PandoraPartyProject

SS詳細

月下に彼岸は照らされて

登場人物一覧

九十九里 孝臥(p3p010342)
弦月の恋人
空鏡 弦月(p3p010343)
孝臥の恋人



 無辜なる混沌フーリッシュ・ケイオス練達探求都市国家アデプト
 その中の区画の一つ……再現性:東京アデプト・トーキョーXXXX街は日本から来た旅人ウォーカーは殆どの者が口を揃えて「日本の東京のような街」だと言う。異世界の日本そこがどんな場所かは知る術もないが、再現性アデプト空間には混沌にはない技術が集結しており、来る度に新しい文化が垣間見える場合もある。
 が、そんな華やかな印象だけではない。

 中でも希望ヶ浜は異世界『地球』からこの世界に召喚され、変化を受け入れなかった人々の聖域である。
 科学文明の中に生き、神や魔――怪異を遠ざけて生きてきた人々は、世界に適応出来なかった。
 高層建築物に隠れ、迷路のように入り組んだ路地に守られるようにして、人々は生活している。
 コンクリートに囲まれ、目を閉じ、耳を覆って――街は今日も偽りの安寧を享受しているのだった。
 ……と言うところが通説だろう。

 とは言え安寧の地にも脅威は存在する。それは悪性怪異:夜妖ヨル
 継ぎ接ぎだらけの複雑すぎる都市、その影は怪異達が潜むのに丁度良かった。
 潜みやすい社会の影には往々にして『怪異』が潜んでいる。そして人と共存している怪異の全てが必ずしも善良な訳ではない。
 夜妖と呼ばれる悪性怪異もまた、眠らない街に蠢いている。それは人々を襲い傷つけ、時にその命をも奪う。
 それに対抗すべく人々を育成していくために開校されたのがかの希望ヶ浜学園なのである。
 ……と、希望ヶ浜の話は軽くこんなものでいいだろう。

 そんな旅人の安寧の地の一つである希望ヶ浜にあるマンションの一室に男が二人住んでいる。



 ──今は朝。
「弦」
「ん……孝?」
 聞き慣れた、且つずっと聞いていたいと思うほどに愛しい声に呼ばれて『特異運命座標』空鏡 弦月(p3p010343)は薄らと瞼を持ち上げる。そこには少し困った表情を浮かべている『特異運命座標』九十九里 孝臥(p3p010342)が見えた。
「起きてくれ弦。このままでは寝過ごしてしまうだろう?」
「……今日何かあったか?」
特異運命座標イレギュラーズとしての依頼を受けていただろう?? このままでは遅刻してしまう」
「あー……あーそうか。そりゃ仕方ない、孝との仕事なら尚更孝に恥かかせてしまうだろうしな」
「……俺を基準にしなくてもいいが……兎にも角にも急いでくれ」
「ん、わかった」
 弦月はそう返事をし急ぎつつもゆっくりと身体を起こした。
「ノックしても全然反応がないから少し驚いた。弦が寝過ごすとか珍しい事もあるんだな」
「かもな、夢でも見てたのかもしれない。覚えてないがな」
「まぁその様子だと悪夢ではないみたいだが……とりあえず支度してくれ、朝飯は用意してあるから」
「……わかった」
 孝臥の様子を見て魘されては居なかったのだとホッとする。本当は夢の内容を彼は覚えていたから。

