気列車が横切るのを見送って、ルル家は洋服が売っている通りへ歩みを進めた。ここには沢山の有名ブランドがありお洒落な衣装が揃う場所だ。
ルル家が気になっていたのは、以前この辺りで見かけた『ソニアリカ』という服屋。
つばの広い帽子や可愛らしい水着やサマードレスなんかが売っている夏仕様のお店である。
「……いらっしゃいませ」
広い店内は涼しく、柔らかな絨毯がサンダルの裏を優しく支える。
お目当ての水着は店の中央に並べられていた。
ピンクや水色、フリルの付いたセパレートに黒ビキニ。色々な水着が並んでいる。
ふと、鏡に自分の姿が映り込んだ。
白い肌と愛らしい緑瞳、風に揺れる美しい金髪。すらりと伸びる手足と程よい胸の膨らみ。
ルル家は申し分無い美少女である。
しかし、己が好意を寄せる天香遮那の目には『親友』としてしか映っていない。
普段は傍仕えとして袴を着ている事が多いから、このシレンツィオで水着姿を見せつけ、少しでも女性として意識してくれればと思っているのだ。
「何かお探しですか?」
どの水着が良いか唸っていたルル家へ控えめに尋ねて来た店員へ振り向く。
「ええと、その。と、『友達』とランチへ行って、海で遊ぶのですが」
頬を染めてしどろもどろになるルル家の台詞に『デート』であることを察した店員は幾つかの水着を持って来た。
試着室のカーテンが開かれ出て来たのは、ペールグリーンのセパレート。白いフリルがついた可愛らしい水着姿のルル家だ。
「子供っぽすぎますかね?」
「なるほど、じゃあこちらは?」
次に袖を通したのは、かなり際どい真っ赤なビキニだ。大分が紐である。
「いやいや……これは捕まるのでは」
首をぷるぷると振ったルル家は別の水着を店員に求めた。
「こちらなんかはどうでしょう?」
先程よりは布面積は多くなった。胸元と腰のラインに数本の紐が結ばれた大胆な黒い水着。
ホルターネックにはフリルリボンが揺れて愛らしさもある。
これなら遮那もドキドキしてくれるに違いない。そんな予感があった。
「……これにします!」
ルル家は勢い良く店員に告げ、水着の上へ洋服を着込み満足そうに店を出る。
水着のお披露目は海に行ってから。まずはランチの約束があるのだ。
「遮那くん!」
「おお、ルル家待たせたか」
照りつける陽光の下、手を上げて近づいてくる遮那は、いつもの袴姿とは違う海洋風のファッションに身を包んでいた。白と水色のストライプのシャツに麻の七部丈のパンツスタイル。ヒールが高めのサンダルは海の星屑のモチーフがお洒落だ。リゾート地には相応しい固すぎないラフなファッション。
「遮那くんもこっちで洋服を買ったのですね!
「ああ、豊穣に来る商人が用意したものとは違って、沢山の中から自分で選べるのが楽しかったぞ」
「ルル家も何か買ったのか?」
笑顔で顔を覗き込んでくる遮那には、まだとっておきの水着は内緒である。
「ふふふ、それは後でお見せしますよ! それよりもランチ行きましょう!」
「そうだったな。今日は其方の誕生日祝いだからな。好きに振る舞うといい」
お手をどうぞと差し出された手に指を乗せ、ルル家はレストランへの道を歩いていく。
二人の長い髪を風が遊ぶように揺らした。
「そういえば、遮那くんは風の精霊種なのですよね?」
「おうとも。こうして風を纏わせる事が出来る」
ルル家の周りを爽やかな風が渦巻く。遮那の指先から吹いているらしい。
「こっちは豊穣よりも暑くなくていいのう。からりと晴れておる」
「ああ~、たしかに。向こうは湿気が多いですからね」
遮那とルル家がランチに選んだのは開放感のある白い建物のレストラン。
高い天井のアーチは美しい青に彩られ、点々と調度品が壁際に並べられていた。
つるりとしたタイルの廊下を歩いて、景色の良いテーブルへと案内される。
「私はこれにしようと思う」
遮那が指差したのは彼にしては珍しい料理――ジャンバラヤだった。
「やっぱりお米が好きですね。遮那くん」
「そうだのう。主食というのもあるが、色々な米は食べてみたいのう……そういえば、このあとはビーチに行くのだろう? しっかりと食事は取らねばな」
「そ、そうですね……!」
