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夏衣、香りて
登場人物一覧
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晩夏、海洋の夜は盛りを過ぎて。
祭りの提灯が等間隔で並ぶ通りを、夏子とタイムは揃いの浴衣で並んで歩く。
「花火、此処からも見えるかしら?」
「そうだぁね、見た感じべらぼうに高い建物とかもないし――音がしたら振り返ってみよか」
「えぇ! それにしてもずいぶん買いすぎちゃったかしら……夏子さん、片方持とっか?」
それ、とタイムが指さすのは袋に入った屋台の食事たち。お祭り気分で屋台を巡りあれもこれもと目移りしていれば、じゃあそれも――なんて夏子が言っていくものだから、食べきれない分は持ち帰ることになってしまって。
「いんや、女の子に荷物を持たせるなんて男が廃るからダメ」
いつも通りの「女の子」の扱いは、解っていたってタイムにとって嬉しくて――けれど、きっとこれは自分だけへの言葉でないのも解って。たった一杯屋台で飲んだ薄い杏子酒の水割りのせいだと頭を振って言葉を紡ぐ。
「お祭りの時に食べるこういうのって、どうしていつもより美味しく感じるのかしらね?」
こてりと首を傾げて隣の夏子を見上げれば、夏子は湿気で萎びた紙カップに残ったエールを飲み干す。ぐしゃりと無造作に潰したカップを焼きそばのパックが入った袋に入れると、夏子はエールで調子が良くなった喉から言葉を滑らせる。
「イレギュラーズやってっと、まぁほら高級な食事も食べる機会があるワケで。それも当然美味いんだけど、ソレとは違った美味しさってのは確かにあるよね」
例えばそれは夏の野外だから、祭りだから、それともこの気安さが肌に合う生まれか――夏子が続ければ、タイムもそう、と大きく頷いて。
「お祭り特有の雰囲気っていうのもそうだけど、やっぱ夏子さんが一緒だったからかな……わたし、この浴衣着て今日のお祭りに来るの、すっごく楽しみにしてたし」
白い袖を摘まんでひらひら揺らすタイムは――身を包む浴衣と同じ、夏の朝に咲き誇る朝顔のように真っ直ぐに咲いている。ふぅん、とにやける夏子はそっかぁと満足気に――頭の後ろにやった
我ながらよく見立てた――夏の始まりの高天京での一日を思い起こせば、そりゃあ鼻も伸びるもので。
だから、そう。別にこれは「コラバポス 夏子」という男にとっては当たり前の誘い。
「ところでどうです? まだまだ食べ物抱えるほどあるし、宿帰って僕の部屋で二次会でも~?」
「もー、夏子さん酔っぱらっちゃってるの?」
そういうこと誰にでもいうと相手にされないわよ、なんてタイムは言ったって――酔ってなかろうと自分は「こう」なのだ。勿論、微酔いが心地好いことも否定はしないしそれ以上、結構に――
「……でも、朝までといわなくても二次会って案は素敵ね」
「え、おぉ? アリなんだほっほ~。ヤッタネ楽しんじゃう~?」
閑話休題。ナニを、とは言わず――返された顔は、その意味に気づいていない様子で。
「こんなに食べ物もあるし、ぱーっといろいろお喋りもしたいし!
……それに、この気分を終わらせちゃうのはちょっともったいないしね」
ああこの子はわかっていないのだ、と夏子は思う。今どんな表情をしているのかなんて――こんなの。
ところで、と足を止めないまま問い掛けるのはひとつの疑問。
「タイムちゃんって僕のコト好きなの?」
「ふぇっ? すっ!? あわ…!!」
面白いほどに動揺したタイムは、歩き方すらわからなくなったのか――夏子の伸ばした手も空しく、つんのめったまま前へ倒れこむ。
「ご、ゴメンタイムちゃん……痛いとこある? 起きれる?」
差し出した手を取るタイムの浴衣は、膝と肘が汚れていて。きっとその下には、薄らと血が滲んでいるのだろう。額の土埃を掃えば、子どもみたいなくしゃくしゃな顔で「おこして!」と訴えられる。ころころと変わる表情は、見ていて飽きなくて――不思議な子だ、と夏子は思う。
「ゴメンね、ビックリさせちゃったか……歩けそう? 痛むならおぶろうか?」
しゃがんで目を合わせれば、それはもう拗ねたのか照れてるのかよくわからない顔で――うん、と広げた手に「どうぞ、お嬢様」と背中を差し出した。
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「……もう、いきなりあんなこと聞くからびっくりしちゃった」
喧騒は遠く、聞こえるのは虫の声と一つの足音だけで。少しの間を置いて、タイムの声が夏子の耳をくすぐる。祭りの浮ついた空気に当てられたのか、ふと夏子が口にした疑問は彼女の確信を付いてしまったのだろう。聞き方が下手くそなのと、女の子を目の前で転ばせてしまったことへの罪悪感はあれど、口にした言葉は帰らず――故に、言葉を続けるほかない。
「いやさ、タイムちゃんには感謝しててさ」
出不精な自分の手を引いてあちこちへ向かわせてくれたこと、名を呼んで構ってくれること――何より可愛いこと、と付け加えて首が絞まったのは失敗した。周囲の「そう」させようとする素振りも気付いていた。だからこそ、自分という男の話をしなければならないだろう。
「正直な話、何時も女の子とは男女の関係を狙ってるのが本音で。それはタイムちゃんも例外じゃなくってさ……ま、二次会って言いつつもそういうコトを狙ってるのさ」
