PandoraPartyProject

SS詳細

迷い走る今すらも

登場人物一覧

咲々宮 幻介(p3p001387)
刀身不屈
星穹(p3p008330)
約束の瓊盾

●ほんの少し
 吐き捨てては胸の奥を傷付けるような罪悪感なら、捨ててしまった方がマシだ。
 何時だって心を支配するべきは『始末人』としての揺るぎない信念に満ちている。此れ迄己が殺めてきた命を数えてはキリがない。
 ……そうは解っていても、夜の闇に滲んだ負の感情が己に囁く。
 
 殺さないことを選べたならどれだけ良かったか。再現性東京のネオンに煙草の煙が滲んだ。
「なぁ、星穹」
「はい」
 呼ばれれば、現れる。
 女は何時だってそうだ。屹度意識はしていないのだろう。のだ。
 此度の仕事の相方。知らぬ顔ではない。ネオンに染まる銀糸を目で追った。
「此の依頼、俺はきっと直ぐ終わるに飯の奢りをかけるぞ」
「あら。でしたら私の方が多く殺すに酒の奢りをかけますわ」
「言ったな? お前、潜入の癖に」
「腕さえあれば人は殺せますもの。で嗚呼、お忘れ無きように……合言葉はシンデレラですよ」
 女が消える。始まりの合図だ。星すらも見えない夜は、どこか腐った世の中に似ている。
 首が詰まった錯覚に陥ってスーツの襟を緩める。女がもしまだそこに居たのなら小言を云われたに違いない。
 ふと笑った口元から煙草が零れ落ちた。良質な革靴が、其れを踏み潰した。

 ――幾度とその音色を聞いただろうか。
 地に咲き誇る赤き花は数えるべくもなく。
 今日もまた一つ落ちる音がする。

●still
「――潜入依頼?」
「嗚呼、そうだ。星穹、どうせ仕事の余裕はあるんだろ?」
 ひらりと紙を振り。幻介はからからと笑ってみせた。
 行く手を阻まれた女はふむと一考の余地を見せる。
「まぁ、なくはないですが」
「……子供が懸念か?」
「ええ。一応母ですので、血の匂いなど気にしてしまいます――が、来いってことなんでしょう。とっとと要件をどうぞ?」
 浮かべていた笑みも消え、女――星穹はやれやれと肩を竦めた。
 幻介が同業者と笑う彼女は忍。夜の覇者である。以前同じターゲットを狙って命の取り合いになったこともあるのだが、其れはまた別のお話。
 ローレット伝いに伝言を託されたかと思えば依頼への誘いだったのだ。げんなりしてしまったって仕方ないだろう。
「で、どうして私を。依頼ならばでも連れていけばいいのでは?」
 日付と時間だけの指定、命に関わる何かがあったのではないかと危惧していたのに。
 にっこりと浮かべられた笑顔からは怒りが滲んでいる。彼女は怒らせると面倒な類の人間だったと幻介も覚えていないわけでは無かろうに。
「そう拗ねるなよ。彼奴等だと少々危ない気がしてな。其れに潜入はお前の得意分野だろ?」
「ま、否定する理由はありませんわね。彼女達の前で貴方は優しすぎますから」
 どうせ潜入だってろくなものではない。変な服を着せてくるだけの夜妖ならばまだしも忍を呼び止めたのならば殺人が伴うに決まっている。
(彼女達の手が汚れなくて良いように宛てがわれたのかと思ったじゃないの)
 幻介とはそんな男だ。女に声を掛ける癖に本気になれば逃げる。独りを厭う癖に人と関わることを恐れている。ろくでもない最低の男だ。
 そんな一面を少なからず知っている。過去は知らずとも、ある程度察することも出来る。星穹は幻介に恋をしている訳でも、恋されている訳でもない。星穹と幻介の都合の良い関係は、殺しと夜で繋がっている。だからこそ昼に会うことは少ない。会ったところで、することも無いから。
 仕事だけの関係の二人を繋ぐ次の依頼。星穹は頬杖をついた。
「内容は?」
「そう急かすなって。機嫌悪いのか?」
「帰っても宜しい? 私、此れでも多忙の身なのですけれど」
「あーもう! 力を貸してくれよ! 悪いとは思ってるから!!」
「……さっさと紙をよこしなさいよ、全く」
 頭をがしがしと掻いた幻介からややひったくるように依頼用紙を受け取った星穹。
 曰く、内容はこうだ。
 少女をターゲットとした違法薬の売買、並びに密輸犯を叩く。
 内側からの潜入と外側からの攻撃を行いたいが相手も手練の為少数構成を希望する。
 難易度の高い依頼だと独り言を呟いた星穹。其の方が燃える癖にと幻介が笑えば苦無が飛んでくる。
「此の潜入役をすれば良いのかしら。薬を仕込まれるの? 其れか接待?」
「実働部隊は俺になるだろうが、まぁ星穹が動けて困る理由はない。店側で頼む」
「履歴書の詐称ってだいぶ厄介なのに……はぁ。解りました、頼まれましょう。で、仕込みますけど」
「……????」
「だって貴方、潜入ですよ? ふざけているのですか?」
 内側と外側。そう告げた筈なのに。話を聞いていたのか居ないのか。
 青い指先を口元へ添え星穹は瞬いた。
「い、嫌、お前だけで行くものかと……」
「まぁ其の方が楽ではありますが、其の場合の最悪のケースは、」
「星穹が捕まった場合だな」
「宜しい。では早速、お時間を拝借しますわね」
「えっ、ま、まさか今からか?!」
「だってそうしないと貴方の其の姿勢は直りそうにありませんから。……とは云っても貴方と噂されるのは此方とて不本意です、訂正しておいてくださいね。もしも良いように噂が流されていた暁には貴方の首をローレットの前に飾っておきますので」
「俺にも一応男のプライドと云うものがだな……」
「女性を悲しませている時点でそんなもの飾りに過ぎないでしょう。ほら、早く」
「……はぁ!」
 そう云われると反論し難いのも事実。せめてもの反抗に大きくため息を吐いて、星穹の後を追った。

