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何時の日か
登場人物一覧
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子供のように無邪気に遊ぶことがなくなったのは何時からだろう。
草野球をしなくなったのは、中学生に上がってクラブ活動があったからだろうか。いいや、その前から真剣に取り組んでいた奴はリトルリーグに入るとか、そういうことをしていたように思う。
だけど遊びで野球をする者が周りに居なくなったのは明確にその時だ。その時から外で遊ぶ行為は運動部の活動に代わり、規定された集団に属することなくスポーツを遊ぶ者はいなくなった。
友だちを家に呼んでゲームをしなくなったの何時からだろう。
中学生になって勉強が難しくなり、それをしない者は家にいつくことを良しとしなくなった。いいや、受験だと言っていたよっちゃんは小学校の頃から誰かの家で遊ぶことはなく、友達を家に呼ぶこともなかった。
だけど明確に区分けされたのはその時だ。その時から成績という評価が常にちらつき、僕たちを定め始めた。
それは単にコミュニティに属するという行為が激化しただけかもしれない。常に結果を求められ続ける社会で生きていく為の教育が本格化しただけかもしれない。
あるいは、それが大人になるということなのかもしれなかった。
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清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
小学校の頃は毎日のように外で遊んでいた。学校が終わると公園に駆け出し、日が沈むまで遊び回った。
休日には朝から草野球をして遊んだものだ。ボールを追いかけ回し、泥だらけになって家に帰り、誰もが母親に叱られた。それでも懲りることはなく、次の日には公園を駆け回っていた。
中学生に上がっても洸汰は変わらなかった。周りが遊びを卒業し、クラブ活動を始めても、公園を駆け回り、日が沈むまで遊び回った。
皆が試験勉強に頭を悩ませ、一部の者が喫煙を始めても、洸汰は泥だらけになるまで帰ってこなかった。
その時から洸汰の周囲は彼への認識を改めていく。
皆が二次成長期を迎え、男子が女子の背丈を追い抜き、異性を意識し、向かうべき将来に頭を悩ませ始めても、洸汰は何も変わらないからだ。
洸汰は声変わりをしない。小学校の高学年で女の子に抜かれた背丈はそのままだ。性別の隔てなく誰とでも話し、短冊に書くかのように将来の夢を語る。
最初はガキのままなのだと彼を笑うものが居た。伸びない背丈を揶揄し、高い声をからかった。無邪気さを馬鹿だと決めつけ、成長が遅いのだと嘲った。
そのうち、それが間違いだと気づいた。
清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
それは何時までのことを言うのだ。
身体が成長しなくても、心は成熟していくのではないのか。環境の変化が否応なく人生観を整え、未来を見据えさせるものではないのか。
勉学やスポーツのレベルによって区分けされ、優劣に左右されていくのではないのか。
高校生になるために受験勉強をしたではないか。その成績によって将来性が狭まり、競争する価値と意味と才能と諦念を知ったではないか。
どうしてだ。もう十六歳だろう。中にはもう性経験を終えたものだっている。過剰な暴力の世界に身を落とし、陽の当たらぬ場所で生きていくことを選んだ者もいる。才能と努力が実を結び、輝かしい世界へ飛び立ったものもいる。非才を嘆くことをやめ、自堕落の喜びを知ってしまったものもいる。なのにどうして。
なのにどうして、土曜の朝からバットと野球帽を持って公園にでかけているんだお前は。
周りの人間はとっくのとうに気づいていた。友達と呼ばれていた彼らは気づいていた。同級生にカテゴライズされた彼らは気づいていた。彼らの親が気づき始めた。彼らを担当する教師も気づき始めた。その内、洸汰が暮らす周囲の誰もが気づき始めた。
清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
それは言葉そのままの意味だ。成長が遅いことを揶揄するものではない。成熟しない心を嘲笑うものではない。洸汰の周りの人間は皆、恐怖と忌避と異常を持って彼をこう言うのだ。
清水 洸汰という人間は子供の頃から本当に変わらない。
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自分が周囲と違う人間であることは昔から気づいていた。
それは思春期にありがちな自身を特別視したい感情とは異なり、精神にも肉体にも如実な違和感が生まれ始めたからだ。
小学生を終えて進学気分にも慣れ始めた頃、男女の違いは大きくなっていく。男は体つきが太くなり、女は丸みを帯びていく。
