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God bless you.-Time will tell-

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女

 ――3月12日。

 スティア・エイル・ヴァークライトは夢を見る。
 浅い春の夢だ。蝶々が舞い踊る美しい花畑に一人で立っていた。素足の儘で泥だらけになる事も気にせずに。
 何処だろうかと右を見て、左を見て、確認作業を行ってから遠く眺めることの出来たドクトゥス・フルーメンに気付いて漸く合点が言った。
 此処は『亡き淑女の花畑エイル』だ。自身のミドルネームにも飾られた母の名前の付けられた美しき花畑。
 幼い頃に父の腕に抱かれて遣ってきたこの場所は色とりどりの花が咲き誇っていた。母はスティアが生まれる前に一等美しい花をプレゼントしたいと言ったそうだ。
「お母様はスティアの誕生日に咲く花を毎年一緒に見るのだと張り切っていたんだよ。
 これからの人生みらいの事を沢山沢山話したんだ。スティアのこれからも、幻想種として生まれてきた時に、先行く父の見送り方まで」
 今思えば突拍子もない話だった。スティアの記憶の奥底にこびり付いていた優しい父の笑顔が思い浮かぶ。
 あの時、月光人形を我が子のように慈しんだ性質の変わってしまった父が変わらずに浮かべていたあの笑みは幼い頃によく見たものではなかっただろうか。
「エイルは……お母様は言って居たよ。スティアが1歳になった時にこの花々が咲き誇っていたならば一番気に入る花を一つ手折ってプレゼントする、と。
 二歳になれば、二本。三歳になれば……そうして数えるのも億劫になる程の歳になった時には抱えきれない程の花束をプレゼントしたいのだと」
「おはな?」
「そうだよ。スティア。君が好きな色を束ねて、君だけの花束を作るための父と母からのプレゼント。此処がお母様の名を付けた花畑なんだ」
 愛おしそうにエイルと呼ぶ声音が、余りに優しくて。スティアは顔も知らない母を懐かしむことも出来ないまま「そっかあ」と小さく返した。
 そんな、遠い日の思い出が唐突に過る。
 スティアは夢の中で『亡き淑女の花畑』に立っている。美しい花々の咲き誇る3月の夜。肌寒さを感じないのは夢だからだろうか。
 足の裏に感じる土の感触さえも疎ら。花を踏み潰さぬようにナイトドレスの裾を少し持ち上げてそろりそろりと歩けば天涯の月がスティアを見下ろして笑っていた。
 不思議な夢だ。唐突に父の腕のぬくもりを、父の語った話を思い出すなど。
 母の顔も知らなかったスティアに其れを教えたのは紛れもなく天義を襲った災いだった。父が愛おしそうに連れて遣ってきたその人が母である事は直ぐに分った。
 生まれ落ちたときに別たれた運命であれど、あの優しい笑みが母がスティアにだけ向けたものであったことに気付いたのだ。
 そうしてR.O.Oでも母を見た。ゲームの作り出した自分の傍には跡取りとなる弟が居た。もしも、母が産後の肥立ちが悪く亡くなることがなければ自身には弟が居たのかも知れないと予期させた。