 星穹に連れられてやってきたのは彼女の隠れ家であろう小さな部屋の一つ。
「本当は他人など連れてくる心算等無かったのですがね」
「おっ、特別か?」
「さてと、貴方のような野蛮人にも入るサイズの衣装は、と」
 足の甲を狙って遠慮なく踵が落とされる。鼈甲を塗ってある下駄は言わずもがな重いのだろう、足を避けなければ薄ら凹んだ此の床のように成っていたに違い無い。
「……まぁ、貴方は紳士服が良いでしょうね。肩身は細いですが声が駄目です。変声期を迎えるとやはり厄介ですね」
「なぁ星穹、此の衣装は……?」
「嗚呼其れは――待ちなさい、勝手に漁らない! 下着だってあるかもしれないでしょう、死にたいんですか?!!」
「あっいやすまん、生活臭が無くてついな……」
「塒でないのは事実ですけれど、人の私物に手を出すのは頂けませんわ。着たいのですか?」
「嫌全く!」
「ならば大人しく其処で待っていてください。スーツと……後は革靴ですかね。此れと、其れを着てみてください。裾は調整すればいいですから」
「お、おう……」
 扉を閉めた星穹の意図は未だ解らない。恐らくは何か算段があることだろうが、だが然し星穹と幻介ではフィールドが違う。彼女のように潜み奪うのは本領ではない。
 ローレットで特異運命座標イレギュラーズとして活躍する前――元の世界に居た頃では、想像もしなかった。
 故に新鮮で悪い気こそしないのだけれど。其れは其れとして、依頼が関わるならば話は別だ。
 元々夜に生きる仕事なのだから見目など気にしたこともなかった。少なくとも、幻介は。だからこそ星穹の懸念であろう『潜入にならない』という不安は最もだと思う。が、然し。テコ入れをしてまでする程てこずるとも思えないのもまた事実。
(こういうときの女は咎めない法が良いな、やりたいようにやらせてやろう……)
 姉で重々学んでいる。星穹が他人に興味を持っているうちが花なのだと云うことも同様に。なのでせめて刺されぬ内に着替えてしまおう。
「……髪が邪魔ですがまあしばらくシャンプーをなんとかすればまとまりは何とかなるでしょう。ヘアオイルはありますか?」
「其れは……?」
「嗚呼いいです、後で買い出しに行きますよ。靴は暫く其れを履いて履き慣らしてください。戦える程度には」
「理由は?」
「第一に。貴方ならば覚えていても損は無いだろうと判断致しました」
「……応」
「第二に。才能は開花する迄育てるものです」
「其れは褒め言葉か?」
「さぁ。そして、第三に。貴方は一流のものを知るべきでしょう」
「一流を? ……星穹よりは知ってる心算だったんだが」
「いいえ。唯物の一流に触れるだけが全てではありません。仕草、言動すらも模倣してこそ正しく一流と云えましょう」
「つまりなんだ、真似事をしろってのか?」
「いいえ。正しく、其れに成り変われる程度には完璧に仕上げて頂きます」
 だからこそ。
 着替えさせて逃げられないようにしたのだと云わんばかりに微笑む星穹。彼女が忍たる所以は此処にあるのだろうと思った幻介なのであった――