突然ビーチの話しを振られ、肩を跳ねさせるルル家。
服の下に着ている水着を遮那は気に入ってくれるだろうか。ドキドキしてくれるだろうか。
そんなことばかりが、頭の中を駆け巡る。
ぎゅっとスプーンを握り締めたルル家を遮那は心配そうに見つめた。
「大丈夫か? 何か考え事をしているようだが。もしかして体調が悪いのか?」
「いえ! 大丈夫ですよ! それよりも、料理が来ましたね。さっそく頂きましょう!」
スパイスの効いた辛めの肉と野菜、米の味に遮那は目を輝かせ「美味しい」と笑顔を見せる。
――ルル家の胸は高鳴っていた。
ついに遮那の前に水着を見せる時が来たのだ。
パラソルの下でルル家が着替えてくるのを水着姿の遮那は待っていた。
燦々と降り注ぐ日差しとパライバトルマリンの水面。
豊穣とは違った海の色彩に遮那は思い耽る。
「遮那くん……お待たせしました」
「おお、ルル家来たか。早速、海へ行こうぞ!」
海で遊ぶことを、とても楽しみにしていることがよく分かる、純粋な遮那の笑顔。
「は、はい!」
ルル家は遮那の笑顔に連れられて、波打ち際へと歩いて行く。
ざぶんと波の中に勢い良く入った遮那を追いかけるようにルル家も海の中へ飛び込んだ。
「ぷはっ! 海の中も綺麗だのう!」
「……えと、そうですね」
遮那の態度はいつも通り。ルル家の水着を見ているかも怪しい。
いや、遮那が楽しそうなのは嬉しいのだが。それはそれとして、この大胆な水着を見て何か。
「おっと、遊ぶばかりだと水分を奪われていくばかりだからな。飲み物を買ってくる」
何かこう。あるのではないかと期待していたのだ。
遮那が恥ずかしがって意識してくれるとか。そういうのを。
「味がトロピカルフルーツとレモンサイダーがあってな。迷ったからどっちも買ってきた」
タオルで身体を拭いていたルル家に遮那がジュースを手渡す。
「二人で分ければ問題無いだろう?」
やはり、この距離感。全く女として見て貰えていないのではないか。
ルル家の頭の中に『親友』という言葉が重くのし掛る。
パライバトルマリンの水面が何処か寂しい色に見えた――
ビーチサイドには遊びに来ている観光客の為にお土産が売っている店が建ち並ぶ。
遮那は其処で買いたいものがあるのだとルル家に告げた。
水着の上にパーカーを羽織った二人は、ゆっくりと店の中を見て回る。
「何かお目当てのものがあるんですか?」
「そうなのだ。屋敷の女房達への土産を一緒に考えて欲しくてな。側仕えの其方なら彼女達の好みも分かるかもしれんと思ってな」
確かにとルル家は頷いた。天香邸に住む女房達は遮那の先進的な思考に感化され、異国の物を受入れて楽しむ事も多くなった。頑なに受入れない姿勢を取るよりは許容して楽しんだ方が上手く行く事を知っている。
こうして、頼りにされることはルル家にとって誇らしいことだった。
側仕えとしての誉れであるだろう。
「これなんかはどうですか? 鉄帝の絡繰り仕掛けの小箱です。豊穣にも多少はありますが、こうした本格的な技巧は見ているだけで楽しいと思います。何より綺麗ですしね!」
ルル家が手にしたのは、金属製の小箱だった。
はめ込まれたガラスがステンドグラスのようで調度品としても美しい。
「流石はルル家だな。私には無い知見がある」
「へへ。どんな事でも聞いて下さいよ。この夢見ルル家に不可能は無いのです!」
腰に手を当て胸を張るルル家の頬をつんつんと突く遮那。
「では、次は髪留めを選んでほしい」
「いいですね。遮那くんの黒髪に似合うのは、やはり豊穣の自然を思わせる色ですね。草木や花の色合いで探してみましょう」
普段は浅葱色の髪留めを着けている。ならば桔梗色や蘇芳色も映えるだろう。
どの色合いが好きかと問いかけるルル家に、遮那は二つ選んだ。
「私はこっちの蘇芳色を使うから、其方はこっちの桔梗色を使えば良い」
「お揃いですね! ふふふ、嬉しいです!」
先程までの落ち込んだ顔が嘘のように、楽しげな笑顔を見せるルル家。
「どうですか! 早速着けてみました」
「おお、似合うぞルル家……どれ、少し角度がおかしいな」
ルル家の後に回った遮那は、金色の髪を一度解いた。
「遮那君は髪の毛の扱いが上手ですよね」
