SS詳細
Slumdog CinderellaⅡ
登場人物一覧
- シラスの関係者
→ イラスト
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人の命は金よりも軽い。そんな事を言うと仲間が眉をひそめるのは想像するに難しくはないけれど、
「み、見逃してくれよ! 俺ァただの末端
薬漬けでほとんど意識のない
「末端だろうと何だろうと、やった事の報いは受けるもんだぜ」
「『報い』だぁ? 下手に出てりゃつけ上がりやがって! この――」
路地裏に響く発砲音は二発。末端を自称する売人が銃の扱いに慣れている筈もない。ろくにターゲットサイトも覗かず放った一撃目は大いに的を外して路地の壁に着弾し、もう一発は近くの配管を撃ち抜いた。破裂音の後、シューと配管からスチームが噴き出して、男の周囲を白いもやが覆いはじめる。
「痛ってぇな、畜生!」
銃の反動で痺れた腕を庇いながら、売人は襲撃者から逃れようと背を向け駆けだした。狙いは外したが、凶運はあるなと男は思う。交戦地帯は自分の
「薬漬けにされた人たちは、もっと痛かっただろうぜ」
「ッ!?」
声は空から。魔術によって構成された青白い光竜の
「待ってくれ、俺は悪くな――」
「言い訳はあの世でしな!」
轟音。それは竜の咆哮めいた音を立てて獲物へと振り落とされた。後には大きなクレーターと、その中央で横たわり痙攣する小汚い男。奴の手の甲に"剣で貫かれた三日月"の刺青を見つけ、シラスは眉をひそめる。
(今月に入って薬物絡みの仕事が三件。どれもこの刺青が入った売人ばかりだ。そろそろ
背後に気配を感じたのは、思考を終えるとほぼ同時。
「――!」
「待て、争うつもりはない」
シラスが殺気を向けて振り向くと、スチームが薄れていく中で声の主の姿が露わになる。黒髪、黒コートの大男。異世界の『ニホンジン』めいた顔立ちで、彼は殺気を受けても背中の得物を身構えず、薬漬けの被害者の瞼を開き瞳孔を確認していた。
「アンタ、何者だ?」
「その売人を倒し損ねた男、かな」
「……」
シラスは男の言葉の真偽を図りかねた。今までカミカゼの依頼が、同業とブッキングする事は無かったからだ。彼女が優秀だという理由もあるが、プリマヴェーラ通りは基本的にクズのたまり場。シラスの様に裏社会で成り上がろうと”少額だが信頼を稼げる”依頼へ手を出す人間は無に等しい。
「すまないが医者に連れて行くのを手伝ってくれないか? 往復して運んでいる内に、追剥の被害にあうかもしれない」
相手が絶望に塗れていても関係ない。自分が生き残る為なら平然と追い打ちをかける――それがスラムの人間の性質だと、この男は知っているのだ。
「連れて行く先は、俺の知ってる闇医者だ。その条件なら手伝ってもいいぜ」
「構わないが、持ち金はあまり無いぞ?」
返された言葉に口角を上げ、シラスはようやく殺気を収める。道中に幾つか言葉を交わすと、男は名を
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「ハァイ、シラスちゃん。オネーサンからのお使いは無事にこなせた?」
「……おう」
豊満な胸を押し付けての出迎えに、シラスは半眼のまま答える。待ち合わせ場所に指定されるバーは毎度異なるが、今回の店は落ち着いて休む事が出来そうだ。カウンター席に座り、アイスコーヒーを店主へ頼む。
「お酒のまないの? なーに、可愛いところあるじゃない」
「アンタ、俺が未成年者なの知ってるだろ」
「知ってるから、次の誕生日にはとびきりいい酒おごってあげるって約束したんじゃない。
振舞われる酒が上等か安酒か、これは飲みかわす相手の上っ面を見るより明らかに人となりが分かるものよ」
――だからとびっきり上等な酒の味を覚えておきなさい! というのはカミカゼの弁だが、経験として活かせるのはもう暫く先になりそうだ。
「それより、そろそろ教えてくれたっていいだろ。"剣で貫かれた三日月"……あれが何かしらの組織の物だってぐらいは俺にも分かるぜ」
「情報に確信が持てるまで渡すのは危険だと思って、丁寧に調べてたのよ。おねーさんの事、意地悪だと思った?」
カミカゼがシラスの隣に座り、身を寄せる。すり……と手を重ねて細い指を絡めながら、彼女は甘えた声で問う。シラスは動揺を悟られまいとコーヒーのグラスに手を付けた。この距離で心臓の音なんて、隠し様がないのに。
「別に」
「二文字で済ませちゃ嫌よ」
「……カミカゼが仕事に対して真摯なのは、知ってるつもりだぜ」
ストレートな誉め言葉に、カミカゼは一瞬、目を見開いた。ふふっと小さく笑った後、ようやく身を離す。
「報酬は振り込んでおくから、またお願いね。シラスちゃんの方から聞きたい事は?」
「とくには無い……と思ってたけど。アンタ知ってるか? ここらに芹って名のニホンジンの男が出るって話」
医者の元に被害者を運んだ男は、それだけで見ればスラムには珍しい善良人だった。金がないと言いながらも当面の治療費を闇医者に支払った彼は、恩人としての名を名乗る事なく立ち去った。
……その場限りの行動を切り抜くのであれば。
(隠しきれない血のにおい。あれは獣や魔物の類のものではなく、人間の血……だったよな)
一般人は誤魔化せても、熟練の冒険者であるシラスは騙しきれていない。だからこそ気になった。血生臭い日々を送っている男が、あの時どうして薬漬けの者達に手を差し伸べたのか。
