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冒険の先で見える世界《きみ》
登場人物一覧
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「おはよう、弦」
「おはよう、考」
何気ない挨拶、何気ない顔合わせの朝。
ゆらゆらと朝の光に照らされるのは、夜のように美しい色の紺と黒の髪。
弦月と考臥の2人はギルド『ローレット』に集まり、今日は何をしようかという会話を広げていた。
普段からお互いのことを思っていろいろな場所へ出向いたりするが、今日は今日でまた何をしようかと。
以前は楽しくショッピングをして、可愛らしいうさぎのぬいぐるみを購入したが……今日はまた違うことをしてみたいなと思ったようだ。
どこへ行こうかと悩んでいる中で、暖かな朝食が届く。
ギルドで集まったのは2人で朝食を取りたくて、弦月から提案したこと。
一緒に食べるとなんだか美味しいと呟くのは、考臥だったが。
そんな2人の朝食会は緩やかに進み、楽しい話題で広がっていく。
「そういえば、少し前に面白い話を聞いたんだ」
ふと、考臥は思い出したように弦月に聞いた話を伝える。
幻想国のどこかにある洞窟で、不思議な光景が見られるのだという話を。
曰く、その洞窟は光り輝く美しい世界。
曰く、その洞窟は不思議な音が鳴り響く世界。
曰く、その洞窟は海に溺れたかのような世界。
様々な人から伝えられたその話は巡り巡って一つにまとまり、考臥の口から飛び出す。
ギルドの中でもその話題は広がっているようだが、調査をしている人物は少ないのだそうだ。
「だから、さ。ちょっと洞窟探検に出かけてみないか?」
「なるほど、確かにそれはいいな。色んな話が出てるし、その真相を探るのも悪くないかもしれない」
身体を温めるスープを口にしてから、その提案に乗っかった弦月。これまで受けた依頼とはまた違った趣向の洞窟探検となれば、いつもとは違ったお互いの姿を見られるのではないかと思ったようで。
そうと決まれば、念入りに準備をするべきだと街へ出向いた2人。
話の出どころを探って話を聞いたり、洞窟探検用の準備を念入りに行ったりと、その表情は真剣そのものだった。
「洞窟探検だから、地図は必要として……」
「弦、馬車の手配とか済ませてきたほうがいいんじゃないか? もしかしたら遠出になるかもしれないぞ」
「ああ、確かにそうだな。なら考に任せてもいいか?」
「もちろん。ついでに、御者にこの話を知ってる人がいないか探してみる」
「頼んだ」
いつものように相方を信じて、いつものようにスムーズな手配を済ませる2人。
元の世界にいた頃から変わらない連携は本来長くかかるはずの準備を早く終わらせ、いつでも街を発つ事が出来るようになっていた。
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そして、準備をしたその翌日。
がたん、ごとん、がたん、ごとん。
少しだけ揺れる馬車の中、考臥が弦月にもたれかかって眠っていた。
朝、考臥が大きなあくびをしていた所を弦月はしっかりと目撃している。故にほとんど眠れていなかったのだろうという気はしていたが……まさかこんな早くに寝るとは思わなくて、少々驚きもしていた。
結った黒髪が馬車の動きに合わせてゆらゆらと揺れる中、弦月はじぃっとその寝顔を目に焼き付けるように考臥を見る。
そして弦月は他に客がいないのをいいことに、少しだけ、本当に少しだけ、ぷにぷにとその頬をつついてみる。ゆるく沈んだ肉の表面に違和感を感じたのか、弦月は少々眉根を寄せていた。
「んぅ……」
なんとも可愛らしい声が考臥から漏れ出ると同時、弦月はその可愛らしい声に少しだけ顔を赤くした。
以前の買い物でも考臥は可愛らしい様相を見せていたが、今回もその様子を見ることが出来るとは思わなくて。
(思った以上に、可愛い声が出てくるんだな……)
少しだけ体勢を変えるように動いた考臥だったが、その眠りはまだ深い。なんなら弦月の肩ではなく、膝を枕にしそうな勢いでずるずると身体が下に降りてゆく。
