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猫は丸まり鬼鎮まる
登場人物一覧
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降り注ぐ剣戟の雨。
台風のようなそれの中央で、魔と成り果てた少女が頭を抱えて泣き叫んでいた。
――来ないで、来ないで来ないで来ないでよ!!
叫び声はどこか泣き声にも聞こえ――彼女が触れてしまった魔剣の狂気に、周囲のイレギュラーズも足を取られてしまう。
その中、『五行絶影』仙狸厄狩 汰磨羈(p3p002831)は抜き身の刃を前方へと掲げた。
風を切り開くように振ってから、向かい風に逆らって歩き出す――その後方。『守護天鬼』鬼桜 雪之丞(p3p002312)は、汰磨羈に続くようにして影狼を強く握りしめた。
次第に、雪之丞の髪色は黒から白へ侵食されるように雪の色へと変わっていき、それは本気を出す鬼の切り札。
「駄目だ、拉致があかん! 一気に終わらせるぞ!!」
「――はい、……あっ!?」
「雪之丞!!」
汰磨羈が雪之丞の声に反応して、勢いよく振り返った。
死角から出現した神秘で彩られた刃が、雪之丞を襲っているようだ。
成程、この領域全てがあの魔の手の内か。
しかし、雪之丞は極まった反射神経でギリギリの所で食い止めている。
汰磨羈は雪之丞へ、支援に一度あの魔から瞳を離した――しかし雪之丞は来るなと吼えている。これくらい己の力のみで――そして。
「―――――いやあ、大変だったなあ!!」
「は、はい……」
ぼろぼろになりつつ、己と敵の血が混ざって染みついた服を雪之丞と汰磨羈は引っ提げ。
汰磨羈は額の汗と血を拭いながら、雪之丞は疲れ切った身体を壁に預けていた。
「あんなもの、人間の手には余るものだった。よくない、穏やかじゃないぞ」
「魔剣はいけませんね、まあもう二度と現れませんし」
「報告がめんどくさいな」
「駄目です、近いの内に終わらせましょう」
「真面目だのう」
という訳で二人は依頼をこなし、一人の魔種を打ち滅ぼしていた。
これはその依頼が終わった後の話。
二人は戦いの帰り際であった。
しかし件の敵が夜にしか現れないという事で、戦闘がもちろんのこと夜からであったし、気づいてみれば時刻は、もう帰るには夜が深まり過ぎていた。
帰路をとぼとぼ歩いていた所であったが、今日の寝床はどうするべきか。多少なりとも不安を抱えていた二人に、竜宮城が如く存在していたのは温泉旅館だ。
「お!? これは幻想のお布団パンフレットに載っていた旅館。ツイてる……!!」
「オフトンパンフ……そんなものありましたっけ……。とと、温泉? あ、ああ、あの大きな岩場のお風呂みたいなやつですね」
「そうそう! 今日はもう帰るには足が動かない。此処で一休みしていくのはどうか?」
「構いませんよ、正直もう……汗と血さえ拭えればなんとでもなれ、くらいの気分ですから」
という事で、二人は温泉旅館の扉をくぐった。
いかにも今戦闘してきましたーーと言わんばかりの風貌に、温泉旅館の受付のお嬢さんは大層驚いていたのだが、『ギルドローレット』の者だと伝えるや否や、全てを理解したかのような表情で頷き、部屋を用意してくれるように忙しくどこかへ行ってしまった。
「ローレットの名前は便利ですね。まるでネームパスです」
「そうだな、先のサーカスや天義での冠位討伐で勇者扱いってところか」
「今は有難いことです」
「嫌がらせがてら、レオンに領収書突き付けておこうぞ」
「なら存分にお金使っておきますか」
冗談を言い合いながら、二人が笑っていた頃。旅館の若女将が二人を部屋まで案内してくれた。
案内され、純和室の部屋は落ち着いた空間であった。
しかし、二人はその落ち着いた空間とは裏腹に、忙しく装備を脱ぎ捨ててから、用意されていた浴衣を手に持ち温泉へとダッシュを開始した。
戦闘中にも出せないような機動力で、旅館の廊下を駆け、時たま人に出会うとは障害物でも避けるかのように壁を走っていく。
『女湯』と赤色の文字で書かれた扉を潜り、そして楽園の入り口に立った。
「ここが東の楽園」
「違います」
