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悪意のレガシー
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時計が14時を回っていた。かちかち。秒針が進む。それにせかされた分針がのろのろと動き出し、やがて時針が重い腰をあげる。
針が進む。それは決して、ただそうだという事実だけではない。時計が時を刻むとき、人もまた、何かを残して先へ歩んでいる。残したもの。遺産。志。怨念。呪い。そう言ったモノ。
アト・サインはすっかりと温くなったコーヒーを、喉の奥に流し込んだ。ローレット・出張所の一室。大量の資料に埋もれたテーブルに頬杖を突き、視線にうつったのは、数名の幻想種の死体を写した写真だ。
先日、発見された遺体である。迷宮森林の草むらに放置された遺体は、偶然にも近隣住民の手によって発見された。その住民が、たまたま気が向いて、いつもより奥まで山菜をとりにいかなければ、この遺体も見つかることなく、森の養分の一つになっていただろう。それは誰かにとって不運であり、誰かにとっての幸運だった。
「下手人は間抜けだな」
アトが呟く。写真に写った死体には、まるで連帯感と一体感を演出するために作られた、同志という名の鎖の証――『
何故彼らが殺されたか、と言われれば、多くの者が首をかしげる案件だろうが、アトにとっては、こんなものはくだらない内ゲバの結果であると、早々に見抜ける話だった。エーニュは間抜けにも、ラサの商人の暗殺を目論み、失敗したわけだが――しかし、当の商人からも、或いはラサという国体からも、明確なエーニュへの敵対、或いは報復が行われたという事実はない。前者も後者も、やる必要がないので当然なのだが、となればこれは、誰に殺されたのか、という話になる。
エーニュは、言い方は悪いが、木っ端の過激派である。もちろん、『
となれば。最も有力なパターンは、内ゲバである。
アトの、『前任者』との調査によって、おそらく組織は、その全体の思想をコントロールできていないだろう、という結論に落ち着いている。そう考えれば、内ゲバ、という結論に落ち着くのは当然だろう。恐らく契機は、イータの使用――あれはパンドラの箱だったのだ。エーニュにとっても、外にとっても。
「お疲れ様です。コーヒー、入れ直しますね」
そう言ったのは、ラーシアだ。ここ最近は、アトの手伝いで、エーニュの事を探っている。今も、外から資料を抱えて戻ってきたところだ。
「ああ、頼むよ。流石に少し疲れたな」
カップを手渡して、アトは言った。ラーシアも、自分のコーヒーを淹れるついでに、アトのも淹れて来ようか? と誘ったわけなので、遠慮するようなことはない。ラーシアもそう思っていたし、アトもそれを感じ取っていたから、素直にお願いした。ここしばらく、お互い資料をにらめっこしているうちに、多少は距離感が近づいた気もする。色っぽい意味ではなくて、仕事上、信用できるか否か、というような意味で。
ラーシアがコーヒーを淹れ直して持ってくると、香ばしい香りが、凝り固まった頭をほぐしてくれるような気がした。熱いそれを一口、アトが飲み込むと、
「徹夜ですからね。ご無理なさらないでくださいね」
「君もだろう? 白い肌にクマは良く目立つ」
「あら? 少しはお化粧してごまかしたつもりだったんですけど」
軽口をたたきつつ、ラーシアは練達製のクリアファイルに挟み込まれた、資料を差し出した。
「……ここまでつなげるのに、本当に、朝までかかりましたよ……。
どこの口座の一覧なんです?」
「ラサの地下銀行の奴だよ」
当然だ、というように、アトは言った。アトが興味を持ったのは、エーニュの資金源だ。深緑に属しながら、深緑『らしくない』、銃や爆薬のような装備を持っている、エーニュ。このことから導き出せる可能性は、『そう言ったものに頓着しないパトロン』or『そう言ったものに忌避の感情のないパトロン』である。が、仮に前者の幻想種だと仮定した場合、仮にも民族主義を語る様な堅物が、外から持ち込まれたであろう機械兵器に手を出すとは考えづらい。
となれば、可能性として高いのは後者。これは、おそらくスポンサーは『深緑外』にいる人物である、と予想した。
「探ってみれば、ビンゴでしたね。どうやって探ったかは、聞かないでおきますけれど」
ラーシアの言葉に、アトは苦笑する。まぁ、色々やったのだ。なだめすかして袖の下、時には実力行使まで。
「いずれにしても、苦労が報われる時が来たわけだ」
「前任者からの、ですね。これだけの調査、私だけでは無理でしたし」
アトが復元書類を確認しつつ、言った。