「背中。曲がってますが」
「顔引き攣ってますよ。不審者ですか?」
「言葉遣いがおかしいです」
「僕ではなく私。いいですね?」
「トレーくらい片手で持てずしてどうしますか、落としますか? グラスは高値ですけど。あ、勿論中身も」
 星穹からの特訓は正しくハードで、普段こそ飄々と逃げてしまう幻介をとっ捕まえては仕込みを入れるものだから、嫌でも身体が其の仕草を覚えてしまう。其れは喜ばしいことなのだが、少々気に食わない気持ちもあるのだから複雑だ。
「おい、此れどうやって水平に持つんだ?」
「なるべく均等な力になるようにしてください。小指の位置に重いものを乗せるべきではないでしょう?」
「嗚呼、成る程……コツか」
「まぁ、そうなるかと。慣れれば次第に其の辺に筋肉が付きますわ」
 時に叱り、時にアドバイスを交えながら、星穹は幻介に潜入の極意を教え込んだ。代わりに身体が鈍ると思えば、スーツとドレスで模擬戦を仕掛けて。
「スーツを破いてはいけませんよ、高いですから」
「そっちこそ、ドレス裂いても怒るなよ?」
「あら、服に刃を入れるのは下賤な男のすることかと」
「……お前なあ!」
 くす、くす。笑い声こそ愛らしいが其の最中にも死合は続く。
 段々と足に馴染むように成ってきた革靴は、義手で弾かれた剣戟にもぐっと堪えるだけの足の力を保証する。ちかちかと瞬いた義手からは剣を折るように刃ではなく刀身を目掛けた正拳突きが飛んでくる。
「ほんと、忍ってやつは……ッ!!」
「貴方、女に嫌われませんか? 手加減が下手くそ、って!」
「はは、女難の相持ちだぞ!」
 スーツを着るのに着崩すことなど不要と、毎日ネクタイを首まできっちり上げさせられた甲斐もあると云うもの。二週間も経つ頃にはそこそこ様になるようになってきた。と。思う。主観だから解らないが、星穹曰く『普段からそうしていれば良いのに』。女性に軽く声をかけてみれば応じられる回数も増えたから屹度そういうことなのだろう。声をかける度に星穹に睨まれていたのもよぉく覚えているが。
「其れでこそ彼の友人ですね」
「此れでも一応俺のほうが年上なんだけど星穹さん?」
「あら、年下に教えられて恥ずかしくはないのですか、幻介さん」
「…………ご尤もです」
「宜しい」

