SS詳細
だって、そう。キミはとても美しい。
登場人物一覧
●
「待っていたよ、ヴェルグリーズ」
商人ギルド・サヨナキドリ──多くの商人達が集い、客と取引をする超大型店舗。その最奥でヴェルグリーズはギルドの顔役と対面していた。武器商人、と周囲から呼ばれるソレは執務室のふかふかの椅子にゆったりと腰をかけてヴェルグリーズを迎える。ヴェルグリーズの硬質な色合いとはまた違う、艶やかな銀色の髪を揺らす姿は美しくも妖しいモノであったが、その姿は平素、観測される姿よりは幾分気安く見える。
「広告が気になってしまってね。商人殿なら安心して任せられるし」
「おや、
「少なくとも、完全に俺の害になるようなことはしないと信じているよ。商人殿が自らの口で誘ってくれたのなら、少なからず好意的な興味を持ってくれていると思っているからね」
興味が無いなら捨ておくだろう? と尋ねるヴェルグリーズの言葉に、
「順を追って話そうか。先ずは座っておくれ。……紅茶はお好き?」
「華やかないい香りがして素敵だよね。商人殿は好きなのかい」
「
そう言って
「さて、キミ自身のことだから既に把握はしているだろうが……剣身の疵は刃の部分から斜め上に、中程へ向かって亀裂が走ってしまっている」
「……それは、つまり」
「そう、実用剣としてどうしようもなく致命傷だ。剣戟でもしようものなら、そこから剣身が折れてしまうだろうね」
「うっ……想像するのも恐ろしいよ。首が飛ぶ心地だ」
ブルッと身を震わせたヴェルグリーズは、自身を落ち着かせるためにティーカップに注がれた紅茶を口にした。ほんのりとスモーキーで花を思わせる香りとまろやかな口当たり。少し独特ではあるが美味な紅茶だ。
「……そんな状態なら、確かに一般的な方法での修復は望めないだろうね」
「然り。今のキミは剣としては死に体も同然さ」
「……」
嘆きの溜息が密やかに部屋の中を満たす。ヴェルグリーズも旅の中で多少なりとも鍛治の知識は得ているため、薄々と理解はしていた筈だった。……が、改めて他人の口から現実を突きつけられると心の中に重たいものが降り積もる。何せ彼は数奇な運命から『剣である』というアイデンティティを持つ
「それでもキミが折れずに戦えているのは……
端正な顔に暗い翳りを見せたヴェルグリーズに対して
「そしてキミの『
「でもそれは、最悪の事態の引き伸ばしでしかない……だろう?」
「なに、そう嘆くでないよ。言ったろう? "遊びの余地が生まれた"とね」
それはヴェルグリーズが此処を訪れる直前、目の前の
「
さながら蜜のような甘い誘いの声。菩薩のような慈愛とも、悪魔の誘惑とも思えるような言葉に対して……ヴェルグリーズは苦笑した。
「したことない体験だからちょっとおっかなびっくりだけど……商人殿なら大丈夫だろう?」
「──ヒヒ。ちょいと意地悪だったね」
「最初に安心して任せられるって言ったじゃないか」
けろりと声の調子を戻した
「それで、商人殿はどんな"遊び"を俺に施してくれるんだい?」
「んー……ちょいと視させておくれね」
「ふむ……ふむ……なるほどねぇ。であれば……」
「……しょ、商人殿?」
「少しお待ち」
時間にして1分ほどだったろうか。何かに満足したのか、納得を得たのか、
「おまたせ」
やがて
「どこに行くんだい?」
「あそこで修繕を行っても良かったのだけれど、どうせならふさわしい場を設けようと思ってね」
ヴェルグリーズが尋ねると、
「来た時も思ったけれど、この建物は広いね」
「広いよ。曖昧だからね」
「……何が?」
「何かが」
やや要領を得ないものの、考えるうちに階段の一番下に辿り着いた。
「此処、は……?」
そこは地下にも関わらず広い空間の上方には青空が広がっていた。練達にもドーム状の天井の内側に『空』を映す施設があったとヴェルグリーズは記憶していたが、此処の青空には雲がひとつも無くいっそ恐ろしくなるくらいの晴天だった。その一方で地面には浅く一面に清らかな水が張られており、
「此処がキミの修繕のために設けた場。さ、ヴェルグリーズ。"おいで"」
疑問に思うことは山ほどあったものの、どことなく力の籠った
(あ、これは……)
安置されたヴェルグリーズは直感的に理解した。
「──【祖には鉄。因には剣。縁には別離。】」
高すぎず、低すぎず。
「【七つの宝に地母の花、天女の雲紗を以って楽園を開かん。】」
《なっ……!?》
「【其は別れを識るもの。其は別れを齎すもの。其は無量へと安寧を願うもの。】」
ヴェルグリーズは気が付く。だんだんと上空が明るくなり、強い光が差し始めていることに。地下へ潜ってきたにも関わらず、だ。彼は思わず、今は存在しないはずの瞼をぎゅっと瞑った。
「【願いは楽園を呼びて其の身に帯びさせ、楽園来たりてはすなわち万のけがれを断ち切らん。】」
上空の大光量のせいか、他の要因か、ヴェルグリーズはその
「【鉄の内に綴じよ、鉄の裡に延びよ。汝が名は──】」
閉じた瞳を突き抜け全てを包み込んでしまう光の中で、やがてヴェルグリーズの意識は溶けていってしまった。
●
……ヴェ……リ……ズ……。
誰かが呼ぶ声がする。
ええと、誰だったか。待っていてくれ、今──
●
「ヴェルグリーズ」
「──!」
ハッと意識を取り戻したヴェルグリーズは、気がつくと人の姿を取って浅い水辺で仰向けになって寝転んでいた。雲ひとつ無い青空と桃色の蓮華の花、そして銀の長い髪を揺らして顔を覗き込む
「ご機嫌は麗しいかな?」
「……そう、だね。特に変な感じはしないよ」
「そいつは重畳」
ちゃぷ……と起き上がると、ヴェルグリーズは自身の首筋に触れた。意識が遠のく前はヒビ割れていたそこが今は塞がり、古傷の様にほんの僅かだけ盛り上がった感触を指先に伝えている。試しに鏡の様に澄んだ水面を覗き込んでみると、その違いは一目瞭然だった。水面には怪我をする前の様な滑らかな肌が映っている……が、ヴェルグリーズはふと違和感に気がついた。それはともすれば見逃してしまいそうなくらい些細なものだったが、光の当たり具合でうっすらとした桃色の痣の様に浮かび上がるそれは……
「……蓮華?」
「キミが無事に鉄を取り込んだからね、疵の部分はちゃんと継がれて補強されているよ。痕跡も完全に消してしまうのが修繕としては最良なのだろうけれど、紋様というのはある種の
「いいや。"あの疵があった"という証が残るならありがたいよ。剣としてはあの疵に恐怖を覚えたのは確かだけれど……俺にとって、忘れたくない戒めでもあったから」
疵を負わされた時のことを思い出したのか、ヴェルグリーズはもう一度そっと蓮華の紋様を撫でた。
「……そういえば、代金はどうすればいいんだい?」
「金品は不要だよ。"対価"は既に貰っているからね」
「え? 何か渡したっけ……?」
不思議そうに首を傾げるヴェルグリーズを眺めて
この日から、ヴェルグリーズは新たな
──すなわち、『浄土』を。