着ていた洋服を全て脱ぎ捨て、ロッカーに放り込む。貸出用のフェイスタオルを黄色い桶にいれ、ロッカーの上に置いてあった黄色い小さな鳥を、なんとなくお供にして温泉への扉を目の前にした。
「往くぞ、我らが戦場へ」
「はい、望むところです」
そして、扉をゆっくりと横にスライドして開く。
扉の奥から突然、もわ、っと湯気が二人の身体を包み込んだ。
そして温泉ならではの香りが二人の鼻の奥を刺激していく。嗚呼、待ち侘びていたものが今、目の前に。今なら強欲の魔種に――いや怠惰の魔種にだってなってしまいそうだ、旅人だけど。
今、二人の状況は切羽詰まっているのだ色んな意味で。温泉という原罪の呼び声はなんとも拒否がしがたいのである。
即座に二人は戦闘にかかった。
まずは湯船を頂く前に、この汚れた身体をどうにかしなければならない。
異世界の東国ニポーンでは、湯船に入る前に身体を綺麗にしないといけないという儀式があるとかなんとか。
風呂の小さい椅子に隣り合わせでドンと座り、シャワーを全開まで開く。降り注ぐ暖かな雨に、冷えていた身体が痛んだが、そうそうこれでいいんだ、この痛みがいいんだ。
備え付けのシャンプーと身体を洗うソープを3プッシュくらいしてから、ガガガ!! と手際良くこびり付いた頑固な汚れを落としていく。
最初は、排水溝へ流れていくお湯がくすんでいたが、徐々に透明なまま泡を運んでいくようになり、二人はつるぴかになった。
やがて二人は、露天の岩風呂へと足先をつける。
ふむ、どうやら少しばかり温度の設定は高めのようだ。だがこれくらいでいい、これくらいがいいのだ。
ゆっくりと足先から肩まで浸かり、頭は秋色の風に冷やされているが、身体は温かいという何とも言えない感覚に表情を蕩けさせていた。
「ふぁあ、癒される……」
「はい……とても、疲れていたようです……」
「染み渡るのう……」
「……溶けそうです」
暫く隣に座り合って、岩風呂の側面に背中をつけ。汰磨羈は両足をがばっと開いて座り、隣で雪之丞は体育座りしつつ膝の上に顎を乗せて浸かっていた。
そのうち、雪之丞は黄色い鳥さんをお湯の水面に5個くらい浮かばせ、つんつんと弄び始めつつ、隣で木桶の中に入っている米の井戸水を徳利からお猪口に注いで、くいっと傾けていた。
「っぷはあ! 有難い……キンキンに冷えてやがる……たまらん、汰磨羈だけに」
「……」
雪之丞は、どこからともなく出てきたソーダ(オレンジがグラスのふちに刺さり、小さな傘がかけられているもの)をストローから吸いながら、ちらちら、と偶に汰磨羈の身体を見ていた。
見比べるように、自身の身体を見つめてみる。凹と凸が――違う、だと。
汰磨羈はあきれるほど、いや、数えるのを辞めるほどに長年鍛え上げられてきた身体を持っている。対して雪之丞は、鍛えていない訳ではないが、まだ少女らしい硬さが残る身体なのだ。
年数を比べるのはいけないが、どうにも雪之丞は汰磨羈の身体の滑らかな曲線が気になるらしい。
それがちょっと……うらやましいのだと――少女らしい思考に、啜っていたソーダを飲み切ってずるずると音をたてていた。
「むっ、この井戸水が欲しいか。駄目だ、二十歳こえてから一緒に、な」
「違います」
口を尖らせた雪之丞に、汰磨羈が彼女の考えを読み取ることは酔っていてできなかったが――、雪之丞の愛らしい悩みの種はきっと年月が解決するのかもしれない。
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二人は温泉を後にし、用意された懐石料理に舌鼓してから部屋へと戻った。
敷かれていたのは純和風な室内によく似合うお布団である。
汰磨羈は早速布団の上に転がり、その感触を確かめていた。
「この旅館の布団は良いな。実に良いふかふかっぷり……素晴らしい」
自分の手や足、圧力をかけているところが包み込まれるようにふわりとしている敷布団に、羽毛なのであろうがふわりとした布団が柔らかくしてそして物凄く軽い。
汰磨羈は、それからパン捏ね職人のように、暫く布団の上で右手左手を交互に圧力かけあって遊んでいる。
そして、早速布団のなかへ身体を挟んだ汰磨羈は、まるで圧力が感じない布団の軽さに感動していた。成程、しかも枕もいい。低反発で首にまるで負担をかけないような造りだ。