 薄暗い視界の中、幼い自身の手が映る。それに何人もの手が縋り付く夢……それは魘される程ではなくとも弦月にとっては十分に悪夢と言っても過言ではないだろう。
 元の世界での彼は名家である空鏡家の次男だった。長男程ではなくとも権力に固執する家の者達は彼に群がり、幼い頃から彼のその小さな手に縋り付くかのように纏わり付いて……そんな惨劇の結果、彼の記憶には嫌悪的な記憶ばかりが目立ってしまった。
 空鏡家に生まれてしまった事をどれだけ呪ったかは覚えては居ない。それでも彼の心が僅かにでも守られたのは、身内の中でも一番に彼に寄り添ってくれた亡き祖父と九十九里 孝臥……そして他ほんの一握りの心ある者達のお陰だろう。
 そうして彼の中では『大切な者』と『そうでない者』の両極端が生まれた。外では優しさの皮をかぶりながらも心を許せる者は一握り、それ以外は仮初の人懐こい笑顔の盾でするりと交わしていく。今は別世界に渡ってしまったのもあり、孝臥以外の存在等取るに足らないと思えている。
 それでもこの特異運命座標としての仕事をこなすのは孝臥との未来の為……漸く空鏡の呪縛を逃れたというのに滅びゆく世界をただ待つなど馬鹿も同然だとその手に力を握る。それは尊ぶべき美しき感情ともまた否、せめて生きている間だけでも孝臥との時間を……例え魔種デモニアであっても邪魔する者は腹立たしいと言った酷く深くどす黒く人間臭い感情でしかないのだ。弦月自身はと言えば、これを例えいつの日か孝臥を縛り付けてしまう事になろうとも酷い感情だとは微塵も思っていない様子ではあるが、彼が動く動機としては例え盲目的な執着だとしても正しいのだ。
「弦?」
「ん? 孝?」
 少し呆然としていたらしい、弦月が我に返ってみれば孝臥が彼の顔を覗き込んでいた。
「もしかして……体調悪かったりするのか? あれなら俺一人でも……」
「そんなわけにはいかないだろ。平気だ、少しボーッとしてただけだ」
「そう? 本当に具合悪かったら言ってくれよ?」
「わかってる。……孝には隠し事はなしだ」
「それなら良かった」
 安心したかのように微笑む彼に弦月は心の中で目を背ける。
 別に隠し事はない、彼へのこの恋心以外は。彼への感情がただ大切にしたいだけではない事は自覚している。優しく語りかける唇に深く深く吸い付きたいと欲する事もあれば、彼を今すぐにでも押し倒して自分だけをその眼に焼き付けて離したくないと欲する事もある。これがどうして恋心じゃないと言えるだろう、弦月はそこまで鈍感ではないしとぼけるつもりもなかった。
 だがそれは孝臥の心あって出来る事。とは言え弦月は孝臥が自分の事を好いてくれている事はわかっていた。それでも強引に手を出さないのはヘタれているわけではない。この世界に召喚されてまだ間もない二人、弦月は少しずつ余裕が出てきていても孝臥もそうかと言えばきっと否。だから待っているのだ、彼の余裕を。焦りすぎてもこういう事はするりとすり抜けるもの……様々な人間の相手をしてきた弦月にとって見れば慎重になるのも頷ける事なのかもしれない。慎重に……弦月は孝臥の逃げ道を塞ぐ為に待つ。と言う選択肢を取っているのだ。着実に彼の心を得る為にと弦月は余念がないのだ。





 ──その夜。
「夜風が段々暖かくなってきたな……」
 夜更け、マンションのベランダに出て物憂げに月を見上げているのは孝臥だ。彼の主な悩みの種は元の世界での話ではあるのだが……彼の性格上、未だに摘まれることはないらしい。

