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水無夜既朔にさざれ花

登場人物一覧

彼岸会 空観(p3p007169)

 未だ上弦へ至らぬ針の月。
 星が良く瞬く夜だった。
 白漆喰の無垢を天竺葵が飾る、聖都の夜更け――丑三つ。
 歩く一人の女が、佩刀に指をかけ鯉口を切る。

 滑らかな黒髪が風を受け、その内に抱く赤が踊る刹那。
 銀白一閃。
 星灯りに濡れた刀鋒が天を指すと同時に、化生がその胸から血煙を吹き出す。
「矢張り……と言えましょうか」
 怜悧な、されどどこか憮然とした声音を余所に、発した口元に微かな笑みを浮かべ。女――彼岸会 無量は太刀を霞に構えた。

 僥倖である。
 強欲の化生は今や命も省みずに向かってくるではないか。
 此れで終わりなら、面白くもない。
 奇声を上げ血で石畳を穢しながら迫る羽音を睨み、彼女は額の第三眼を開く。
 見えたのは風に舞い揺らめくひとひらの糸。
 踏み込み。交差。
 刀鋒は真っ直ぐに細い線へ乗った。
 其れは彼女の無益なる殺生を封じると共に、文字通りの勝ち筋を視せる。

 首元を突く風が流れ、切り裂く刃が化生の喉を駆けた。
「――柒拾肆」
 呟き。天を仰ぐ。
 歪な鞠球が舞い、月が瞬いた。
 赤に彩られた無量の美しい切れ長の視線、されどどこか空虚な瞳に映る月は、あの糸を通す針にも見え。
 彼女は再び石畳を歩き出す。

 ――

 ――――

「どうか、こちらへ」
 其れは此所へ来る僅か数刻前の事だ。
「……」
 己が元来の無口かは定かでない。何せこの世界、かの大空の神殿に現れる前の記憶というものが、一体全体殆どが朧気であったから。
 ともあれこの時、言葉は出なかった。
 只々呆然としていた。

 先ほど夕暮れの中で受諾した依頼内容は、化生を斬り倒すことであった。
 そして其れは唯一つ心に刻まれた、為すべき宿業でもあった。
 斬るとは。課された生き様そのものだったのだ。
 いかにこの世界へ降り立ち、世界法則とやらの影響から力が削がれたとて。
 いかに腰の得物が急誂えの鈍刀であったとて。どうとでも出来る自信はあった。
 そも達人領域における剣の術理と呼ぶべきものは。骨身に、魂にすら刻まれた太刀筋は、いかに身体が衰えようと失われるべきものではないのである。
 足腰すら覚束ぬ老剣豪が、鯉口を切った途端に背筋を伸ばし、襲い来る荒くれを軒並み斬り倒す等、良くある話ではあった。
 そもそも第一、研ぎ澄まされた彼女の身に、少なくともその秀麗な見栄えに衰えも違いも有りはしないのだ。

 力が削がれたと伝えられたとして、だからどうしたと考えてもなんら不思議ではなかろう。
 要するに「遊んでやろう」と言った心算であったのだ。
 其れが――彼女は第三の瞼に手のひらを添える――この態だ。
 焦燥。己がしくじりに、侮りに、其の慢心に、あまりの向う見ずに。ただ恥じ入るしかなく。
 洗礼と呼ぶべきか。この世界へと足を踏み入れた旅人が、患いがちな病の一つであった。
 兵が尊ぶは拙速。覚悟は速いほど良い。
 ならば煩悩、百八を一夜の内に総て断ち切ると誓い。

 ――……どこへ行かれるのですか?

 幾度か呼ばれ漸く気付く。つい物思いに沈んでいた。
「今夜はせめてお休みされては」
「いえ、戻らねば。報告というものが必要でしょうから、そうも往かぬのです」
 言外に帰ると仄めかす。
 其れ以上は言わず、聞かれず。聞かせず。
「ならばせめて」
 素朴な護符を握り、懐へ納めた。
「……どうか、お気を付けて」
 外を伺い銃士達が撤退したことを確認すると、無量は再び夜の聖都、四つ辻へと歩き出す。

 無論、帰路でなどあろうはずもなし。

 ――――

 ――

 あれから幾度斬ったろう。
 針の月は既に、寺の影へと姿を消していた。

「居たぞ! あの女だ!」
 騒々しい声がする。
「手負いだ。必ず捕らえろ! 殺しても構わん!!」
 斬る。斬る。赤が舞う。

 向けられた銃口の発閃。
 轟く火薬の炸裂と共に、螺旋を描く鉛の弾丸が迫る。
 構えは正眼。避けようも無し。
 弾丸と刀鋒とを結ぶ線を追うと、一閃。
 断ち別れた鉛が、路を挟む漆喰の両壁に二筋の火花を散らす。

「……っな!?」

 驚きに見開かれる銃士へ向け、彼女は追いの一太刀を浴びせ。間一髪、突き出した銃身が跳ね飛んだ。
 銃士は慌て細剣を引き抜き――だが遅い。
 無防備となった胸元へ裂帛の突きが吸い込まれる。
 口を幾度か開閉させ、傾ぎ倒れた銃士から刀を引き抜き、血を払った。

 嗚呼、これで佰捌つ。

 数え。刀を納める。
 無量の背を遠き異郷の暁が照らし、終えた業を労うかに見える。
 そうして佇めば、美しい女だった。
 立てば芍薬座れば牡丹、なれど歩く後には彼岸花――

 ――――事の顛末を告げられた情報屋の唖然とした顔を受け流し。
 まるで巌を背負わされたように軋む身体を清める為。彼女は街を離れて朝の澄んだ水へ、一人その身を浸す。

 流れる百と八の赤。
 溶け消える命の残滓。

 誰もが望み臨むその果てに悟の彼岸があると云う。
 水へと絡み無明の果てへと流れる血こそ、或いは逃れ得ぬ宿命であるのか。

  • 水無夜既朔にさざれ花完了
  • GM名pipi
  • 種別SS
  • 納品日2019年06月08日
  • ・彼岸会 空観(p3p007169

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