PandoraPartyProject

SS詳細

澱みに見る夢の如し

登場人物一覧

澄原 晴陽(p3n000216)
恋屍・愛無(p3p007296)
愛を知らぬ者

 大きな戦いがあった。青庭 乃蛙は行方知らずになった弟を救うべく自身から戦場へ向かうと宣言した澄原 晴陽を眩い存在として眺め見遣る。
「いってらっしゃいませ」
 送り出した背中は何時もより頼りない。自身が夜妖憑きとして晴陽に治療を受けていた際にはなんと素晴らしい医者なのだろうかと感じていた。夜妖の代償で喪われる未来を鎖さぬ為にと手を差し伸べてくれたのは紛れもなく彼女だったのだから。

 ――乃蛙さん。貴女さえよければ病院で夜妖憑きのケアを行う看護師になりませんか?

 乃蛙の人生の転機は紛れもなく彼女が与えてくれたものであった。故に、信頼していた。澄原 晴陽という医者ならば最後まで自身を見ていてくれると安堵していたのだ。
 だが、走り去っていく背中に。一抹の不安を覚えたのは彼女が変わってしまう瞬間をその目に焼き付けたからなのだろうか。
 弟の為にと走り去っていく彼女を見送ってから乃蛙は変わらずの日常を過した。患者のケアに、晴陽が留守の間の仕事の確認。ジャバーウォックの襲来をも乗り越えて2010街と銘打たれた希望ヶ浜が発展を望んで『再現性東京202X街』と呼ばれるようになった街並みを眺めることになるとはその時はまだ――

