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妖怪の宿命
登場人物一覧
気が付いたら真っ暗な闇の中にいた。
妖怪だから闇は怖くない、寧ろ心地よいはずなのに何も聞こえない何も感じない暗闇が今はなぜだか怖くて、気づけば鏡禍は走り出していた。
前へ、前へ、暗闇以外のものを探して当てもなく駆ける。走っているのに自身の足音が聞こえない、次第に荒くなっているはずの呼吸音すらも、何も。それがまた恐ろしくて、走る足に力を籠める。前へ前へ、身体の向いていている方へ。
トスッ、トスッ、トスッ。
不意に耳に飛び込んできたのは何かを突いているような音だった。どうしてそんな音が聞こえるのかよりも先に、無音の世界で音が聞こえたほうのが嬉しい。音の聞こえる方へ身体の向きを変え、走っていく。
相変わらずの暗闇だけど走れば走るだけ明確に音源に近づいていくのがわかる。
(きっと音源には音を立てている『誰か』がいる)
そんな希望に胸を膨らませ、とうとうたどり着いた先にいたのは人影と塊だった。
着物を着た全身血まみれの女性が刀のようなものを赤黒い塊に対して執拗に突き刺している。トストスと聞こえた音は刀が勢い良く突き刺さり塊が跳ねる音だった。
「え、あ……これは……」
この光景を鏡禍は見たことがあった。蘇る記憶、忘れていた『自分が自分になった日の記憶』のこと。失恋に苦しみ、付き人を殺し、果てに呪いながら自分の命を絶った女。その女性が再び目の前にいる。
とても見ていられる景色ではない。思わず後ずさるとピチャリと嫌な音がして、素足にそれまでなかった濡れてまとわりつくような感触が広がる。視線を下げればいつの間にか真っ暗だった地面が血の池のように赤黒く染まっていた。
「アァァァァァァ!!!!!!!」
と、同時、甲高い叫び声が聞こえ下げた視線を上げる。血を踏んだ音かその前の呟きか、鏡禍の存在に気づいた女が刀を前に突っ込んできていた。反射的に右に転がって避ける。ビチャビチャとあちこちが濡れる音と生臭い匂いがした。
吐きそうになるのを堪え再び突っ込んできた女を今度は背負い投げの要領で投げ飛ばす。ドンッと鈍い音がしてそれきり動かなくなった。打ち所が悪かったのだろうか?
「あの……大丈夫ですか……?」
恐る恐る近づいて女の状態を確認する。彼女はピクリとも動かず、投げ出された手足はだらんとしていた。先ほどまであった狂気のかけらもない。そもそも胸が動いていない、息を、していない。見開いた闇の空を眺める瞳には光がなく……。
「……っ!?」
勢いあまって殺してしまった? その事実に息を呑み、震え、どうしようとにじみ出る怯えを『正当防衛だった』と必死で抑え込む。見ていられない女の姿に背を向けて、途方に暮れながら歩き出す。歩き出そうとした。
「あぁ、やっぱり殺すのね」
背後から声がした。知っている聞き間違えるはずのない大好きな声。ただいつも感情豊かなその声は氷水にくぐらせたかのように冷たい。
背後へ再び身体を向ける。たった一瞬の間に背後にあったはずの女の身体は彼女の、大切な恋人の姿に変わっていた。
倒れたままの姿であることは変わらずに、顔だけこちらに向けて、冷え切った青い瞳を向けている。心臓が鷲掴みにされたように苦しくなる。そんな目を向けないでほしい。嫌だ、苦しい。
「妖怪と人間じゃ幸せになれない。不幸になる。その通りだわ」
「違う、僕は、そんなつもりじゃ……!」
女を殺してしまったことは事故だった。そもそも彼女ではなかったはずだ。彼女を殺すつもりなんかどこにもないのに。
荒げた声は届くことはなく、彼女の瞳から光が消えた。冷たい表情だけを鏡禍に向けたまま。
「だから言ってるじゃないか」
見ていられなくてしゃがみこみ頭を覆った鏡禍にまた別の声が聞こえてくる。その声は自分にとても良く似ていた。きっと自分なんだと思う。もう一人のイレギュラーズではない妖怪の自分。
「人間と妖怪は恋をしたって幸せになれない。ずっとずっとそうだった、だろ?」
知っている。知っているとも。だからこそ、彼女に近づくことを恐れた。離れられなくなってしまったら自分の存在が彼女を不幸にしてしまうと思ったから。でも……。
「僕だって、幸せに、なりたい、のに……」
完全に結ばれなくとも、傍にいられる今の幸せを甘受することすら許されないというのだろうか。
「無理だよ。いつかこうやって彼女の命を奪う、不幸にする」
「聞きたくない」
「愛される資格がない。幸せになる資格もない。だって僕は妖怪なんだから」
「やめてください!」
叫んだ。突きつけられる現実を認めたくなくて。自身の大声を受けてからか聞こえていた声が遠ざかっていくのを感じる。クスクス笑いながら、幸せになんかなれないとずっとずっと囁き続けながら。
おまけSS『悪夢の後』
「……っ!?」
寝汗にぐっしょりとまみれた状態で鏡禍はベッドから飛び起きた。荒い呼吸を整えて周りを見渡せばよく知っている恋人の住む教会だ。窓から明るい日差しが差し込んできて朝だと告げている。
「夢……?」
どこからかトーストの焼けるいい匂いがしてくる。朝ごはんの用意をしてくれているのだろうか。
着替えることもなく部屋を出て台所へと向かう。身だしなみを整えていないのは良くないと思うが今はただ彼女の姿を見て安心したかったのだ。
自分はどうなってもいいから、どうか愛する人が不幸になりませんように。