 九十九里 孝臥。彼のもう抱く必要すらないこの劣等感は生まれ持って憑いてきた業のようなものだ。
 彼の生まれも弦月程ではないにしてもそこそこ名家で、良い血筋の家系だと言われていた。……唯一、彼が『妾の子』である事実を除けば。世間は『妾の子』と言うだけで酷く当たり散らかすものである。孝臥はそれを疎まれるかのように生まれて直ぐに孤児院に出され九歳の頃に九十九里家へ迎えられる。だが迎えられたその日からこの酷い仕打ちを受け続けてきたが故に心に大きな傷と言う名の劣等感としてこびりついてしまった。
「この世界に一緒に来たのが俺じゃなかったら……」
 ふと自分が呟いた言葉に唇を噛む。望んでいるわけでもない言葉、寧ろあっては困ることだと言うのに……後ろ向きな心はまだ彼を支配したままなのだ。
(弦の事は好きだ。だが……弦はそうではないだろうから)
 思いの矛先はこうも宙を舞ってしまっている。弦月が向ける狂気にも近づいている程の好意に、この孝臥は数ミリも気づいている様子が見受けられないと言うのだから人の思いは盲目的だと思える。人はあらゆるものの積み重ねの上で生を全うすると言うが、酷い言葉の数々を受けてきた孝臥はこの世界に召喚された事でその言葉達から逃げられたとて、どうも自己肯定感が育ち切れずにいる。
 ──それでも。
(もう少しだけ……弦の傍に居させてくれ……)
 自身が完全な孤独に落ちる前に、まるで救い出してくれるかのように振る舞ってくれた男への思いは密やかに積み重なっていく。けれどいつか訪れると思っている『その時』には決して察されることのなきように、なんてことなく笑ってみせよう。例え望まない未来でも自分であるが故に、妾の子であるが故に、男性で、あるが故に……。密やかにすべきだと思うのは孝臥と言う人間にとって当然的なことなのである。
「孝」
「っ……弦?」
 ふと背後から声が聞こえドキリと振り返れば、今の今まで考えていた人物が立っていた。気配も何も感じられない程に考えていたとでも言うのだろうかと顔を覆いたくなったが、ここは平然を装ってみせた。
「何してる?」
「……そっと外に出たつもりだったんだが、起こしたか?」
「いや、手洗いの起き抜けにベランダを見たら孝の姿が見えたから」
「……そうか」
 弦月が自分の物音で起きたのではないのだと知り安堵する。が、弦月は孝臥を安堵させるつもりはないらしい。
「で、何してた?」
「……そこは流して欲しかった、な」
 まさか目の前の人物を物憂げに考えていただなんて。生真面目な彼はどう切り抜けるべきか悩んでしまっている。
「隠されると気になる……だが無理には聞かない」
「……悪い、大したことじゃないんだ。少しだけ昔を思い出していた」
「……そうか」
 別に嘘はついていない。
 実際昔の記憶を辿りながら弦月のことを思っていた。天使だの悪魔だのと関わり、そして激しく戦い、目まぐるしい日々を送っていたあの頃。苦しくとも友人であり同期である彼との記憶は他の者との記憶よりも尊く感じてしまうのは道理だと思う。
「……ついこの前まで悪魔と戦っていたのが嘘みたいだと思ってな」
「……まぁ、あの世界に比べればここはいくらか穏やかではある」
「な。けど……ここにも滅亡を回避する為の戦いがある……こんなに穏やかなのに不思議だ」
「……そうだな」
 無辜なる混沌は平和な世界ではない。
 混沌ここはあらゆる世界から勇者イレギュラーズを欲する程に脅威に脅かされている。例えば今最も危機に面している深緑アルティオ=エルムの森は燃え上がり、覇竜デザストルからの脅威にも震えている。それはここ練達もついこの前まで直面していたものだ。旅人の国であるこの国が致命傷とまでに面さなかったのは特異運命座標の先輩に感謝すべきことだろう。もしかしたら元の世界に帰れなくなってしまっていたかもしれないのだから。
(弦の為にも元の世界に帰らないと)
 全ての行動はこの男の為。盲目的な程の劣等感は今日も月を見上げることしかしない。
 例えどんなに大きな愛がそこにあったとしても、彼はまだ気づく勇気が持てずにいる──。

 これが二人の長年積み重ねてきた大前提の関係性なのである。




 別日。
「なぁ孝」
「ど、どうした弦? 顔が、怖いぞ……?」
 この日の弦月の機嫌は最悪に等しかった。
 改めて弦月は基本的には孝臥の人間関係の為にも優しさの皮を被り人当たりの良さそうな笑顔を見せるよう心がける男である。だがその皮の裏側を見れば冷めた月が煌々と飢えを垣間見せる。
 故に許せないことの一つや二つ存在する。
「さっきまで誰と居た?」
「……誰?」
 孝臥にはそれがどう言うことなのかわからなかった。自分は今さっき夕食の買い物から帰ってきたばかりなのだから。だと言うのに弦月は帰ってきて早々に孝臥を壁際まで追い詰めている。普段の優しい彼からは想像も出来ない程に鋭く見下されているのだ。
「……帰り際に孝を見かけてな。……いつもの八百屋のところでだ。その時仲良さそうに話してた奴が居ただろう?」
「……ああ! ……別に大した仲ではない、買い物してたら今晩のメニューについて意見を求められて……それで意気投合しただけだ」

 ──こんにちは。
 ──こんにちは。

 ──おや、そちらの夕飯は豪勢なんですね。
 ──そう見えるだろうか? 同居人に良いものをと考えていたらいつも材料が増えてな。

 ──良いですね、恋人ですか?
 ──そ、そう言う者では!