最低だ、という自覚はある。けれど、伝えねばならないと思うのは――調子が、狂う。
足取りはそのまま、夏子は続け、タイムは無言のままにそれを聞く。
「何て言えばいいんだろな……うん、誠実でありたい、というか。
気持ちに気付いていたし、だからこそそれに付け込むことにも気が引けるくらい仲良くなっちゃったんだよね。ま、仲良くなったからには尚更関係は持ちたいんだけど」
遠くに見えた宿の光を見つめ、淡々と夏子は話し続けた。
「理解してもらえるか分かんないけど。正直な話、俺ちょっと愛とか恋とかわかんなくてさ。
タイムちゃんのことはちゃんと好きだよ。でもこれ、タイムちゃんの僕へのそれと違う気がする」
背中から聞こえるタイムの声は、うぅとか待って、と混乱していて。えっとね、と呼吸を置けば、今度はタイムが話す番だった。
「ええっ……と。夏子さんとは一緒にいて楽しいわ」
貴方とならどこだって行きたい程に――けれど、彼がそういう人なことも知っていて。
「ユメーミルさんとのデート……なんて言い出して、冗談じゃないって分かったもの。なんて人なのかしらって思ったし、大怪我までするし」
深いため息を落としながらも、タイムはちりちりと心が熱くなるのを感じていた。何だってはぐらかしてばかりのこの男が、こうも自分のことを語るなんて。
「……じゃあ、もしわたしが『好き』って答えたら。この後どうするの?」
――わたしの気持ちより、あなた自身の気持ちのほうが気になっちゃってるのに。
「そりゃあまぁ、エイっといきたいよ。ただ、その後のことを思うとさ。
僕がこの関係をそれなりに気に入ってるの、タイムちゃんが僕を好きなことが前提にある話だから。
僕はタイムちゃんが好きだけど、タイムちゃんの好きって気持ちに十分には答えられ――」
「夏子さんはずるいわ」
言葉を遮り、タイムはずるい、と口にして。夏子が肩越しに聞いた声は、少し震えている。
「今みたいな関係は心地好くて好きよ。壊したくないし、ずっと続いたらって思ってる。
……でも、夏子さんはずるい人よ。自分の気持ちに鈍感。わたしの気持ちをわかってるなら、騙して部屋に連れ込めばいいじゃない」
鈍感だと――これでも彼女は信じていないのかと夏子は口角を歪める。自分の言葉はいつだって軽く、けれど嘘などついていないのに。
「例えばね。タイムちゃんは好きな人が自分の好きな人と良い感じになっていたって、いろいろしてても気にしない?
僕はね、タイムちゃんが知らない男と楽しそうに喋ってても『良いなぁ~僕も女性と遊びたいな~』くらいにしか思わないし、思えないんだ」
「わたしはそういうの気にするわ! 気にしますぅー! お食事くらいはともかく、それ以上は――きっと、泣いちゃうわ。
わたしは夏子さんがいいけど、夏子さんは他の誰でもいいんでしょう?」
「……執着がなくってね。あー、騙してとかそういう手もあるんだけどそれで傷つけたくないし。
分かんないなりに誠実に、って喋ってます、うん」
これが何処ぞの騎士なら、石油王ならもっと上手くいい男になれたけれど。こうしか言えないのが、夏子という男だから――自嘲をすれば、首に回された手に力が込められて。
「愛情を感じられたことがない、わたしの気持ちに答えれるかどうかも分からない、
そこが引っかかっていて、でも、それを知りたいと思っているのなら、じゃあ……」
――わたしで試してみてよ……!
「へ?」
精一杯振り絞られたのは耳を疑う言葉で。思わず夏子は歩みを止める。
試す、とは。つまりそういうことで。
「多分僕は変わることがない。関係を持ったってほかの女性に手を出すし、きっと君を泣かせちゃう。
流石に一般的に不誠実だって思うし、かといって生き方も変えられそうにない。
そんな僕なんだけど……いいの? 試しても」
「もう、もう! ちょっと降ろして!」
そっと降ろされ、浴衣の襟を直ししゃがんだままの夏子の顔面に指を突きつけて。
「これだけ話したのに、改めて聞かれるわたしの気持ちにもなってほしいわ。
あなたはそういう性格で、変えられそうにないって言うし、これからもわからない。
それでも……そう、いいわ」
そこで「およよ?」なんてニヤつく最低な男は――それじゃ、と立ち上がりタイムを横抱きに抱え上げる。
「それじゃ改めて、朝まで一緒に試してみよっか!」
あんまりな夏子の言い分に、それでもと首にしがみついて。
「じゃあ今日はもう、わたし以外を目に入れないでね。お願いよ?」
「そりゃあもう。目覚めてすぐ目に入るのだってタイムちゃんだよ」
晩夏の夜は未だ暑く――朝はまだ、遠い。
おまけSS『夏掛け、被りて』
「さてところでタイムちゃん」
「なぁに?」
「チェックアウトまではあと三時間。朝ごはんを食べるならそろそろ起きて支度をしなきゃいけないんだケド、どうしたい?」
(意地悪な人。どうしたい、をこっちに投げて「君を尊重する」なんて素振りで。
きっとずっと、この人に振り回される。
……でも仕方ないじゃない、だって――)
「……もうちょっと寝るわっ」
「オッケオッケ。それじゃもう少し――おやすみ、タイムちゃん」
胸に頭を埋めれば、珍しく――本当に珍しく、やけにやさしく頭を撫でる手があった。
バーミ・エアーの残り香は過ぎ去って。
風に乗って運ばれた夏草の香りは――その場に不釣り合いなほど、爽やかだった。