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カルウェットと武器商人の話~はじまりの一歩~
登場人物一覧
物陰からぴょいんと小さな体が飛び出した。大きな角飾りがやわらかそうなツインテールの下からのぞいている。名はカルウェット、カルウェット コーラス。まだまだ修行中のレガシーゼロだ。
ここに来ていったいどのくらい経ったのだろう。まだ少しな気もするし、だいぶ迷っているような気もする。天井は高く夜の天鵞絨を思わせる。星のようにいくつもの明かりがぶら下がっているが足元は薄暗い。居並ぶ商店がぼうと輝いてオレンジの光が滲んでいる。どの店も棚へぎっしりと商品を並べ、おいでおいでと手招きしている。どこか遠い異国を歩いているみたいとカルウェットは思った。
てこてこ。ずんずん。道を歩いていく。ときどき転びそうになってあわわ。
それでも探検気分で前へ進むのをやめられない。
次の店は何を売っているんだろう。あの角を曲がれば何があるんだろう。泉のある休憩所かな。広い広い緑豊かな公園かな。ずらりと屋台の並ぶ広場かな。いかめしい面構えの専門店街かな。進めば進むほどにカルウェットはうきうき。綿菓子みたいに期待がふくらんでいく。おかしハンターとしては、やはり名高いジェイル・エヴァーグリーンのお菓子が食べてみたい。せっかくここまで来たのだから、ギルド・サヨナキドリへ。
そこへ行けばなんでも手に入るという。そこへいけば欲望のたががはずれるという。破滅したいのならおいで。ギルド・サヨナキドリへ。自分をしっかり持ってさえ居れば、そんなことはないだろうけれど。
そんな噂は聞いていた。聞いた上でやってきた。たしかにお店が延々と並んでいて、構造は複雑、同じ道を通っているようで、気がつけば違う場所へ出ている。そのひとつひとつへ惹かれていればたしかに破産してしまうだろう。だけどカルウェットはしっかりと自分の心を握っていたし、ついでにお財布の方も握っていたので、そんなことにはならなかった。それよりも今はこの景色を楽しんでいたい。
空気は夜風のように心地よく、カルウェットの気分を盛り上げる。夜は嫌いだけど、ここは好き。あったかくて、居心地がいいの。怖いものすべてからボクを守ってくれているみたい。まるで大きな繭のよう。ここに居る限りきっと……と、思ったところで大事な友人の顔が脳裏をよぎり、カルウェットはぶんぶんと頭を振る。だいじょうぶだいじょうぶ、まだ魅入られてない。もう少しだけ先へ行こう。ここでの思い出を友達へ話そう。きっと目を輝かせながら聞いてくれる。
歩いているだけで楽しい。誘惑はそこここに。それらみんなへ手を振って、カルウェットは歩いていく。
カルウェットが大通りに出た時、銀の影を見つけた。それは異様で偉容で、美しく、銀色の熱帯魚のように人混みをゆうらりと横切っていく。
「あれは…えと、武器商人、さん…?」
カルウェットの胸がドクンと鳴った。こんなところで再会できるなんて思ってもいなかったし、この機会を逃せば二度と会えない、そんな気もした。
「あ、えと、わーー、待って、する! カルウェット、覚える、してる?」
銀の影へ突撃したカルウェットは、そのオリエンタルな服の端をがっしりとつかんだ。
――キャハッキャハハハ!
さらりとなにかがカルウェットの手へ触れた。それが小さな小さな手の形をした影だと気づいた時、カルウェットは思わず手を引っ込めた。今のは銀の影を守るなにかで、自分は触ってはいけない神聖なものへ触れてしまった気がしたのだ。
「おやァ、驚かせてしまったかい? すまないね」
声をかけられ、カルウェットが見上げると、長い長い前髪の下の鋭い菫のまなこと目があった。
「気にしないでおくれ、アレはいたずら好きなんだ。再会を祝ってお茶でもどうだい、角持つコ……ああ、いや。ゆりかごの娘」
「もちろん! お茶をする、したい!」
「ならこっちへおいで」
武器商人が壁へ手を当てると、そこがゆるりと動いてドアができた。カルウェットは驚きに目を見開く。そういえばあの時だってそうだった。まるでサンタみたいにカルウェットの欲しい物を出してくれた。ロケットパンチだって売ってくれた。
(ボクのサンタさん……! すごい、やっぱり!)