「勿論、知ってるわよ」
カミカゼの返事は、意外なほどあっさりとした物だった。
「えぇ。目立つ姿の男だもの、耳を塞いでいても入って来るわ。情報屋からも娼婦からも」
「そんなに頻繁に娼婦を買ってる奴なのか?」
「みたいよぉ? もっともお好みはブロンド髪にグリーンアイの小柄なカワイ子ちゃんらしいから、オネーサンはお呼びじゃないみたいだけど。
最近、情報屋から仕事を受ける様になったらしいわ。ただ選り好みはしてるみたい。金にもならない人助けみたいな仕事ばかり受けるんですって」
「俺にはそれだけには思えなかったぜ、あの気配」
グラスの中の琥珀色がストローに吸い込まれていく。カランと氷の崩れる音がする頃には、シラスは席を立っていた。
「そう。……気が向いたら、もう少し詳しく調べておくわねぇ」
彼女の甘い声を背中で受けつつ、ドアベルを鳴らして店を出る。その手には小さく折りたたまれた白い紙きれ。カミカゼと手が触れあった瞬間、握り込まされた物だ。
(店の中で話すとまずいような事なら、事前に説明ぐらい欲しかったぜ。……ホンモノの特ダネしか掴んで来ないんだな、カミカゼは)
複雑な路地を曲がり、小汚い老婆が経営する安宿へと向かう。
「久しぶりだねぇ、今日は独りかい?」
「嗚呼、また世話になるぜ」
外見は吹けば倒れそうなボロ屋の一室。しかしその実態は、熟練の魔導士が編んだ防衛結界に守られ、盗聴のきかない秘密の隠れ家だ。下手に幻想内の治安のいい場所へ出るより信頼できる。
「こいつは……」
広げた紙きれには、あの刺青に近い紋章。綺麗な弧を描いた三日月は、王都メフ・メフィートで近年頭角を現しはじめたアグアル=ディエンテ伯爵のシンボル。それに加筆する形で突き立てられた
(ディエンテ伯爵とエルブの残党が繋がっている? いや、単純な共闘なら串刺しなんて悪趣味な紋章の絡め方はしないよな。つまりこれは――)
暗殺組織による伯爵家の乗っ取り。"俺達は貴族さえも皮を剥いで隠れ蓑に出来るのだ"という証明。
(……証拠が必要だ)
単純にこの事実を表社会で広めたところで、奴らはきっと裁かれない手段を幾つも持っている。だからこそ下っ端にまで刺青を平気で入れさせているのだろう。
メモ紙には更なる情報も記されていた。日付と場所と時間帯。そこに何があるというのか――確かめる以外の選択肢は無かった。
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「何度言ったら解るんだよ、今の薬じゃ未完成だ。アンタの力が必要なんだよ先生よぉ」
駆け付けた現場に響く、聞き覚えのある声。第三の眼に軽鎧――御形は振り向き様に、落とされた手刀を左腕で受け止めた。
「アンタ、暗殺組織の人間だったのかよ」
「そういう兄ちゃんは知ってて遊びに来てくれたのかい?」
痺れるねぇ。そう笑う御形の腕は、人の腕らしい手応えがしなかった。例えるなら黒鉄。シラスが魔術を帯びて放った一撃を受けても崩れぬ頑健さ――【鎧】がその男にはある様だ。
薄暗い路地裏が、攻撃のぶつかり合いで明滅を繰り返す。互いに動きを読み合いながらの蹴りと殴り合い。得物を持たぬ御形の武器は、シラスと同じく自分自身。ただ、強さの
「腰に提げてる剣はブラフか?」
「まっさかァ。抜きたくてウズウズしてるぐらい……ッ!?」
会話の途中でシラスは相手の腰――得物へ攻撃の対象を変えた。御形は庇う姿勢のまま後ろへと跳躍し、腕を負傷してまで武器を守って引き下がる。
それほど武器が大事かと疑問視するシラスだったが、次の瞬間、飛来してきた鈍色の塊に意識が逸れる。受け止めたのは古めかしい銀のジッポー。ボディに"剣で貫かれた三日月"の紋章の入ったそれを投げて、御形と『先生』は姿を消した。
――声が降る。
『裏社会を牛耳りてぇなら、手を組もうぜ兄ちゃん。次に会った時の俺は、同志か或いは――アンタを殺す男だ』
おまけSS『とある娼婦のプライド』
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どうして、とその日シリルはベッドに横になりながら、独りの寂しさでうっすら目元に涙を浮かべていた。
客のオーダーは『ブロンド髪で小柄でグリーンアイ』。自分ほど条件にピッタリの娘は、うちの娼館にいないはずなのに――部屋に着いて挨拶をすると、客の男はただ一言、
「手を出すつもりはない。今日はゆっくりしてくれ」
とだけ言って、本当にお触りのひとつも無しに眠てしまったのだ!
(なによ。確かに身体に負担がないままお金が貰えるのはラッキーだけど……わたしだって、娼婦としてのプライドがあるわ!)
もしかしたら、この客は自分を試しているのかもしれない。求められないとその気にならない、特殊な趣向の人なのかも。そう思うとシリルはゆっくり身を起こした。隣で眠っている黒髪の男は、自分とかなり体格差のある大男。ベッド脇には身の丈ほどの大剣が立てかけられており、彼がどれほど力強い存在かを物語る。組み敷かれれば、身動きのひとつも取れなくなるだろう。ごくり、と緊張で唾をのみこみながら、シリルはそっと男の前髪をかき上げようとして――
「……ゼ…」
男がなにやら、うなされている事に気が付いた。
「逃げ、ろ……カミカゼ…」
その苦し気な顔を見つめていると、なんとも大柄な男の姿が小さくなったように見え。
「もう、本当に何なの……」
シリルはそっと、男の頭を抱き込みながら寝直した。