PandoraPartyProject

SS詳細

鏡の中に沈む

登場人物一覧

ルチア・アフラニア・水月(p3p006865)
鏡花の癒し
鏡禍・A・水月(p3p008354)
鏡花の盾

 愛する人はいつも無理ばかりをする。
 前衛に立ち、時には傷ついて帰ってくる。
 行かないでと言っても『義務だから』と行ってしまう。
 どんなに願っても頼んでも、また危険に身を投じてしまう。
 どうしたら彼女を護れるのだろう。どうしたら……。
 ──なら、もうどこにもいけないよう、閉じ込めてしまえばいいんじゃないかな?
 頭の中で悪魔が囁いた。



「う、うぅん……」
 ベッドの上でルチア・アフラニアは目を覚ました。頭がぼんやりしていてなぜ眠っていたのかすらよくわからない。ただ疲労感だけがある。
 体調を崩して寝ていたのだろうか。ここはどこで、今は何時だろう。外を見ようと体を起こして周囲を見渡したところで違和感に気づいた。窓がない。それだけでなくベッドや付近の家具といった最低限のものはあるのに、本来は壁のある所は深い闇に覆われていた。
 さらに今いるベッドの感覚もおかしい。普段なら柔らかく暖かい布団の感覚がない。触ると形は変わるのに指から伝う感覚もなく、薄暗い不自然な部屋の中は埃っぽい印象を受けるのに景色に見合った香りが全くしない。
 そういえば自分が普段つけている香水のあの柑橘系の香りすらしない。感触と嗅覚が急に削げ落ちてしまったかのようだ。
「ここは?」
「やっと目が覚めたんですね、よかった」
 呟く声に反応するように嬉しそうな声がした。中性的で丁寧な声には聞き覚えがある。視線を声のほうへ向けて声をかけた。
「鏡禍……」
 名前を呼ばれて声の主、水月鏡禍は微笑んだ。いつもの気弱な印象と異なって見えるのは普段前髪で隠している右目が見えているからだろうか。あまり見ることのない薄紫の瞳が怪しく光っているように見えて思わず目をそらす。
「なかなか目を覚まさないから心配していたんです。やっぱり人には負担が大きいんですね」
「どういうこと、何を知っているの」
「覚えてないんですか?」
 鏡禍は心底意外そうな顔をした。その後納得したように何度も頷く。
「そうですよね、覚えてたらこうやって話してくれないでしょうから」
「だから何を……」
「教えてあげますよ。ここは鏡の中の世界です」
 怪しく笑って鏡禍は両手を広げて言う。

