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金色の眸
登場人物一覧
カフェ・ローレットで眺めていれば綾敷なじみという少女は現代によく馴染んでいる。その内側に猫鬼と呼ばれる怪異を飼っているとは思えない程である。
汰磨羈はなじみが楽しげに談笑する様子を頬杖を付いて眺めていた。汗を掻いたグラスの中身はひよのが適当にセレクトしたオレンジジュースだ。氷は溶け出しコースターを濡らしている。
猫鬼はなじみの中に存在している。そう聞いてからと言うものの汰磨羈にとって少しばかり気がかりなのはなじみに対する怪異からの影響であった。
どうやら善性の生物ではない。共存はしているが、猫鬼そのものはなじみにとっては非常に恐れるべき存在なのだという。猫鬼が表に出てくる事でなじみに何らかのリスクを与えるならば、猫鬼と少し話がしたいとは馴染みには告げられない――勿論、なじみにそういえば体を明け渡しそうなのが問題だ。
(澄原に確認をした事があるが、あの怪異はなじみの肉体を喰らい尽くすまでは良き隣人であるつもりだが……死に至るまでの僅かな時間を、という意味合いにしか感じられんな)
なじみの主治医であったのは澄原病院の前院長、現は理事を務めており希望ヶ浜ではなくセフィロト中央で生活をしている澄原晴陽と龍成の父であるそうだ。現在は晴陽に治療が引き継がれているが引き継いだ主治医の晴陽に言わせても「打つ手は現時点ではなし」との事である。
(なじみも猫鬼も幸福になる道はないものか。猫鬼を祓えばなじみは救われるかもしれないが、それでは猫鬼そのものを否定することになる。
だが、猫鬼を肯定してしまえばなじみが死に至る――となれば、知人の悲しむ顔が頭に浮かんでどうにも困ってしまうのだがな)
同類である妖だ。猫鬼そのものを否定することは己を否定することにも繋がっている気がして汰磨羈は嘆息した。何とも、度し難い共存をしたものである。
「汰磨羈さん、なじみが帰るそうなのですが送っていっていただいても?」
「……あ、ああ。構わない」
「今宵は騒がしそうですから、今日は新月でしょう?」
月が出ていないのでと告げるひよのに汰磨羈は首を傾いでから何となく了承をした。その様に彼女が言うのだから汰磨羈にとっての都合の良い何かがあるのだろうか。
余っているので、と近場のカフェのコーヒーチケットを手渡してからひよのはさっさとアルバイトに戻っていく。「たまきちちゃんが送ってくれるのかい?」と尾をゆらゆらと揺らしたなじみは慌てた様に尾っぽを足に巻き付けてからスカートの中にしっかりと仕舞い込んだ。
猫の耳を隠しているベレー帽。足取りの軽いなじみは「新月かあ」と呟く。
「ひよのも言っていたが、新月は何かあるのか?」
「猫ちゃんがね、外に出てきたいと思っちゃうらしくって。無理に駄目だよって抑えてるけど……たまきちちゃん、ちょっとだけ遊んであげてくれるかい?」
汰磨羈にとっては願ってもない展開だ。緩やかに頷けばなじみは自身の家も猫鬼が知っているからと言ってから目を伏せる。
次に瞼を押し上げた彼女は若草色の眸ではなく、金色の眸をしていた。縦に割れた瞳孔は正しく猫そのもの。髪は外にぴょんと跳ね、異形の雰囲気を身に纏う。
「やあやあ」
「ああ、猫鬼か。なじみには遊んであげて欲しいと言われたが、平和的に茶でもどうだろう? ひよのにコーヒーチケットを貰ったんだが」
「わたしはクリームをたっぷり乗せたラテなら良いよ。たまきちちゃんの奢りだ」
「……ああ、構わないよ」
なじみの口調を真似ているのだろう。だが、全てを真似切れていない辺りが怪異だ。怪異は誰かを乗っ取ることには長けているがボロを出す。
ひよのから貰ったコーヒーチケットの店舗は人通りが少なく、こじんまりとした場所であり怪異と妖が話すにはうってつけの場所であったらしい。適当にメニューをセレクトし――猫鬼には思う存分好きなものを頼ませた――汰磨羈は彼女を連れてソファー席へと腰掛ける。
「猫鬼の事を知りたいと考えて誘ったが、良かったか?」
「何が知りたいんだい?」
「……不躾に根掘り葉掘り聞くつもりは無いさ。話したくない事もあるだろう?」
お互い妖という身の上だ、と告げる汰磨羈をマジマジと見詰めてから猫鬼は「まあ」と濁した。彼女はなじみの内部に居るからこそ大人しい妖ではあるが、なじみの父親を喰らい尽くした害のある存在でもある。
「どうして知りたいんだい?」
「私は実は御主に親近感と呼べるよう感情が湧いている。まあ、妖同士だ、そういう事もあるだろうに。
だが、知人――定はなじみと一緒にいたい。私は、御主を祓うような結果を招きたくない。……まぁ、そういう事だ」
汰磨羈をまじまじと見詰めていた猫鬼は「欲張りだね」と唇を三日月に吊り上げる。なじみの顔であると言うのに表情の作り方一つで随分と変わった印象を与えるものだ。
「この手の事に関しては欲張りだよ、私は」
「それでも駄目なときはあるよ。いいのかい?」
「最終手段を取る覚悟はある。だが、ソレは"本当の本当に最後の時に取る手段"だから最終手段というんだ。
……ギリギリまで粘る覚悟も決めている、という事だ。付き合ってもらうぞ、猫鬼」
「さあ、どうなるかは分からないけれど。わたしもね、冷たい猫じゃないから。ちゃんと教えてあげることは出来ると思う。
たまきちちゃんが定くんに教えるかどうかはさておいて――わたしは綾敷の血にへばりつくようにして過ごしている怪異なんだ。
一番簡単な払い方はなじみが子を成さずに
猫鬼の厭らしい笑みに汰磨羈は不快感を僅かに示した。それでは何方も救われないではないか。
「これは、可哀想ななじみの話さ。おとうさんがそうなった日に、おかあさんは狂ってしまった。
勿論、おかあさんは普通の人だったのにその日に怪異に触れてしまったんだ。決して己には
なじみの父親に憑いていた猫鬼はなじみの方が美味しく喰えるのだと彼女の父を食らい尽くした。臓腑を全て奪い取ってから、沢山の言葉と情報に囲まれた天真爛漫な娘から少しずつ自身の養分として拝借し続けて居る。
「けど、直ぐに食わないよ? わたしはなじみと約束しているからね。なじみが最期をくれるというから、それまでは我慢していられる。
我慢できなくなってなじみを食べてしまったら
「……母の話は?」
「おかあさんはね、苦しくて苦しくて、静羅川立神教に縋ったんだ。あそこもいろんな派閥があるからね。
なじみのおかあさんが縋ったのは静羅川立神教の
なじみには内緒だよと猫鬼は笑った。なじみの母は静羅川立神教に縋り付いて、随分と時が過ぎたらしい。
猫鬼も静羅川立神教とは関わりを持っている。知らぬのはなじみだけか。汰磨羈はどうしてその場所が猫鬼にとって居心地が良いのかと問うた。
「――怪異と共存するからさ。死は救いだと告げる彼等はわたしにとってもなじみの
にんまりと笑った猫鬼は「何れはわたしともそこで会えるよ」と微笑んだ。その後、彼女は珈琲が美味しい話だけを繰り返し汰磨羈はその様子を眺めているだけなのだった。