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蒼の楔
登場人物一覧
蒼い瞳が世界を映す――
暖かなスプリングノートの日差し。
茂みの中の明るい日だまりに蒼色が広がる。
近くには湖となだらかな丘が見える場所にお洒落なカフェテラスがあった。
街の喧騒から離れたこの場所はヨハンナのお気に入り。腰まである長い髪が風に揺れる。
「ヨハンナ、お茶が冷めてしまうわ」
柔らかい声と共に笑顔を向けるのは妹のレイチェル。二人は同じ顔をした双子の姉妹。同じように髪を伸ばし同じように微笑み合う。魂を分けた存在。
「今日のお菓子はシュネッケか。美味しそうだな」
「うん。マスターの特製なんだって」
シュネッケを一口頬張るレイチェルの笑顔。心が温かさに包まれる。こうして妹とお茶をするのがヨハンナの楽しみだった。
「最近はどう? 忙しそうだけど」
「そうだな。まあ、覚えることが沢山あって、まだまだ」
レイチェルは姉の少し痩けた頬に指を添える。
「無理はしないでほしいけど、でも、夢だったもんね。お医者さんになるの」
同じように産まれ育ったにも関わらず妹のレイチェルは少しだけ病弱であった。
妹の発熱した手を握りながら医師になる決意をするのに時間は掛からなかったのだろう。
「ああ、自分で決めた事だからな。頑張るよ。ありがとうレイチェル」
疑うべくもない幸せな日々。
温かく安らかで平和そのもの。
陽光は二人を照らし、ペールホワイトの思い出となる。
――――
――
「憤怒、そして復讐の焔こそ我が刃――」
緋色の炎が視界を覆い尽くした。右半身が焼け付く様に熱くなる。
インディペンデンス・ネイビーの夜空に星が浮かび月光が冷たい光を放っていた。
郊外の廃協会に人影が二つ。互いに距離を測りながら視線が交わる。
ヨハンナの血を媒介に禁術が展開した。
「復讐の果てに燃え尽きるのが我が生なり」
黒い影に紅蓮の炎が覆い被さる。
暗闇が一瞬にして赤く染まり爆裂した。
「これはこれは面白い」
燃え盛る炎の中から黒い影が飛び出し、ヨハンナの胸ぐらを掴む。勢いは衰えずそのままヨハンナは壁に叩きつけられ、煉瓦の壁に亀裂が走った。
「くっ」
男はヨハンナの胸ぐらを掴んだまま壁を引きずっていく。
摩擦によって皮膚が骨が削れて腕が無くなった。
壁が途切れた所で離された胸ぐらの反動でヨハンナは翻り、即座に再生した腕で敵を殴りつける。
身を捻りながら吹き飛んだ敵は石壁に衝突し破砕しながらその身を埋めた。
これは、人間同士の戦いではない。
吸血鬼と吸血鬼の骨肉の争いだ。
再生能力を有する者同士の闘争は苛烈に熾烈。
「……復讐の焔こそ我が刃」
「はあ……」
ヨハンナが禁術を発動させれば、男の足下から大量の百足が這い出し人間の姿を崩していく。
百足の大群は細い溝から地下へと逃げた。それを追いかけるは銀狼の姿を取ったヨハンナ。
地下へと続く階段に爪を弾く音が聞こえる。
視界の先にぼんやりと橙の明かりが見えた。
「ここは」
整然と並べられた棺と十字架。目の前にカタコンベが開ける。
視界の端にザワりと黒い影が揺れた。実体化した男がヨハンナの腹を蹴り上げる。
中に浮かんだ銀狼の身体は地下墓所の天井を突き破り、聖堂の床まで至っても止まらずステンドグラスを散らしながら夜空に舞い上がった。
銀狼の身体は解け蝙蝠の群れになる。
聖堂の屋根に現れた男へと黒の大群が押し寄せてブラッディ・レッドの飛沫を上げた。
ヨハンナの攻撃を受けて肉塊と化した男は再生を開始する。
その隙にヨハンナは人型を取った。
止めを刺す為、呼吸を整え禁術を組み上げる。
瞬間。
男と目が合った。
その口元が三日月に歪む。
――――
――
――それは寒い日のことだった。
日も沈み幾刻過ぎた夜の時間。
自宅で書物を読んでいたヨハンナの耳に玄関のドアノッカーの音が聞こえる。
配達員に手渡された差出人不明の小包。
訝しみつつヨハンナはその封を解いた。カサカサと包みの中から出てきたのは小さな箱。
何の変哲も無い木箱だった。
嫌な予感がする。心臓の辺りがドロッとした感覚に覆われた。
ヨハンナは恐る恐る箱に手を掛ける。木が擦れる音がした。
中に入っていたのは髪の束。赤い。燃える様な深紅の髪。
「――――ッ!」
