PandoraPartyProject

SS詳細

ユリアン

登場人物一覧

シラス(p3p004421)
超える者
シラスの関係者
→ イラスト


 初めて人を殺したのは11の時だ。相手は二人目の親父……いや、その役割も果たせなかった屑さ。
 そいつはよく俺を殴ったし、おふくろも殴った。良くある話だって? まぁ、そうだろうな。だが、幾らありふれた喜劇だったとしても、当事者としてはたまったもんじゃない。実際に殴られるし、死にかけたこともあったからな。
 聞きたいんだが、これは正義の行いだと、お前は考えるか? 悪を倒すためなら、殺人も許されるかって事だ。まぁ、普通は許されないんだが、当時の俺は違ったよ。悪い親父を倒すことは――自分とおふくろを救うために相手を殺すことは正当化されると思っていた。ガキだったんだろうな。ま、今もそう年齢じゃかわりゃしないか。
 いずれにしても、俺はそいつを殺した。酔っぱらって、寝てた隙にな。楽だったよ。悪の魔王が、あっけなく、死んだ。悲鳴も上げなかった――いや、上げたかな。ぐっ、とか、そんな程度の。もっと大仰に死ぬかと思ってたけど、本当に、あっけなく死んだ。
 俺は、悪を滅ぼした快感に酔いしれていた――という事もなく、なんだか、こう、淡々としてた。こんなものなんだ、って思った。人が死ぬことも、人を殺すことも、俺にはなんというか……捨てる椅子をぶち壊す位の作業に過ぎないんだな、って思ったんだ。
 それから、俺はおふくろに報告したよ。あいつが魔王なら、おふくろは虐げられていたお姫様か。多少は感謝してくれるもんだと思ったけどな、そうでもなかった。
 ユリアン、貴方なんてことをしたの! そう言って悲鳴を上げたんだ。そしておふくろは、そいつの死体にすがって、泣き始めたんだ。そして俺を罵り始めた。俺が死ねばいいのに、ってな。
 正直、意味が解らなかった――おふくろも俺も、そいつには散々痛めつけられてきたからな。嫌ってるもんかと思ってた。でも、違ったんだ。おふくろは、そいつを、愛していたみたいなんだな。本気で。殴られても、金をかすめ取られても……正直、本当に、今でも理解できないんだが。
 おふくろは……もういいか、その女は、だ。俺はもう、そいつを家族だと思ってないからな。というか、その時気づいたんだよ。俺はたぶん、家族じゃなかったんだ。女は男を愛していたが俺を愛してはいなかったし、その逆もそうだ。俺だけが、宙ぶらりんのお荷物だったんだよ。俺は生まれた瞬間から、多分家族という概念から放り出されて生きて来たんだ。
 ……ま、しょうがねぇよ。そう言う事もあるよな。気にしてないかって? これが全然、気にならないもんでな。ああそうなんだな、と、こう、ストンと腑に落ちちまったわけだ。
 とはいえそう考えると、目の前でぎゃあぎゃあわめく女が鬱陶しくてしょうがなくてな。こういう時は、あの世で一緒に、ってのが人情だろ? だからまぁ、そのまま手に持ってた包丁で、女の胸を、な。
 ぎゃあぎゃあって喚きながら、そいつは死んだよ。やっぱり、特に何の感慨も浮かばなかった。あ、違うわ。五月蠅いのが静かになったから、ちょっとすっきりした。その程度だ。
 俺は家の中の金をかっぱらって、外に出た。少しばかり、開放感って奴を覚えたよ。そっからだな、俺がこっち側にいるのは。
 聞いてんのか、シラス。二回は話さねぇぞ。
 ま、飽きるのも仕方ねぇか。つまんねぇ話さ。ご清聴ありがとうございました、ってな。


