PandoraPartyProject

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聖霊と澄恋の話~せめてできることを~

登場人物一覧

松元 聖霊(p3p008208)
それでも前へ
耀 澄恋(p3p009412)
六道の底からあなたを想う

 春が近いとは言え、まだ雪深い季節。
 ざくりざくりと膝丈まで積もった雪を踏み、聖霊は澄恋を連れて進んでいた。向かい風はゆるくも冷たく、時折雪が視界に入ってうっとおしい。
「まだ歩けるか? もうすこし行けば俺の診療所だ。そこに行きゃ、傷の手当ができる」
 聖霊の問いかけに澄恋はうなずいた。血の気のない紫の唇は寒さのためだけではない。紅に染まった白無垢が理由を教えてくれている。聖霊は顔を歪め、雪道へしゃがみこんだ。
「聖霊様?」
「背負っていく」
「いえ、そこまでなさらなくとも。わたしの怪我は自業自得ですので」
「いいんだよ。早く来い」
「は、はい……」
 気圧された澄恋は聖霊の背に乗った。聖霊が立ち上がり、再度雪道を踏み出す。二人分の重みが乗っても雪道は重くへばりつく。背におうた澄恋の軽さが身にしみる。この小さな体で、少女はとてつもない自己犠牲をしてのけたのだ。しかしその結果が招いたのは場の混乱と食らい合う狂人の群れ。そしてそうなったきっかけは他でもない聖霊にある。奴隷らの心へ、、精神へ根ざした思想を、否定してしまった。
 そんなつもりじゃなかったんだ。聖霊は悔やむ。俺はただあの奴隷たちを助けたくて、生きていてほしくて、なのに現実は厳しかった。助かったのはわずか6人。たしかに俺たちの説得に感化された者もいる。だけど彼らまで洗脳の溶けていない奴らの毒牙にかかってしまった。いや、毒牙などと言うべきではないか。彼らにはそうするしか道がなかったのだ。ただ食われるためだけに存在する、それだけの奴隷に強すぎる刺激を与えてしまったのは己なのだから。
 真実は時に人を傷つける。
 その言葉の意味を聖霊はいやでもかみしめねばならなかった。
「聖霊様」
「なんだ」
「お顔が曇ってますよ。ふふっ」
 ぷにっ。ふりむいたとたん、白魚のような指先が頬をつついた。澄恋は微笑んでいた。大怪我をおってなお気丈に振る舞う彼女。それがなによりつらく、聖霊のしかめつらが渋面に変わる。
「ごめんなさい、わたし気に触ることをしてしまいましたかしら」
 うなだれる澄恋へ、聖霊は言葉を返した。
「いいや違う。医者として自分の不甲斐なさが腹立たしいだけだ」
 救える命はすべて救う。それを信じてやってきた。それだけを信じてやってきた。今後も方針を変えることはないだろう。だけど、だから、澄恋の行為は聖霊にとって驚くべきものだった。胸がズキズキする。心がキリキリする。父を亡くしたあの時が思い起こされて聖霊は歯を噛み締めた。ひゅるりと風が吹いていく。粉雪をまとった風は彼ら二人をあざ笑うかのように軽やかだ。葉を落とした木立を抜け、冬枯れの低木の園を横切り、聖霊はようやくたどりついた。
 大きなニレの木に寄り添うようにして立つ診療所、聖霊のアジト松本診療所へ。
「帰ったぞ」
 聖霊は澄恋をおろすと誰に聞かせるともなく大声で叫び、かじかんだ手で鍵を開けた。消毒用アルコールと薬品の匂いが澄恋の鼻をひくつかせる。
「ここが聖霊様のお屋敷ですか」
「ああ。みてくれはこんなだが、最新の医療器具をそろえてる。そこは安心してくれ」
「ええ、信用していますとも」
 春の女神のような笑みに聖霊の心がツキンと痛む。さっそく澄恋を診察室へ招き入れ、椅子へ座らせる。
 紅一色となった左袖をめくりあげると、そこにはあるべきはずのものがなかった。二の腕のあたりでブチンとちぎれており、残った上腕が止血されている。これが俺の説得の成果か、そう思うと聖霊はたまらない気持ちになる。先の依頼で、澄恋は聖霊の説得を裏付けるために、自らの腕をちぎり咀嚼するという思い切った行動に出た。失ったものが返ってくることはない……。
 それでも傷の手当くらいはさせてほしかった。
 花嫁に憧れる澄恋一生消えないかもしれない傷を負わせてしまったこと、そうまでして自分へついてきてくれたこと。後悔と感謝、悲しみと喜び、それが聖霊の顔を曇らせていた。
「すまないな……」
 こぼれるのは謝罪の言葉。聖霊の嘘偽りのない本音。澄恋は首を振った。
「いいのです。結果的には成功しましたし、わたしたちの説得が無意味だったとは思いません。聖霊様が気にされることはなにもないのですよ?」
 ああこの人はどこまで無邪気に笑うのだろう。聖霊は泣きたい心持ちだった。
「そうはいってもこの大怪我だ。手当をさせてくれ」
「はいどうぞ。ですが聖霊様、あまり背負い込みすぎないでくださいまし。自分で納得してやったこと、後悔はありません」
「澄恋にはなくとも、俺にはある」
「聖霊様?」
 止血帯を外しながら、聖霊は眉をひそめた。やわらかそうなましろの肌の下、組織がむき出しになっている。医者としてグロテスクなシーンには慣れているが、嫁入り前の澄恋を傷物にしてしまったことが悔やまれてしかたない。
「俺にできるのは、消毒と縫合くらいだが、それでよければぜひさせてくれ」