 ──ようこそ、僕の世界へ。

「は……?」
 突拍子のない話に瞬間的に思考が止まる。確かに過去、話に出たときには興味を持った。こんな風になっているのかとまだ冷静な頭の部分が納得しかけるが、だからといって急に連れてこられる意味が分からない。
 それに今、話し合わねばならぬ依頼を抱えている身だ。こんなところで遊んでいる場合ではないのだが……質の悪いいたずらにしても鏡禍がそういったことをする人ではないことをルチアはよく知っている。
 だからこそ、この状況が余計に『わからない』のだ。
「なんでこんなところに連れてきたの? 観光なら後でもできるわ。私はちょうど忙しいって知ってるでしょう」
「なんでって、ルチアさんがいけないんですよ?」
 伸ばされた鏡禍の腕がルチアの腕を掴む。離そうと腕を動かしても細い腕からは想像できないほどしっかりと捕まえられていてびくともしない。
 見つめる鏡禍の薄紫の瞳が強く光っていた。
「あんなに危険なところにはいかないでって言ったのに、あれだけ僕が護りますからって言ったのに、あなたはいつも危険に身をさらす。時には攻撃さえ受け止めようとする。どうしようもないことだってあるのはわかります。それでも、どうして僕がいる前でも繰り返すんですか?」
 にこやかに、でも静かな圧をかけて鏡禍が問う。にこやかと言ってもその瞳に優しさはない。危険な依頼へ手を出したことを怒っているのだろうか。
 あまり見ない表情に怯みながらも何度もしたやり取りだとルチアは答える。
「前にも言ったわ。私は大丈夫だって、力あるものの義務だって」
「大丈夫? そんなわけないじゃないですか。怖いのを隠しているだけの普通の女の子なのに。義務なんてクソくらえです」
 鏡禍だけは知っている。かつて強大な竜種に相対し恐怖を覚えたルチアの姿を。護りたいと思う普通の女の子の姿を。
 でも同時に知っている。普段の彼女はとてもそんな姿を見せないことを。意志の強さで? 義務感で? 理由はわからずとも簡単に護らせてはくれない、護られてくれないことだけはわかる。
 だからこそ彼は強硬手段に出たのだから。
「でも、何度言ってもあなたはわかってくれない。今回みたいにまた危険なところへ行こうとする。だからもう、最初から守ることにしたんです」
 饒舌に語る鏡禍の姿。彼の瞳の奥に暗く輝くものを見つけたルチアは背筋が寒くなった。何か行ってはならないことへ全力で振り切ってしまったような、狂い堕ちた灯り。
「最初から……?」
「そうです。ここはもう外の、混沌世界とは違います。鏡の中の世界、僕の世界です。ここにいれば争いに巻き込まれることもない。傷つくこともない。ずっと安全に生きていけますから」
 すなわち外界との遮断。依頼にもいかず戦うこともせず外がどうなろうと自分だけこの場所でじっとしていろということ。
 到底容認できるものではない。話し合うべき依頼では他のメンバーが自分を待っているだろう。何より、故郷から自分だけが安全な都市に避難し、家族の中でたった一人生き残ったあの時のように、自分だけ安全な場所のいることなどもう耐えられはしない。
「いやよ!」
 だからルチアは手元の布団を思い切り叩きつけて彼から離れようとした。出口はあるはずだから、そこから外に戻ればよいと。
 だが、叩きつけたはずの布団は気づいたら手をすり抜け元の位置へ戻っていた。しっかりと掴み、振り下ろした自覚はあるのに、そんなこと起きていないと布団は素知らぬ顔をして元の位置にいる。
「ダメですよ、こっち側で物を動かしたら。外に影響が出ちゃいます。鏡の中から外へ影響を起こすのって結構疲れるのでやめた方がいいですよ」
 何が起きたかわからない顔をするルチアを見て、空いた手で布団を撫でながら鏡禍は笑う。何もできない、力ない抵抗が彼にはほほえましかった。鏡の中は彼自身の世界、だから例え物を投げられようが何をされようが影響なく元の位置に戻すことなど造作もないこと。
 まだそれがわからない彼女が、嫌だと抵抗する様子が何にも代えがたく愛おしい。そして彼女を自分の世界に連れ込み閉じ込めたのだという思いが薄暗い征服欲を満たしていく。
(これでもう、彼女は、僕のものだ)
 なおも腕を引っ張り離れようと抵抗する彼女がかわいらしくて、ついつい手を放してしまう。どんな反応をするのだろうと嗜虐的な部分が顔を覗かせ、ルチアを見つめる笑みが濃くなる。

