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軋む太陽の見つめ方
登場人物一覧
薄ら明かりの路地に一人の乙女が居た。ヴェールでその桃色の髪を隠した、紅玉の瞳の乙女だ。
おどおどとした調子の彼女をぐるりと取り囲む男たちは下品な笑みを浮かべて彼女の手首を締め上げる。「こんなところで一人で」と囁くその声音に、乙女は首をふるりと振った。
「こんな往来の片隅で何フザケたことしてんだ」と低く、苛立ったような声音が乙女――メルトリリスの耳には届いた。首を傾げ、はて、と視線を送るメルトリリスとは対照的に困惑と焦りを滲ませる男たちは『招かれざる存在』に怖気つく様に一歩下がる。
「大方、適当な女でもとっ捕まえて乱暴ってとこだろうが行き会ったのが運のツキだな」
ぼやき、地面を踏み締める。何はともあれ、声の主、ハロルドにとっては『許せない』状況であったことは否定はできまい。自身の信念を確固たるものとして認識する彼は暴漢に襲われるか弱い乙女というモノを見過ごす事が出来なかった。
距離を詰め鍛え上げた技術をぶつける様に暴漢を殴りつける。その動きを見るや否や、もう一人、メルトリリスの傍でにたにたと笑みを浮かべていた取り巻きが尻もちをついた。
「ヒッ――わ、悪いことはしねぇから……!」
その怯え、その声音。ハロルドは「そうかい」とだけ返して狂暴な獣が如く飛び付こうとして――その手をぎゅ、と握られた。
「もう何かをできる状況ではないではありませんか」
「あ?」
「……もう、十分、貴方の勝利が決したように見えるのです。それ以上は……」
僅か、不安げな声音と共に意志強く吐き出された乙女の言葉にハロルドは予想外だと口をあんぐりと開けた。今、まさに、暴漢によって襲われかけていたとは思えない少女の気丈な反応はハロルドの想像の外であり、メルトリリスとて――自身で何とか出来たのは置いておいても――助けに入った男がこうも情け容赦ないとは思ってはいなかった。
「ヒッ」と声を漏らした男が逃げていくその背を眺めながら、ハロルドは頬を掻いた。拍子抜け、というのが似合うのかもしれない。
「あー……その、なんだ」
「その……お礼をしますから。簡単なもの、ですが……」
おどおどとしながらもこちらへ、と呼んだメルトリリスのその背中を眺めながらハロルドの脳裏に過ったのは一人の友人の姿であった。
――アマリリス。ジャンヌ・C・ロストレイン。
桃色の髪に赤い瞳。穏やかな雰囲気を感じさせる只の一人の友人。今はなき、彼女。
彼女の背格好によく似たヴェールの乙女は落ち着いたカフェにハロルドを誘い、珈琲を奢らせてくださいと穏やかな調子で言った。そう言われて無碍にするのも何だと好意を甘んじて受け止めれば、じいと彼女は此方を覗いていた。
「……な、なんだ?」
「ああ、いえ。その……自己紹介が遅れました。自分はメルトリリスです」
「メルトリリス?」
ハロルドがメルトリリスの貌をまじまじと見た。その呼び名はどうしても彼の知っている人物と被ってしまう。
眉を顰めたハロルドに首を傾げたメルトリリスは「なにか?」と瞬き、彼の顔をじいと見た。
「いや、悪かった。俺はハロルド」
「ハロルド――……さん」
メルトリリスはその名を口にして『知っている』名前なのだと彼をじいと見た。その名前は彼女が姉が死去した際のローレットの報告書にも並んでいた名前だった。憎んでいる訳ではない、魔種とは不俱戴天の仇であり必ずしも討伐しなくてはならない存在だという事位、メルトリリスだって知っていた。それでも、胸の内にちりりと焦げ付く様な感情があった事は否めない。
「……いえ、名乗る名前を間違えました。
自分はアリス・C・ロストレインです。それから――」
ゆっくりと立ち上がる。ヴェールが揺れ、ハロルドに衝撃が走った。
ぱしり、と音を立てる。
頬を叩かれたと気づいた時、突然の事で彼は呆然とメルトリリスを見遣った。
「あぁ……」
「……は、」
「……貴方が。どうして、姉を助けて下さらなかったのですか。どうして――」
その言葉にハロルドは思いだす。アマリリス、ジャンヌ・C・ロストレイン。その姓。
ハロルドはアマリリスに妹がいた事を知らない。メルトリリスという存在は知らなかったのだ。
「姉――ロスト、レイン――? なっ……アマリリスの妹、だと……?」
驚きに声を震わせてハロルドがメルトリリスを見上げる。
面影を感じたのは間違いではなかったのだ。その、美しい女の背中に、確かな面影があったのだから。
