SS詳細
浜の伝説・入江ヒストリー
登場人物一覧
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――なあ、 ちゃん。ウチ、大きくなったら野球選手になるんや。そんでな、日本一の景色を見せてあげるさかいな。
――だから――ウチのお嫁さんになってくれへんか?
「夢、か。ふふ、懐かしい」
小さな頃の夢を見た。お隣の家の入江・星くんはいつも口が達者で、女の子にいい恰好ばっかりして。
それでも野球が大好きで、いっつも玄関にランドセルを投げ捨ててはグローブとボールを持って河原に出かけて行ったっけ。
時々友達とそれを見に行って、周りにからかわれて「星くんのことなんて好きなわけないじゃん、嫌い!」って言ったら星くんは翌日熱を出したっておばさんに言われて……給食の揚げパンを持って行ってあげたら「ほんまにウチのこと嫌いなん?」って言われたんだった。
小さい頃はね、そりゃあ恥ずかしくて。
でも、私の初恋は星くんだった。おじさんと一緒に日曜日に競馬を見て盛り上がっている
のを見ていたらおばさんに「男っていくつになってもそう」なんて言われてたんだよね。星くんがあんまりにも話すから、女の子なのに野球選手と馬の名前を今でもいっぱい言えるんだよ、私。
でも、何年後かに私が転校することになって――連絡するねって言ったって、子供の約束なんてあんまりにも軽かった。
その後それなりに普通に恋をして、付き合って別れたりして。星くんのことを忘れそうになったのに――16の夏、甲子園で君の活躍を知ったんだ。
星くんはずっとずっと野球を続けていた。そして、プロになった。
どうにか昔の友達を探して、星くんに出会えて。
「変わらへんなぁ」って言ってくれた星くんは、すっごく背が伸びて、すっごく格好良くなった。
ちょこちょこ遊ぶようになって、そして星くんが浜の球団に指名されて――その日の夜、昔の約束を覚えているかって聞かれた。はぐらかそうかと思ったけれど、私だってずっと覚えていたから――うん、って言って。そうして私達は、恋人になったんだ。
「……よし!」
あれから数年。浜の球団は正直弱くて、優勝なんて全然考えられなくて。
けれど、去年少しずつ芽吹いた花は、今年大きく開花した。
マシンガンみたいに打って、もう押せ押せな浜の星達は――ついに竜を墜として、冠を抱いた。
浜のクローザー星くんは、今日――10月26日、きっと頂点に立つんだ。
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――紙コップを受け取り、喉を潤す。
浜の夜空は、サーチライトの強烈な光に照らされて――深まる秋の空気が心地いい。
9回表、2-1。この試合に勝てば、浜の球団は数十年ぶりに球界の頂点に立つ。
ウグイス嬢のコールが、満員の球場に響く。
「ピッチャー、入江」
鼓膜を揺るがす歓声の中、珍妙な星の描かれたリリーフカーへと乗り込む。
ゆっくりとグラウンドを駆け、辿り着くのはその中心、星が一等煌めくマウンド。
(とうとうや。とうとうワイの夢が叶う時が来たんや……!)
背中に背負う『22』は、浜の守護神の証。
あと三人。三人抑えれば勝つ。
一人目、フォークで三振。
二人目、制球が定まらず四球。
三人目、犠牲フライ。
四人目、一塁打。
(あと一人。あと一人なんや……クソ!)
2アウト1-2塁。そこで告げられた名に、星は「せやった」と笑みを零す。
「9番、山田に代わりまして――バッター、土留土」
山奥の球団の主砲ーー眼鏡のデータマンの名が告げられる。
「貴方を打ち、我が獅子の軍が頂点に立ちます」
眼鏡を中指で押し上げ、バッターがつぶやく言葉は星の耳には届かない。けれど、星には何を言いたいか伝わっていて。
(せや、せやんなぁ。やっぱり最後はアンタと決着をつけなあかんのや)
キャッチャーのサインに首を振る。
(ちゃう、ワイはコイツと勝負がしたいんや)
振りかぶり投げた白球は、真っ直ぐに真中に構えたミットへと吸い込まれる。
点灯するストライクランプに、眼鏡のバッターも微笑んで。
二球目、三球目――嫌らしくチップされ跳ねるボールに、星は小さく呼吸をひとつ。
帽子を被り直すと、鍔の裏に書かれた言葉に目をやって。
(『日本一』。そうや、ワイは約束したんや――日本一になって、あの子をお嫁さんにするって!)
二本の指で、強く握りしめた白球を放つ。
入江・星の伝家の宝刀。深く沈むフォークボールは、眼鏡のバッターが振るバットの下を擦り抜け――グラウンドに着いたキャッチャーのミットへと、鈍い音を響かせた。
次に覚えているのは、響く歓声と紙テープの雨。
この日、浜の球団は球界の頂点に星を輝かせる。
そして、入江・星は伝説となり、浜の球団は常勝軍団となった――
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「……そしてお父さんにその日『結婚しよう』って言われたのよ!」
「あかんて、恥ずかしいわぁ ちゃん!」
「……二人って、本当に仲良しだよね、ほんと」
月日は巡り、幸せな家族は語る。
これは翌朝冷たくなってベンチで発見されない、あたたかく幸せな話。
おまけSS『いつもの四畳半』
「……幸せな夢を見ちゃった」
「なんや、 ちゃん。どうしたん?」
「あのね、星くんが野球選手ですっごくて、日本一になってるの」
「そうかぁ、そりゃあほんまにええ夢やなあ」
「……ほんと、だからね星くん」
「なんや?」
「あの夢みたいに億稼げとは言わない。でもせめて――家賃はちょっと入れてほしいな」
「そ、それはぁ。新台で今までの分もこれからの分もバーン払うわ! それにな、週末はええレースが」
「で?」
「……元手、貸してくれへん?」
――しあわせなゆめだったなあ。