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未来を思い描くなら

登場人物一覧

ライ・ガネット(p3p008854)
カーバンクル(元人間)


 チャイムの音が鳴って、休憩の時間が終わると、廊下をドタドタと、急いで教室に戻る音がする。
「危ねえぞ、転ぶなよ!」
 保健室の扉から顔を出して、忠告をひとつ。
 端的に「走るな」とは言わない。意味を理解しないルールは浸透しないと考えるからだ。ルールを守るのではなく、ルールによって守られていることを知ってほしいと考えるからだ。
 当然、こんな一言で何かが変わるとも思えない。明日もきっと生徒は廊下を走り、誰かが転びもするだろう。だからといって、悪いことを野放しにはしない。正しさという姿勢を見せることも、役割なのだと感じるようになった。
 つかの間の騒々しさ。訪れる静寂。どこかで起立を促す声がする。その静けさを少しだけ楽しんでから、ライはベッドのひとつに目を向けた。
 小さな電子音。何かの終了を告げる合図。
「それで、熱は?」
 音の正体は体温計のそれだ。
 体調が良くないのでベッドを利用したい。そう言ってきた女生徒に、事務的に手渡したものだった。
「う……」
 掛け布団の裾から顔を半分だけ出して、バツの悪そうな顔をする女生徒。それには何も言わずに手を差し出すと、少女は恐る恐る、熱を測り終えたその小さな機械を返してきた。
「36.5℃、ね」
 見事に平熱である。人種の坩堝たる混沌ではそうとも言い切れないかもしれないが、希望ヶ浜学園の生徒は大半がとある異世界からの被召喚者。少女もまた、その平均の範疇を外れてはいなかった。
「その……」
 ビクビクと、怯えた目を見せる女生徒。ようは、保健室を使ったサボりが目的なのだろう。教師から見れば、褒められたものではない。だがライにはむしろ、少女に真面目だという印象を持った。
 本当にただ悪どく体調不良を装いたいのなら、体温計などいくらでも誤魔化せる。風邪に近い症状を訴えるより、腹痛やらを言い訳にすることも出来たはずだ。
 ただそれに思いもよらなかっただけかもしれないが、それはそれで、悪いことを知らないのだとも言える。
「ま、次の休み時間まで寝とけ」
 だから別にため息をつくでもなく、叱りつけるでもなく、診察を行うでもなく、端的にそれだけを告げるに留めた。
 事情があるのだろう。思い悩むことでもあるのだろう。だから、逃げ出したくなることもあるだろう。それでいい。それで問題はない。立ち向かい続けることは立派かもしれないが、ときには立ち止まることを誰かが認めてやってもいいだろう。
「い、いいの……?」
「おう、一限だけな」
 話はそれだけ。こちからか事情を聞こうとはしないし、ずっと顔を突き合わせたりもしない。悩みの類をリストアップすることは出来ても、明確にすることは出来ない。心情を慮ることは出来ても、同じ人間になることは出来ない。話したい悩みもあれば、話したくないこともあるだろう。誰かに聞いてほしいこともあれば、誰が何を言ったところで、解決しない問題もあるだろう。
「…………先生、あのね、聞いてくれる?」
 だからそう言われるまで、ライは何も言わない。しかし手を伸ばしてくるならば、救いを求めてくるならば、それを握ることもまた、大人の役割だと知っていた。
「おう、なんだ?」
「先生が、あっ、担任の先生がね。進路を決めておきなさいっていうの。将来、どういう仕事につくとか、どんな人間になるとか、そういう希望を出しなさいって」
 そんなことか、とは言うまい。同じような悩みを抱える生徒を何人も見てきたが、彼ら彼女らからすれば、人生の岐路とも言える大事な選択だ。思い悩みもするだろう。どのようにしていいかわからなくもなるだろう。その果に少し逃げ出したくもなるだろう。
 どうしていいかわからないのに、大人は未来のことを見据えろと言う。決めたくないわけではない。子供の時間に縋りつきたいのでもない。しかし何を持って正解とするか、わからないでいるのだ。
 好きなだけ思い悩んで良い。彼女自身の問題だ。だがこんな時に、大人がしてやるべきことは、道の選び方を示してやることだ。自分ひとりの力で決めさせる、生徒の自主性に任せると言えば聞こえは良いが、忘れてはいけない。子供とは、大人が保護し、導くべき対象である。
 強要はしない。押し付けやしない。それはライが成りたかった大人ではない。
「それで、何かしたいことはあるのか?」
「……先生もそんな事言うの? わかんないからぐちゃーってなってんじゃん」
 少しだけ、失望したような視線。だがそれを否定すべく、今度はわざとらしくため息を付いた。
「違ぇよ、仕事や地位の話をしているんじゃない。大人になったら、やってみたいことはあるかって聞いてるんだ。ないのか? とにかく金持ちになりたいとか、美味い飯を腹いっぱい食べたいとか」
「……先生、発想がが貧困」
 うるせえよ、と返すと。女生徒はくすくすと笑いながら、真剣に考え始めた。
「…………先生」
「おう」
「笑わない?」
「笑わねえな」
「えっと、じゃあ……世界中を、旅してみたい」
「旅か」
「うん。ちょっと前に、映画で見たんだ。世界中の空とか、山とか、ずっと北の国とか、旅をして、自然を体験する話。映画はとっても綺麗だったけど、私はその中に、入りたいと思った。そこに行きたいと思ったの。ば、馬鹿っぽいよね。映画ひとつで」
「いや、いいじゃねえか。じゃあ、大人になったら、世界中を旅して回る。そのために、何が必要だ?」
「え、え……お金?」
「金。必要だな。だって世界中を旅するんだからな。他には?」
「ほ、ほか?」
「他だ。海に行ったら、映画ではどうしてた?」
「も、潜ってた。海の中も、魚も、とっても綺麗だった」
「じゃあ、見ない手は無いよな。潜水は出来るのか?」
「ううん、その、全然わかんない」
「なら、大人になるまでに出来るようにならないとな」
 自分の先のことを考える、とはこういう手段もある。ライが示したいのはそれだった。成りたいことではなく、やりたいことを自覚させ、その為に何を用意し、何のスキルを得なければならないか。そのためには何をすべきか。そうやって、未来までの予定を埋めていく。
「他には?」
「まだあるの??」
「当たり前だろ。海に行きたいんじゃない。世界中に行きたいんだぜ。ほら、何が必要だ?」
「そんなの、いっぺんに言われてもわかんないよ……」
「考えることを放棄するな。今すぐ答えを出さなくてもいい。やりたいことの為に、何をしなければいけないのかを考え続けろ。ほら、知らないか? 感じるんじゃない、考えるんだ」
「…………先生、それ古いし逆だよ」
 幾ばくか、表情の陰りが薄れたのを見て、ライは胸中で頷いた。
 今すぐ答えが出るものではない。このやり方が答えとも限らない。だが、考えることは無駄にはならない。
 授業の終わりを告げるベルまで、おおよそ四半刻。
 きっと次の授業には、明るい顔で教室に戻ることだろう。
 こういうのもまた、保健室の先生の役割であるのだ。

  • 未来を思い描くなら完了
  • GM名yakigote
  • 種別SS
  • 納品日2022年06月25日
  • ・ライ・ガネット(p3p008854

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