「いや、ここから出して!」
 腕を放され自由になったルチアは、ベッドから飛び降りて本来なら扉のある個所へと走っていく。だがそこにあるのは暗い闇だけ。手を伸ばすと一定のところで押し戻される。進むことなど叶わない見えない壁だ。
 再び周りを見渡す。ベッドの周りにあるものは上に本や明りなどの乗ったサイドテーブルと小さな本棚といったよくあるもの。だが動かそうとすれば元の位置に戻ってしまうし、目に入った本の表紙に書かれたタイトルは鏡文字になっていて読むことすらできない。今更ながらここが鏡の中の世界である実感がじわじわルチアの中に湧いてきた。
「出して、出しなさいよ!」
 場所を変えながら闇の壁を叩いて、叩いて、叩いて。どれだけ強く叩いても痛みもなにも感じないことに感覚がおかしくなってしまったのかと恐ろしくなる。
 それならばと最後、外の世界の見える鏡のある場所へ進んでいく。鏡から入ったのなら鏡から出られるはずだ。そう伸ばした指はコツンと鏡のガラス面に当たって止まった。
「え……」
 外に出られるでも跳ね返るなどで抵抗されるでもない、何も起きない。その事態に硬直していると後ろから楽しそうなささやき声が耳に入る。
「ここは僕の世界ですよ。出入りの制限ぐらいできるに決まってるじゃないですか」
 振り返る。もうなりふり構っていられなかった。どこからも出られないのなら、この世界の主を倒す以外他にはないと。直感したと同時に瞬間的にため込んだ神秘の力を彼に向けて解き放った。否、正確には解き放とうとした。
「だから言ったじゃないですか。ここは僕の世界だって」
 鏡禍が怠そうに手を一振りするとため込まれた力が一気に霧散する。こんなことここに来るまでは一度もなかったことなのに。焦るものの今度は気持ちを集中して、再び放とうとしたが結果は同じ。それどころか力を集めることすらできなかった。許してもらえなかったというべきだろうか。
「あまり暴れようとしないでくださいよ。外の世界に影響が出たら疲れてしまうのはルチアさんなんですよ?」
 自分に害をなそうとしたのに、全く気にしていない様子で彼はルチアの心配をする。技の発動を止めたのはただルチアに負担をかけない、ただそれだけなのだと。同時にこの世界ではすべてが彼の意のままなのだと存分に思い知らされる結果になった。
「そんな……ありえない……」
 全部知っていて、無駄な抵抗だとわかっていて手を放されたのだと知って全身から力が抜けた。自分がどんな行動を起こしても全く問題にならないと思われていたのだと。
 ぺたりと座り込んだ闇は暖かくも冷たくもない。ぬくもりとはどんなものだっただろう、もうわからない。
 外へ直接出ることはできない。この世界の主である鏡禍は倒せない。外に出たい思いはあるのにもうどうしていいかわからない。抗うだけ無駄なのかもしれないという思いが心の中を満たしていく。
 ゆるゆると顔を上げるとニコニコと嬉しそうな顔をした鏡禍が見えた。
「ここから出して……」
 懇願する声に力はない。聞いた彼の笑みがただ深くなるだけ。
「ダメです。ルチアさんを護るって決めたんですから。ずーっとここにいるんですよ。ここなら時間も流れないしお腹も空かない。素敵でしょう?」
「いや、いやよ……」
 ヤダヤダと首を振る。頬を何かが流れる感じがする。それは床に落ちる前に霧散して消えた。
 流れ落ちた涙に気づいたのだろう、鏡禍が顔を覗かせて少しだけ困った表情を見せた。
「前に言ったでしょう? 人と妖怪は一緒にいられない、必ず不幸にしてしまうって」
 その事実を認めざるを得ない状況に気づいて彼も憂いているのだろうか。ならば心根の優しい彼ならまだ外へ出してくれるかもしれない、そんなルチアに芽生えた希望は続く言葉と笑顔に裏切られることになる。
「でもいいんです。一つの不幸でルチアさんが護れるのなら、もう関係ないんだって思ったんです。ルチアさんが怪我無く生きていることが僕の幸せなんですから。僕だって幸せを追い求めてもいいでしょう?」
 ふふふと笑顔になった彼はもう狂っているようにしか映らなかった。もうルチアの知っている気弱で遠慮がちな彼はどこにもいない。目の前に立っているのはただ自分の幸せだけを追い求める強欲な妖怪だった。
 拒絶しようと力の入らない足を叱咤して体を動かす。ずるずると後ずさりするのに対し、彼は獲物を追い詰めるようにゆっくりと迫ってくる。
 どれだけ見ても飽き足らないと見つめ続ける灰と薄紫の瞳は怪しく輝き、ルチアから思考する力も気力も奪っていく。
 ──嫌。来ないで。ここから出して。
 そんな思いはもう言葉にすらならない。
 やがてゆっくりとした追いかけっこはルチアの背中に闇の壁が当たってあっさりと終了した。
 追い詰められ動けなくなったルチアを捕まえたとばかりに抱き上げて鏡禍はベッドへと戻っていく。
「まだお疲れでしょうから、ゆっくり休みましょう。時間はいくらだってあるんですから」
 自身の脚を枕代わりにして彼女を寝かせる。頭を撫でる手は身を委ねたくなるほど優しいもの。
 そして、愛してますよ、と続けて額にキスが落とされた。そんな彼にされるがままのルチアの瞳にもう光はなかった。



 永遠に一緒にいましょう。飢えも老いもないこの世界で。
 誰にも知られず誰にも見つからず、ずっと二人で。
 もう傷つかなくていいんですよ、心も身体も。
 いつまでも瞳に僕だけを映していてくださいね。
 ──そうこれで……。
「ルチアは僕だけのもの」
 二重にぶれた笑い声が彼らの世界に響いていた。

  • 鏡の中に沈む完了
  • NM名心音マリ
  • 種別SS
  • 納品日2022年04月01日
  • ・ルチア・アフラニア・水月(p3p006865
    ・鏡禍・A・水月(p3p008354
    ※ おまけSS『四月一日の夢』付き

おまけSS『四月一日の夢』

「……っていう夢を見たんですよ」
 ものすごーく申し訳なさそうな顔で鏡禍は言った。言わない方がよかったのだろうけど、鏡禍にしてみたら話すことで変な夢を見た罪滅ぼしのつもりらしい。
 だというのに打ち明けられた張本人であるルチアはまったく気にした様子を見せない。
「あら、あなたそれぐらいで折れる弱い女の子が好みなの?」
 むしろ平然としてこのリアクションである。
「いやそういうわけでは……」
「まぁいいのだけど、どうせ夢なのでしょう?」
「それは、そうかもしれませんが……」
 そんな単純なことでいいのかと思うのだが、悲しいかな全く言い返せない。
「あまり気にすることないわよ」
 この話はこれでおしまいと唇に指を当ててルチアは微笑んだのだった。

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