カルウェットは嬉々として扉をくぐった。
色とりどりのカーテンにまじきられた部屋の奥、大きな丸窓の近くにテーブルとソファがあった。飴色に輝くテーブルの上へ武器商人が手をすべらすと、湯気の立つ飲み物とお菓子が現れた。
「カフェラテとチーズクリームのアップルパイだよ。お食べ」
「すてき、してる! サンタさん、なんでもできる、してる!」
「ヒヒ、なんでもかァ。そうさね、その気になれば、ね。でもしないよ」
「そうなんだ、なの?」
「だってつまらないだろう?」
丸窓の向こうを鳥が飛んでいく。ようやくカルウェットが、窓の向こうが緑なす森だと気づいた。木々はしゃらしゃらと木漏れ日を投げかけ、太い幹は力強く陽の光を受けている。薄暗いサヨナキドリの雰囲気に慣れていただけに、まぶしいほどの自然光が落とす影が、カルウェットには踊っているように感じられた。
「つまらない? どうして? なんでもできる、する、すごい」
「長く生きているとね、不便さや理不尽さが愛おしくなってくるんだよ」
「どうして、いい?」
「ヒヒ、ゆりかごの娘はまだまだ成長途上だから、そう思うのだろうよ。だいじょうぶ、キミは可能性の特異点だ。どんな姿にもなれる」
すこし冷めてしまったね、と武器商人は手を伸ばした。カフェラテがみるみる泡立ち、こんもりとクリームが添えられる。武器商人が指先を回すと、クリームの上にカルウェットの似顔絵が現れた。それがあまりに自然であったから、ふしぎにもなんとも思わず、カルウェットはカフェラテへ口を付けた。思ったよりも甘くて、舌に快い。
「サンタさんみたい、なれる?」
「我(アタシ)の眷属になることをお望みかい? それはまだ早いだろうよ」
「ケンゾク?」
「我(アタシ)に影を呑まれることだよ。ヒヒヒ、まだまだこれからというところだろう、ゆりかごの娘。もうすこし世界に絶望してからでも遅くはないよ」
「ぜつぼー……」
ぜつぼう、絶望、のぞみがたたれる。うん、たしかにしたことがないかも。カルウェットは思い起こす。目覚めたときには知らない山の中だった。そこから始まった日々、冒険、友達との邂逅、うん、まだ自分は「絶望」とやらをしていない。ぜつぼう、不吉な響きの言葉だ。きっと「怖いこと」が次々起きたら、自分は「絶望」してしまうのだろうか。
「ぜつぼーはしてる、ない。でも、サンタさんと仲良く、する、したい」
「我(アタシ)とかい、なかなか変わり者だね、歓迎するともさ」
武器商人が喉を鳴らして笑う。何が視えているのか、その瞳はカルウェットのコアをじっとみつめている。そうしていたかと思うと、武器商人の手がカルウェットの頭を撫でた。骨ばった長い指が低い体温を伝えてくる。頭を撫でられると、カルウェットは満腹した猫の心地になる。気持ちよくて、うれしくって、このままずっと撫でられていたい。そう思った。だけどその手はしばらくすると潮が引くように離れていって、残念な思いのままカルウェットは武器商人を見上げる。
「いまのがお気に入りのようだね。こっちへおいでゆりかごの娘。好きなだけ撫でてあげよう」
武器商人がおいでおいでをする。催眠術にかかったように、カルウェットはそのモノが腰掛けるソファへ体を投げ出し、頭を武器商人の膝へ預けた。固いのにふしぎと居心地がいい膝。甘い香りが漂ってくる。武器商人はカルウェットの頭をやさしく撫で、ときに小さく切ったアップルパイをカルウェットの口元へ運ぶ。口さえ開ければ、まったりとしたクリームチーズと、シナモン香るリンゴのジューシーな甘みが口へ広がる。
「えへへ……」
なんというVIP待遇。今日一番の幸せ者はきっとボクだとカルウェットは心のなかで快哉をあげた。
「ここは、サンタさんのお部屋?」
「そうだね、執務室だよ」
「執務室!?」
カルウェットはがばっと起き上がった。夢のような色彩のカーテンに遮られていたから気づかなかった、ここが執務室だなんて。そんな部屋があるということは、武器商人はサヨナキドリでも上位、そのくらいはカルウェットにもわかった。
「ということは、おしごと、する、した? ボク邪魔した、してた? ごめんなさい、する!」
「いいんだよ。書類仕事は片付けたし、あんまりお客が来ないから、今日は何をしようと思っていたところだ。ゆりかごの娘と出会えてうれしいくらいさ」
「はあー、よかった、するー……」
カルウェットはソファの背もたれに身をゆだね、ずるずると滑り落ちた。
「サンタさん、ごめん、するね。だけど、もし、よかったらまた……」
「あァ、遊びにおいで」
菫の瞳が弧を描く。その瞬間がカルウェットは好きだ。どこか近寄りがたい雰囲気の武器商人が、ふわりとやわらかくなる。
(ボクのサンタさん、笑ってる、うれしい、する)
ふくふくとやさしい気分になりながら、カルウェットは武器商人と微笑みあった。ああ、幸せ。もっとこうしていたいけれど、此れ以上は何かが危険とカルウェットの中で本能が警告を発していた。
「そろそろ帰る、するね。お邪魔した、しました」
「そうしたほうがいいだろうね。帰り道がわからなくなりかけているもの。ほら、出口はあっちだよ」
武器商人が入ってきた扉を開ける。そこには見慣れた景色が広がっていた。カルウェットはお礼を言ってそこを出た。振り返るともう何もなかった。ただ口の中に残るアップルパイの甘みだけが夢ではないと告げていた。猛烈に喜びがこみ上げてきて、カルウェットは両手を天へ突き上げた。
「ひっひー、また、会う、できた。嬉しい、するぞ!」
日常に埋もれていた景色が輝いて見える。カルウェットは走り出した。