 父は母が『これから』を語ったときに作ったという日記帳をスティアの書斎の引き出しにしまっていたという。唐突に思い出したが、夢の中では其れを確認することも出来やしない。
 何となく歩くことさえも億劫になった。花畑の中に座り込めば一等背の高い白百合が咲き誇っているのが見える。ぼんやりと眺め見遣ってからスティアは白百合の傍へと向かう。周囲に花は咲かずぽかりとひとりぼっちで背筋を伸ばした白百合の足下の土を掻き分けるようにスティアは爪を立てた。白い指先に土が纏わり付き、爪先に食い込んだ。其れを気にすることなく掻き分けた土の中から出てきたのは古びた日記帳であった。
 母が胎にスティアを宿してから考えたという未来の在り方。産まれたスティアが幻想種であった時のために花畑を作り永きを生きる彼女が年を取る楽しみを感じてくれるようにと工夫したこと。もしも人間種であったならば彼女に残されていく母が娘が居た証を花畑に見出したいと願った事を。
 聖職者でも騎士にでも、何方でも選ばせてやれるようにと出来うる限りスティアの未来は彼女に選ばせてやりたいことを。
 将来、一人で生きるにはおぼつかぬ時が来た時の為にスティアには妹か弟を与えてやりたいと言うこと。
 スティアが貴族である事を拒んだならば、ヴァークライトの名を捨て去っても良いと言うことまで。母は様々な事を考えていた。元から冒険者として各地を練り歩いてきたエイルにとってヴァークライトの名は重たい荷物であったのだろう。貴族となって、足を止めてドレスを着て穏やかに微笑む日々が冒険者として各地を練り歩いた母にとって狭苦しい箱であったと言うならばスティアの希望が『そう』であった時の事を考えるのは無理はない。
 それでも、彼女は貴族の妻となる事を選んだのだ。それ程の決断をさせるだけの愛とは何だったのか。父と母の間の事はよく知らない。叔母に問いかけれども、叔母は静かに笑うだけだったのだから。
 スティアはまじまじと日記帳を見下ろした。母の直筆の少しばかり不格好な文字の上に父のものだろう几帳面に整った文字が『どうして父の死を見越して書くのですか』と困った調子で添えられている。種の違いをも超えた愛だった。母は最初から父が先に死ぬと想定して生きていたのだろう。永きを生きることになる――筈、だった――母が父が死んだ後はどうやってヴァークライトを護っていくのかが面白おかしく書かれている。
「お母様……」
 月光人形まがいものであった母を見た時には余り感じなかった母の愛情がぐ、と胸の中に湧き上がった。早々に姿を消してしまった父も、産まれて直ぐに居なくなった母も、何方もスティアにとっては覚えていなかった事であった筈なのに――どうしたことか、酷く愛おしい思い出として少女の胸の中を巡ったのだ。
 美しい白百合の傍で日記帳を眺め続けた。時間など忘れて、土に汚れた手も気にせずに。頁を捲りながら母の文字の上に添えられた父の言葉に笑うだけ。
 愉快な物語のように其れを眺めていた。自身の知っている両親とは懸け離れた、何処か楽しげな言葉ばかりで妙に心が躍ったのだ。父は、母は、こうやって自分を愛して慈しんでくれていた。

