SS詳細
とべないうさぎと、つかめぬほしと
登場人物一覧
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「あら」「……あ」
ふたつの声が重なるのはほぼ同時だった。
混沌のとある病院内にて再会を果たしたネーヴェと星穹。二人の女は同じ依頼で、それぞれ両足と左腕を失った。
火種を使い自らの身体を燃やした二人が軽傷で済むはずもなく、少しの間入院するようにと言われている。そこまで重傷ではないと語れば、それをそれぞれの大切な人に窘められてしまった。
髪に引火してしまったり、皮膚に引火して大火傷となってしまったり。二人の身体はあまりにも『健常』だとは言い難い。
車椅子に乗ったネーヴェと、点滴スタンドを押した星穹。星穹の表情は変わらず、ネーヴェはどう声をかけるべきかと赤い瞳を右往左往すて。
何処と無く気まずい沈黙を破ったのは、ネーヴェだった。
「……あの。よければ、お茶でも。いかがでしょう、か」
「お茶? ……構いません。一階の喫茶店で宜しいですか」
「はい。星穹様は、お時間……大丈夫、でしょうか」
「問題ありません。ネーヴェ様も問題ありませんようでしたら、今からでも」
「! は、はい……!」
淡々と語る星穹に、ネーヴェは頷き返し。車椅子を動かす電子音と、がらがらと乱雑に点滴スタンドを引く音が響いた。
◇
有名な喫茶チェーン店。星穹はコーヒーを、ネーヴェはミルクティーを注文する。
「……あ、」
「どうされましたか」
「お財布を、忘れてしまって……その、取って参ります」
「……大丈夫です。その会計、こちらと一緒にしていただいても?」
「…………ごめんなさい」
「いえ、このくらいは微々たるものですから。それよりも席の確保をお願いできますか」
「は、はい……!」
可愛らしいトラブルも少々。星穹が会計をしている間にネーヴェはテラスへと車椅子を動かして。
ネーヴェが気を遣わないようにするための配慮なのだろうと思えば、申し訳ないような有り難いようなくすぐったい気持ちになった。
「お待たせしました」
「……っ、わたくしったら、すみません、その、」
「……いえ。運べていますので問題はないでしょう。どうぞ、受け取ってください」
腕がない、ということ。
先程まで右腕で押していた点滴スタンドを二の腕で押し、片手でおぼんを支えて星穹は来た。
風にはためく入院服の左袖。もうそこに中身は、無い。
(……星穹様は。腕を、失っていらっしゃるのに)
それなのに自分は車椅子の上に座って、運ばれてくるのを待つだけだなんて。
ネーヴェが肩を落としたのを知ってか知らずか、星穹は口を開いた。
……否。口を開いた、などという簡単な表現では済まない。正座し、地に頭をつけた――土下座だ。
「此度の依頼では、大変申し訳ありませんでした」
「かっ、顔を、あげてください……!!」
驚き慌てるネーヴェは、星穹を窘める。嗚呼、足があったなら。彼女を立ち上がらせることが出来たのに。
「……なりません。貴方が『そのような』身体になってしまったのは……一重に、此方の不徳の致すところですので」
「だとしても、そんな……顔を、あげてください、星穹様」
それが人目を気にしての発言だと理解すれば、星穹はしぶしぶ立ち上がり、ネーヴェの向かいの席に腰掛けた。
「わたくしより、も……星穹様、怪我の具合は…いかがですか」
「特に、問題はありません。……と、言いたいところではありますが。不便ではあります。貴方に比べれば、対したことはありません」
無表情の仮面は崩れない。ただ、少しだけ。ネーヴェを見るその紺色は、心配の色を滲ませて。
「足と、腕と、では。違いますが……わたくしよりも辛くない、とか。そういったことは、ないかと」
小洒落た音楽がテラスまで聞こえてくる。どのようにして伝えれば良いかは解らないけれど、星穹はそれを良しとはしないだろう。なんとなく、そんな気がした。
「ネーヴェ様は、なにかお困りごとなどございませんか」
これ以上踏み込まれたくはないのだろう。コーヒーを口に含んだ星穹は、ため息と共にそれを呟いた。
「特に困りごとは…そう、ですね。やはり、車椅子は不慣れだとは、思いますが…」
「いずれは義足をご使用されるおつもりですか?」
「ええ。この手が届く限りは……わたくしも、戦うことを諦めるつもりは、ありませんの」
「……あの少年が、また泣きそうですね」
「はい……なんとかせねば、とは、思っているのですけれど……」
「いっそ怒られてしまえばいいのですよ。貴方は少々無茶が過ぎます」
「そ、そんなこと、ありません……多分」
「……はぁ」
「それを言うなら、星穹様だって。剣の彼が、心配なさるかと」
「……そもそも、彼が彼処に来るならば、あの依頼は受けませんでした」
からからん、と氷が溶けていく音がする。
二人は打ち解けていったかのように思われた。けれど。
それは、まるで砂の城のように。いとも容易く崩れ去るものであった。
「気絶してしまったのも情けなく思いますが……ネーヴェ様は、失うことを恐れなかったのですね」
それは皮肉かもしれないし、疑問かもしれない。目先の女は変わらず淡々としている。だからこそ、問うた。その志はどのようなものなのかを知るために。
「……いいえ。怖かったです。怖かったですけれど……彼が、『こう』なってしまうよりは、ずっとずっと、良くて」
ふわり、と微笑んだ。
彼の全てが、欠けることがなくて良かった、と。
故の自己犠牲。ネーヴェは、続けた。
「それに……わたくしは、分かっていて、選んだのですもの。この怪我は…名誉の負傷、ではないですけれど。守りたいものがあった、証…なのです」
だからこの無くなってしまった両足すらも誇らしいのだと。
少し心配はさせてしまうけれど、この傷もだいぶ治ってきた方だ。
けれど。その答えを、星穹は許さなかった。
「守りたいものがあれば、両足を失うことも恐れないと?」
「……え?」
星穹は笑っていた。
心底不愉快そうに。
(わたくし、なにか、間違えてしまったのかしら……?)
