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籠鳥雲を恋う
登場人物一覧
「よいしょ、っと!」
雑多に並んでいた小道具類を一塊に端へと押しやり、無理矢理作ったスペースに大きな紙を敷いた。開け放った窓から吹き込む風でバタバタと音を立てるので、重し代わりに紅茶の入ったマグカップを四隅の一つに、もう一つに鳥の羽を模した置物を置く。
新調した作業台は少女――ディアナ・クラッセンにはまだ少し足が長く、仕方ないので調整用の台に乗って上背を水増しする。
「少し大人用に設えさせたのが失敗だったかしら?」
不満を述べたところで、自分が下した判断だから誰も責められない。いつかこの台が使いやすくなるよう自分が成長をすることを祈りつつ、ディアナは広げた紙に視線を落とした。
ちょっと高いところから見下ろす格好で眺める紙の上には、まだ何も描かれていない。何も描かれていないということは、翻せば『これからいくらでも書き込むことができる』ということでもある。
ディアナの心が小さく跳ねる。これからここに何を書こう。それを考えるだけで希望に胸が膨らむ。
「そう、今の私は自由なの」
口を突いて出た言葉は、ずっとディアナが望んでいたものだった。
時を少し遡ろう。
今でもまだ幼さの残るディアナがまだ更に幼かったころ――あまり変わらないとか本人の前で言ってはいけない――の彼女を端的に表すと、「鳥籠の主」とでもいうべきだろうか。
生きていくのに何の不都合もない。だが彼女が自ら選び取れる選択肢もなく、ただ与えられるだけの人生。窓から見る空が枠に切り取られ四角く見えてしまうように、無限にあるはずの「可能性」は両親によって切り取られてしまっていた。
そしてディアナは、そんな境遇が心底嫌いで、様々な抵抗を試みた。窓から飛び降りたり、使用人たちの目を盗んで脱走したり。だがそれも全て誰かに阻まれ失敗した。
(逃げたい。自由になりたい)
顔も知らぬ相手との結婚式を14歳になったら執り行うことを告げられた時も、望まぬ花嫁修業をさせられているときも、生きるのに不要な勉学をしないように強要されたときも、その妄執にも似たたった一つの夢を片時も忘れることはなかった。
——ディアナは時折考える。もしそれまでの日々のどこかで自分が諦めていたら。心が折れ、両親の決めた人生に黙って従う道を選んだのなら。
きっと自分は『運命特異座標』にはなれなかったのではないか、と。
口の中に苦いものを感じて、ディアナはいつの間にか閉じていた目を開いた。無駄に金と手間がかかった調度品も、監視役を兼ねた使用人もそこにはない。あるのは質素な一室と作業机、
(どうしても、思い出すわね……)
『運命得意座標』として空中庭園に召喚されたあの日以降、ディアナはそれまでになかった地位をこれ以上なく悪用もとい活用し、定期的な帰宅を条件に一人暮らしの住居と教育を受ける自由を認めさせた。
まだ完全ではないがそれでも手に入れた自由な生活は、いざ始めてみると想像していたよりもやらなければならないことも多かった。しかしそれ以上にできることが多くて、ディアナは毎日新鮮な驚きと感動の日々を過ごしている。
所属するローレット主催のトレーニング、偶然知り合った「彼」との巡り合わせ、練達の技術を真似てみたくて始めた作図……。濁流のように押し寄せる始めてに時に翻弄されつつも、その翻弄さえもが新鮮で楽しい。
「……あら?」
そんなふうに感慨に浸っていると、窓の向こうから何か騒がしい。耳を傾けると、どうやらちょっとした祭りが開催されているようで、売り込みの声に混ざって子供たちのはしゃぐ声が混ざっている。
(お祭り……。私行ったことないわ)
ディアナの中で好奇心がむくむくと膨れ上がる。時刻はまだ昼前、作図するのは夜でも問題ないはず。
頭の中で今日のスケジュールを急遽書き換え、ディアナは手元にあった紅茶を一息に飲み干した。優雅さは全く感じられない挙動だが、ここではテーブルマナーをうるさく指摘する執事もいない。
調整用の台から降りて、簡素な洋服箪笥の前に立つ。身に纏っていた白衣を脱ぎ、外出用の服に袖を通す。
そうだ、と閃くことがあった。あの人にも声をかけよう。無精髭を生やした彼の困った顔が目に浮かぶ。それだけでも十分楽しめそうだ。
「さて、今日も面白い一日になるかしらね?」
そんな言葉と共にドアを開けると、突き抜けるような一面の青空が彼女を出迎えてくれた。