まるでその様子は……今まで甘えることが出来なかった分をここで存分に甘えてみたいという、考臥の内なる願望が勝手に目覚めたような。そんな雰囲気だった。
がたん、ごとん、がたん、ごとん。
規則正しく、時折大きく揺れる馬車は進む。
時折動物達の横断等で止まったりはしたが、それでも少し早いペースで道を進んでいた。
外を少し眺めれば、そこは既に街道より少し外れた道。少しだけ手入れされた木々が馬車の行き先を指し示し、この道は以前にも誰かが通ったことがあるという証拠を残す。安全とは言いがたいが、それでも人が通った証拠があるならば多少の安心感が生まれるものだ。
「…………」
ぼうっと外を眺める弦月。馬車の近くを通る動物がいても、特段気にする様子はない。
今の彼が気にかけているのは、己の膝を枕にして寝そうになっている考臥のことだけ。それ以外への興味は微塵もなく、むしろこういう状況だからこそ考臥のことを気にしてしまうのではないかと弦月は考えてしまう。
元の世界では、若くからお互いに苦労をし続けていた。
悪魔と天使の存在する世界。そこでは今もなお悪魔と戦う組織が対抗を続け、恩恵を与える天使に逆らえないという情勢が続いているのが特徴的だ。
弦月は由緒正しい名家の次男。
権力に固執する家の者、そして空鏡家だというだけで媚を売ってくる人間が跋扈する世の中を生きてきた故に、心を許す相手は考臥を除けば一握りの人間と己の祖父という状況。
悪魔撃退に貢献した一族のため、自分も組織に加入しては世界のため――というよりも、考臥のために戦い続けてきた。
考臥は名のある血筋ではあったが、妾の子。
周りの視線が冷たい中、優しくしてくれた叔父夫婦と光あふれる暖かい場所――弦月の隣だけが唯一の居場所にもなっていた。
だから、彼も同じく組織に加入して弦月とともに戦い続けてきた。同じように悪魔撃退に貢献した一族だから……ではなく、大好きな人の隣に居るために。
「……そういえば」
ふと、昔にも似たような状況があったな、ということを思い出す弦月。
あの頃は馬車ではなく電車で揺れる中だったが、人が少ない電車の中で弦月と考臥が隣り合わせに座って……その時は今と違って、弦月が眠っていた。
悪魔討伐で疲れていたにも関わらず、考臥は弦月のことが心配だからと眠らせてくれていたのはよく覚えている。あれは心の底から心配している表情だったし、何より――。
「あの気遣いはまるで……」
そこから先の言葉は、小さく、誰にも聞き取れなかった。
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やがて馬車は道が寸断された森の前で立ち止まる。
件の洞窟はこのあたりに存在しているはずだ、という御者の情報を頼りにここから先は徒歩で探すことになる。
「さて、噂の洞窟とやらはどこにあるんだろうな?」
「聞いた話だと、入り口よりも奥を見たほうがいいらしい。洞窟を見つけたらまず奥を見て、何もなければ次に行くという感じでどうだろう?」
「そうだな、それでいこう」
考臥の提案に了承する弦月。2人はまず近くの洞窟を探索してみようと、カンテラに火を灯して先へ進んでみる。
ひんやりとした空気が充満する中で、唯一の明かりを頼りに先へ進むが……どうやらこの洞窟は違うようだ。噂で聞いていた海のような光景も光あふれる光景もどこにもない。ただただ漆黒の闇が広がっているだけ。
ここはどうやら違う。そう判断した2人はすぐに洞窟を出ると、次の洞窟を探すために周囲を探索して回った。
1つ、植物の生い茂る洞窟。カンテラの光によって照らされる程度で光などどこにもなく、音も響いてこない。
1つ、空から光が降り注ぐ洞窟。光あふれる世界としてなら間違いはないだろうが、そこまで輝いていない。
1つ、広大な湖のある洞窟。たくさんの青と光が乱反射して美しいが、音が何も聞こえてこない。
1つ、また1つと洞窟を探検していく弦月と考臥。その様相はまるで幼い男の子達が未知なる冒険に出向くかのような、そんな光景が広がっていた。
そんな冒険を繰り広げる中で、ふと弦月は何故今回の冒険を思いついたのか、それを聞いてみることにした。好奇心と喜びの折り混ざった声は、少し楽しそうだ。
