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受け継ぐもの、受け継がれたもの
登場人物一覧
幻想郊外、とある森。森と言っても人目を遮る程度の樹木しか立っておらず、鬱蒼としているわけでもなければ足場が悪いということもない。中心部には何故か木が一本もない開けた空間があり、程よく日光も当たる。空地の外れには簡素なテーブルがあるので、恐らくは憩いの場として整備されたのだと思うが、持ち主さえ誰とも知らない今では謎のままである。
この環境が戦闘訓練にうってつけということで、一部の特異運命座標がお忍びで通う、いわば「穴場」として噂が広まっていた。
そして今、一組の男女がその中心部で互いの得物を手に対峙している。
「よろしくねー♪」
「ん」
浅黒い肌の少女――ミルヴィ=カーソンが快活に声をかける。やや離れたところで相対するラルフ・ザン・ネセサリーの応答はたったの一音。実の娘にかける視線はとても冷たく、鋭い。
そう、二人は実の親子である。だが森を包む空気はともすれば亀裂が走りそうなほどに研ぎ澄まされ、鋭い。
その理由はすぐにわかる。
「っと!」
トントンと軽く跳ねていたミルヴィが次の刹那には一気に間合いまで踏み込んできたのだ。だがそんな展開を予想――というより最早確信していたラルフの義碗がミルヴィ愛用の曲刀を容易く受け止める。
確信していたということは、次の手の用意も出来ているということ。右手に握った銃がミルヴィの額目がけて放たれるが、そこは彼女も勝手知ったる相手、舞踏の要領で宙返りを打ち、派手にその弾道から自らを避難させる。その勢いを殺しきれないうちに凶弾――もといただのゴム弾が再び彼女に食らいつこうとするが、身のこなし軽やかに避ける彼女はさながら夜と戯れる妖精の如く。格闘術と銃を歴戦の経験と徹底した演算で巧みに使いこなすラルフを相手に、小さく攻撃を当てては滑るように身を躱してはまた攻撃を当てに行くミルヴィ。
多くの特異運命座標が属するローレットでも、指折りの実力者たる二人。その戦いは息つく間もなく展開される。ラルフの放った銃弾を屈んでやり過ごし、そのまま勢いをつけて斬り結ぼうとする。だがその切先も半身、文字通りの最小行動でやり過ごしたラルフは自らに突進する格好となったミルヴィを足蹴にする。引き締まった体躯から放たれる襲撃は、それでも小柄な彼女を吹き飛ばせる程度の威力を有していて。
「っ!」
前のめりの体勢になっていた彼女には、それを避ける術がなかった。ほぼ条件反射の領域で何とか腹部へ一撃を見舞われることは防げたが、吹き飛ばされたことで大きなロスができてしまったことは否定のしようがない。そしてその隙を見逃すほどラルフの経験値は浅くなく、また鈍ってもいない。
的確に足を、ミルヴィの戦いにおいて恐らく肝心要の部位に立て続けに三発弾丸を放つ。それらは射手の思惑通り、いやまるで射手の思惑を忖度したのかと見紛うほどに的確に狙うべき対象に激痛をもたらす。
痛みと、そして何より立て続けに軽くない連撃を受けたことによる焦りに顔をしかめるミルヴィだが、すぐに何かを察したのか体勢を整えよう……として体が傾く。歴戦の勇者でも疲労はする。そこに外部から強い痛みが襲うことで一瞬だけ脚部が本来の性能を発揮することを拒んでしまったのだ。
多分時間にしてみればほんの一秒、いやそれ以下かもしれないが、戦場では瞬きより短い時間が雌雄を決する、ということは往々にしてある。とても残酷なことだが。