驚くネーヴェを横目に、星穹は前髪をかき上げた。コーヒーを一気に飲み干して、右腕で口元を拭って。
吐き出すようなそれは、軽蔑が滲んでいた。
「それはそれは、大層なご身分でいらっしゃるようですね。素晴らしいことです」
「星穹様、」
「僭越ながら忍の身分でございまして。少々は貴方のことも調べさせていただいております。ご家族がご健在のようですね?」
「それは、そう、ですけれど、」
「帰るご家族が、貴方の『それ』を心配しないとでもお思いですか?」
「……そんなこと、ありません。申し訳なく思います。でも、」
「『でも』じゃあありません。貴方は根本的に何か勘違いをしていらっしゃるようですね」
「勘違い……?」
「貴方のその両足が可哀想だから、あの少年は暗い顔をしていたのではありません。貴方が傷付いたという事実に苦しんでいるのですが、ご理解頂けますか?」
「……?」
ネーヴェは首を傾げた。そうでないのなら、なんなのだろうとでも言いたげに。
「戦いの場は甘くはありません。一瞬でも油断すれば死にます。もう帰っては来れません」
「知っています、そんなことくらい、」
「そんなこと? ……両親がいるとこんなにも甘く育つのですかね」
冷めた目でネーヴェを見つめた星穹。ネーヴェは机を両の手で叩き、吠えた。
「……わたくしを馬鹿にするのは構いませんが、っ……両親を馬鹿にすることだけは、許しません!」
「……戦場は命を奪う場所です。貴方が傷付いたことで彼は冷静でいられるでしょうか? 彼が傷付き両足を失ったとき、貴方は冷静でいられるでしょうか」
「…………」
答えは、NOだ。
悲しみ、怒り。震えるだろう。
忍という立場上戦闘を行う依頼を受けることも多い星穹にとって、戦闘中の非常事態が己に付加する焦りは非常に危険だと理解していた。
「貴方を大切に思う人が居るのなら、その傷は貴方のものだけじゃない」
吐き出した息は、己に対する呆れと怒りも含まれているのだろう。空いた右手で頭を乱雑に搔いた星穹は、忠告した。
「その怪我を名誉と思う内は貴方の居ていい戦場などありません――兎なら兎らしく、大人しくしているのが最善でしょうね」
星穹は立ち上がり、グラスを持って部屋へと帰る。
(そうでなければ、また貴方が失うだけだから)
それは、自らの不手際で。
それは、自らの不徳で。
それは、自らの失態で。
傷付かない訳じゃない。傷付かない訳がない。
ファミリアー越しに見、気絶する前に見た彼女はちゃんと、両の足で立っていたのだから。
そんなネーヴェを。ネーヴェが大切に思い、ネーヴェを大切に思う人の前で、足を失わせたともなれば。
その罪は大きく、苦しみは強い。
(……解ってくれとは言いませんが、貴方を想う人の痛みくらいは知っていて欲しい)
家族もなければ帰る場所もない星穹にとって、それは憧れであり絶対に手に入らないものだから。
(だとしても……強く、言いすぎた気は、します)
伝え方は難しい。まだ『星穹』としての人生は数年しか送っていないのだ。なんて言い訳をこぼす。
(次に会うときは、泣かれるかしらね……)
残されたネーヴェを襲ったのは、とめどない痛み。
(……わたくしの、大切な人が。傷付いて、しまったら。その、痛みは、)
きっと、果てしない。
あの時安堵した『彼が五体満足』であることが夢であったなら。彼と自分の立場が逆であったなら。
(……そんなの、耐えられない)
彼の頬から伝った涙を覚えている。
届かなかった掌を悔やみ、引き戻せなかった自分を恨み、嗚咽していたことも、知っている。
「わたくし、」
どうして、気付かなかったのだろう。
その痛みは誰だってある筈なのに。
大切に想う彼が、それを感じない筈がない。
「ああ、ああ――――」
ネーヴェは泣いた。
どうして、気付けなかったのだろう。
彼の涙は、ただ悔しいだけではなかったということに。
おまけSS『似ているようで、違う二人』
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護りたかった。
大切な貴方を。
貴方が何かを失ってしまうことを考えるだけで嫌気がさした。
それならこの手で護れば良い。ただ、それだけだった。
ただ、それだけだった。
「だから、泣かないで、ください」
「どうか、近寄らないでください」
あなたのゆめは、わたしがまもる。
あなたにだけは、しられたくない。