 ──否定しなくても良いですよ、顔に出てますし。
 ──……っ。

 ──貴方みたいなカッコイイ方に思われるなんて彼女さんも幸せですね。
 ──……どうだろうか。

 ──ふふ、照れ隠しですか? 
 ──そのようなものでは……。

 ──じゃあ……何かメニュー教えて下さい。それで誤魔化されてあげましょう!
 ──誤魔化すも何も……っく。

 実際の会話はこんなところだ。だが弦月から見ればどう映るだろう。
 普段キツイ口調で自他共に厳しいと自称するあの孝臥が見知らぬ誰かと親しげに会話をしている光景である。それがどんな内容かも、相手からの一方通行気味だったとしても弦月の頭には入っていない様子で、ただただが親しげに誰かと話していると言う彼の見た事実だけが頭にこびりついてしまっている。
「いき、とう……ごう……?」
「……弦?」
 ピリッとした空気が漂う。
 弦月は自分を過大評価していた。例え孝臥に自分の他に親しい人間が出来たとて、それが気に食わないことであっても冷静で居られると信じていた。だがそれは大きな間違い。意気投合しただけだと少しだけ嬉しそうに見える彼を見て気に食わないと思う。その言葉一つ一つが不愉快でどうしようもなく黒く酷い感情で支配される。
 彼をこの腕の中から出したくないと懇願した。
「弦……おい弦? 一体どうしたって言うんだ??」
 何もわかりませんと言った様子なのに孝臥はいつもと違った友の雰囲気に見えない何かを恐れている。だがそんな仕草にすら今の弦月にとって地雷に等しい。

 ──ガンッ!!
「うわっ!? げ、弦……?」
 壁を強く殴る弦月に孝臥は大きくビクリと身体を震わせた。
 本気の怒りを感じ取った孝臥はただ弦月を見上げることしか出来ない。何が、何で、どうして……何故彼の怒りを買ってしまったのか全く理解していないからだ。
「…………俺には孝だけなのにな」
「え?」
「……悪い、何でもない」
 聞こえないようにか細く吐いた声が届かなかったことに安堵しながら弦月は誤魔化す。
(……そうだ、待つと決めたのに俺は何をしているのか)
 怖がらせたいわけでも況してや急かしたいわけでもない。ただ他の人間に彼を取られると思い立った瞬間抑えられない程の衝動が弦月を襲ったのは間違いなかった。
 自分が思っているよりも入れ込んでいる。そんなことは弦月自身わかっていたつもりだった。だと言うのにこんなにも孝臥を怖がらせ困らせてしまった自分に心の中で動揺する。
「今日のご飯は何だ?」
 だから話を変える。一刻も早くこの空気を変えてしまいたかった。
「うん? ああ、今日は弦の舌も唸らせられると思うんだが……」
 不幸か幸か、孝臥は自分の話せる話題だとすぐ乗ってくれた。孝臥は自身を気難しく厳しい人間だと称するが全くそんなことはない。優しくてお人好しでどうしようもなく目が離せず気が気ではない。
 だが変えた空気をまた凍えさせるのも孝臥を怖がらせるのも本意ではない。だからこの和やかな空気の中で孝臥だけを見ておこうと思う。
「おい……弦」
「うん?」
「み、見過ぎだ……」
「そうか?」
「っ……な、何かついているのならっ」
「いや、少し噛み締めていただけだ」
「?」
「平和をな」
「まぁ……確かにこれだけ凝った料理を作ることは戦場では叶わなかったがっ」
 だからと言ってと反抗する孝臥の言葉に気持ちが落ち着いていく。そうだ、何を怒る必要がある? こうして自分の為に料理を作り、見つめれば自分にだけ見せてくれる表情がある。それだけでも他の奴等に彼を取られる要素などこれっぽっちもないと言うのに。
「じゃあ折角の孝の料理が冷めるのも惜しいしそろそろ夕食としよう」
「ああ。あと酒を準備するから待っていてくれ」
「ああ」
 孝臥は酒豪である弦月の為、彼のお気に入りである酒を取り出しに台所へ向かう。
 好いてる相手と共に飲む自分好みの酒。弦月は今日は良い夜になると確信した。





 その夜。二人は各々寝静まる。
「孝には悪いことをしたな……」
 が、弦月はなかなか寝付けずにいる様子だった。
 弦月自身は抑えられると孝臥への思いが、単純な……けれども不愉快な言葉一つで酷く暴走してしまいそうになったのだから仕方のないことなのかもしれない。
 この世界に来てもう少し落ち着いてからこの気持を伝えると決めていたものの、自分でも我慢の限界が着実に近づいてることを自覚した。
「そろそろ伝え時かもしれない」
 この世界に来て大分立つと思う。孝臥の心も少しずつ落ち着いているのではとも思う。ヘタレを決めるつもりはない。孝を手放すなんて俺らしくもない。それに孝も俺を好きで居てくれているのは目に見えてわかるし、召喚の前に一度この思いを告げようとして居た身。何を迷う必要があるだろうと弦月は伏せていた瞼を持ち上げる。
 迷言など弦月の中には元々存在していなかった。ただただ孝臥を待ちたかっただけだった。