ラルフの動きはどこまでも最適化されており一切の無駄がなかった。思いがけず膝をつく格好となったミルヴィの動きを封じるべく義手で頭を押さえつけると同時に強引に上から押さえつける。当然ミルヴィも足をばたつかせて抵抗するものの、こうなってしまっては最早まな板の上の鯉。
「は、な、せ~!」
「……さっさと負けを認めろ」
それでも無駄な抵抗を捨てない彼女に、ラルフは溜息交じりに拳骨を振り下ろすのだった。
「いった~い……」
「自業自得だ」
空き地から外れたテーブル付きの休憩所。既に太陽は一番高いところでギラギラと輝いている。その割には森の木々が程よく日光を遮ってくれるのか極端な暑さは感じない。
テーブルの上にはミルヴィが持参したバスケットが置いてあるのだが、当の彼女はそれを並べずラルフの拳骨の痛みにまだ恨み言を呟いている。当然痛み既に引いており、単に父親を困らせるだけの演技だ。ラルフもそれを当然分かっていて、つっけんどんな態度を崩さない。
「ところで、今日の飯は何だ?」
「じゃーん♪ 今日は豪華版だよー」
バスケットから取り出される主食やおかずの数々。それはいい。
「……」
ラルフはその種類の多さに閉口した。唐揚げ、卵焼きといった定番メニューからおにぎり、サンドイッチ、果てはケバブやスパイシーチキン、野菜サラダ、おまけに汁物のチキンスープ完備という徹底ぶり。そして二人で食べる量ではない。
「いただきまーす♪」
ミルヴィはラルフのことなどおかまいなしに食べ始めている。その食事作法は決して無作法ではなく、きちんと育てられたことを示している。
(……本当なら)
俺が教えるはずだった。そう考えると彼女の育ての親に対して複雑な思いが過る。代わりに育ててくれた深い感謝と、自分がそういう機会に恵まれなかった嘆きと。
口の中が砂粒を含んだようにじゃりっとする。違和感を拭うように手近な飲み物――チキンスープを口に含む。コンソメの深い味わいが染みる。
その味に、ラルフは心当たりがあった。記憶の奥底でずっと抱えていたものが刺激され、箱を飛び出してくる感覚。
「……隠し味に紅茶を入れたか?」
「え? わ、よくわかったね!」
ミルヴィが驚きの声を上げる。
「……懐かしいな」
その言葉はミルヴィをさらに驚かせたが、驚愕は三段構えで待ち構えていた。ラルフの表情は穏やかで、普段見せる表情からは想像がつきにくいものだった。
「どうしたのー?」
「いや、なんでもない」
一旦はそう言って言葉を切ったラルフだが、自然に零れるように次の言葉を紡ぐ。
「ミリアが作ったスープの味にそっくりだ」
「……ママの?」
首肯。そしてもう一口。さらりと流れる黄金の滴は、遠い昔に堪能したきりの味を確かに今に伝えている。
「それ、ママから作り方習ったの」
「……そうか」
その一言でラルフはもう何も言わず、黙々と食事を摂り始める。その横顔を、食事の手を止めてミルヴィがニヤニヤしながら眺めている。勿論ラルフはそれに気付いていて、そのせいでともすれば去来する感情――ミルヴィの中に確かに存在するミリアから受け継いだモノを素直に喜ぶ気持ち、そしてそれらをまだきちんと覚えている自分自身に安堵する思い――を理性で覆い隠すのに普段の何倍も感情を律しなければならなかった。
余談だが食事は全て二人で平らげてしまった。
簡単に汚れだけ拭き取った皿をバスケットに戻しながら、ミルヴィが尋ねた。
「ねえ、午後はなにするのー?」
「そうだな、格闘術のおさらいでもするか」
無暗に前に出たがるバカのためにな、と付け加えた。心配であるとは言えなかった。
ミルヴィはバツの悪そうな顔をしていたが、嫌そうな雰囲気ではなかった。むしろ次の瞬間には、悪戯がばれた子供のようにニイッと笑った。
その笑顔が、ラルフには深淵を照らす太陽のようにとても煌びやかに見えたのだった。