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7月10日
登場人物一覧
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昨日はあんなにも雨だったというのに、その日は朝から雲ひとつ見えぬ、深い青色をした空が延々と広がっていて、それに元気づけられたかのように、太陽がここぞとばかり眩しく輝いていた。
単なる熱気ではなく、肌がじりじりと焼けていることを実感するような夏のそれ。燃えるような夏と表現するのが正しいのか。それとも、本当に皮膚表面を焼いているのだから、比喩ではなくなるのだろうか。
ともかく、そのような日に、せっかくの休みとは言え、昼日中からおでかけという気分にはなれず、涼める我が家にて、惰眠を貪るという選択をとったわけだ。
いや、実際のところ、惰眠を貪るようなふりをしているというのが正しいか。何もしていないというのは落ち着かない。何かしていなければいけないような錯覚に見舞われる。しかし、働き詰めだった昨今を考えると、身体を休養に当てるべきだとも理解している。継続的なストレスは鋼鉄であろうとも折れかねない。
だからこそ、実直に努力して休養を取ろうとする、などという、どこか字面に違和感のある行為に走っていたわけだ。
ベッドの上で横になり、小さな目覚ましを見つめたまま、もう何分、何時間経っただろうか。何もしていないということに妙な罪悪感、やきもきしたものを感じながら、懸命に動かない。そうしたまま、サイズの久々の、本当に久々の休日は何もしないことに注力するという無為で過ぎようとしていた。
いや、わかっている。これが何か違うこともわかっている。しかし、行動を起こせば披露をする。では何もするべきではないのでは。しかし動かないのも健康には良くない。いやしかし、と。
どうにも疲労のせいか、バグった思考が脳をぐるぐると回る数時間。
その結果、こんがらがった思考は何一つ道筋だったそれを見せぬまま、どこともしれず、ただなんとはなしに着地した。
「…………会いたいな」
誰に何にどうしてどうやって。そのように順序立てたものなど何一つ存在せずに、ぽつりと置かれた帰結のブロック。しかしその一言に、答えるものが居た。
「レディィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイスアンジェンロメン! 燦々たる太陽! 限りなく夏日! 世界よ、人類に対して何たる仕打ち! 訴えられろ神! そこで現れたる夏の福利厚生! 即ちはゴースト! ハッピーちゃんの参上でい!!ミ☆」
……。
…………。
騒がしい声に身体を起こして、見回すが、誰もいない。
何のリアクションもない。
もしや、疲れすぎた故の幻聴だったのだろうか。だとしたら、余程重症だと思われる。
「…………気のせいか」
「ンなわけあるかああああああ! すっきありぃいいいいい!」
ぼすんとまた、ベッドに体を預けた矢先、突如眼前に現れた彼女に、突撃された。いや、この場合、落下してきたと言うべきかもしれない。幽霊にとって、不適格な表現かも知れないが。
「ふーっはっはっはは! ついに捕まえたぞ!」
そう言って、頭をグリグリと胸に押し付けてくる幽霊、ハッピー・クラッカー。
どうやってか声だけを高らかに響かせ、視界に入らぬよう潜んでいたようだ。
「えっと、あの……」
戸惑っていると、ハッピーは顔を離し、今度は覆いかぶさるような姿勢になって見つめてきた。なんだか、ちょっぴり怒っているような気がする。
「ついに休日だって聞きました!」
「それは、そうなんだけど」
「ついに休日だって聞きました!!」
「あ、はい」
「ならどうして会いに来てくれないんでしょーか!!」
これは、やばいと直感が教えてくれる。回答を誤ってはいけないやつだ。慎重に、包み隠さず、自分が導き出したそれを真摯に伝えるべきだ。
だから少しだけ、吟味して、それを口にだすことにした。
「ずっと、働き詰めだったから」
「働き詰めだったから」
「身体を休めなきゃいけないと思って」
「休めなきゃいけないと思って」
「丸一日動かないでおこうと」
「動かないでおこうと!?」
「う、うん……」
わなわなと、ショックを受けたように震えだすハッピー。なにか、知らない言葉を聞きでもしたかのようだ。
「う、動かないって、何語?」
「何語!?」
本当に知らなかった。
「お休みでしょ? ならば遊びにいかねばなりません!」
「え、必然?」
「おうともさ! なりません、なりませんので、なりません時!」
「でも、ほら」
「んー……ベッドにいたいの?」
じーっと見つめてくるハッピー。どうしてだろう、先程までと、その瞳には別の色が混ざったような気がした。