 幻想の大通りを、一人の少年が駆ける。帽子をかぶった少年であった。年齢は13歳ころだろうか。息を切らせて走るその姿は、例えば何かを追いかけているというわけではなく、
「まて、このガキッ!」
 むしろ逆、少年こそが追われる側である。少年を追うのは、一人の大男であった。待てと言われて待つつもりはない。ちらりと後ろへと目をやれば、怒りに顔を赤くする男と目が合った。それが、男の怒りをさらに増幅させたらしい――その様子に、くすりと笑いつつ、少年は速度を上げた。
 走り際に、赤髪の少年とすれ違う――赤髪の少年は、白昼の追跡劇を、興味深げに見つめていた。
 大通りを走り、しばしの追跡劇が続く――だが、それは突然終わりを告げた。少年の前に現れたのは、袋小路だ。巨大な壁を前に、少年は足を止めた。続く足音もまた、止まる。
「もう逃げられねぇぞ!」
 少年の背後から声が響く。自身を追ってきていた、男の声。文字通り逃げ場のない状況に、少年は絶望した――かと思えばそう言う事でもなく、むしろにっこりと笑ってみせた。
「何か用か、おっさん」
「何か、じゃねぇよ!」
 気色ばんだ男が、少年の胸ぐらをつかむ。その拍子に少年の帽子が落下すると、黒い髪と、同様の黒い瞳が良く見えた。
「てめぇ、俺の財布盗りやがったな!」
 ふうん、と少年は笑った。つまりこの男は、少年をスリの類であると糾弾しているわけである。
「悪いけど、心当たりがない」
「な、訳あるか! ならなんで逃げたんだ!」
 少年が肩をすくめて、頭を振った。
「アンタみたいな、おっかないおっさんに追いかけられたんだ。そりゃあ怖くて、逃げ出してもしょうがないだろ?」
 言葉とは裏腹に、少年の態度には余裕が見える。自身に罪がない故の態度ではない。むしろ、罪を犯してなお、自分は決して捕まらないという余裕の色である。
「出せ」
「何を?」
「財布をだ!」
 男が、どなった。少年は笑う。
「持ってない――というか、そもそも取ってない」
「うそを言うな!」
 怒鳴る男。少年は臆せず、その男の瞳を見据えた。
「ホントだって。何なら確認してもらってもいい……服も脱ごうか? アンタ、そう言う趣味か?」
 男は乱暴に少年を突き飛ばすと、その両手でバシバシと、少年の身体を叩き始めた。些かのうっぷん晴らしも兼ねたボディチェックであり、少年は痛みに顔をしかめた。ポケット。腹。叩かれるたびに、男の表情に困惑の色がのせられていく。出ない。何一つ。少年が隠し持っているであろう物の感触が、一切感じ取れなかったのだ。
「お前……!」
 男が呻いた。
「だから、持ってないって。スラムのガキだからって、スリだって決めつけるのはよくないぜ、おっさん」
 挑発的に笑う少年――男は舌打ちをしながら、最後の憂さ晴らしに、少年を突き飛ばした。
「紛らわしい真似するんじゃねぇよ!」
 吐き捨て、ぶつぶつと文句を言いながら、男が離れていく。憂さ晴らしに少年を殴るような真似はしない程度のモラルを、男は持ち合わせていた。それは少年にとっても、幸運な事であったか。
 少年は立ち上がり、服についた土を払った。それから帽子を拾って、ぱたぱたと叩き、形を整える。被りなおして、にぃ、と笑った。
「まいどあり、間抜けなおっさん」