「では、答え合わせを始めようか。
いいかい、ここがゴール。ラウリーナの口座だ」
アトが指さす。
「これを、順に探っていく。一見つながりはないように見えるけど、パズルのピースのように、とは陳腐な表現だが、確かにピタリとはまる口座がある」
ぱち、ぱち、と指さし、ページをめくり、次の口座へ。いくつもの迂回路を経て到達するのは、アトが強制調査を実行した、ラサの地下銀行。
「こう繋がった」
「やっぱり、スポンサーは、ラサにつながりのある人物……?」
「まだ断定は早いね。けど、可能性としては高い。
というわけで、Xの証明を始めようか。当然、口座の持ち主Xは偽名だった。よってここから、金の動きを確認する」
「口座のお金が動き始めたのは、ここ最近。特に――エーニュの動きに呼応するように、ですね」
「もしくは、口座の動きに呼応するようにエーニュが動き始めたか、だ。多分こっちが正解だね」
「そうですね。活動するには、とにかく資金が必要です。エーニュは他国装備が多いですから、立ち上げだけでも相当のお金が動いてるはずです……ああ、やっぱり」
活動開始時期に、講座より動いた莫大な資金。これが、エーニュの立ち上げ前後に動いた金だろう。
「となると、そもそもエーニュという存在自体が、このスポンサーの掌の上の可能性がある。まぁ、ひとまずそれは置いておこう。
では、この莫大な金は、どこから生えたのか? 金がある、という事は、なにがしかの手段で増やした、という事になる。まさか宝くじでも当てたわけじゃあるまい」
「資金が増え始めたのは――大体三年くらい前ですね……」
「三年?」
「前?」
二人は異口同音に、そう告げた。三年前。何があった――思い出せ、あの混乱を。ザントマンによって引き起こされた、あの悲劇を――。
「ちょっと待ってください。これって――」
「ああ」
ラーシアの言葉に、アトは頷いた。
「間違いない、ラサのザントマン――オラクルとその一派の引き起こした事件と一致する。
この時期に、大量に入金する方法なんて一つしかない……!」
「つまり、ザントマン事件で、幻想種の奴隷販売を利用して得た資金、という事ですね?」
ラーシアの言葉に、アトは頷いた。口に含んだコーヒーの苦みが、いっそうに感じるような気がした。
「エーニュは、ザントマン事件に端を発し結成された――しかし、そのエーニュのスポンサーは、そのザントマン事件で益を得た者から流れている」
「まさに、掌の上、という事ですね」
ふむ、とラーシアは唸った。まるで、三年前からそれが決められていたかのように……いや、これは、三年前、偶然まかれた種なのだ。それが萌芽した時に、この資金を水として与え、歪な華として咲かせた人物がいる……。
「まさか、ザントマン……オラクルが、生きているのでしょうか?」
「それはないね。絶対にない。それに、オラクル本人のはずがない。オラクルは、こういう活動には興味がないだろうからね。となると――」
「遺志を継ぐもの――とも違いますね。遺産を利用するもの、利用できる立場のもの。
まさか……今更になってこんな……」
「人は、生きている限り痕跡を残すものだ」
アトが言った。
「どんな人間であろうとも……それがオラクルであろうともね。まさか、こんな最悪のレガシーを残してくれていたとは思わなかったけれど」
「エーニュ……ラウリーナも、このことは知らないのでしょうね。
知っていたとしたら、そもそも彼らの掲げる理想が根底から崩れてしまいます」
「ああ。ラウリーナも、スポンサーの素性は知らないはずだ」
知っていれば、たとえラウリーナであったとしても、その接触を是とはしなかっただろう。オラクル一派は、明確に深緑の敵であるのだ。
「……スポンサーは、一体誰なんでしょうか?」
「そこまでは分からない、ただ、オラクルに連なる何かだという事は分かった」
アトが頷く。
「調査を続けよう。なんとしても、スポンサーのしっぽを掴む」
「はい。引き続き、お手伝いしますね」
ラーシアが笑う。ふと、アトは思った。そう言えば――彼女には聞いていない。
「ラーシア、君は」
アトが言った。
「この組織についてどう思うかな?」
そういうと、ラーシアはきょとん、という顔をした。それからくすり、と笑うと、
「大っ嫌いです。おかげで睡眠時間が削れちゃいましたし?
乙女のお肌の健康に勝る大義名分なんて、存在しないんですよ?」
冗談めかして言うラーシアに、アトは肩をすくめた。
「それは大悪だ」
いずれにせよ、エーニュとは、そしてスポンサーとは何らかの決着をつけなければなるまい。
時間が進む。秒針が走り、分針が歩き、時針が重い体を動かす。
15時の鐘が鳴った。