「なら、私と、ずーっと、ベッドにいる?」
軽く舌を出し、自分の唇を舐めるハッピー。顔にかかる吐息が、なんだか甘い匂いがしたような気がして。
「そ、そうだな! 遊びに行こう! うん!!」
跳ね起きた。すぐさま身支度を整えて、出かけられる準備を済ます。
危なかった。何がどうとはいえないが、あのままだと非常に危なかった。
「さ、さあどこにでかけようか、ハッピーさん。ハッピーさん?」
振り向くと、幽霊たる彼女はまだベッドの上に、ではなく、顔が触れるほどの距離に居て。
「今日は、ずっといっしょ?」
その質問への答えは、ひとつしかない
「う、うん」
「なら、よし! さあめくるめく楽しい休日へ! ビバ、ヴァカンス! もう夕方だけど大丈夫!」
そしてサイズの手を取って、外へと飛び出していく。
「むしろ幽霊の時間は、これから!!ミ☆」
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日もくれる時間とは言え、この暑さでは外を彷徨こうという気にはなれない。
後ろを向いて、手を引いている相手の事を見る。
いざ外に飛び出してみたはいいが、はてどうしたものか。そのように頭を悩ませている様が手にとるようにわかり、内申でほくそ笑んだ。
きっと、このような突発的なデートでも、何か用意できるプランはないかと思案してくれているのだろう。
なんとも喜ばしい。気を使われている。大切に扱われている。口にせずともわかるその事実が嬉しくて、ハッピーは思わず、往来の真ん中にも関わらずくるんとその場でひとつ回ってみせた。
「ど、どうした?」
奇行、というほどでもなかろうが、急な感情表現にサイズが驚いた様子を見せる。
言いはすまい。今が幸せなのだと。照れくさいのではない。零れ落ちそうなのでもない。ただこれが頂点ではないというだけだ。噛みしなければならないものではなく、この先がまだまだもっともっとあるのだと、その実感から、わざわざ口になどしないのだ。
困惑するサイズをよそに、目的地へとたどり着く。
「じゃっじゃーん、到着です!!」
その建物の、入り口の前でポーズを決める。こんな暑い日に、まさか無計画に飛び出したりなんてしない。だからちゃんと用意しておいた。
そこはレストラン。少し大人なデートを楽しむのなら、夜はこういうところで洒落込むような。
「さっさ、ゴーゴー!! 一回来てみたかったんだ!!」
元気よく、またその手を引っ張って見せる。
「ちょ、こういうところって予約とか……」
心配ご無用。入り口に構えたウエイターに、高らかに二本指を見せつける。
「2名で予約の、ハッピーです!!」
あまりにこの場に相応しく、しかしサイズにとっては意外だったその挨拶。
しかしウエイターの反応もまたこの場に相応しく、当然とばかりに笑顔で答えてみせた。
「お待ちしておりました。それではお席まで、案内させて頂きます」
ぽかんとするサイズに、心のなかで悪戯な笑みとピースサイン。
「え、予約?」
「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉミ☆」
ハサミの宇宙人というよりは、かくも赤い冬の聖人といった笑い声をあげてやる。
「お気遣いの淑女、ハッピーさんならこんなのお手のもんさ!」
えっへんと胸を張ると、サイズはまだ驚いたそれから立ち直っていないようで。
「なんてね。久しぶりのお休みなのは知ってたし、ちゃんと食べたりしてるか心配だったから、前から予約してたんだ。その、迷惑、だった?」
少しだけ、不安そうな顔で見上げる。不安半分。もう半分は、少しだけ計算高い自分がいることも知っている。こんな事を言って、この人が否定をするはずがないからだ。
だけど、その思いは変に気負わせたくないというそれが先行してのものだ。事前に何がしたくて、どこに行きたくて。そんなことを言えば、サイズはきっと、熱心にプランを立ててくれただろう。ただでさえ忙しいのに、自身の体力や心の状態など置き去りにして、仕事もかまけず、プライベートまで身を削ったことだろう。
だから、しっかり休んでほしくて、こっそり予約した。こっそり計画を立てた。少し背伸びをしなきゃいけないお店だけど、服装やマナーに格式なんて求めない。それくらいのお店をちゃんと選んで、ちゃんと予約して、ちゃんと連れて行った。
「いや、迷惑なんかじゃないさ。良いレストランだ。楽しみだよ」
わかってる。君がそういうのを期待して、こんなことを言ったのだから。だけど、そう言わなければ、この人は負い目を感じていたかもしれない。休みにデートに誘うなんてどうして思いつかなかったんだ。どうして予約しておかなかったんだ。どうしてどこに行きたいか聞けなかったんだ。