「まあ、自分の髪が長いからのう。整えるのには日々の努力が必要だ」
腰につけたポーチから小さな半円の櫛を取り出してルル家の髪を梳く。
「だから、いつも髪が綺麗なんですねぇ」
「よし、出来たぞ……ほら鏡で見てみろ」
ポーチから鏡を取り出した遮那はルル家の前に差し出した。
鏡越しに蘇芳と桔梗。お揃いの髪飾りを着けた遮那と目が合う。
それだけで、ルル家の心は幸せな気持ちでいっぱいになった。
ビーチへと戻った遮那とルル家は再び海へ潜る。
海の中は豊穣の青とは違い、パライバトルマリンの水面が揺れていた。
遮那は空気の層を自身の口鼻の周りに纏わせ、呼吸をしながら潜る。
水面の形は変わらないのに、色合いがこんなにも鮮やかで幻想的なのだ。
「ここの海は美しいな」
海から顔を出した遮那はルル家の手を取って笑顔を向ける。
手を繋いだまま水面へと浮かび上がった二人は、波に揺られるまま陽を浴びた。
楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
気付けば太陽が僅かに傾き、空が橙色へと変化していた。
「そろそろ、上がるか」
「もう夕方ですか。早いですね」
今日はとても楽しかったとルル家の心は満たされる。
素敵な誕生日だった。
イレギュラーズとして戦いの日々を過ごすルル家にとって、静かで楽しい一日はそれだけで幸せの象徴であるのだ。だから、これ以上望むことなんて無い。
そのはずなのに。
夕暮れに染まる遮那の横顔を見ていると、心が張り裂けそうになる。
もっと、傍に居たい。触れたい。心を通わせたい。
際限なく溢れる思いがルル家の心を内側から叩く。
以前ならば押さえ込めていた情動は、もうコントロール出来ない。
ルル家が自らの意思で、それを解き放ったからだ。
それまでのルル家は陽気で溌剌とした元気な少女だった。元の世界で任務を行う度に傷付いた自我を守るため感情を押し込める処置を施した。時が経つにつれて歪に歪んでしまったそれを、友人達と共に解放した。
それが一度遮那の元を去った理由でもある。
負の感情も正の感情も、全てルル家が受け止めていかなければならなかった。
その余波で眠れない夜も過ごした。シャイネンナハトの夜に泣きじゃくるルル家を遮那は優しく抱き留めてくれたんのだ。
これまでの思い出が、ルル家の心の中に溢れる。
感情が煌めいて頬が染まる。
今日は特別な日で。誕生日で。
だから、少しだけ我儘を言っても良いんじゃないかと思ってしまう。
少しだけでもいい。女として意識してほしい。
恋という焦れったい衝動を知って欲しい。
その先の事はまだ考えられないけれど、ただ自分の気持ちを遮那に気付いて欲しいのだ。
恋人になるとか結婚するとか、そういう話しではない。
純粋な恋心を、ただ知ってほしい。それがスタートラインだと思うから。
「あの、遮那くん……!」
「どうした、ルル家?」
「今日は、誕生日なので、海で遊ぶし水着を買ったんです」
遮那が座っているチェアの端へと腰を下ろすルル家。
黒い水着。胸元と腰のラインが紐で結ばれたビキニ。大胆で扇情的で。
ルル家が『女』であると示すもの。
近づいて来るルル家の指先に怪訝な表情を見せる遮那。
視線を逸らし、立ち上がろうとする遮那をルル家は抱きしめた。
チェアが軋みを上げ、オレンジ色に染まる細い腕が遮那を強く引き留める。
「遮那くん」
「やめろ――!」
低く聞いた事の無いような声で、ルル家の手を振り払った遮那。
怒ったように何も言わず荷物を持った遮那は、ルル家を振り返りもせず砂浜を歩き出す。
「遮那くん……、待って」
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
怒らせてしまったのだろうか。そんなにも抱きつかれるのが嫌だっただろうか。
ルル家の顔から血の気が引いていく。
身体の中心が裏返るような気持ち悪い感覚に襲われた。
さっきまでは、手を繋いで楽しく海ではしゃいでいたではないか。
それがどうして、急に拒絶されてしまったのか。
抱きついたからではあるのだろう。後悔がルル家の中に渦巻く。