 ──コンコン。
「ん?」
 そこへ唐突にこの部屋へのノックが聞こえた。
「孝か? 眠れないのか?」
 弦月がそう声をかけるとその部屋の扉はキィと音を立てゆっくりと開く。
「……弦」
「……孝」
 月明かりに照らされた彼の表情を見てすぐさま察した。とろんとした眼に紅く染まる表情……これは酒が抜けていない顔だと。
「今日……この前みたいに弦と一緒に寝たいな」
「……本気か?」
「ああ。……駄目だったか?」
「そうではないが」
 孝臥が酒を飲んだシチュエーションはこれまで何度もあった。が、この前一際理性が危なかった局面がある。今夜も嫌な予感は禁じ得ない。
「なら決まりだな!」
「うわ、待っ……孝!」
 孝臥は唐突に弦月の布団へ入り込みそのまま彼にしがみつく。酒の勢いはなかなかに有能らしく普段見られない孝臥の思いがけない行動に弦月は油断してしまった。
「ははは! こうして一緒に寝転がると昔を思い出すな!」
「……そう、だな」
 本当に嬉しそうにそう言葉にする孝臥の傍ら、弦月には当然理性と戦う試練が与えられている。
 ああ! この理性を解き放つことが出来たらどんなに良かったことか! と頭痛に悩み始めようとしていた時だった。
「それに今日は良いことがあったんだ! それを話したくてな、ここに来たんだ」
「……良いこと?」
 にこやかに告げる彼の表情は眩しい。だと言うのに嫌な予感が弦月の胸の辺りをざわつかせて仕方ないのは何故なのか。
「ああ、今日こんな俺にも親しげに話しかけてくれる者が居てな!」
 孝臥の言葉を聞いた瞬間、サァッと血の気が引く感覚に陥る。彼は今なって言った? 誰かと親しげに?
「へ、へぇ……そうか」
「弦、反応が薄いぞ! それでな、カッコイイとか。俺みたいな奴に思われる奴は幸せだとか……俺、嬉しくてさ!」
「カッコイイ? 幸せ? 嬉しい?」
 聞きたくない言葉ばかりが孝臥の口から聞こえてくる。

 やめてくれ
 やめてくれ
 やめてくれ!!

「わっ!?」
 一刻も早く黙って欲しくて孝臥を強く抱きしめる。どうしても衝動が抑えられなかった。
「孝には……俺がいるだろう」
「そうだが……いつまでも弦にばかり甘えているわけにもいくまい?」
「……なんだって?」
 酔った孝臥は普段よりもいろいろ話してくれる。あの酷く酔った日も愛を囁いてくれた程にだ。
「弦は特別で、俺は……妾の子、だから……弦と釣り合わないのはわかってるんだ」
「何故そんなこと……」
「それに男同士だろう? 気持ち悪いだろう?」
「そんなことはない」
 そんなことはない、そんなことはないんだ。
 否定していると言うのに孝臥の表情がまだ茹だっていて、悩ましげな彼を前にしていると言うのに……自分でも何をするかわからなかった。
「やっぱり弦は優しいな。さっきの弦は少し怖かったが……やっぱり弦は優しい……好きだ」
「孝……」
 酔った時の告白なんかノーカンだ。どうせまた覚えていないのだから。
 そんなことよりも、だ。
「……そう言えばその親しげな奴とはどうなったんだ?」
「ああ! そうだ、それを言いたくてな! 実は友人になれたんだ! 今度料理を教える約束もしたんだぞ!」
「友人……へぇ。で? どんな奴なんだ? 見た目とか、性格とか……名前、とか」
「んー? ええっと……」
 先程から野獣のような眼をしている弦月に孝臥は一ミリも気づいている様子はない。
「茶髪で翠の綺麗な眼をしていたな。俺なんかにも話しかけてくれるような明るい奴でな、確か……大和って名前の男だった……ような」
「……なるほど」
「弦?」
 けれど月明かりに照らされた弦の金の眼が妖しくゆらりと揺れた気がして、孝臥はジッと弦月を見つめる。こう言う時だけ妙に察しがいい彼だがそれ以上はきっと気づかない。
「何でもない。そう言えば明日は依頼だっただろう? こんなに遅くまで起きてて良かったのか?」
「あ、ああ! しまった……。す、すまない弦、もし寝坊したら起こしてくれ、頼む!」
「それは勿論。さ、もう寝よう」
「ああ。ありがとう弦……おやすみ」
「……おやすみ孝」
 就寝の挨拶を交わし孝臥が寝息を立て始めた後も、弦月の心の月は煌々と輝いたままだった。