その瞳に乗せれた感情のいろをハロルドは知っている気がして唇を噛み締めた。
記憶の中、揺さぶるような声がする。あの、凛とした美しい、女の――
御伽噺で語られた。勇者は聖剣を完成させるために聖女のいのちを絶った。
そして、混沌世界に『訪れて』またもアマリリスという聖女を介錯したのだ。
救いたいと願った誰もの想い。只、笑みを浮かべて殺してほしいと乞うた女の声が確かな救いであった期はしている。
アマリリスを魔種ではない、普通の女に戻す事を目指す特異運命座標達が居る事は知っていた。
その存在が、確かな希望の礎出会った事など、理解はしていた――けれど、最初から彼女を殺すと決めていた。
魔種として彼女が誰かを不幸(ころ)してしまう前に。その炎が全てを焦がす前に。
――聖女を一度殺した身で、何が怖い事があるだろうか。
誰かを救う事などできはしないのだと分かっていた。殺すが為だけの剣技だと厭でも理解させられたのだから。
「……聞いているのですか」
立ち上がった儘の女の瞳の色は、確かにアマリリスの瞳に燻った焔の色と似ていた。
桃色の髪に、確かな決意を揺らしたその瞳は少し色味が違うだろうか。それは、向けられる感情の違いか。
「助けてくれなかった、か。……でも、あいつは魔種だった」
「分かっています、けれど、アマリリスは貴方の友人だったでしょう――!」
唇を噛む。能面の様ににこりと微笑む事をしなかった茫としたヴェールの乙女の感情は確かな嫌悪を滲ませているかのようだった。
友人であろうとも『魔種』として断罪することが果たして正解なのかと、問うかのようにその声は硬質であった。
ハロルドは「友人、か」と小さく漏らす。
「……悪いが平和を乱す輩は皆殺しにすると決めてるんでな」
「譬え、友人でも、ですか?」
「ああ。譬え、それが友人であろうとも、だ」
ハロルドの固い声音を受け止めてメルトリリスは体から力が抜けたようにそっと椅子へと腰掛けた。
友人であろうとも、間違いを犯せばその命を狩り取ると。
それは確かに『使命』としては間違いではないのだとメルトリリスは認識していた。
認識していても――こころは、追いつかないままだったのだ。
「特異運命座標になった以上、仕事の完遂は必要だ。
それだけではない。魔種を倒して世界を崩壊の危機から救う事だって必要だ。
大を救うために小を殺す。その取捨選択だって。誰かを救うためには必要な事だっただろう。
アマリリスを殺す事も仕事の内で、そして――『悪鬼』となったあいつを殺す事も、あいつの為には必要だった」
殺さなくては、多くの人を燃やし尽くした。只、父の言葉に躍る様に彼の幸福を束ねて手にして微笑みながら。
人の幸せを祈るが聖女と言うならば、きっと姉は正しく聖女だったのだとメルトリリスはきゅ、とスカートを握りしめた。
あいつの為には必要だった。
そんなの――
「言われなくても……理解してるつもりです。魔種とは赦してはならぬ存在だと、それ位――」
だから、姉の事も父の事も、赦してはいけない存在であったこと位。
メルトリリスはそう、呟いた。それでも肉親というのは度し難い。頭で理屈を理解しても体と心はどうにもそれを許容してはくれないのだ。
ゆっくりと、確かめる様な声音で「自分は」と彼女は続ける。
「姉の、アマリリスの『聖女』を継ぎました。それ故に自分は『メルトリリス』という名を冠しているのです」
「……『聖女』を――?」
「はい。人々の幸福を祈る為に。自分は、姉の意志を継ぎました」
硬質な響きを持った声音を聞いてハロルドは頭を抱えた。
聖女。聖女を継いだなどと訊かされれば心の中に複雑な思いが過る。
聖女殺し。自身は聖女殺しなのだ。
聖女を殺し力を得て、聖女を殺し、只、ここまで進んできたのに――目の前には新たな聖女が存在している。
殺した聖女のあとを継いだ、一人の聖女として。
「……そうか」
「ええ。……助けてくれてありがとうございました。それでは」
珈琲のお代ですとテーブルの上に二人分置いてメルトリリスは立ち上がる。
その背を眺めながらハロルドは彼女に自身から近寄ることは止そうとぼんやりと考えた。避けるつもりではない、只、複雑怪奇な思いをどう呑み込めばいいのかを彼は認識できなかった。
――ただ、メルトリリスにもしも危機が迫ったならば腕の一本くらいはくれてやってもいい。
軋む思いを抱えながら太陽ははあ、と深く息を吐く。どうにも、世界は儘ならないようにできている。
聖女の貌が脳裏にちらついて消えていく――果たして、正解はどこなのだろうかとゆっくりと目を伏せた。