橙色が落す影が濃くなって、長く伸びていた。
夕闇の砂浜でルル家は一人ぽつんと座っていた。
沈んでしまった夕陽を追いかけるように淡紫が空を覆い、その後から紺青が広がる。
膝を抱えたルル家は顔を伏せて思い耽ていた。漣の音は何処か寂しくルル家の耳朶を打つ。
「遮那くん……」
唇から漏れる名前。
先程の遮那の顔が脳裏を過った。
此方に視線を合わせようともせず、振り払われた手。
少しでも異性としてみてくれているなら、そんなにも拒絶はしないだろう。
「はぁ……」
ルル家は肩を落し指先で砂を触る。
抱きつかなければよかった。気分が高揚していたと自覚はある。
でも、好きな相手を前に冷静で居られるほどルル家は大人では無い。
例えばこれが、感情を解く前であればスマートに距離を詰める事が出来たかもしれない。
けれど今は、怒りも悲しみも全部ルル家の中に存在する。
「うー……嫌われてしまったのかな」
少しでも触れたくて、近づきたくて。溢れる思いは止められなくて。抱きついてしまった。
嫌われてしまっただろうかとルル家の心に暗い影が落ちる。
己の失敗を受入れてくれない相手の責任に転嫁するのは、精神の安定を図るための本能的な思考回路なのかもしれない。自己肯定は生きて行く上で必要不可欠なものだ。
「ううん。そうじゃない」
ルル家は落ち込みそうになる自分の思考を自ら否定する。
遮那はそんな事で自分を嫌うような性格ではない。
高潔で純粋で、前に向かって強くあろうと努力する男だ。未熟なのは否めない。それも本人は分かっているのだろう。だからこそ誠実であらんとする。
もし、ルル家に気に掛かる部分があるならばそれを伝えてくるし、大抵の事は許容してくれるはずだ。
そんな男が、先程のルル家の手を拒絶した。
「……どうして? わからないよ」
思考が堂々巡りして、涙となって零れ落ちる。
「ルル家殿?」
名前を呼ばれ顔を上げれば、何故こんな所にと首を傾げる浅香灯理が居た。
「どうしたの? 一人かい?」
ルル家の隣に座った灯理は気遣うように問いかける。
「その……遮那くんと喧嘩というか」
「おや珍しいね。遮那がルル家殿と喧嘩するなんて。何か気に障るような事でもされた?」
灯理の声に先程の拒絶の手が脳裏に過った。
思い出すだけでも、次から次へと涙が零れ落ちていく。
「うぅ……。遮那くんに嫌われてしまったかもしれないんです。拙者が、楽しくて勢いで抱きついてしまってそれで、振り払われてしまったんです」
ぼろぼろと大粒の涙を零すルル家に眉を下げる灯理。
灯理の指先はルル家の頬へ伸ばされ、触れる寸前で止まる。戸惑う様にぎゅっと握り締められた指先は力を無くし砂の上に落ちた。
「君の涙は美しい。この手で掬ってあげたいぐらいだよ」
愛らしい瞳に浮かぶ雫を笑顔に変えられたなら、灯理の心は嬉しさで満たされるだろう。
もしこの少女が傍に居てくれるのならどれだけ幸せであるのだろう。
けれど、その涙は灯理の為に流したものではない。
「えと……灯理くん?」
思いがけない言葉が降ってきて、困惑した瞳を上げるルル家。
ルル家にとって灯理は『遮那の親友』だ。
涙が美しいという甘い言葉を掛けられるとは思っていなかった相手。
そんなルル家の混乱を察した灯理はポケットからハンカチを取り出す。
「ふふ、これ使って。折角の愛らしい顔が大変なことになってるから」
「あわわ……!?」
灯理からハンカチを差し出されて、ルル家は自分が酷い顔をしている事を自覚した。
顔を真っ赤にしてハンカチに顔を埋める少女に灯理は微笑みを浮かべる。
「……ほら、お迎えが来たよ」
灯理と共に視線を上げれば、砂浜の向こう側から遮那が歩いて来ていた。
歩いてというには、速度が結構速い。
「ルル家……」
少しだけ肩で息をした遮那は、己のサマーパーカーをルル家に被せる。
「もう暗いぞ」
「……」
肩に掛かったパーカーを引き寄せたルル家は泣き腫らした目で遮那を見つめた。
「遮那がルル家殿を泣かせるなんて珍しいね。手を振り払ったんだって?」
「いや、それは……」
灯理は肩を竦め遮那とルル家を交互に見遣る。
「ルル家殿は君に嫌われてしまったのではないかと、えんえん泣いていたよ?
