PandoraPartyProject

SS詳細

二人、引き裂かれたその日にて

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠
チック・シュテルの関係者
→ イラスト
チック・シュテルの関係者
→ イラスト


「………………」
 灰の山と化した屋敷が在る。
 訪れたのは黒白の翼を担う青年だった。未だ冷め切らぬ熱と焦げ臭さを漂わせるその場所を訪れた彼は、幽鬼のようにふらついた足で、屋敷の奥へ奥へと歩を進めていく。
 其処は、彼の屋敷だった。正確には『彼ら』の。
 火の手の上がる屋敷からただ一人逃げおおせた青年は、最早何もかもが燃え尽きたその場所で、それでも必死に何かを探して屋敷の中を歩き続ける。
「……これ、は」
 しばらくして、その足が止まった。
 全てが褪せた灰の色のセカイの中、床に転がる一つの指輪と、焼け落ちたローブの切れ端が燃え殻に埋もれている。彼は燃え残ったそれらを手にとって、静かに、しかし強く胸へと抱きしめた。
「兄、さん……!」
 誰もいない屋敷の中、青年の言葉だけが、空虚に響いていた。


「……兄さん、帰ってたの?」
「やあ、フィン。遅くなってごめんね」
 ――それは、『転機』が訪れる二日前のこと。
 流れ者の飛行種たちで構成された一族――『渡り鳥』の簡易的な拠点の一角で、二人の青年が話し合っていた。
「別に。兄さんが人助けを優先するのは何時ものことだからいいけど……全く」
 話し相手を兄と呼ぶ精悍な青年……フィン・シルヴェスタは、兄であるジョアン・シルヴェスタに対して些かの呆れ顔を隠せぬまま質問した。
「今度は何をやらかしたのさ?」
「あ、あはは……困ってる人を見つけたら、放っておけなくて」
 ……じっと見つめる弟の視線から顔をそらすジョアンの傍には、一人の人物が立っている。
 白の翼を背負って灰の髪を流した、青年と少年の間にあるようなあどけない顔をした同族だった。その割に身長はすらりと高く、周囲を伺うような目線がどうにもアンバランスに映ってしまう。
「あの、おれ……居ないほうが、良い?」
「それは気にしなくていいけど、大丈夫? 今日は子供たちと一緒に歌遊びをする日じゃなかったっけ」
「! そう、だった……」
 ジョアンの言葉を受けて慌ただしそうにする灰の髪の青年は、近くにいたフィンにも一度会釈をしたのち、その場を急いで離れていく。
「子供たちと一緒に唄う歌を考えていたんだって。俺はそういうのに疎いから、いくつか聴かせてもらいながら相談に乗ってたんだ」
「ふうん……?」
 相槌を打ちながら、フィンは去っていく青年の後ろ姿に首をかしげている。
 たどたどしい言葉と上目遣いが印象的な相手だった。常に誠実、かつ実直な在り方を好むフィンからすれば、あの青年に対しては「変な奴」程度の印象しか浮かばなかったが。
「まあ、人を助けようとして迷惑かけたりしてなかったなら良いけど」
「あ、あの時ユーグに見せた魔術は失敗したんじゃないよ? ちょっと出力の調整を間違えただけで」
「初歩的な発光魔術一つで周囲の人たちが次々に倒れていくような規模は『ちょっと間違えた』じゃないんだよ」
「……反省してます」
 項垂れた兄の姿に、堪え切れず苦笑を浮かべたフィンは、そのまま彼の手を取って自宅の屋敷へと連れていく。
「そろそろ行こう。今日は久々に兄さんが返ってくるっていうから、ご馳走を用意したんだ」
「フィンが手作りしてくれたの? 嬉しいなあ、何の料理か楽しみだよ」
 帰路。二人並んで笑いあう姿は、『渡り鳥』の人間なら誰もが慣れ親しんだ光景だった。
 お人よしだが少しだけドジな兄と、そんな兄を慕うしっかりものの弟。
 二人の日常は、これからもずっとずっと続いていくと。誰もがそう信じて疑わなかった。