●Don’t break my stride
 仕込みは上々と云ったところだろうか。思っていた以上に幻介の飲み込みが早いのは剣士の性なのだろう、彼等の持つ武器のように真っ直ぐだ。教えれば響く。何かしらの形で変化が見える。其れは非常に喜ばしい。
(……うん、屹度今日は上手くいくわ)
 メイクポーチを乱雑にこじ開ける。爪先を彩るネイルチップは眩く煌めいた。仕事用に覚えた化粧。アルカリ性の、つんと鼻につく匂い。
 眦に伸ばしたアイライン。今日『接待』する彼らの好きな厚化粧。瞼の上に乗った赤はぎらぎらと輝いて。
(化粧、濃いわね……こんなので良いのかしら、男って解らない生き物ね)
 溜め息を吐いた。どん、どん、と打ち付ける音圧が煩い。
 星穹が潜入したキャバレーは裏社会も何でも御座れ、唯酒を注ぐだけが役目ではないだろう。経歴を偽って入っただけはある、指名率は悪くはない。
 持ち前の全てを活かして商売をしているのだ、寧ろ其れくらい云ってくれないと自信だって無くなる。継ぎ接ぎの義手の結合部が見えないように頑張っているのだ、褒められたっていいのにと星穹は内心口を尖らせる。
(其れに、潜入とは云ったって水商売は好かないのよ……はぁ)
 こんな姿を息子に見せるわけにはいかないのだ。けれども仕事。ならばやるしかない。迷うように星穹の銀糸は揺れる。
 身体にフィットするように作られたのだろうドレスも。胸元を見せるデザインなのも。武器を仕込むには不向きだ。致し方ないと随所に仕込めるだけ仕込んで、星穹は個室を出た。
「アカリさんご指名です」
「解りました」
 黒服げんすけせらは些細なやりとりを交わす。
 アイコンタクトで充分だ。と云うか、そうなるように其れも仕込んだ。
 甘く香る香水の匂い。今日の彼女は忍である前に一人の女であるわけで――
「あははっ、また来てくれたんですかぁ? 嬉しいです~!!」
 ふにゃっと崩れた笑顔。きゃぴきゃぴと上がる(いつもよりもワントーンくらい上がっていそうな)声。彼女らしさなど欠片もない其の姿は、彼女がプロである一番の証明なのだけれど。耐えきれず吹き出せばすれ違う時にピンヒールで足の甲をぐりぐりと踏みつけられる。
「あっ、ごめんなさい、うっかりしていて!(訳:殺されたいようね、あとで鼓膜突き破ってあげます)」
「いえ大丈夫です。それより次のテーブルへ!(訳:だってお前どっからそんな声出してんの? 不可抗力!)」
 いくら踵で踏みつけて揶揄うなと怒って見せようと、やはり彼女もプロである。仕草で魅せ、トークで魅せ。これが彼女の営業モードでないと気付かなければドキドキしてしまうのかもしれない。素は真冬よりも冷めた毒舌女なのだが。
 かくいう幻介は幻介で、耳につけたイヤホンに集中しながらも接客を進めていく。酒を運んだり、軽食を運んだり、かと思えばテーブルを綺麗にしたり。案外落ち着いていられる時間が少ない。
 背中をピンと張る意味でも、武器を隠す意味でも背中に巻かれた鞘のせいで背中は痛いしで中々苦しいというのが本音だ。今此処でがんばった分は給料が出るし、何より壊滅させれば更に上乗せさせられる。それがなければちゃぶ台をひっくり返したって良かったかもしれない。
 何せ幻介が今接待しているのは、件の始末対象だからだ。
「兄ちゃんちょっと給餌なれてなくね? 教えてやろうか?」
「すみませんお客様、今しばらくお待ち下さい」
「いや、そんなのはいいって! アカリちゃんからもなんか云ってやってよ~」
「あたしこの人嫌いだから~、痛めつけてもいいよぉ?」
「あっほんと? じゃあおにいさん頑張っちゃお~!」
「?!!!」
 星穹の突然の裏切り。幻介は胸ぐらを掴まれて宙ぶらりん。
 否、其れは裏切りではなく。寧ろ合図を確実に伝える為の手段だった。
 恐らくは少々の腹いせの意味も含まれていたのだろうけれど、彼女は幻介が吊られることを問題視してはいなかった。其の程度のことで死ぬような男ではないだろうと云う一種の信頼でもあるのだろう。
「すみません」

「シンデレラ、お願いします」

 12時の時計は回らない。
 少なくとも彼等にとっては。
 其れは二人が決めた『合言葉』。シンデレラを注文すれば、決行の合図だと。
 がん、とヒールを叩きつけ折る音が木霊する。
「なっ、なんだ此れは!!!!」

 ぎ  ぃ  ん

 鉄が鉄を舐める音。
 背筋から鞘ごと取り出して、平らな背を撫ぜる鞘走り。鋭き刃は空気に触れることを喜ぶかのように、蛍光色の電光を反射して。

 ひとつ、薙ぎ。
 悲鳴のなかで確かに上がる雄叫び。否、一際死に近しい悲鳴。
 ふたつ、薙ぎ。
 心臓のなかで確かに上がった熱狂。即ち、興奮にも似た麻薬。
 みっつ、薙ぎ。
 動乱のなかで確かに示した存在感。其れが、男の刀の本質だ。
 ――幾度とその音色を聞いただろうか。
 地に咲き誇る赤き花は数えるべくもなく。
 今日もまた一つ落ちる音がする。