はじめ、どうしてそんなに変わっていくのだろうと思っていた。学校が変わって、勉強の中身が変わる。遊びは競技に変わっていく。それにつれ肉体は変化し、精神もより周囲に合わせたものに変わっていく。大人になっていく。大人に合わせた何かになっていく。
変わっていくことがおかしいのではなく、自分が変わらないことが異質なのだと気づいたのはそんなに遅くではない。少なくとも周囲が自分を奇異な目で見始める頃には、とうに自分が何か別のものなのだと理解していた。
「また今度」と言って手を振らなかった友達とはそれっきり遊んでいない。女生徒は話しかけても曖昧な返事しか返さなくなった。誰もが自分を覗いた小さな集団を作り、自分のことを居ないものとして扱い始めた。
教師が授業中に自分のことを指名しなくなった。その内、廊下ですれ違っても目をそらすようになった。煙草を吸っていた生徒のことを話しても、その生徒が注意されることすらなかった。
隣近所の人間が挨拶を無視するようになった。そのくせ視線だけは寄越すようになり、隣人同士でヒソヒソと何かを囁きあうようになった。何かではない、自分のことだと気づいていた。飽きもせず、自分のことを異常だ異物だと語り合うようになった。
変わるべきなのだろうか。
しかし周囲に合わせようにも肉体に変化は訪れない。何時まで経っても自分の体は進学できていない。学ラン姿はまるで新入生。小学校4年生の頃に女子に追い抜かれた背丈は抜き返せずにいる。喉仏はなく、声も変わらない。そういえば、合唱の授業では適当な楽器を担当させられた。あの時は普段使うことのない器具にはしゃいでいる風を装ったが、皆が腫れ物を扱う様であったのはわかっていた。
高校に上がると、より奇異な目で見られた。どうやら自分は進学をしないものだと思われていたらしい。確かに周りに合わせて受験シーズンへ頭を抱えるようなことはしなかったが、授業は理解していた。学力も成長しないのだと決めつけられていたのだろうか。
高校生になると顔馴染みは数を減らし、今まで交流のなかった他校の出身者が同級生になる。はじめ、幼く見える自分を彼らは物珍しそうにしていたが、異質なものだとわかると話しかけられることはなくなった。ただ視線だけは色濃くなった。
中学生になった以降ずっと感じている、蔑みと忌避の視線。未だに気づかれないと思っているようだ。自分たちと同じ学力を持っていると知っているくせに、そう言った視線に何も言わない自分を愚鈍なのだと決めつけたいらしい。はて、そうなると大人でないのはどちらの方なのか。
教師は予め聞いていたのだろう。はじめから話しかけてくることも目を合わせてくることもなく、自分を居ないものとして扱い続けた。一度だけ、教員トイレの近くで自分の担任になったことが不孝だと嘆いているのを聞いてしまった。
何も言わなかった。自分のほうが異質だと気づいていたからだ。言われたくなければ合わせればいいが、それはできなかったし、やりたいとも思わなかった。皆と違うことから抜け出すつもりがないのに、それをどうこう言われてもその通りでしかなく、気にかかることもまるでなかった。
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ひとりであったのか問われれば、絶対に違うと言い切ることができる。
周囲の他人が自分と関わることはなくなったが、少なくとも両親からだけは全力の愛情を感じ続けていた。
物心がつく前なので記憶にはないのだが、自分には双子の弟が居たらしい。
しかし泥だらけになるまで遊びまわる自分とは違い身体が弱く、病気がちだったようだ。
居た。だった。過去形で話しているのはそういうことだ。記憶にはない。これからもない。そういうことだ。
「コーちゃんは、あの子の分も、いっぱい遊んで、あの子の分も、元気に生きて。貴方は、私達の可愛い子だから。いつまでも、ずっと」
両親から何度も聞いた言葉。今もなお聞くことのある言葉。
彼らはきっと、それを負い目には感じていなかったのだと思っている。彼らは自分のことを哀れんだり、知らない弟と重ねて見るようなことはしなかった。
ただ生きていることを喜び、自分に愛情を注ぎ続けてくれたのだ。
だから、このままで良いと信じている。変われないままでも良いのだと、信じている。
信じている。
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―――――ふと、思ったことがある。
彼らが、両親がいなくなったら、自分はひとりになってしまうのではなかろうか。
投げた野球ボールを誰も捕ることはない。バットを構えても、誰もボールを投げてはくれない。
鬼の居ない鬼ごっこを続けるのだろうか。誰も探さない隠れ鬼に興じるのだろうか。
晴れ渡る空にひとりではしゃぎ、沈む夕焼けをひとりで惜しみ、星空の下をひとり泥だらけで帰るのだろうか。
自分はいずれ、ひとりになるのだろうか。
その日だけは、どうしてかぐっすりと眠れなかった。