もう少しやり方というものがあるんじゃないかな?
そりゃこんなにも魅力的な水着を着て抱きしめられたら恥ずかしくもあるだろうけどさ。
ここに飛んで来たのも、向こうから見てたからでしょう?
ルル家殿の隣に男が居るって慌てて来たんだろう。だったら最初から隣に居てあげればいいのに」
「ずけずけと物を申すな灯理よ。そうは言ってもその時は、仕方なかったのだ」
灯理の前では子供のように感情を露わにする遮那。的確な指摘に頬を膨らませている。
「ふーん? じゃあこの後ルル家殿と食事に行くけど、別に良いよね? 一人で放りだして泣かせているんだから。他の男に連れて行かれるよりは僕の方が良いんじゃない?」
悪戯な笑みを浮かべる灯理の言葉に遮那はぐっと息を飲んだ。
「……ルル家が、行きたいなら止めはせぬ」
「んふふ、余裕だねぇ。それってルル家殿が僕と自分だったら自分を選ぶって思ってるからでしょ。駄目だよそういうのは、きちんと伝えてあげなきゃ。女の子を泣かせちゃだめ」
仕方が無いなぁと遮那の頭を撫でた灯理は親友をルル家の前へ立たせる。
「自分の行いで傷付いた人がいる。だったら、真っ先にするべき事は……」
「分かってる。皆まで言うな灯理」
恥ずかしげに灯理へと視線を向ける遮那は、心配性の親友に眉を下げた。
「……じゃあ、僕は吉野と明将を連れて夕食を食べにいくから。また、ね」
灯理はルル家と遮那を見つめ目を細める。
敵わないなと思ってしまうのだ。そう再確認してしまった。
失恋にも満たない思慕と、それ以上に。この二人が並んでいる姿が、灯理にとって守りたいものだから。
二人取り残された砂浜に群青の星空が広がっている。
遮那は大きく息を吸い込み、ルル家に視線を合わせるように砂の上に膝をついた。
出会った頃はルル家の方が大きかったのに、今では屈まなければならない程に成長した遮那。
夏の日に出会い、思い出を重ね、救う為に命を賭した。
遮那が安心して背を預けられるのは『親友』であるルル家なのだ。
それでも、一度は遮那の元を去ったルル家。
遮那は本懐を遂げんとする彼女の背を見送った。その時も夏の夜だった。
必ず帰って来ると、信じていたからだ。
「ルル家、さっきはすまない。手を振り払ってしまった」
「理由を聞いてもいいですか? 遮那くん」
真っ直ぐに緑瞳を遮那へと向けるルル家。
「……其方は私の親友だ。傍に仕え仕事を手伝ってくれる良き相談相手だ。一番近くに居てくれる。
私はルル家のことを信頼しているし、背を預けるのは其方が良いと思っておる。
だが、今日のルル家は愛らしく魅力的だった。親友をそういう目で見るのはいけないと思ったのだ。
務めて冷静にいようと努力したが、抱きつかれて驚いてしまった」
普段は親友として接している少女が、自分の為に愛らしい水着を用意して来たその意味を理解できぬ程子供ではなくなったという事なのだろう。
「恥ずかしかったのだ。すまない」
顔を真っ赤にしてルル家を見つめる遮那。
恥ずかしさのあまりルル家の手を振り払い泣かせてしまったから。
今度はきちんと真摯に向き合う意思をしめす。
「……遮那くん」
ルル家は涙を浮かべ遮那へと抱きつく。少年から青年へと移り変わる遮那の体躯。骨張った腕がルル家の身体を優しく支えた。