 唯命を奪う為に研がれた刃。目眩ましついでに投げた硝子が爛々、シャンデリアを艶めかしく映して。
(けど、そうだ。未だ、始まりだ)
 殺しにおいて。
 武器を構えたのも、何かが壊れていくのも始まりに過ぎない。
 最終的に首を取らなければ皆に等しく起こった此の悪夢は終わらないのだから。
「おい、逃げるなよ。寂しいだろう?」
「うるせェッ!!!」
 実力行使、と云う訳だ。男は鉛玉を幻介に向かって躊躇いなく放つ。
「銃刀法違反なのではなかろうか」
「お前もだろうが!!!」
「否、何。此れは正義側のお仕事なもんでね、お前たちが悪に分類されるんだ、悪いな」
 キン、キンと弾かれては真っ二つにくだけていく鉛玉、弾丸。ぱらぱらと小気味よく崩れていく其れは砂の城が崩れるときにも似ている。なんて、ふと思った。
「ちょっと貴方、手止まってるわよ」
「うるせぇよ! 今やってんだ!」
 星穹は星穹で逃げようとした仲間を捕まえていたらしい。縄で捕縛して気絶させていた。流石の早業だ。
(……よし、店は粉々だが、イケる)
 真っ直ぐに向けた刀が爛々と輝く。艶やかな夜のネオンを纏って。けれど。そう上手くいかないのが人生だ。
「おい!! 刀を置け……女はこっちに来い! 早く!!」
 逃げ遅れたキャストの一人を人質に取られてしまってはどうしようもない。二人で突入したのだから誰も逃す誘導になど回れない。恐れていた事態の一つではあったが、起こる想定をしたくはなかった。
(……本当ならば、)
 見捨てるべきだ。
 そうすることで更に相手に罪を被せることが出来る。けれど。
(そうすれば、あの女は助からない)
 何の罪もない命を己の独断だけで切り捨てるには、あまりにも重い。けれど。命のやり取りとは、そういうものだ。
 両手を挙げた星穹が男たちの元へと近寄り、幻介は刀を捨てる。
「たすけて……っ、ごめんなさい……!!!」
 どうすればいいかなんて解らない。
 何が正解かも、学んでなんかいないけれど。
(…………俺は、)
 星穹は唯、頷いた。だから、幻介はボトル瓶を男たちに投げつけた。
「何をする――!!」
「何って、人命救助だよ!! おい、星穹!」
「もう大丈夫です、行って!」
 星穹の腕の中には抱きしめられた女の姿。保護されている。そして、目も覆われている。耳も。何もかも。此れから起こる惨劇とは無縁の一般人でいられるように。
 何が正解かなんて。どうすることがいつも最善かなんて解らない。
 今まで切り捨ててきたいくつもの命に、ちゃんと生きてきて良かったと語れる人生を歩んでいるとも思わない。
 生きていたかったと願う人達を踏み台にして、幻介は今日の日を生きている。
(――其れでも、そうだとしても)
 ただ、助けを伸ばしてくれた其の手のひらを。迷わず掴めるだけの強さを、失わずにはいたいのだ。

 ――幾度とその音色を聞いただろうか。
 地に咲き誇る赤き花は数えるべくもなく。
 今日もまた一つ落ちる音がする。

 そして其の椿を落とすのは。落ちる音が聞こえるのは。
 何時だって、幻介だ。
 唯一人。幻介だけが、其れを知っている。

(……もう、此れが何人目かも解らない)
 舞い踊る鮮血の花吹雪。
「お疲れ様でした」
「……おう。一服するかな」
「でしたら私も。ライターを……拝借しましょうか」
「お、死体浅りか」
「……ありませんからね、仕方ないでしょう」
 会話こそ。やりとりこそ軽快で弾んでいようとも。
 二人の表情に、何一つ笑みらしきものはなかった。

●I don’t wanna classic
 吐き捨てては胸の奥を傷付けるような罪悪感なら、捨ててしまった方がマシだ。
 何時だって心を支配するべきは『始末人』としての揺るぎない信念に満ちている。此れ迄己が殺めてきた命を数えてはキリがない。
 ……そうは解っていても、夜の闇に滲んだ負の感情が己に囁く。
 
