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氷炎の邂逅
登場人物一覧
●冰宮 椿 (p3p009245)のせかいのはなし
わたしのせかいは、この小さなおへや。
とてもかたい仕切りが、あっちとこっちのさかいめにあって。あっちには行ったことがない。
行かなくていいといわれているから。わたしはここにいればいいの。
おいしいものを食べて、ゆっくりねむって、不満なんてひとつもなかった。
――
●焔宮 ■ (p3p000246)とつばきのはなし
高い場所に設けられた小さな窓から光が差し込んで、瞼の裏を明るくする。むずがるような少女の呻き声が
最初のそれから暫し――その間にはそれなりに目覚めと葛藤する時間があった――してから、ようやく少女が起き上がる。さらり、と柔らかな銀糸の髪が重力に従って垂れた。
「ぅー……」
光が少女へと降り注いでいる。それはいつまで経っても慣れることなく眩しくて、遮るように顔を下へ向けてしまう。けれどご飯が来るまでに、支度をしておかなくちゃ。
冷たい水で顔を洗って、それから着替える。持っている服から選ぶのは大した時間もかからないし、着付けだって1人でさっと出来てしまう。けれどそんなことをしている間に朝ごはんはやってきてしまって、彼女は慌ててそれを取りに行ったのだった。
それから昼までは鞠で遊んで、疲れたらちょっとお昼寝して。起きたらまた遊んで、暗くなる前に夕ご飯を食べたら寝る支度をして、就寝。夜の光が明るい時は寝られなくて夜更かししてしまうこともあるけれど、この部屋に灯りは存在しない。少女も灯りというものを知らない。
健康的に、従順に、無知に、無垢に、育て上げられていた少女は――その日だって"本当の世界"を知らずに1日を終える予定だったのだ。
(なんだか……にぎやか……?)
空になった食器を下げられてから少し。遠くがなんだか騒がしい気がする。この部屋のあたりはとても静かで、膳の上げ下げに同じ人が来るくらい。たまに別の人も来るけれど、結果としては酷く静かな場所だった。
少女にとってはそれが当たり前で、疑問にすらならない程度のことだったけれど、そこに小さな小石を投げられたように波紋が生じる。一体今日はどうしたのだろうと疑問が生じる。
けれど少女は何も出来ないのだ。部屋の向こうには行けないし、ここから外に行きたいとも思わない。だから何かがあれば誰かが教えてくれる他ないのだけれど、少女に教える者は誰もいない。
そんな事実すらも知覚しないまま、少女は只々なんだろうなあと思うだけなのだった。
ふわあ。小さく欠伸が漏れる。考え事をしたから疲れてしまったのだろうか。少し早いけれど寝てしまおうか。けれど起きたら夕方になってしまいそうだ――。
――カタンッ。
「……?」
何の音だろう。少女は部屋の外を見た。暗い先を見通す力はないけれど、そちらの方で聞こえたと思う。物心ついてから聞いたことのない物音だ。それから続いたのは足音。けれどいつもの人ではない。ゆっくりと進んでくるそれは規則的ではなく、けれど確かに近づいてくる。
「……女の子、なの?」
暗がりから発された声に少女は目を瞬かせる。答えられずにいると、その相手は暗がりからそぅっと出てきた。
自分とも、膳を上げ下げする人とも、たまに来るあの人とも違う人。さらさらとした金髪から柔らかそうな――耳? だろうか――が覗いていて、くりっとした瞳がこぼれんばかりに見開かれている。その後ろからふわりと、何かが揺れた。
初めて会った女の子は、種族からして全くの未知であったのだ。わかることは、自分と同じ言葉が喋れるということだけ。
「ねえ、どうしてそこにいるの? 悪いことしたの?」
「わるいこと……?」
かくりと首を傾げる。悪いことも何も、生まれた時から自分は此処に居るのに。
そう告げれば、ぴしりと相手が固まった。どうしよう、こういうときどうすればよいのか分からない。
相手が緩慢ながらも動き出したのは少し後の事で、相手は少女の名前を問うた。
「つばき。あなたは?」
「■っていうの。つばきさんはずっとここにいるの?」
こくりと頷けば、次は何をしているのかと問われる。いつも変わらないから、昨日の事を話せばよいだろうか。
「起きて、朝のしたくをしたらご飯をたべます。それから少しあそんで、つかれたら寝て、暗くなるまえにご飯をたべて。あとは寝るだけです」
「……絵本とかも読まないの?」
「えほん?」
きょとりと首を傾げる。それはどんなものなのだろう。対する■はこの少女が絵本も知らないことに驚愕していた。
■から見れば少女は明らかに年上だ。だというのに■よりもずっと幼げで、子供らしい。見ればその