遮那はルル家の背へ視線を落す。羽織ったパーカーの裾から見える丸みを帯びた臀部に目を瞠った。
汗が噴き出す感覚に唇を噛みしめる遮那。
思えば、ある年のお年賀で送られてきた一枚のブロマイドが全ての始まりだったのかもしれない。
送り主の男を思い浮かべ天を仰ぐ。
「そうだ、ルル家。渡しておくものがあった」
身体を離した遮那はポケットから小さな小包を取り出した。
「二十歳の誕生祝いだ。おめでとうルル家」
小包を目の前で解いて出て来たのはゴールドチェーンのネックレス。
一粒の美しいエメラルドとサイドストーンにダイヤモンドを飾ったもの。
「ありがとうございますっ、遮那くん!」
満面の笑みを浮かべるルル家の頭を撫でて、遮那も嬉しそうに目を細めた。
「では、ディナーへ行こう。ルル家にはお酒を用意して貰っているのだ」
「なんと! 嬉しいです!」
カランとグラスの重なる音が聞こえる。
揺らめくキャンドルの灯りが、遮那とルル家のグラスに反射して煌めいていた。
テーブルの上に並べられた前菜は生ハムとアボガドを使ったもの、それにオレンジと人参のラペ。
豊穣では見られない海洋のディナーに遮那は目を輝かせる。
「うん、美味しいなルル家」
「そうですね。この人参の前菜は甘酸っぱくて良いですね」
ルル家はラペを口に食んだあと、グラスの桃の果実酒をゆっくりと揺すった。
その仕草が何時もより大人びて見えて、遮那は琥珀の瞳を細める。
「其方が二十歳というのは少し驚いてしまうのう。最初は私と変わらぬぐらいかと思っていたのに」
「ふふ、もうお酒が飲めてしまうんですよ。一足先に大人になっちゃいましたね」
グラスを手にしたルル家はジュースのような桃の酒を舌に転がした。
キャンドルに照らされた唇が濡れて、咄嗟に視線を逸らす。
水着にしてもそうだが、今日のルル家は一段と可愛らしく見えてしまうのだ。
親友として側仕えとして接してきた彼女が、魅力的に映ってしまうのは、今日が特別な日だからなのかもしれない。出来れば明日からは、普段通りで居たいのだが。一度気になってしまったものを、元に戻すのは大変な努力を要するものだ。だからこそ、先程はあんな態度を取ってしまった。
だが、それで泣かれてしまうのは、本意では無い。
遮那はルル家の笑顔が好きなのだから。
「しかし、ルル家よ。少し飲み過ぎではないか?」
「そう、れしか……?」
ディナーも食べ終わり、話しに花を咲かせていた二人。
顔を真っ赤にして呂律の回らなくなったルル家を前に遮那は困った様に眉を下げた。
「たのし、れすよ?」
「そうかそうか。それは良かった。もう帰ろう」
「あい……」
素直に立ち上がったルル家の上半身がぐらりと傾ぐ。
視界がスローモーションで動き、その端に遮那の姿が見えた。
「うわっ、ルル家しっかりするのだ……仕方ないのう」
余程楽しかったのだろう。酔いながら笑みを浮かべるルル家を抱き上げ店を後にする遮那。
「う……ん、しゃにゃくん」
「ふふ……夢まで私と一緒に居てくれるのか?」
ルル家の胸元に光るネックレスがコロンと揺れた。
共にお酒を飲むのはまだ随分と先だけれど。
その時までこうして……その先もずっと傍に居られたらと遮那は星に願う。
遮那の足跡が、群青の砂浜に長く、長く続いていた。