PandoraPartyProject

SS詳細

God bless you.

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女

 スティア・エイル・ヴァークライトには欠けた記憶が存在した。
 それは、取り戻した記憶の一欠片であり、幼い頃の少しの冒険。スティアにとっては忘れていただけの曖昧な一日の記憶だった。
 自室で本を読みながら余暇をぼんやりと過していた少女にとって、取り戻したばかりの記憶は未だ未だ朧気だ。
 ――それでも、あの日のことは。
 忘れていたことが惜しいようなぬくもりを手繰り寄せるように少女は思い出す。
「あ、雨だ……」
 そうだ。あの日も丁度、雨が降っていた――


 幼い頃、一度だけ家を抜け出したことがある。
 父が姿を消し、叔母と祖父が幾重も騎士団へと呼び出しを受けている最中だったそうだ。当時の『私』は家に誰も居ないことに驚いて、こっそりと抜け出しただけだった。
 ちょっとした、悪戯でもあったのかもしれない。
 お父様を探しに行く、なんて。
 幼い『私』は、任務途中に姿を消した父の話の大半を理解出来ないまま、父が何処かで怪我をして動けなくなってしまったのではないかと心配していたのだ。

 ――――――
 ――――
 ――……

 地を打つ雨の音は心地よく、雨垂れがひとつ、ふたつと零れ落ちていく様子を眺めていた。
 泥に汚れたスカートの下には申し訳程度にハンカチーフを引いていた。靴先も随分と汚れてしまった。
 帰宅をすれば叔母さんは怒るだろうか。そんなことだけを少女はぼんやりと考えていた。結わえた髪はメイド達が自信作だと誇らしげに告げて居た。
 ワンピースもお気に入りの物を。ハンカチは父が仕事で出掛ける前にプレゼントしてくれたものを。
 そうして沢山の大好きに囲まれた少女――スティアは行方知れずになり暫く家に帰らぬ父を探しに一人で出掛けたのだ。
 庇護者であった祖父や叔母は用事で屋敷を留守にすることが多かった。日に日に使用人の数が減り――今になってから分かるが、祖父と叔母が『不始末』に備えて使用人達に新たな職を紹介して解雇していたらしい――蛻の殻になった屋敷にスティアは退屈を抱えていたのだ。
「詰まらないの」
 唇を尖らせるスティアに「仕方ありませんよ」と繰り返すのは使用人の娘であった。スティアの遊び相手として屋敷に残っていた彼女は困ったように笑うだけだ。
 ――後に、よく考えてみれば、幾人か祖父と叔母の職の斡旋を断ってギリギリまではと仕えてくれている使用人が居たが、誰も彼もスティアと同じ年頃の子供を抱えている者が多かった様に思える。子供を危機から引き離したい親の気持ちと共に、産まれた頃より慈しんだ『お嬢様』の行く末を気にして留まってくれた者が多かったのかも知れない。
 だからこそ、スティアは屋敷をこっそりと抜け出した。それは雨の日だ。降り注いだ雨音がスティアの痕跡を消すようにさあさあとリズミカルに降り注ぐ。
 世界から零れ落ちたような。始めての一人きりの時間を過すように少女はヴァークライトの屋敷から飛び出した。
 決して雨に慣れているわけではない。だからこそ、水が簡単に染みこむような靴で泥の上を走ったのだ。気に入っていたレースのソックスの爪先が水分を含んでぐしゃりと音を立てて気色が悪い。傘を差すのも慣れては居なくてはみ出したスカートに水が沁みたのも仕方が無い事であったのかもしれない。
