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知らない誰かには優しくなれない
登場人物一覧
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「あ、おかえりなさいッス。どうッスか?」
数日前から滞在している村の、唯一の宿。
カランコロンという鳴子とともに、その正面玄関の扉を開けると、入ってすぐの食堂でランチと洒落込んでいた仕事仲間が、顔を上げてこちらに人懐っこい笑顔を向けた。
「いやぁ、どうもこうも。こりゃハズレじゃね?」
後頭部をぽりぽりと掻きながら応えてやる。朝も早くにベッドから這い出して、危険があってはいけないと、昼食を食っている彼女を宿に置き、村のあちこちを見て回った。
全ては調査のため。目の前のこの、青雀に同行を請われての仕事である。
青雀の仕事。初めはそれだけで警戒をしていたものだ。
彼女は戦闘力には乏しいが、神学のスペシャリスト。その仕事は全て、宗教に由来する。調査だなんだと辺境の田舎村にまで出向いた日には、蛇が出るか鬼が出るかわかったものではない。
しかし、身構えていたものの、結果としては拍子抜けだと言わざるを得まい。
結論から言えば、ここはただの、のどかな村だ。
一般的な農業や狩り、たまにくる行商とのやりとりで生活は成り立っており、余所者にもおかしな目を向けてくることもない。むしろ、自分にまで偏見なく接してくれるばかりで、むしろその脳天気とも言える善人さが、少しばかり異常に見えた。
どう見ても、どう考えても、ここが邪神のたぐいを崇拝し、血や死で彩るような生活を営んている、などという調査前提と結びつけることなどできなかった。
「教会の方にも出向いてみたけどよ。神父サンも人の良さそうなジーサンだったぜ」
青雀の正面の席に座って、ついでに手を伸ばして彼女の皿に乗っていた唐揚げをひとつ摘み、自分の口に放り込んだ。
アっという顔を見せるが、もう遅い。衣がカリッと、中は柔らかくそれでいてしっかりと火の通った肉はすぐにも咀嚼され、今やゴブリンの胃の中だ。
「それともナンだ。ああいうとこにゃあまた、隠し通路でもあんのか?」
キドーは以前、青雀がとある建造物内にて、こともなげに隠し通路の場所を指摘していたのを思い出していた。どうして知っているのか。それを尋ねてみたら、必要な知識は入ってくるのだと言っていた。なんとも、偏ってはいても特化した能力である。奇行の類がなければ、便利そうだと羨ましくも思うだろうか。
「いやあ、あっこは、そういうのはないッス。隠す必要がある宗派でもないッスから」
「ま、それもそうか」
教会で祀られていた女神像を見てきたが、なんとも『普通』そのものだった。ローブのようなひらひらした服を着た、女性の像。うっすらと笑みを浮かべているように見えるその表情は、アルカイックスマイルと言ったか。気にかかることをあえて探すとすれば、その女神像と同じものを、キドーは見たことがないというくらいだ。
それも、ただの知識不足だと考えれば納得できる。青雀と知り合ってもうそこそこになるが、自分まで神学に傾倒した覚えはない。せいぜい、金目のものであるか、そうではないか。その程度の興味だった。
「念の為、あと一泊して、明日何もなければそれでいいッスね」
「実際とのこ、どうなんだ? ここ、警戒する必要あんのか?」
「んー、先方にも、あんまり問題ないって言ったんッスけどねえ」
下唇に指先をあてて、思い出すような仕草をする青雀。その口から出る情報は、キドーも舌を巻く。
「クラッドヘリ信仰。この地方土着のもので、他地域で見られたことはないッス。264を聖なる数字として、生活の中でも多用しているのが特徴ッス」
「ああそれで、変な端数が多いとは思ってたんだ」
はじめ、ここで宿をとった際、その金額が高くはないが、奇妙なものだったので首を傾げたのを覚えている。なるほど、数字に意味があったのか。
「村民は現在263名。この数字を超えたことはないッスね」
「あらニアミス。ふーん、それは異常っちゃ異常だな」
それだけで、なにか特別な対策を取らねばならないようには思えないが。
「空気も飯もうめえ。住んでる奴らは愛想がいいと来たもんだ。次の休暇はここに来ようかね。なんなら、俺が264人目になっちまいそうだぜ」
「あはは、気軽な宗旨変えはおすすめしないッスよ?」
「おめーサンがいうなよ……」
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夜。
妙に外が煩くて、目を覚ました。眠気で布団にくるまりたくなったが、どうにも様子がおかしい。
寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドから出る。そのまま顔を出そうと思ったが、どうにも何か引っかかったので、しっかりと着替えてから、宿の外に出た。
途中で青雀の部屋をノックしたが、返事はなかった。きっと、眠っているのだろう。流石に、女性の部屋に押し入るわけにもいかず、ひとりで動くことにしたのだ。
そして、眼を見張る。
騒がしかったのは笑い声だった。村人が、どいつもこいつも外に出て、腹を抱えて笑っている。ゲタゲタと、ゲタゲタと笑っている。
その上で目についたものは、月だった。
赤い。そして大きい。キドーの記憶にはない色と大きさを持って、巨大な夕日のように、空に半分だけ顔を見せている。
「ンだよこれ、夢か……?」
訝しげに眉根を寄せると、ひときわ大きく笑い声を上げた方に意識が向いた。屋根の上で笑っていた男がひとり、両腕を広げて天を仰いでいる。
そして手に持ったナイフで自分の喉を横一文字に裂き、返す動きで自らの心臓に突き立てた。
「ンなっ……!?」
当然絶命し、屋根から落ちる男。皆それを見て、なお笑い転げている。
「クソッ、どうなってやがる!?」
走り出したが、どこに行くべきか。そうだ、教会だ。きっとこれは、クラなんとか言う土着信仰のせいだと、直感がそう告げていた。
幾ばくの距離もなく、たどり着いた先。そこでは無数の死体が転がっており、その中心で笑い転げる中に、青雀の姿もあった。
「おい、何をしてる!!」
ひやりとしたのは。青雀の手にもナイフがあったから。
飛びついて。得物をとりあげた。何が一体、どうなっている。
いや、わかった気がする。ヒントはあった。この村は、264人の信仰者が集まると、夜にこうなるのだ。だから1人足りないように調整していた。それが、増えてしまった。
いつからだ。いつから青雀はこうなった。この夜間ではない。彼女が土着信仰の知識を持っていたのは昼間のこと。自分が調査していた午前中にギフトが起動し、たまたま、ここの信仰と重なったのだ。だから知っていた。必要知識は、入ってくるから。
だから、問題はないと結論づけて尚、もう1日だけ滞在を引き伸ばしたのだ。この村は狂信の集まりではない。だから人数を調整していた。だがしかし、彼女は、青雀は狂信者だ。人数を揃え、こうなることを厭わない。
青雀を抱きかかえ、脱出を図る。この村はもうダメだ。彼女が来たから、たまたま、ここの信仰を引いた彼女がいたから、この村はダメになった。青雀のギフトは完全なランダム。だがしかし、彼女のせいで、ここは滅ぶのだ。
誰が悪い、と。嫌な考えが頭をよぎる。ここで生かしても、また同じことが起きない保証はない。
だがそれでも、預かり知らぬ無数の他人より、知っている人間をキドーは選ぶ。ここを出るまでに、誰一人、自分に優しくしてくれた者に出会わぬことを祈りながら。
ああクソ、何に祈れってんだ。