PandoraPartyProject

SS詳細

「其が叶わじ」と。願わくば

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠
チック・シュテルの関係者
→ イラスト

●『彼』の見る夢
 はじめは、何時もと変わらない風景なんです。
 陽が昇るか、昇らないかくらいの時間。少しだけ肌寒い頃に俺の目は覚めて。
 着替えてたり、顔を洗ったり。その後簡単な準備を済ませた後、既にパンを焼く準備を始めているお店のご夫婦に挨拶しながら、俺もその作業を手伝うんです。
 ……ええ。本当に、毎朝俺がやっていることと変わらないんですよ。


●『彼』が居る今
「………………?」
『燈囀の鳥』チック・シュテル(p3p000932)が待ち合わせ場所に着いたときには、『彼』は既に其処で待っていたようだった。
 お互いに話して決めた時間にはまだ十数分ほどある時間。天鵞絨のようにきめ細かな黒を刷いたような髪と瞳をした青年――カノンと呼ばれる彼のもとへ、チックは少しだけ足早に近づいていく。
「あー、チックだ!」
「カノン、チックが来たよ!」
「あ。そうですね。まだ時間はあるのに」
 苦笑交じりにそう零したカノンの元には、数人の子供が群がっている。
 どうやら彼はチックを待っている間、この子供達と遊んでいたらしい。幾つか見覚えのある彼らにも軽く挨拶したのち、チックは少しだけ申し訳なさそうにカノンに声をかける。
「ごめん、カノン。……待った?」
「それほどの時間じゃありませんし、今だって十分に待ち合わせの時間より前ですよ。
 何より、この子たちが俺に構ってくれましたから。そんなに待った気はしませんでした」
 待ち人が来たと知ってなお、名残惜しそうにカノンの手を引く子供たちの頭を軽く撫でつつ、彼はチックに微笑み返す。
「カノン、行っちゃうの?」
「ええ。また今度一緒に遊びましょう」
「んー、分かった!」
「今度はサラ姉のお菓子作りの時に、ね!」
 言葉と共に、別の場所へと遊びに駆けていく子供達。
 それを見送った二人は、少しだけ何も言わずに顔を見合わせた後……ふと、小さく笑いを零して。
「行きましょうか?」
「うん」
 よく晴れた昼前。慣れ親しんだ幻想の街並みを、並んで歩き始めた。

●『彼』が陥る夢
 けれど、少しずつ世界はおかしくなっていくんです。
 焼いたパンを並べて、お店の開店準備を整えて。街の人たちが漸く目を覚まし始めた時間帯に俺たちのお店は開店するんですけど。
 最初は、普段と同じ常連客さんが訪れて来ても、その内お客さんが来店するたび、その輪郭がぼやけて、徐々に黒ずんだ影を纏ったような、不定形の姿に変わっていって。
 店主のご夫婦の対応は変わらないんです。真っ黒になってしまった『お客さん』が、ただパンを買って帰っていくことも。
 けど、俺だけが。
 ヒトの姿がゆがんでいくことに。今俺が居る場所が、徐々に真っ黒な墨を塗りたくったような世界になっていくことに、ただ気づいていて。
 恐ろしいけれど、逃げ出したいけれど。それでも、こうも思うんです。
 ――「周囲の人間が『異常』に気づかず普段通りなら、今この風景をそう捉えている俺だけが『異常』なんじゃないか」って。

●『彼』が笑う今
『明日、店主のご夫婦に頼まれた買い出しに出かけるんですが、良ければ一緒に出掛けませんか?』

 切っ掛けは、チックがカノンの勤めるパン屋『アルメリア』を訪れた先日のことだ。
 カノンはその店にある日から住み込みで働いており、またチックはその店の常連であったこともあり、二人が良き友人として交流関係を結ぶのは長くかからなかった。
 今では兄弟のように仲の良い親友二人は、そうして本日一緒に買い物をしに来たのである。チックは自分用のお茶菓子と飼い猫のおやつを、カノンは店主夫妻のお使いと、彼らの為のちょっとしたお土産を買いに。


「……あ。カノン、見て。あのお店で売る……してるの、美味しそう」
「本当だ……あ、チックさん! 見てください、このお菓子もとっても美味しそうですよ!」
 二人にとっては住み慣れた幻想の街であっても、元々この街は外界との交易が盛んなこともある。
 日によって売る人、売るものが目まぐるしく変わる市場は、例え彼らでなくとも目を輝かせて練り歩ける場所であろう。目的のものを買い終えたあとでも、二人は目についた見知らぬ品々を指差しては、互いにそれら商品を眺めたり、買って帰ろうかを相談したりする。
「――――――」
「?」
 その、刹那。
 それまで、笑顔で市場を歩いていたカノンの動きが、ぴたりと止まった。
 彼の視線の先には、真っ黒なローブを被った老婆が歩く姿が。
「……カノン?」
「っ!!」
 なるべく刺激しないよう、小さく声をかけたチックに対して、カノンは過剰ともいえるほどチックに対して反応して――心配そうなその顔を見た後、大きく息を吐いた。
「……すいません。驚かせてしまいましたね」
「どうか、したの?」
 カノンの謝罪に対して頭を振ったチックは、しかし不安げな表情のまま彼を覗く。
 少しだけ表情を歪ませたカノンは、しかしじきにチックの方を見て、こう言ったのだ。
「実は最近……悪い夢を見る事が増えたんです」

●『彼』が堕ちた夢
 問うことも、確かめることも出来ない。真っ黒なお客さんに対して、真っ黒なセカイに対して、俺は普段通りの笑顔を浮かべながら、必死に平静を装ってお客さんに接してるんです。
 そこで、やっと気づいたんですよ。