「乃蛙さん、手伝っては頂けませんか」
「どうかなさいまし――……怪我をなさっています。直ぐに手当を」
 澄原病院の裏口から人目を避けるように帰還した晴陽を一瞥し、乃蛙は焦燥を滲ませた。余りに変化することの無かった深い夜色の瞳を見開き、シックなワンピースを揺らがせる。救急箱を取りに走る乃蛙を呼び止めてから晴陽は「水夜子を優先して下さい」と告げた。
「……承知致しました。先生もご無理はなさらず」
「ええ。私は医者ですから自分の体のことは良く分かっています。乃蛙さん、何か変わりありましたか?」
 救急箱を抱え、彼女の従妹の元に膝を突いた乃蛙は「いいえ」と首を振った。そも、小さな変化を乃蛙は覚えては居られない。日常のことはある程度ならば記憶しているが、あの日飛び出していった晴陽と今の晴陽の雰囲気が違って見えたこと位しか乃蛙には分からなかった。
「晴陽先生は傷だらけになって……手当をご自分でなさっていたからこそ大事ないのでしょうが……」
「仕方ありません。希望ヶ浜も大騒ぎの有様だったのでしょう。地下のシェルターに避難した患者のケアも行わねばなりませんね」
「はい。練達全土を巻込む代物ですから、悪性怪異の騒ぎも気になります」
 てきぱきと応急手当を続ける乃蛙の様子を眺めながら晴陽は「そうですね……」と呟いた。長年医師として乃蛙の世話を焼いてきた晴陽だ。彼女は予感している――他者の変化には疎いながらも、乃蛙は気付いて居るのだ。大きく世界が変化しようとしていることを。其れだけの転機が練達、いや、希望ヶ浜にはやってきた。
「……先生は、姿を変えていく希望ヶ浜はどうなって行くと思いますか?」
「そう、ですね。これからも変化は免れないでしょう。希望ヶ浜という場所は仮初めです。外に大きな変化があったならば自ずと影響を受ける。
 乃蛙さんが望まなかろうが希望ヶ浜は変化してしまうのでしょう。私だって、そう。私だって、始めてあの様に……イレギュラーズと共闘しました」
 それが乃蛙にとって、大きすぎるほどの変化であると晴陽は知っていた。彼女は『変化を望めぬ』存在だ。もしも乃蛙にこの変化が訪れたとて、その視野は狭く拒絶してしまう可能性さえある。
 隠した眼では映らぬ未来がある事を知っているからこそ晴陽は「ですが」と口を開いた。
「……ですが、変わらぬ物もありましょう。私が澄原病院の院長である事も、乃蛙さんがこの病院の看護師である事も。
 明日より通常の業務が始まり、街が華やごうとも病院だけは変わらぬ日常がやってくる。ええ、機材は進歩するやもしれませんがたったそれだけです」
「……そう、でしょうか」
「ええ。膨大すぎるほどの課程があれど、それは我々の元に届く頃にはちっぽけな進歩に他なりません」
 淡々と告げる晴陽の言葉が診察を受けているときと同じようだと感じ取り乃蛙は「そうですね」と呟いた。
 包帯を手に、晴陽の傷のガーゼを剥がした乃蛙は何処か可笑しくなって笑みを滲ませる。ああ、変化を受け入れられないと言いながら医者であった晴陽の手当てをしているのだ。其れだけでも立派な非日常ではないか。
「乃蛙さん?」
「いえ……なんとなく、先生と居ると退屈しないと感じたのです。
 私は夜妖憑きですから、笑顔の作り方さえも直ぐに忘れてしまいました。辛うじて、毎日繰り返し覚えたこの業務と『常識』だけは忘れずに居られましたが。
 私には見えぬ未来を、先生が見てくるのならばそれで良いのかと。そう思ってしまったのです」
 それは諦観であっただろうか。彼女がそれで良いというならば、晴陽は何も言うことはできまい。
 傷の手当てが済んだ後に、水夜子を何処かの病室に寝かしておいてやってほしいと頼んでから晴陽は乃蛙を連れて院長室へと向かった。
 室内灯に照らされた下で見れば晴陽の姿は存外に痛々しい。「治療を」と口に出した乃蛙に晴陽は首を振ってから振り返った。
「乃蛙さん。感じた変化を書き留めましょう。覚えておけるだけのことを、たっぷりと。そうして、細かい変化を教えて下さい。
 私も、水夜子も、街だって。細かい変化は気づけません。ですが、貴女ならばそうした変化が分かる。翌日に『違う』と感じた其れこそが大切です」
「私が変化しないことしか分からないのではないでしょうか」
「いいえ、貴女の特性ですから。其れを活かしましょう。夜妖を見定めるのに良い機会でしょう。変化を重ねて確認し、夜妖が奪わぬ細かな変化ばかりを集めるのです。
 そうして、貴女と夜妖の更なる共存が見込めたならば――屹度、未来は拓けますよ」
 創造もしていなかった言葉に乃蛙は息を呑んだ。ぱちり、と瞬いてから「ええ」と小さく頷く。何度も重ねて頷いて、そうしてからこの日始めて『笑った』。
 笑顔の作り方は直ぐに忘れてしまったけれど、それでも、確かに笑顔を浮かべた事は乃蛙は感じ取っていた。

 ――それも、ジャバーウォックが襲来して直ぐの頃の話だっただろう。
 すっかり202X街と名乗ることになれてしまった希望ヶ浜の街を慣れた様子で乃蛙は歩く。備品の買い出しのために出た街の姿は大きくは変わっていなかった。
 手にしていたaPhoneが最新型になっていたり、流行ソングが変化していたり。そうした細々とした日常的な変化は時の流れを感じさせ、素早くも変化を続けて行く。
 乃蛙にとっては興味を抱かなかった事――否、抱いたとしても明日には直ぐに忘れてしまうのだけれど――ばかりであったのだ。患者達との会話の中で時折出てくる流行の話に耳を傾けるのも看護師として必要だ。
 晴陽には好きな雑誌の一冊でも購入して読み終わったら待合室に置いておくと良いとアドバイスを貰っている。彼女の治療は保存療法が中心である。乃蛙にとっては都合の良い『共存』の仕方なのであった。
「……茶菓子も何か追加で買い足しておきましょうか」
 街の変化に恐れることも無くなったのは、あの日の会話からであっただろうか。
 今日も青庭 乃蛙は『変化せず』に暮らしていく。それが、彼女の生き方であり、彼女が喪った輝かしい未来の姿だから。

  • 澱みに見る夢の如し完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2022年03月11日
  • ・恋屍・愛無(p3p007296
    ・澄原 晴陽(p3n000216

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