 スティアは庭園を通り過ぎ、ドクトゥス・フルーメンに沿うように歩き出す。川を辿れば、何れは大きな湖に出ると何時かの日に父に聞いたことがあったからだ。
 領地を視察するにはスティアは幼すぎた。それ故に、何れは領地を見ることになるだろうとアシュレイはスティアに物語のようにヴァークライト領について教えていた。
『神様へとお祈りを捧げる人が通る道』『美しい湖』『お母様が大好きだった花畑』
 そんな、幻想的な風景が外には広がっていると夢の様に語って聞かせた父にスティアは「いつか一緒に行こうね」と笑いかけたのだ。
 ……もはや、それは叶わぬ夢。父が帰ってこなくなったのならば、父が帰ってきたときに自慢してやらねばならないのだ。「私はお父様が教えてくれた場所に一人で行ったんだよ」と。
 そう自慢するためにスティアは雨の街を走る。石畳は濡れて滑りやすい。慎重に歩かねばならないと出来るだけ走らないようにと確かめるように進む。
 ふと、スティアが視線を遣れば、降り注ぐ雨の中にぞろぞろと歩む人々の姿があった。それが父が語った『神様へとお祈りを捧げる人々』なのだろう。
 雨の日でもヴァークライト領は巡礼者達の姿が見られた。それでも、一人で街を走り抜けていく少女がスティア・エイル・ヴァークライトという『プチ家出娘』である事は誰も気付きやしない。貴族令嬢がこの様な雨の日に一人歩きしている等とは誰も思いやしないのだ。せいぜい、お遣いに飛び出してきた少女が一人傘を適当に担いで走っているという感想が得られるだけだろう。
 少女は初めての一人での外出に心を躍らせた。(叔母のエミリアに言わせれば伴を連れず幼い貴族令嬢が雨の街を家出する事を厭わない様子は彼女の母に似たと言わざる得ないらしい。それだけスティアの母『エイル』は嫋やかな見た目からは想像も付かない出来事を連れてくるタイプだったのだ)
 野に咲く花が雨に濡れる様子に驚いてみたり、近寄れば感じられたパン屋の香りを喜んでみたり。スティアにとってあまりに経験の無かった街歩きは楽しみと驚きの連続であった。
 貴族として生きてきた。それがヴァークライトに生を受けたスティアの在り方だ。貴族として生まれ、将来は騎士か聖職者になる事が望まれる。国家が為にと忠誠を誓うからこそ、生活は安定していた。日々、可愛らしい洋服に身を包み、食事に困ることもない。責務を担うからこそ、平民のように仕事を積み重ねる必要も無かった。
 スティアも幼い頃から学ぶようにと父と祖父に厳しく言いつけられていた。母を亡くした父は再婚することを望まず、最愛のエイルの忘れ形見であったスティアを立派な後継者にすべく教育も惜しまなかったのだ。まだ幼いスティアからすれば父からの期待は重圧であり、勉学のために設けられた家庭教師との時間は地獄のようなものだった。甘えられる母も居らず、凜とした厳しく涼やかな眼差しの叔母――父とよく似ているとスティアは感じていた――と拗ねたような孫を見て困ったように笑う祖父を一瞥してはため息を吐くだけ。
 そんな『貴族』である事から解き放たれたような。まるで自分が只の『スティア』であるような。少女はその感覚に心を躍らせていた。