 少年は大通りに戻った。些かすねた瞳であたりを見やれば、綺麗な服を着た人々が、幸せそうに通りを歩いている。
 まったくもって、済む世界が違うな、と少年は思った。無性な居心地の悪さを、少年は感じている。それは、世界から否定されたかのような、そう言うどうしようもない拒絶感だ。
 顔を隠すように、帽子を深く被りなおした。自分の顔を見られないように。あるいは、外の世界を見ないで済むように。複雑な気持ちで大通りを進み、やがて巨大な、朽ちた門を通り抜ける。
 すえた臭いが、鼻を突いた。少年の世界に、当たり前のように感じる臭い。それは現実の香りではなく、雰囲気のようなものであったのだろう。
 朽ちた門を境に、切り替わる世界。ここはスラム。幻想のごみ溜め。幸せな外の世界から隔絶された、少年のフィールド。
 門を眺められる位置に、壊れかけた椅子が転がっている。少年は、それをふたつ、引っ張り出して、並べて置いた。片方に座り、門を眺める。足を組んで、膝の上に肘をついてみせた。門の外から見えるきらびやかな世界。遠い遠い、自分たちが生きていてはいけない世界。ため息をついてから、少年は口を開く。
「で、幾らぐらい持ってたんだよ、あのおっさん」
 そう呟いた瞬間、隣の椅子に、別の少年が座った。
 赤い髪の少年である。
「まぁ、そこそこだな。今日の飯代くらいにはなったよ、シラス」
 言葉と共に、赤髪の少年が、帽子の少年――シラスへと、何かを放った。受け止めてみれば、それは豊富な具材を挟んだサンドイッチであった。
「マジかよ、マジかよユリアン! レスターベーカリーの新作か!」
「おう、お前から金受け取ってからソッコーで行った! 運良く二つ残ってた!」
 赤髪の少年――ユリアンは笑う。つられて、シラスも笑った。
「いぇーい!」
「サンキュー、おっさーん!」
 ばしん、とハイタッチ。つまりこういう事である。
 シラスは確かに、例の男から財布をすり取った。だが、いつまでもその財布を、シラスは懐に隠してなどはいなかった。すれ違ったユリアンに財布を受け渡し、自身は身軽になったうえで囮として男を引き付ける。
 こうなれば、シラスが捕まったとしても、証拠は何もない。相手が本格的な無法者でもない限り、シラスはすぐに解放されるだろう。そして、本格的な無法者を狙わない程度の勘の良さを、ユリアンは持っていた。
 どれくらい、このような家業を続けて来ただろうか? 少なくとも、二人の少年がスラムで生きていく上で、盗みを選択したことはさほど最近の事ではない。そしてその手際の良さは、今回が初めてのスリではないことをよく表している。
 今日の成果――その結果手に入った食事をほおばる。想像通り、あるいはそれ以上の美味が、口中に広がった。
「生きててよかった」
 シラスが言う。その言葉は本来通りの意味というよりは、食事が美味い、という程度の意味だろう。
「……なぁ、シラス。飯、美味いか?」
 ユリアンがふと尋ねるのへ、シラスは頷いた。
「いや、そりゃ美味いよ。なんだ、マズいのか? 喰わないんなら俺が貰うぜ?」
 手を伸ばすシラス。その手をぴしゃり、とユリアンは叩いた。
「そうじゃねぇよ! 喰うよ! じゃなくてだな、飯が美味い、って事は、そう感じる余裕が出て来たって事だろ?」
 ユリアンの言葉に、シラスは唸った。
「ははぁ、なるほどね、そう言う事」
 サンドイッチを齧りつつ、シラスが頷く。
「まぁ、な。ここに来た頃は、生きるのに精いっぱいで、飯の味なんか気にしてなかったからな」
「だろ? だからさ、俺たち二人で何とかやっていけてるって事なんだ」
 ユリアンが言うのへ、シラスは再び頷いた。
 すべてを失い、浮浪児としてスラムへと放り込まれたシラス。彼が出会った、少年、ユリアン。
 どちらが声をかけたのか、それはもはや覚えていない。だが、気づいた時には二人はともに、生きるために戦っていた。
 危うい綱渡りのような生活――それを二人は成し遂げてきた。
「シラス、俺たちはさ。向こう側には行けないんだ」
 ユリアンが言いながら、門の外へと視線を移す。シラスも同様に、それを眺めてみた。
 美しい世界が、そこにはある。何不自由なく、当たり前に生きていける世界――向こう側。
 自分たちの存在を否定し、自分たちをこっち側へと押し込める世界。
「だから俺たちは……こっち側で生きていかなきゃいけない」
「……そうだな」
 シラスが頷くのへ、ユリアンは笑った。
「でもよ、こっち側で生きてるからって、ずっとはいつくばってなきゃいけない理由はないよな?」
 楽観的な……でも、どこか希望を持った笑みだった。
「俺たちは確かに、こっち側で生きていかなきゃならないよ。でも、今日は飯だって美味く喰えた……やってけるんだ」
 それは、世間的に見れば、後ろ向きな思想だったかもしれない。
 だが、その時の少年たちにとって、それは確かな希望であった。
 世界には捨てられたかもしれない。
 だが、その捨てられたごみ溜めの中でも、幸せに生きていくことができるかもしれない。
 それは、どんなにか素晴らしい事であっただろうか。
「シラス。俺は、こっち側で幸せに生きて見せる。そのためなら、なんだって……たとえ世界から、とんでもない悪党だと罵られるようなことだって、やってやる」
 ユリアンの言葉に、シラスは頷いた。
 世界は俺たちを捨てた。
 だから俺たちは、こんな世界を見限ってやるんだ。
 俺たちを捨てた場所で。
 俺たちが、世界を捨てるんだ。
「そうだ……そうだな」
 シラスが呟く。それは、昏い希望だったかもしれない。
 だがその時確かに、希望は輝いていた。
「俺は家族って奴を知らない。だが、ここで家族を作ることは出来るかもしれない。親とか、きょうだいとか、夫婦とか、そう言うんじゃない。共に生きていく、ファミリーを」
 ユリアンが言う。
「ファミリーか」
 シラスが呟いた。
「おう! お前も入れてやるよ、シラス!」
 屈託なく笑うユリアン。
 その時、シラスはどのような顔で、ユリアンを見ていたのだろうか……。