「ほぉう、枕は練達製の低反発。しかも人気の高級品ではないか。良きかな、良きかな」
あの練達という国は寝具まで最先端なのであろう。
これも研究の成果なのかもしれないが、全てが計算され尽くして生まれている寝具は汰磨羈の感性にとてもフィットしているようだ。自然と、汰磨羈の尻尾がここちよく揺れていた。
しかし、そんな楽しんでいる汰磨羈を見下ろすようにして。雪之丞は、不思議そうな表情をしていたのだ。
それには汰磨羈の頭の上にハテナが浮かぶ――どうやら、雪之丞は布団というものを理解していないのだ。
恐る恐る布団を避けながら、壁に背をつけ、大事そうに武器を抱えた雪之丞。その姿に、逆に汰磨羈が目をぱちくりとさせた。
「何しているのだ」
「え……、寝ようと。そちらも、えと、……?」
「?」
「??」
「???」
「????」
お互いにお互いの言っていることがよくわからず、汰磨羈と雪之丞の背中に宇宙が広がっている。
言葉にすればこれがカルチャーショックというものなのであろう。
雪之丞には、布団と言う文化が無い世界から来た。故に混沌の世界にやってきても布団というものを使ったことが無い。恐らく雪之丞の世界は戦乱に塗れていたのか、いついかなる時でも命を狙われる可能性があったから――かもしれないのだが。
「成程。でもほら、食わず嫌いはいけないというものだ。どれ、この布の間に身体を挟んでみるといい」
汰磨羈は雪之丞の用の布団をばふばふと叩きながら、彼女を誘導しようとするのだが。怪訝な顔をする雪之丞は、そろっと伸ばした足先の指で、布団の角をちょこんと突いただけで足を引っ込めてしまった。
「いえ、拙はこれでも寝れますから」
どこか遠慮したように、雪之丞は布団へと近寄らない。
「布団の素晴らしさを知らないのは、非常に勿体ない」
汰磨羈は今月で一番悲しい顔をした。矢張り此処は百聞は一見に如かず。言葉にするよりは、体験してもらうのが一番伝えやすいのだが、本人がなかなか来ないのはどうしようも無い。仕方も無いのだ、新しいものに触れるのはパワーと勇気が必要不可欠なのである。
しかしそれで引き下がる汰磨羈ではない。
「是非とも知るべき。ふかふかするべき。そして極上の睡眠を体験すべし」
汰磨羈は立ち上がり、布団の両端を掴んだ。
――見ておれ、と言わんばかりに。魅せるけるように勢いよく布団をもう一度被って見せて、そのまま猫のように丸まってみる。
ものの数秒で幸せそうな蕩けた笑顔で、寝息を立て始めた汰磨羈。
「……」
しかし雪之丞は怪訝な顔をしていた。寝ようと背中を壁に預け、武器を抱き込む。
「………」
だがだが、気になる。
片目を薄っすらあけて雪之丞は汰磨羈をチラ見した。
一度瞳を閉じてみる。
そしてまた数分経ってから片目でチラ。
また瞳を閉じる。
またまたまた片目を開ける。
雪之丞は気になり、ついに寝ていたポーズを解いた。寝ている汰磨羈の顔を覗き込むように四つん這いになって観察し、それからまた怪訝な顔で移動を開始。
恐る恐る匍匐前進の要領で、雪之丞用の布団を突いてからゆっくりと汰磨羈がやっているように身体を滑りこませていく。
「汰磨羈様の尻尾のような物でしょうか」
汰磨羈の尻尾も、ふさふさでもふもふしている。
あの感覚は忘れられないものだ――それのようなものならば、楽しいものなのだが。
身体を布団へと預けた雪之丞、その瞬間、瞳がカバっと開いた。
な、なんでしょうか――これは。
ま、まるで汰磨羈様の尻尾。
そしてそれが全身を包み込むようしにており、マシュマロのような感覚に眠気が誘われていく――。
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ちゅんちゅん、と小鳥が鳴いている。
朝日は既に昇り始め、朝食の味噌汁の香りがどこからか、香ってくる。
「むにゃ……朝?」
上半身だけ起き上がり、瞳を擦ってから目を覚ました汰磨羈。
その隣の布団には、すやすやと眠る雪之丞が居た。
――暫く、このままにしておこう。
くすりと笑った汰磨羈は、欠伸をしながら二度目の眠りにごろと横たわった。