(どうして、こんな……)
つばきと名乗った少女が閉じ込められていることは、幼い――魔種にもならず、"鳴"でもないただの少女――■でもわかること。だというのに本人はその自覚がなく、ないからこそこんなにも幸せそうに1日を語るのだろう。
けれど■は幼いながらも、当主の血筋だ。長女でなくとも教育は施されており、本質はまだまだ子供であっても、内面に宿すものは同年代の他の子供より大人らしくなっていた。故に、この異常性をはっきりと感じていた。
「……つばきさんは、誰かに何かを教えて貰っているの?」
「え? はい、少しずつですけれど。ここまで来て、教えて下さる方がいますよ」
だって外は危ないから。危ないものから守ってくれている人たちが、その時間を割いて自分にものごとを教えてくれるのだと彼女は言う。
(あぶない……? たしかに怖いこともあるけれど……)
違和感に違和感しか重ならない。むむむと眉根を寄せた■に、つばきは小首を傾げた。
「……どうしたのですか?」
「……、……つばきさん、外はあぶないばかりじゃないの」
少女の境遇をなんとかしてあげたい。けれど他家の話においそれと首を突っ込むわけにもいかない。ならばまず自分自身で少しでも外を知り、外に出たいと言う気持ちを持つところからだろうと■は彼女に外の話をしてあげる。
例えば、どこまでも広がっている青い空。
例えば、四季折々に見られる木々や花畑。
例えば、指先が赤くなるほどに冷たい雪。
例えば、海の近くから運ばれてくる潮風。
所作や言葉遣いは他人から教わっていても、それ以外は知らない事ばかりで。花とは何か、雪とはなにか、海とは――そのように些細なものまでも質問を重ねていく少女は、只々純粋で無垢で、無知だった。
「雪はまっしろで、ふわふわしていて、でも触るとつめたいの!」
「ふわふわ……■様の"それ"のようなものでしょうか」
少女の視線が■の後ろ、ゆらりと揺れる尻尾に注がれる。これとはちょっと違うの、と言えば少女は視線を■の耳へ移した。
「その、あたまの上にあるものも……はじめて見ました」
「そうなの? ■はブルーブラッドって種族なの。つばきさんのその翼と同じようなものなの」
■の言葉に少女は自身の肩越しに背中を見やる。そこには純白の翼が生えているのだ。
(これとおなじ?)
いまいちしっくりこなかったが、■がその翼がない代わりに耳や尻尾がこうなっているのだと言えば、なんとなくわかったようなわからなかったような。
「外にはもっといろいろな種族の人がいるの。ええと……魚みたいな人もいるの」
「魚みたいな、人……?」
■もそこまでまじまじ見たことがないと言う事もあり、海種に対しての例が少しばかり雑である。少女は身体にひれがついているだとか、表皮が魚の色をしているだとか、顔が魚になっているだとか、色々な想像をしてみたが――さて、どれが本当なのか。あるいはどれも本当なのか。
沢山の話をして、沢山の質問を交わした。初めは自分の置かれた境遇に満足している様子だった少女も、言葉を交わせば交わすほどその様子は曇っていった。
本家の者だというのに、できることはあまりに少ない。そう思いながらも――■は思ったより時間が過ぎていたことに、鉄格子の嵌った窓から差し込む光で気づく。
「そろそろ行かないといけないの」
「■様、」
「もし来られたら、また来るの。またお喋りしたいの!」
そう微笑めば、少女もまた微笑む。会ったばかりの頃に見たそれより、大分ぎこちなく。
もっと話したかったのは事実だが、これ以上いれば怪しがられてしまうかもしれない。
(どうしよう……あ、お昼寝しちゃったことにするの)
ちょっと寝こけてしまったと言えば、多少お叱りを受ける程度で済むはずだ。本家の者とはいえ、他家で昼寝をするとは何事だという話にもなりそうだが、それはそれ。
■は座敷牢のあった場所から出たことを悟られないよう、周囲の気配に注意して出ていく。それから適当な所をぐるりと回って――当初の通り他家で探検していたていを装って、家族の元へと帰っていった。
●
一方、残された少女は早々に布団へ入っていた。今日ばかりは夕餉も入る気がしない。
(外は……危ない場所ではない……?)
この場所が安全なのだと言われていて、信じていたから。疑問もなくこれまで過ごしていた。
けれど■と名乗った少女が話す外の世界はあまりにも魅力的で、本当に危険ではないのか
(わたし、うたがっているの……?)
この小さな世界を。この生活を。あの人を。
けれど、その夜で全てを整理できるほど容易なものではなく、少女は考えている途中で眠りにつく。
もし、もしもそうなのだとしたら、わたしの周りは