 自分がどんな顔で、ユリアンを見ていたのか。今はどうしても思い出せない。
 否定したのだろうか。肯定したのだろうか。
 ただ、その時のユリアンの笑顔だけを、よく覚えている。
 16歳になったシラスは、幻想のスラムへ――あの場所へいた。
 崩れかけた門が見える、壊れかけの椅子。
 当時は大きく、すべてを阻むかのように見えていた門は、あまりにも華奢で、力を入れれば壊れてしまいそうに見える。
 あの時から、僅かな時間で、すべては変わった。
 シラスは世界を変えるイレギュラーズとして選ばれ、外の世界を知ることとなった。
 ユリアンはその後、幻想を追い出され……つい先日まで、その行方すら知れずじまいだった。
 シラスは壊れかけた椅子へ、かつてそうしたように、座り込んでみた。ぎし、という音と共に、椅子が、シラスを迎え入れる。
 隣にユリアンはいない。
 すべては変わった――多分、自分自身さえも。
 あの門から見えた外の世界は、決して遠いものではなくなった。
 あの時、此処から見た世界は歪で、壊れかけていたかもしれない。
 でも……真実の世界は美しく、まだ壊れたくないと叫んでいた。
「ユリアン」
 と、シラスは呟いた。ひょっこりと、赤髪の少年が顔を出すことは無い。
「お前はまだ、ここに居るのか。こっち側に……」
 かつて、自分がいた場所。
 世界を捨てようとしていた場所。
 ユリアンはまだ、世界に拒絶されたままなのだろうか。
 ユリアンはまだ、世界を拒絶したままなのだろうか。
 わずかな邂逅から、それを知ることは出来ず。
 だが、最後にシラスにかけられた言葉は……戻って来るのを待っているという言葉は。
「ユリアン。俺は。俺はさ……」
 次の言葉が、どうしても出ない。
 もう一度、ユリアンと会った時に、その続きの言葉を紡げるだろうか。
 今はまだ、分からない。

 秋のすんだ風が、シラスの頬を優しく撫でた。
 崩れかけた門の先に見える世界は、決して遠いものではなくなっていた。

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