 いつの間にか、俺の身体も、真っ黒な泥のカタマリのようになっていることに。

●『彼』が憂う今
「……そんな、ことが」
 市場にほど近いカフェテリアの一角にて、チックとカノンは遅めの昼食を取っていた。
 集まった時間は昼前だったが、先に市場で買い物を済ませようと互いに同意した二人が予想以上に時間をかけたため、現在は既に午後の仕事に出ている者が道々を行き交っている。
「……見る悪夢がそれだけなら、気にしなかったんですけど。
 それから、同じ夢を何度も見るようになって。嫌でも気になってしまって」
 少しだけ悲しそうな表情で、それでも口角だけを上げるカノンの笑顔は、誰がどう見ても取り繕ったそれにしか見えなくて。
「……カノン」
「俺、行き倒れだった今の自分を助けてくれた店主のご夫婦には、本当に感謝してるんです。こんな日がずっと続けば良いのになぁ、って思えるほどに」
 食後の珈琲を飲み終え、そのカップを静かにソーサーへ置く彼は、疲れたように言葉を続けた。
「だからこそ、夢が本当になったら嫌だなぁ……なんて。考え過ぎ、ですかね」
「……カノンは、その夢の、『何』が、怖いの?」
「『何』、が?」
 一通りを聞き終え、静かに彼に問いかけたチックへと、カノンは視線を返す。
「自分が、真っ黒、なる、こと?」
「……はい。いや、それだけじゃなくて」
「みんなが、真っ黒、なる、こと?」
「……きっと、両方なんです」
 誰かに傷ついてほしくなくて、自分も傷つきたくなくて。
 だから、それを暗示しているかのような夢を恐れている――――――否。『夢を見ている自分』を、恐れているのだと、カノンは言う。
「……俺は」
 若し、それが現実となるようなことが在れば。
 或いは、自分こそがこの場所から離れるべきなのだろうか。そう言いかけたカノンの手を、彼の眼前の青年が優しく包み込んだ。
「……チックさん?」
「カノン。約束、する」
 会話もたどたどしく、普段朧げな気配を纏っているスカイウェザーの青年はしかし、今この時だけ凛とした目つきでカノンに言葉を掛ける。
「カノン、真っ黒、させない。
 カノンの、周りのみんなも。おれが、助ける。守る」
 ――それは、特異運命座標としてではなく。戦う力を持つ冒険者としてでもなく。
 一人の青年が、大切な友人の為に結んだ、違えない約束。
「………………」
 カノンは、それを呆然と見ていた。
 普段からおどおどしているこの青年が、こうした断固たる気配を纏っているのは、彼が知る限り二種類だ。即ち、戦いに臨むときと、歌を唄うとき。
 ……それは転じて、「自らの信念を懸けたとき」であることと同義で、だから。
「……有難うございます、チックさん」
 自分と言う存在を、彼がそのように捉えていてくれていることこそが、カノンにとっては嬉しかった。
「俺から返せるものは、未だ、何もないけれど。
 俺も誓います。チックさんの約束に報いることが出来る様な恩返しを、何時か必ずして見せる、って」
「……うん、約束」
 終ぞ心からの安堵を湛えた笑みを浮かべたカノンを見て、チックもまた、ふわりと花が咲いたように微笑んだ。
 そうして、その表情を見たカノンは、確信じみた思いを抱いたのだ。

 ――きっと今日は、悪夢を見ないだろうと。

●『彼』を掬う夢
 何時もと変わらない夢を見ました。
 朝起きて、店主ご夫妻を手伝って。お店を開ける。あの悪夢と変わらない流れ。
 ……「ひょっとしたら」。
 そう怯える俺に構わず、次々にお客さんはやってきます。
 そのお客さんが、いつ黒く染まっていくのか。恐れている俺に、

「おはよう、カノン」

 あなたが。
 あなたが、普段通りの笑顔で、店に来てくれたんです。
 朝日の光を湛えたような、灰銀の髪と、真白の翼を輝かせながら。

おまけSS『「其が叶わん」と、願わくば』

●チック・シュテルの帰り際
「チックさん」
 帰り際。カノンがある店を指差した。
 その先に在ったのは、小さな薬草医のお店だった。薬草医とは言っても、店頭に並べられているのはポプリや紅茶の類などと言った日用品が主である。
「今日は相談にも乗ってくれましたから。何か贈らせてください」
「そんな、おれは……」
 咄嗟に遠慮しようとしたチックではあるが、自然な笑顔を浮かべて言うカノンを見てその言葉をひっこめた。
 チックにとっては彼と交わした約束はごく自然なものであったが、カノン当人にとってはそうではなかったのだろう。それを察したチックは「ありがとう」とだけ応え、彼の厚意を素直に受け取ることにしたのだった。
 ……尤も、チックとてただ受け取るだけで済ませるつもりはなかったのだが。

「それじゃあ、またお店で」
「うん、またね、カノン」
 帰路。お互いの家への帰り道で分かれた二人。
 カノンは自身が住み込みで働いている『アルメリア』に戻った後、買い出し品と些細なお土産を店長たちに渡した後、自室に戻って残りの買い物品を机に置いていく。
(……あれ?)
 途中、買ってきた商品が一つだけ多いことにカノンは気づいた。
 覚えのないそれに首を傾げた彼ではあるが……そのサシェのラッピングに添えられた一片の白い羽根を見て、カノンは思わず苦笑する。
「……今度、パンをおまけしなきゃいけませんね」
 今後も、二人が互いに送り合う『お礼』はどれほど続いていくだろうかとカノンは思い、同時にその未来が続くことを強く願ったのだった。

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