 ――アシュレイ・ヴァークライト! 貴方は此処で死ぬんだ!
 私はスティア・エイル・ヴァークライト。ヴァークライト家の名の下に、貴方を断罪する!

 叫んだ喉が引き攣るような痛みを未だに忘れずに居た。
 思い出したのはあの日、天義を救う為に父を『断罪』すると決めたときだった。

 ――スティア。命を、削るだなんて、やめて頂戴。
 貴女には笑って欲しいの。だいじょうぶ、大丈夫よ。……私はね、スティアのお母さんなの。

 母を救いたいと奇跡に焦がれたスティアの頬を撫でた母のぬくもりが紛い物であるとは思いたくなかった。
 一生涯、聞くことのない声だった。スティア、スティアと愛おしそうに笑いかけてくれたあの声はもう、二度と。
 涙がぽろりと落ちた。夢の中であると言うのに、涙は生暖かくスティアの頬を伝い落ちて行く。

「スティア」
 はっとスティアは顔を上げた。白百合のその奥に一人の女が立っている。
 スティアと同じ柔らかな銀の髪に穏やかな青紫の眸をした女だ。スティアにもよく似たかんばせの彼女を見てスティアは動くことが出来なくなった。
「お――」
 声が、喉の奥に絡んだ。呼吸を意識しなくては上手く縺れて出来る気さえしない。
「おかあ、さま」
 やっとの事でそう呼びかければ母は嬉しそうに微笑んだ。伸びた長い髪は今のスティアと丁度同じくらいだろうか。
 背丈もそうだ。成長がゆっくりとした幻想種のスティアでも、母と寸分変わらぬ程ではなかろうか。
 あの時見た月光人形と同じ姿。それでも作り物めいた存在ではない。スティアを双眸に映してから彼女は、エイルは「こっちへいらっしゃい」と手招いた。
 ふらつく脚に力を込めてやっとの事でエイルの元へと駆け寄ったスティアは寝間着ではなく普段着に愛用しているワンピースを着用して居た事に気付いた。
 縺れた髪を梳かし頭を撫でた指先は優しく。エイルは「座って頂戴」と微笑んだ。花畑の中にゆっくりと腰下ろしたエイルは近くにあった花を一本手折る。
「スティアは幾つになったのかしら?」
「わ、わたし、は……19に……」
「じゃあ19本ね。花束にするより、花冠にしましょうか! 上手に出来るかしら。ずっと昔に作ったから上手に出来ないかも。
 ふふ、貴女のお父様とね……アシュレイ様とね、貴女が生まれる前に練習したのよ。お父様ったら、器用に作るから私は腹が立ってしまって。
『アシュレイ様より上手に作れる様になるまで私は帰りません!』って屋敷の裏庭でせっせと朝からずっと作り続けたの。
 そうするとね、お父様ったら時間が掛かると思って後ろにティーセットを用意してアフタヌーンティーの準備までしていて。
『喉が渇いたでしょう。エイル、こっちで休憩しては?』なんて……ふふ、あの人ったら私を気遣ったつもりでしょうに、怒らせるんだもの!」
 饒舌に語る母の傍でただ、その声を聞いていた。心地よさにスティアは母にもたれ掛って、不器用な母の手許を眺め続ける。
「お母様」
「なあに?」
「……もしかしたら、私の方が上手かも」
「スティアまでそんなことを言うの? イヤだわ、手先はお父様に似たのかしら。種族はお母さんと一緒なのに」
 拗ねたような母の声にスティアはくすりと笑った。
 ……ずっと、斯うしていたかったような気がする。もしも、あの時に友達を護ると決めていなかったら。国を護ると決めていなかったら。こんな未来があったのだろうか?
 母の膝にもたれて、うとうととしながら楽しげに語らい笑う声を聞いていたのだろうか。
 そんな有り得もしない未来を思い、スティアは重たくなった瞼を自然に任せようとして母の呼ぶ声にはっと意識を浮上させた。
「スティア、スティアはどんな大人になるの?」
「ヴァークライトを継いで、それから、聖職者になるんだ」
「まあ。しっかりとした貴族当主になるのね! 聖職者……も素敵じゃない。ふふ、スティアは剣を選んでも本を選んでも素敵な大人になると思っていたわ」
「お母様、何も見てないのに」
「大丈夫。だって、スティアのお母さんだもの。私はね、あなたのことならなんだって分かるのよ」
 自信満々に笑ったエイルは不格好な花冠を作りながらスティアの頭をそっと撫でた。
 柔らかい、温かい掌だ。母の膝で眠りに落ちるあり得なかったシチュエーション。夢の中くらい、あったっていい。夢の中なら空だって飛べるし、海だって歩ける。
「眠って良いわ、スティア」
 優しい声が降った。スティアは重たくなる瞼を感じながらうとうとと眠りの淵に立っている。
「もうすぐ、お父様も来てくれるはずだから……その時は花冠を被ってお披露目しましょうね?」
「お父様、も?」
「ええ。スティアの誕生日だもの。皆でお祝いしなくっちゃね」
 エイルの指先がスティアの瞼をそっと閉じた。眠りの淵に立ちながら、もっと話していたいのにと抗う気力を失ってゆっくりと意識が落ちて行く。

 神様。
 神様が、母との優しい夢をくれたのならば何と申し上げましょう――主よ、貴方の祝福に感謝致します。

 ――目が覚めれば、何時も通りのベッドの上に居た。サイドテーブルには古い日記帳と少し不格好な花冠が置かれている。
「お早うございます。スティア。……何かあったのですか?」
「お早うございます。叔母様。何か、って……」
「どうして泣いて……」
 慌てる叔母の声を聞きながらスティアは首を傾いでそっと自身の掌を見詰めた。指先と爪に残された土の痕。サイドテーブルの日記帳に不格好な花冠。
 夢であった筈なのに。そばにあるそれを眺めてから「良い夢を見てたんです」とただ、小さく笑った。
 神は何時だって気まぐれだ。それでもこの聖教国に生きる者は気まぐれな神を信仰する。
 神を、主を支える道を選んだのだ。主による細やかな祝福としてこの夢を享受しよう。目が覚めても忘れることのないあの優しい声をもう少し覚えていられるように。

  • God bless you.-Time will tell-完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2022年04月16日
  • ・スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034

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