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銀河のほころびを識る<if>
登場人物一覧
人はどうして願うのであろうか。瞬く流星に一縷の思いを託すが如く、指を組み合わせて有り触れた言葉を口にするのだ。かみさま、かみさま、と。
幼き頃に誰かが言っていた。『ニンゲンというのは弱いイキモノで、一人では生きていけない』と。在り来たりなその言葉は幼い彼に取っては物語の中で救いの手を差し伸べる美しき聖女が口にする響きのように感ぜられた。
天蓋煌めく星々の輝きをその身一心に宿した少年は何時しか青年と呼ぶに相応しい程にその背丈を伸ばした。白魚の指先を動かしながら彼が求めるは星の煌めきを編んだ長杖であった。
廻る魔力の奔流が青年に力を与え続ける。与え続ける、筈、であったのだ。
それはエロースが美しきかんばせの乙女、プシューケーに恋をすることと同じく『星と在る』事こそが彼の存在意義だと知らしめていたのだ。巡る星の魔力と自身の魔力。呼吸をする様にその存在は明らかなものとなって存在している。エロースとプシューケーの戀こころが如く、それは当たり前であった筈なのだ。
然し、懼れるはその魔力の奔流との均衡を崩した時だった。人はどうして願うのであろうか。かみさま、かみさま、と。
ぱきり、とパズルのピースが落ちる様にして散らばっていく確かな存在。晴れの色はげに赤き血潮へと染まり往く。
フェルメールの描く緻密なるおんなのかんばせが如く、その形相は露見していく。シュールレアリスムで描かれた糾弾するおとこの形相を思わせた青年の瞳は何処までも赤く、燃え盛る焔を思わせた。
「あゝ」と声を漏らしたのはどうしてであったのだろうか。傲慢なりし神は天より堕つる星々では我慢ならぬと乞うたのであろうか。
一人のおとこを依り代にしても尚、天蓋に飾りし届かぬ星に手を焦がれる事を求めたか。
――否、届かぬからこそ銀河のほころびに惧れその身を赤に堕としたのであろうか。
赤い色というのは不思議だ。人より流れ出るそれは一等美しく、鮮やかな彩をしているが酸素に触れる事ですぐにその様相を変えてしまう。赤は黒く染まり、神に願う事さえも忘れる懼れに塗り固められる。
青年は頭を抱えあゝと何度も漏らした。美しい星々を求める様にきらめきを宿した青は、今は惧れに染まり続ける。
「星の滅びを識っている?」
誰かが言った――誰であったのかはもう、思いだせない。
「星は美しく輝きを見せて、そうして死んでいくんだ」
誰かが言った――誰であったのかはもう、思いだせない。
「だから、輝きを見せて欲しい」
そっと、手を翳した。巡る星の魔力が掌に温もりを与えている。ばしゃり、ばしゃりと音を立て懼れの色が広がった。
天蓋に煌めく星無く塗り潰されたキャンバスは泥で固めただけか。あゝ、地平の色さえ染めれば星を掴めるとでも思ったかと自嘲するように青年は笑う。
「輝きを?」と独りの少女は青年の顔を見た。幼い、まだ年端も行かぬ小さなおんなであった。
「そう、輝きを見せて欲しい」
「――それって、どうやって?」
よくよく見れば少女は惧れの色の中で青年を見詰めている。怯えの色さえ感じさせぬ彼女はゆっくりと立ち上がり、青年に言った。
「魔法使いさん、あなたは誰なの?」
「ウィリアム・M・アステリズム」
あゝ、その名前は似合わぬだろうか。
希う事をやめた星は不吉を告げるだけなのだから。
「……いや、只の、魔法使いだよ」
そうして――そうして、堕ちるのだ。
懼れの色が広がっていく。少女の白魚の指先がぱたりと、その中に沈んでいった。
空が地にぺたりと伏せる様に。天使がその翼を失う様に。
―――――
―――
ぎょろりと眼球を動かした。右へ左へ。そしていつもと同じく有り触れた天井が其処には存在裂いていることを知る。頬に触れた鳶色がべとりとした血潮を思わせて、大仰に振り払った。
「――、」
言葉なく深く吐き出した息の意味も分からぬ儘にベッドサイドへと手を伸ばす。
夢。そんな在り来たりな言葉を脳裏に反芻させながら一気に水を煽る。
白濁とした意識を潤す様に喉元を通り過ぎた真水の冷たさは、あゝ、ここが現実であると知らしめたのだった。