 それでも。
 唐突な運命は、そうした普遍的なモノすらも容易く奪っていくのだと。彼らはのちに思い知ることになったのだ。


「行くって……こんな時間に!?」
 それは、ジョアンが自分の家へと帰ってきた次の日の晩のことだった。
 ジョアンは『渡り鳥』の一族の中で、最も外界との交流が多い民だった。集落を移り住むたび、その地にいる人々から依頼を引き受け、その見返りに生活の拠点や何らかの便宜を図ってもらうという役回り。
 フィンもそれは理解していたが、それにしてもここ最近の依頼の頻度は多く、また集落を離れる期間も長すぎる。
 こうも立て続けでは心配もしよう。事実その通りの声音を兄へ向けるフィンへと、しかし。
「うん。困っている人がいるらしいからね。助けたくて」
 それを当然のように、ジョアンは返した。
 フィンは知っている。一族の合議の決定によりジョアンがその役目を与えられたとき、彼はそれを嬉しそうに引き受けたことを。
 本懐なのだろう。真実、誰かを助けられるという立場に真摯に臨んでいるのだろう。それを分かっていながらも、しかしフィンは。
「僕には──お人好しな兄さんの考えが理解できない」
 それもまた、家族である弟からすれば当然の道理だった。
 己の役目に邁進するあまり、自らを削り。それを慮る人々の心を置き去りにして、なお止まらないその思いが、フィンにはどうしても分からない……否、分かりたくなかった。
 言葉を受けて、ジョアンはぴたりと動きを止める。
 日頃確かに率直な思いを口にすることが多いフィンではあるが、自らが思い慕っている兄にここまで容赦のない言葉をかけることはほとんどなかったためだ。
「……伝えてくれた人の話だと、この近辺の領主……伯爵様からの依頼らしいんだ。
 この件が上手くいけば、領主さんの口添えでみんな安心して暮らせる。そうすればしばらく一緒にいられるさ」
 何処か宥めるようなその言葉も、今のフィンには届くことはなく。
 ジョアンは申し訳なさそうな笑顔を浮かべたまま、「行ってきます」とだけ告げて屋敷を離れていく。

 ――依頼は一日を待たずして成功し、帰ってきたジョアンはその日一日をフィンとともに屋敷で過ごしたが、その心はやはりすれ違ったままだった。
 ……少なくともそれは、フィンにとって『取り戻せない過ち』となってしまったのだ。


 ――火の匂いがする。血の匂いがする。
 あつい、くるしい、いたい、いたい。
 何で。なんで、こんな――
「汚らしい羽虫どもが!」
 がつん! という音とともに、フィンの意識が明滅する。
 すんでのところで失われなかったそれを必死に保って、彼は頭を働かせていた。何故、このようなことになったのか。
「……兄さん」
 切っ掛けは、ジョアンが達成したという依頼だった。
 一人の令嬢の狂言誘拐にまつわる依頼だったという。それをこなしてきたというジョアンが帰ってきた日の夜のこと。依頼人の伯爵が、その依頼をまるで知らぬかのように、誘拐に携わった『渡り鳥』の一族を捕らえ、或いは処刑するために幻想の兵を寄越したのだ。
 ……集落は既に幾多の場所で火の手が上がっていた。フィンもまた現在、多くの幻想兵に囲まれ、こうして暴行を受けている。他の同族たちも似たような状況だろう。
「……おい、もういいだろう。ここまで弱らせれば抵抗もあるまい」
「何だ、お前は聞いてないのか? 捕縛は必要ない。一族の人間は皆殺しだ」
「……何だと?」
「あの伯爵周りの人間は皆知ってることだ。そもそも誘拐自体あの男がこの一族に依頼したものらしい。
 手慰みに作った庶子の娘から『悲劇の令嬢』を生み出して、その原因となってもらうこいつ等を口封じしようという腹さ」
「それは……幻想王に気づかれればどうなる?」
「あの放蕩王子が気づくものかよ。政治の興味など微塵もない無能だぞ」
 ――――――聞こえてくる言葉に、体は熱く、脳は逆に冷めていった。
 利用された。その果てに滅ぼされた。誰が、何が?
 自分たちが、一族の同胞たちが、何より、最も愛する家族である兄がその首魁として――!
「……ふざ、けるな」
 フィンは、必死に言葉を絞り出す。
 それを警戒した衛兵たちに再度斬られ、殴られても、彼の言葉は止まることはない。
「お前らの醜い企みに利用されただと?!
 ふざけるな、ふざけるな、覚えていろ、お前たち全員……!!」
「『覚えていろ』か、笑わせるよ。今のお前に何ができる?」
 言葉とともに、衛兵の剣が走り、フィンの体を朱に濡らす。
 だが、