 ──闇。
 今夜は月が妙に妖しく輝いて見える宵だった。
「はぁ〜夕方のイケメン君、友達になれて嬉しいな〜」
 ふらり、ふらり。人通りの少ない道を大きくフラフラと歩いている男がいる。
「料理が上手くて気遣い屋とか彼女も幸せ者だ! うんうん!」
 顔は赤らみ足取りもままならない。彼には相当酒が入っているらしい。
「それに比べて俺はぁ……はぁ〜〜彼女にも振られちまって……泣けてくる」
 どうやら女性に別れを切り出された後に自棄酒を行った様子である。
「結構努力したつもりだったんだけどなぁ〜……でも『家事まで出来る彼氏なんて私の立つ瀬ない』とか言われると……どうすりゃ良かったのかわっかんねぇ……」
 何度目かもわからない深い溜め息を盛大に吐く。
 この大きな独り言を元に推察する辺り、男は相当に尽くすタイプだったのかもしれない。

「それは……理解するこれからの機会をも断つことになりそうで残念だ」
「え?」

 そんなとぼけた声を上げた時にはすべてが終わっていた。
 男の意識が途切れる前、彼の翠が最期に映したのは……宵の中に妖しく煌々と輝く月光だけ。



 ──
 ────

「……ただいま」
「お帰り孝、帰りが早かったな。……って、どうした?」
 数日後のある日、孝臥は酷く沈んだ様子で帰宅した。
「実は……友人になれた奴が居て……今日は彼との約束の日だったんだが……」
「友人?」
 弦月はそう聞き返してすぐ心の中でああと思い出す。案の定あの酔っていた夜のことも綺麗サッパリ忘れていた孝臥だったが、そう言えば夕食前に少し悪い雰囲気にしていたことを弦月は思い出していたのだ。
「ああ。だが……数日前に亡くなっていたと彼が住んでいたアパートの大家が言っていて……」
 孝臥があの友人の死をすぐ知らなかったのは約束の日が大分先だった為らしい。
「……そう、か。……夜妖にでも襲われたのか?」
「……わからない。朝になったら外で倒れていたって……その時には息もなくて手遅れだったみたいだ」
「そうか」
 弦月は至って冷静に返す。
「……っ、俺は悔しい! こんなに近所に住んでいて、弦以外で漸く出来た友人を知らない間に亡くしているなんて……あまりにも悔しいじゃないか!」
「ああ」
 感情を剥き出しに嘆く孝臥に弦月はそっと抱きしめる。
「弦……俺は悔しいんだっ、特異運命座標だなんて言ってこんなにも容易く一般人が葬られるなど……っ」
「わかってる。だが今日は存分に泣いておけば良い、明日からまた気持ちを新たに依頼をこなせばいいんだ。……彼の為にもな」
「すまない弦……うっ……」
 孝臥は酷い仕打ちを受けてきたと言うのに、その人の良さと優しさは健在なままだ。だから弦月も孝臥がこうなることは予想していた。
「俺は孝から離れない」
「……弦?」
「だから安心してると良い」
「弦……」
 いつか弦月は自分のもとを離れていくと思っていた孝臥はこの時ばかりは素直に涙が溢れ、抱きしめてくれる弦月の背に腕を回した。
 新たな友人を亡くした後の孝臥ではそのに気づくことも出来ない。自己肯定感が低く諦念的な彼は人の心にあまりにも鈍感だった。

(今更手放すものか、誰かに譲ってたまるものか)
 孝臥の性格には溜息をついてないと言えば嘘になる。だがこの時ばかりはその疎さに弦月の金の眼は安堵の色に光った。
 幼少期から芽吹かせ育ってきた恋心は今狂気へと変貌しつつある。例えこの手がどんなに汚れようとも、彼から離れることなど考えられず彼が離れることさえも許しがたい。

 それが自らの倫理性を失うことだったとしてもだ──。

  • 月下に彼岸は照らされて完了
  • NM名月熾
  • 種別SS
  • 納品日2022年06月12日
  • ・九十九里 孝臥(p3p010342
    ・空鏡 弦月(p3p010343

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