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Weekend, I was always alone.
登場人物一覧
明日を願うことが、こんなにも幸せだなんて。ずっとずっと、知らなかった。
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――今日の準備をしていたら、眠るのが遅くなってしまってね。
馬鹿な人だ、と思う。
それから。眠りを削ってしまうくらいに大切に思ってくれている現実が擽ったい。
あの日見た寝顔は今でも胸の奥を暖かくしてくれる大切な思い出だ。
それはとある6月8日のこと。
他の多くの人々にとっては些細で、けれど彼女にとっては特別な日付――誕生日。
しかしながらその日付は2年前までは何の意味も持たず、彼女にとってはただの1日に過ぎなかった。
1年目。初夏の青葉薫る頃だったか。なんてことないやり取りの内に互いの誕生日を知ったような覚えがある。
「私は、ええと……来月の、8日ですね」
定かではない記憶の中で、己の誕生日が正確だという保証がどこにあろう。
誕生日だと思っている日付を必死に記憶の中で繋ぎ止めていた。けれど祝ってくれる人も無ければ、歳を重ねたところで嬉しいこともない。
不必要だったのだ。生まれたことを喜ぶ理由は、一つもなかったから。
けれど。そんな星穹の思考を打ち砕いた1通の手紙――いつも楽しい時間をくれてありがとう、の文字。
その時から初めて、彼女にとってその日は特別な意味を持ったのだ。
初めての『誕生日おめでとう。』に彼女が驚かぬはずもなく。そして、1年の月日が経った今年もまたおめでとうが降り注ぐ。
そのことが、どれだけ嬉しかったか――
幸せの意味を考えても解らない。
少しずつ人としての心が死んでいくような気がして。
殺しても。殺しても。少しずつ心を刺す痛みが麻痺していく。だから一層、手を汚す――そんな灰色だった世界を、1本の剣が切り拓いてしまった。
土埃の茶が。
紅茶の赤が。
晴天の青が。
戦火の橙が。
花嫁の白が。
花火の金が。
電光の銀が。
森林の緑が。
無彩色だった世界は、彼と共に過ごすことで色を得て行った。
苦しくも儚い希死念慮の因果を断ち切ってしまったのだ。
それはなんと嬉しく呪わしいことか。
これでは。これでは死んでしまえない。死ぬのが恐ろしくなってしまった。
死ねない理由が、出来てしまった。
帰る場所を持たなかったのも。
持つべき荷物がなかったのも。
何もかも、いつ死んだって構わないようにするためだった。
眠るか、鍛錬に励むか。その2択だったのは、まだ記憶に新しい……というよりかは、2年経てどもその習慣がまだ身体から取れない。
闇夜を照らす奇跡の残滓たる
それは昔とは変わってしまったけれど特別で大切なもの。もう変化を恐れることはない。変わっていくことが楽しくなったから。
(週末は……私は、いつもひとりだった)
それが今はどうだろう。
料理の練習をしたり。
どこか遠くへ出かけたり。
ゆっくり昼寝をしてみたり。
映画を見に行ってみたり。
嗚呼、これが夢でないならばなんだというのだろう。きっと2年前の自分に語っても、信じることはないだろう。
仕事で休みを潰すことでしか寂しさを忘れることは出来なかった。『来週はどこにいこう』なんて他人の言葉を聞いて羨む必要もなくなったのだ。
「さて、これを混ぜて……?」
2年目。そして、2回目。
それは喜ばしくもあり、去年を越えるつもりで一層努力せねばならなくもあり。
今年の星穹が作るのはウィークエンドシトロン――週末を共に過ごしたい、大切な人に贈るお菓子。
お菓子は計量をきっちり行えばある程度は誰でも美味しく作ることはできる。なのでお菓子作りは最近のちょっとしたブームメントだ。
けれど折角の誕生日なのだから、ただ美味しく出来ただけのものをプレゼントするつもりはない。そうでないと、こんなにも前から準備なんてするはずもないのだけれど。
どうせ口に入るのならば一層美味しい方がいい。ただ、実際どれほど作って練習するつもりなのかはまだ未定で。きっと自分が満足するまでだろう。なんとなくそんな気がするし、それが正解だと感じている。
「……ひとまずは、出来たけど」
口の中に広がるレモンの風味は爽やかで、お世辞にも冬向けとは言いがたい。恐らくこれを渡しても美味しいと言ってくれるだろうけれど、それとこれとは違うのだ。
ひとまず今日のところはこれくらいにしておこう。
少しずつ物が増えた部屋は星穹にとって手離しがたい居場所が増えたことを意味する。片付けをしてぐっと伸びをすれば、風に揺れたカーテンから柔らかな陽光が差し込んだ。
貴方の思い出になれるのならば、それは一番の幸いだから。だから驚かせるために、もっともっと頑張らなくては。なんて意気込んだり。
口元にゆるゆると浮かんだ笑みには気付かず。ただ浮かれた心地のままに、書き込みを増やしたレシピを眺めては、笑った。