「……少なくとも。
 今は、逃げることだけは、出来るよ」

 肋骨を断ち、心臓にすら届いた袈裟切りが、一瞬すら待たずに癒える。
 その様子に当のフィン自身が驚いたが、それよりも。
「兄さん……!!」
「……ごめんね、フィン。確かに君の言う通り、俺はお人よし過ぎたみたいだ」
 自らが現状を生み出す一端を担ったことを、今現れたばかりのジョアン自身も察しているのだろう。
 それに気づきながらも、フィンは涙ながらに首を横に振って否定する。
「違う、違う! 兄さんは間違ってない!
 善意を施すことの何が悪いんだよ! それを利用する奴が、悪意で返す奴が悪いに決まってるだろ!?」
「……ありがとう」
 その言葉だけを残して、ジョアンはフィンを囲んでいた兵たちの隙間にするりと入り、弟の体を包囲の外へと突き飛ばす。
「兄さん!」
「逃げるんだ、フィン。俺のことは――」
「気にならなくなるだろうよ、すぐにな!」
 言葉とともに、ジョアンの身を貫く幾本の剣。
 フィンが絶望の声を上げるよりも、しかしジョアンの術は早かった。
「……な、」
「大丈夫。こんなのはただ、痛いだけだから」
 剣を抜かれると同時に癒える傷。ただの治癒の異能というだけではない、常人では到達しえない魔術の領域。
 それを、敵と弟にまざまざと見せつけつつ、ジョアンは炎に包まれる屋敷の中で衛兵たちを足止めし続ける。
「だめだ、兄さん! 逃げるなら兄さんも一緒に――!」
「いいんだ、フィン。
 俺は兄ちゃんなんだから。弟を守るのは、当然だよ」
 炎はさらに燃え広がり、もはや兄の身体を喰らいつくすかのように、弟の視界から覆い隠していく。
「……っ!」
 それを、救うために駆け出していけたら、どれほどよかっただろう。
 今の自分にそれを為す力がないと理解しているフィンは、ただ、消えていった兄の姿から背を向けて走ることしかできなかった。
 ……炎は、夜が明けるまで燃え続けていた。


「……フィン?」
 そうして、現在。
 場面は再び燃え尽きた屋敷へと戻る。遺された兄の名残を大切そうに胸に抱えるフィンのもとに現れたのは、少なくない数の同族たち。
「……あんた達、生き延びたんだな」
「違う……」
「何?」
「生かして、もらったんだ。ジョアンのお陰で……!」
 ――その言葉は、フィンにとって確かな喜びであり、同時に集落を襲った者たちへの怒りを募らせる要因でもあった。
「傷を癒してもらって、守りの呪文をかけてもらって、
 その上でアイツは襲ってきた衛兵を自分へとひきつけながら逃げて行ってくれた。……すまない……!」
 そうまでしてくれたジョアンに、何も報いることもできず、ただ生き延びることしか出来なかったと、そう語る同族たち。
 フィンは、その言葉を受け、暫く何も言葉を発さずにいたが、やがて頭を振って。
「……それは違う。兄さんは逃げろと。生きろと言っていた。あんた達はそれを果たしたんだ」
 そう言って後、彼は踵を返して屋敷の出口へと向かっていく。
 唐突なその行動に、同族の一人が思わず問うた。
「……何処に行くんだ?」
「為すべきを為しに」
「それは、一体?」

「……復讐だ」

 一言だけの言葉の意味を、しかし明確に理解した同族たち。
 彼の意思に付き従うか、離れるか。それを思案する者たちをよそに、フィンは最早その歩みを止めることはなかった。
ただ。

『フィン、どうか――――――』

「……?」
 風に乗って聞こえた、不明瞭な呼びかけ。
 ただの空耳と割り切って忘れようとしたそれは、しかし暫くの間、フィンの耳からは離れなかった。

おまけSS

 ――炎に巻かれた死体が在る。
 全身をやけどで覆われ、その翼と髪も大半が燃え落ちながらも、どこか儚さと美しさを湛えたその亡骸を、何者かがそっと抱え上げる。
「……?」
 亡骸は、何かを強く握っていた。
 抱えた者がその手をゆっくり開かせれば、そこには指輪の形をした魔道具があった。
「………………」
 抱える者は、暫くの沈黙の後、その指輪をそっと燃える屋敷の床へと置いていき、未だ火に包まれるその場所から亡骸とともに去っていく。
 ――残された指輪が、不要であるからと捨てられたのか、若しくは遺された者たちの心の慰みになるようにと置いて行かれたのか。
 それを知る者は、何処にもいなかった。

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