 殺さないことを選べたならどれだけ良かったか。再現性東京のネオンに煙草の煙が滲んだ。
「なぁ、星穹」
「はい」
「お前は、此の世界から抜け出したいとは思わないのか?」
「……と云うと」
「殺しをやめたいとは、思わないのか?」
 完全に情を失ってしまえたならどれほど良かっただろうか。
 幻介を苛んでいるのは何時だって罪の意識だ。其れが一族に課せられた指名であろうとも。そうすることでしか生きられないと理解していようとも。己が行って居る其れは『殺人』以外の何物にも変わらず。時折悩んでしまうのだ。今己が立っている此の道に間違いはなかったのだろうか、と。
「……貴方も、悩んでいましたか」
「と云うことは星穹も?」
「ええ。昔ならば悩まなかったのでしょうが」
「……だな」
 燻る煙。ネオンライトに浮かぶニコチン。
「最近は、悩んでいますよ。……どうすれば、良かったのだろうかと」
「……殺したことは無くならないさ」
「ええ。殺めてきたことも。奪ってきたことも、全て事実。だからこそ悩んでいるのでしょう、お互いに」
「そうだな……はぁ。難しいぜ」
「まぁ、そうですね。……いつか其れを分かち合える人が出来たならば、良いのでしょうが」
「……」
 幻介の脳裏を、よぎる。

「貴様――ぐぁ!」
「何をしている! 全員で奴を……がッ!!」
 椿が落ちる。
 一つに二つ。三つに四つを飛び越え五つ。
 六つに七つに――椿が幾つも地に落ちる。
 今の彼を止められる者がどこに居ようか。己が半身とも言える存在を失い。
 やがて彼は修羅へと到達した。
 そして――全ての事の裏に居た武家の頭領を討ち果たすに時は要らぬ。
 ……だが結果として、幕府中枢の一人でもあったその者を討ったことにより。
 幻介はお尋ね者と相成った。
 幾日にも至る追っ手を切り伏せ。微かな銭で酒を買い。
 浴びる様に飲んで――ふと気づいた時、いたはどこぞの廃屋か。
「…………今は、さて、夏か、秋か……」
 もはや記憶も朧げに。ここにどうやって至ったかも思い出せぬ。
 されど。
 それでも彼の瞼の裏には――あの日の光景が宿っている。
 紅。
 彼女の顔。愛しい半身。決して忘れられぬ己が全てよ。

『――生きて』

 自らの分まで生きてほしいと。
 喉の奥から掠れるように、だが確かに紡いだあの言葉。




 ……あり、がとう……幻介……


 ――幾度とその音色を聞いただろうか。
 地に咲き誇る赤き花は数えるべくもなく。
 今日もまた一つ落ちる音がする。

「……難しすぎるな」
「……何が?」
「いいや。俺達の悩み事は、ずいぶんとデカくなっちまったなって」
「…………そうですね」
 何時ぞやか。首を担いで帰った夜があったか。其れは二人の何方にも。
 だけれども、其の話を笑い話にすることは出来ても。心に溜まる膿を絞り出すことなど出来ようか。
 何時だって己の周りには死が絡みついている。そんな人間が、幸せになって良い筈がないのだ。

 ――幾度とその音色を聞いただろうか。
 地に咲き誇る赤き花は数えるべくもなく。
 今日もまた一つ落ちる音がする。

 死なない仲間だ。愛していたひとと同じ忍だ。
 そうだとしても彼女は違う。彼女には護るべきものがある。
 ならば己は?
 ちりちりと短くなっていく煙草の先を眺めながら、薄ら白んできた朝焼けの空を眺める。
 我武者羅に走り続けるなんてことは出来そうにない。今ですらも、迷いながら走り続けているのに。そんな今の情けない自分を、どうして愛そうとしてくれる人がいるのだろうか。
(……解らない)
 本当に願っている幸せは、屹度自分と一緒になることではつかめないと解っている筈なのに。
 全てが片付き血の海と成った部屋の中で、咲く場所にケチをつけるような椿はもう咲いては居ないけれど。
 窓の外から差し込んでくる蛍光電飾ですら己の罪を見透かしてしまうような気がして、酷く胸が痛んだ気がした。

(――――――俺は弱くなったと思うか、紅)

  • 迷い走る今すらも完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2022年07月09日
  • ・咲々宮 幻介(p3p001387
    ・星穹(p3p008330

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