「聖霊様。ありがとうございます。ですがわたしもともと前衛ですので、怪我には慣れておりますよ。鬼は身体が頑丈ですし、なんなら旦那様錬成で培った技術で義肢も作れますし……」
「痛みに慣れるなんて、あっちゃならねぇだろ!」
 とつぜん怒鳴りつけられ、澄恋は縮こまった。
 聖霊がすまないと付け足し、澄恋の肩へ両手を置く。
「……痛いものは、痛いんだよ。苦しいものは苦しいんだよ。それでいいんだよ。強がる必要も、隠す必要もない。少なくとも、俺の前では」
 うつむいた聖霊から熱い涙がしたたりおちた。それを見た澄恋はほうけた顔で聖霊を見つめていた。どうしましょう。わたしったら。こんなに思われて心がほわほわいたします。澄恋は残った右手を聖霊の頬へ添えた。そして顔をあげさせる。
「聖霊様。わたしはほんとうに痛くはないのです。ご安心なさって……」
「俺が痛い。澄恋の傷を見ていると、俺の心が痛い」
 澄恋は大きな瞳をさらに丸くして聖霊を見つめ、ふっと顔をほころばせた。
「そんな聖霊様だからこそ、わたしは安心して命を預けられるのです」
 その優しい目元よ。なよやかな手のひらよ。包み込むような声音よ。聖霊はなぜ自分がこんなにも悔いているのかわかった。尊いのだ、彼女は。奴隷たちの境遇を真剣に思い悩み、それゆえの行動に出た彼女は自己犠牲の精神そのものだった。優しさだけでできる行為ではない。覚悟があってこそできる行為だ。その優しさと強さを兼ね添えた稀有な彼女へ、自分がいながら重い怪我をさせてしまった事実がつらいのだ。
 この稀なる人こそ幸せになるべきだ。聖霊は強く思った。
「それでは消毒を」
 まだ目元に残る涙を押し隠しながら、聖霊は滅菌ガーゼを鑷子でつまみとった。専用の消毒液にひたし、やさしく左腕の傷口へ触れていく。
「ふふっ」
「なんだ」
「いえ、ひんやりしてくすぐったいです」
 言われて聖霊は暖房をつけていなかったことに思い当たった。長く雪中へいたせいで感覚が鈍っていたのか。それとも澄恋への感情のやり場がなくわすれてしまっていたのか。ひとまず澄恋への処置を中断し、暖房をつけてあらためて自分の手を消毒する。すぐに部屋の中はあたたかくなった。そうなると気分も少しゆるんできて、口数も多くなる。もとより澄恋は痛みを感じていないのだ。泣き叫ぶ患者の相手をするそれとは違う。ぽつりぽつりと話を続けている内に、話題はしぜんとあの依頼のことになる」
「……澄恋はどうしてあんなことをしたんだ?」
「だって聖霊様が助けてくださると思っていましたから」
「そうだな。殺されていい人間なんかいねぇ、そこは揺らがねぇ。……だからこそ俺は、今からすることから目を逸らさねぇ。そう言ったのは俺だ」
 澄恋がここまで無茶をするとは思わなかったけどな。聖霊は弱々しく笑った。そんな聖霊を気遣うように澄恋はこくびをかしげ、下から見上げてくる。小動物のような仕草に聖霊の笑みが深くなった。安心したのか澄恋も笑う。
 くすくす、くすくす……。微笑みが奏であう。いつのまにか雪はやみ、あたりに明るい光が満ちていた。窓辺から入ってくる陽の光に照らされた澄恋は正しく白無垢をまとっていた。きれいだなと聖霊は優しい目で澄恋を眺める。一幅の絵画のような澄恋の姿、無残にちぎり取られた皮下組織がいたいたしい。
「ねんのため部分麻酔を打って縫合する。そっちの施術台へ移動してくれ」
 とたんにへの字口になった澄恋に、聖霊はにやりと口の端を吊り上げた。
「おっと、注射は嫌いか?」
「聖霊様、わたし痛くありませんので、麻酔は必要ないかとぉ~……」
「傷口の余分な組織をばっさりやるんだ。もういっかい腕を切るようなもんさ。麻酔打ったほうがいいだろ」
「でもでもぉ~……」
「聞こえねぇな」
 ぐずる澄恋を姫抱っこで抱き上げ、施術台へ横たえる。見れば見るほどに無残な傷跡だ。術部がずれないよう固定し、止血帯をきつく巻きつける。滅菌された施術台は固く、寝心地が悪いのか澄恋はもぞもぞしている。
「メスが余計な所へ行くかもしれねぇぞ」
 そう脅かすとようやく動きが止まった。そのあいだに手早く聖霊は注射をする。
「あ、痛くない」
「そうだろそうだろ? 俺の腕がいいからな」
 術中は医者としての仮面をかぶって。内心はあまりのことに泣きそうなままでも。
 どんな時でも患者がいる限り医者としての矜持を捨てるな。聖霊は自分へ言い聞かせながら手術を進めていく。針と糸が肉の間を通る不快な感触。だがそれをしているのが聖霊だからか、ふしぎと澄恋に不安感はない。
「ありがとうな、澄恋」
「はい?」
「俺を気遣ってくれてよ」
「だって聖霊様ったらあんまりしょげかえってらっしゃるから」
 澄恋が茶目っ気たっぷりに微笑む。
「これからも手伝えることがあったら遠慮なく言ってくれ」
「はい、もちろんです」
 窓の外はあたたかな夕映えに移り変わろうとしていた。

  • 聖霊と澄恋の話~せめてできることを~完了
  • GM名赤白みどり
  • 種別SS
  • 納品日2022年03月20日
  • ・松元 聖霊(p3p008208
    ・耀 澄恋(p3p009412

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