 ――♪

 鼻歌を混じらせて、ステップを踏んで踊る。躓いたって転んだって気には止めやしない。ただ、ただ、楽しくて堪らないのだ。

 お母様は冒険を沢山してきたらしい。山を駆け回ったり、野を転げて、モンスターから逃げ出して。
 そんな英雄の御伽噺のような母の話を寝物語にしながらスティアは見たことのない母に憧れた。エミリアから聞かされた母の話は、まるで物語の中のようだったからだ。
 お転婆な少女は、淑やかな貴族令嬢であることが望まれた。だが、貴族としての重責や安寧よりも、もっと魅力的に映った母の冒険譚。
 もしも、何の責務もない平民であったなら?
 剣を担いで出掛けただろうか。杖を握って魔法を唱えただろうか。神のお言葉を力に変えたのだろうか。
 竜に出会うために出掛けていっただろうか。見知らぬ土地で誰かに手を差し伸べて……そして新しい友を手に入れることが出来ただろうか。
 そんなことばかりを考えた日々を謳歌するように『只のスティア』は雨の道を駆ける。川を辿り、街が遠離り、湖へと繋がる道を駆け回る。
 美しい花畑の花々は雨を喜ぶように一心に背を伸ばし、水を欲するように揺れている。
 庭園に咲いた花の種類を叔母に聞けば困ったように笑ったことを思い出した。剣術ばかりで花を愛でることのなかったという叔母はそれから必死に花を学んでくれたのだ。
「あれは、なんだっけ……」
 一等美しい花が一輪。銀色に鈍く光ったような其れは雨の滴を花弁から溢れさせる。
「確か――……」
 名前をエミリアが教えてくれていた気がする。余り見られない、天義にだけ咲く花だと言っていた気がした。
 名前を忘れてしまったその花の事を思いながらスティアはううんと頭を悩ませた。エミリアに聞けば早いのだろうが、叔母に聞くまで椛の湖とを覚えていられるかも少し不安で――
 風が吹き、雨水が花弁から零れ落ちて行く。それは、まるで泣いているようだと眺めていたスティアは後方が僅かに騒がしくなったことに気付いた。
 幾人もの大人だ。首を捻ってから息を呑む。見慣れた姿がそこにはあった。
 帯刀し、雨に濡れた重たげな髪を気にする素振りはない。左右を確認し続け、高く結い上げた金色の髪が水を含んで重たげに揺らいでいる。
 やや釣り上がった瞳に浮かんだのは不安か。騎士団の制服を身に纏ったまま、雨も泥も構わずに一直線に走ってくるその姿。
「叔母様」
 スティアの唇から零れ落ちたのは、たったその一言だけだった。
 声が聞こえたか――それとも、その姿を視認したのかは分からない。その人――叔母のエミリアはスティアの姿を双眸に映しぴたりと一度動きを止めた。
「――!」
 呼ばれたのだろうか。声の残滓が僅かに届いて雨音に攫われる。叱られるかも知れないと眼をぎゅうと閉じてスティアは身を固くする。
 勝手な家出だ。使用人達も叱られてしまうかも知れない。後で自分が悪いのだと叔母に告げて、使用人を叱らないでくれと頼まなくては――
「スティア……!」
 慌てた様に駆け寄ってくる叔母がほっとしたようにスティアを抱き締めた。
 スティアにとっては予想外。それでも、その腕の中にすっぽりと収まった彼女はそのぬくもりの心地よさにほろりと涙をひとつ零した。
「叔母様……」
「スティア、貴女は何処に行っていたのですか!」
 叱るような声音に、スティアははっと息を呑んだ。叔母のその声は悲痛さに溢れている。胸を引き裂かれるかのような不安を抱いた彼女の声音にスティアは何度も叔母様を呼びかけた。
 その時の苦しいほどの腕の力の強さは、スティアの小さな身を軋ませるほどだった。
 心配を掛けた。ただ、それだけのことだった。今まで存在していた『たのしい』ばかりの気持ちに差した不安が急激に大きくなる。風船を膨らませたかのように膨れ上がった不安が小さな胸で破裂するかと思うほどにスティアは恐怖に染まったかんばせに涙をはらはらと落とした。
「し、心配した?」
「当たり前でしょう。心配しました」
「お、怒った?」
「……怒りましたよ」
 怒ったんだ、と呟いてからスティアは俯いた。エミリアの胸に顔を埋めて、ぼろぼろと涙を流す。
 母は生まれて直ぐから居なくなった。父も気付けば居なくなってしまった。それで叔母に叱られて、嫌われ出もしたら――ごめんなさいと泣いた小さな少女の背を撫でながらエミリアは言う。
「あなたまで、居なくなったら」と。慕った義姉を亡くし、兄は失踪をし、そして、今彼女が置かれている立場は断罪の刃を振り下ろすか否かである。
 相思相愛と呼ぶべきであった婚約者と距離を取り、血濡れた刃を握るか否かを迫られたエミリアは震える声で繰り返した。
「いなくなってはなりませんよ。スティア。私も心配します。けれど……エイルは――貴女の母は、あなたが居なくなったらどれ程悲しいでしょうか」
「……おかあさまが?」
「ええ。ええ。だから……だから、約束を。スティア」
 どうか、もう目の前から居なくならないで、と。蛇口から捻りだしたように漏れた言葉にスティアは泣いた。
 エミリアにとって、兄と義姉が残していった『スティア』が大切であったように。スティアにとっても愛情をくれる家族は残り僅かだった。
 父の『騒ぎ』で叔母が愛しい家族を全て葬り去ることになろうとも、彼女のくれる愛情が本物であることをスティアは疑わない。
 雨の中、ぎゅうと抱き締めて涙ながらに「居なくならないで」と絞り出してくれたこの人は、残されることになるたった一人の家族なのだ。

 ――それでも、これはスティア・エイル・ヴァークライトにとって『忘れてしまった記憶』である。
 掌から零れ落ちた幸福が幾つも積み重なって、少女は形作られていく。其れを運命と呼ぶのかは……。

  • God bless you.完了
  • GM名夏あかね
  • 種別SS
  • 納品日2022年03月08日
  • ・スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034

PAGETOPPAGEBOTTOM