「なあ、考。なんでその洞窟の話を持ち出したんだ?」
「噂は噂と割り切れば良いんだろうけど、でも、何故かその光景を見てみたいと思ったんだ」
「だったら1人でも良かったんじゃないか?」
「そりゃあ、弦と一緒に見たいって思ったからだよ。独り占めした後に見せびらかすのも考えはしたけど、でも、こういう冒険って2人でやると格段に違うなと思ってさ」
「ひ、独り占めも考えていたのか……」
考臥のちょっとしたジョークに引きつり笑いを浮かべた弦月。彼がジョークを言うのは珍しいが、考臥が弦月を信頼しているからこそ出てきたのだそうだ。
いつまでも2人で楽しく在ることが出来れば、それでいい。そんな一言が聞こえてきそうな雰囲気が辺りに漂っていた。
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「さて……夜も更けてきたが……」
弦月が辺りを見渡すと、既に夕暮れは夜へと変貌しようとしている。
カンテラの燃料を考えると、あと1つの洞窟を回るぐらいが限度だろうと憶測を立てていた。
「また明日……というわけにもいかないよな。確か、明日は君が出られなかったはず」
「ああ、少し野暮用でな。時間はあるとは言っても、ここまでの距離を考えると……やはりこの1回で決めたいところだな」
目の前には山肌にぽっかりと空洞を作っている入り口。これまでの洞窟となんら変わりのない洞窟はカンテラの光によって奥が少しだけ照らされていた。
これで噂通りの洞窟がなければ、おしまい。2人の頭にはその一言だけが過ぎっていた。
「じゃあ、……?」
行こうか、と弦月が言葉を繋げようとしたその時、不思議な音が洞窟の奥から聞こえてきた。
例えるならば、石と石がぶつかる音。しかし重い音ではなく、軽快で、少し高めの音が2人の耳に届けられた。
「弦、もしかして……」
「ああ、行こう!」
2人は確信した。ここが、例の噂になっている洞窟だと。
普通の洞窟では聞こえない、甲高い不思議な音。それが噂を事実と結びつける唯一の証拠だったために。
足元が少し濡れているにも関わらず、2人は走る。高まる期待が鼓動となって胸を打ち鳴らすと同時、ようやく見つけた喜びがもう少しで爆発しそうだったから。
一歩、また一歩と水を跳ねさせながら、少しずつ見える光を目指し……。
そして、ようやく。
「……す、ごいな……!」
目の前に広がった光景は、まさに言葉にならないほどの美しい光景が広がっていた。
本来であれば暗いはずの洞窟は小さな蛍達の群れによって照らし出され、その光を吸収した透明な結晶体が辺りに光を撒き散らして広大な光の海を作り出している。
また、天井から崩れ落ちた細やかな結晶が地上に生える結晶とぶつかることで鉄琴のような音を鳴らしており、その音が洞窟の壁で無数に跳ね返って音楽のように鳴り響く。
来てくれた2人への感謝を述べるように鳴り響く音は、やがて遠く、小さくなって消えていく……と思えばまた別の結晶が崩れるために音が鳴り響いて、止まる様子はなかった。
「本当にあったな、考」
「ああ、弦が諦めなかったおかげだよ」
柔らかに微笑んだ考臥に対し、表情こそ変わらなかったが内心少しだけ恥ずかしくなった弦月。目の前にいる大切な人は自分の表情など読み取ることは造作もないだろうが、それでも、表情に出さないように押し通した。
そうして幻想的な光景を眺める中で、弦月は少しだけ後ろに下がる。
大切な人がその光景に立つという、一生に一度しか見れないであろう光景を目に焼き付けるために。
前の世界でも今の世界でも見ることのなかった、淡い光の海の中を揺れる黒髪の青年の姿を……収めるためだけに。
おまけSS『でもそれ残せないんですよね。』
「…………」
「…………」
無言のまま、結晶が音を鳴らす美しい光景を眺めること数分。
弦月の表情には少しだけ、悔しそうな顔が浮かんでいた。
そう、なぜなら……。
(……カメラ、持ってくればよかったなぁ……!!)
この光景を――大切な人がとても綺麗な風景と一緒に在るというのに、現物に残せない。
自分の記憶というフィルムに焼き付けるしか方法がなかったため、弦月は非常に悔しがったのだった。