そんなのことを考えないでほしい。だから今だけは、我儘な恋人に少しだけ振り回されているのだと感じていてほしい。
ウエイターの後を追って、確保されたテーブルに向かおうとした時、そっと、後ろから抱きしめられた。
「と、っとと、サイズ、さん?」
「ありがとう。本当に嬉しいよ」
止まっているはずの心臓が跳ねたような気がした。
「そ、そそそそそうかい! そいつあよかったぜ! さっさ、ウエイターさん行っちゃうからさ! はやくはやく、ほら、おいっちにーおいっちにー!!」
振り向かずに、背中だけ見せるように、前を歩く。今だけは並びたくなかった。今だけは前に居てほしくなかった。
顔が熱い。外の熱気よりも遥かに熱い。真っ赤になってるに違いない。
くうう、バレてんじゃん。
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夜空を飛ぶ。レストランに入ったのは、日が沈みかけの、まだそらがオレンジと紫のデコレーションに覆われていた頃だったが、楽しい時間というのは流れるのも早いもので、食事を終えた頃には、もうすっかり空は夜の顔をしていた。
その空を飛ぶ。ハッピーを抱えて、夜空を飛ぶ。お世辞にも涼しいとはいえない熱気がまだ残っていたものの、地面を離れれば少しだけマシに感じられた。
「えへへぇ、おいしかったねーミ☆」
それほど飲んではいなかったように思うが、それでも酒器にあてられたのか、ハッピーはほろ酔いとばかりの砕けた表情でサイズに身を任せている。
空を飛んでいるのだから、ぎゅっとしがみついてくれているのは危うげなくて良いことだ。しかし、ここぞとばかりに顔をすりつけるような動作は、嬉しくもあり、少し恥ずかしくもあった。
曇り空であったのが幸いだ。きっと誰にも、見られていない。
「ああ、美味しかった」
本当に、良い味のレストランだった。複雑な味で、ひとくちひとくちが驚きに溢れ、幸福で満たされた。サイズの舌では、何が入っているのかわからないものもたくさんあった。
「また行こうねえ♪」
「そうだな。また行こう」
本当に、また行きたいと思える。それだけの価値が、幸福があるものだった。そして叶うなら、いや、叶えるべくは、この人とまた行きたいものだと感じていた。
「次は」
次は。
今回は、きっと気を使わせていた。今日デートの約束はしていなかったはずだ。それでも、レストランの予約はとってあった。気を使わせたのだ。サイズが気負わないように、心を休められるように。
それに引け目を感じたりはしない。それすらも感じないように、ハッピーがセッティングをしてくれたのだから。その好意を喜ばしく思い、だからこそ、今度は、次は、
「次は、俺が連れてくるよ」
「お、エスコートだね! ジェントルメーンだね!!」
知っている。分かっている。この人が、どれだけ自分のことを見てくれているのかを。
知っている。分かっている。だけどそれでいてなお、その実感を得た時には幸せを感じるのだ。
その思いを表したかのように、雲が流れ、月が顔を出した。
上弦の月。まだこれから、日を経て満ちていく。より頂に至る道程の月。
ふと、空中で、静止してしまっていた。顔を出した月に、なんだか久しぶりに出会えたような錯覚を覚えて、立ち止まる。
じっと、じっとそれを見上げてしまう。
「……月が、綺麗だ」
言ってから、はたと気づいた。今とても、ベタなことを言った気がする。いや、まて。その意味は異世界の言語だ。いわゆる意訳というやつだ。どんなに言語がバベルでも、意思を込ねばその言葉はその意味にまで昇華されない、はず、だ。
「あの、ハッピーさん」
なんだか気恥ずかしくなって。彼女の顔を見る。別に、言うことには問題がない。そういう関係なのだ。それを口にして、なんら問題があるということはない。
しかしなんだか、今更な気がしていた。改めてその意味を口にするというのもまた、ベタな気がしていたのだ。
デートをして、レストランに入って、夜に月を見上げ、そうして。
首を振る。いけないいけない。今日はハッピーがプランを立てたのだ。彼女にはこの後の計画もあることだろう。だから自分が何かを考えたりは、その必要はない。
「そうね、月がとても綺麗」
その言葉にどきりとして、彼女の顔を見る。彼女は月ではなく、サイズの顔を見ていた。
わかっている。その言葉の意味は。バベルは正確に働いている。この世界は、込めた意味を正しく翻訳する。
誰も見ちゃいない。いいや、雲は晴れた。誰も見上げちゃいない。こんなにも月が綺麗な夜に。だから大丈夫。お互いに、顔をそんなに赤くして。
わかってる。今日を物語だとするのなら、結末はきっとベタでいい。
だから目をそらさずに、どちらからともなく、ゆっくりと顔を近づけて。
ふたりは幸せな―――。