ヨハンナと同じ深紅の髪。――レイチェルの深紅の髪だ。
その場に木箱を投げ捨てヨハンナは雪が降り始めた街へと飛び出す。
走って。走って。
息をするのさえ億劫に思う程走った末に見つけたもの。
レイチェルがいつも持ち歩いている懐中時計。春の日だまりに咲く蒼い花を象った意匠。
それを拾い上げ視線を上げればしんしんと降り積もる雪と足跡。
路地裏の影からアガットの赤が煉瓦を伝う。視線が伝う。
動悸がして直視する事が出来ない。息が喉の奥で詰まった。
妹の変わり果てた姿がそこにはあった。
ヨハンナは雪に足を取られながらレイチェルの元に駆け寄る。
「レイチェル! レイチェル!」
ヨハンナは駆け出しの医者だった。人体の仕組みを理解しているからこそ適切な処置を行える。
「あ……、ぁ」
だから、腕の中に居る妹が、どうしようもなく助からないという事実だけは違えなかった。
視界が涙で覆われていく。ヨハンナは妹の名前を呼んだ。
生命の維持を保てなくなった妹は、それでも言葉を伝えようと口を開く。
「……に、げて」
白い指がヨハンナの頬を触った。痛い程に冷たくなっていく指先。
彼女には分かっていたのだろう。その命が尽きてしまう事も。これが最後の別れになることも。
けれど、レイチェルは『逃げろ』と言った。忌避すべき存在から逃げろと。
それは『生きろ』という言葉と同義だ。
半身が居なくなった世界を生きたとしても生活の端々に彼女を感じるだろう。
その度に怒りと悲しみを抱き続けるのだ。それならいっそこの場で忌避すべき存在と対峙し、共に果てた方が幸せなのではないか。
「……ヨハンナ、愛して、る」
それでもレイチェルは願う。
『生きろ』と。
たとえ自分が死にゆくとしても。
生きて。生きて。
嬉しさを、思い出を、悲しみを、笑顔を分かち合える人を見つけて欲しい。
「レイチェル」
蒼色の瞳が力を無くし閉じられる。彼女の瞳はもう何も映さない。
「あぁあああああ――ッ!!!!」
ヨハンナの中で何かが欠ける音がした。
――――
――
「今回は見逃してあげますよ。無様に這いつくばって己の無力を呪いなさい」
「く、そ……」
耳に音が戻ってくる。男の声とヨハンナの声が聞こえた。
視線だけ動かすとネモフィラの懐中時計を持って走り去るヨハンナの背が見える。
赤い血と涙の雫が落ちるのが見えた。
――ああ、どうしてだろう。この身は命の灯火を消したはずなのに。
「ようやく覚醒しましたか」
「貴方は」
見上げれば自分を死に至らしめた相手が――否、『同属』が居た。
なぜ男が同属と知覚したのかレイチェルにも分からない。
けれど、彼は紛れもなく自分と同じ宿命を持つ者だと唐突に理解したのだ。
「ああ、そうか。私は『管理者(シナリオメーカー)』なのね」
諦感した瞳で息を吐いたレイチェルは、己にあった致命傷が綺麗に消えている事に気づく。
「そうです。貴方が此処で仮死状態に陥ってしまうのも……」
「ヨハンナを反英雄にするためのプロローグ、ね」
決められた運命。
世界を構築するアーカーシャの書が導き出す枝葉。
決して逆らう事が出来ない歯車に組み込まれた事をレイチェルは理解した。
男の手が差し出される。
「さあ、大いなる意思と共に参りましょう」
白い指が重ねられ蒼い瞳が伏せられた。
「それを世界が望むなら」
道筋は整えられていた。
「法が裁けないなら、俺が罰を与える――」
力を望み禁術へと至る様に。
ヨハンナ自身が散りばめられた欠片を、己の力でたぐり寄せたと思い込ませる為に。
右半身に禁術の証を刻み、命を対価に苛烈に燃え上がる復讐鬼になるように。
燃える様な深紅の長い髪はあの日を境に切り落とした。
幾度となく戦闘を繰り返した結果、深紅の髪は冷たい銀に変わる。
吸血鬼と人間の戦い。力の差は歴然でヨハンナは己が力の限界を知る。
人間は老いるのだ。戦う度に自分自身の力が弱くなっているのを感じていた。
このままでは復讐すら出来ずに、何も得られないまま終わってしまう。
『――諦めないで』
頭の中に声が響く。
『自らの意思で命を断つのは……私の元に来るのは赦さない』
幾度となく聞いた。忘れることなんて出来ない半身の声。
これが幻想だということも分かっている。けれど。
「まだ……だ」
復讐が果たされるまでは。レイチェルの元へ行くことは叶わない。
ならば。
「俺は、諦めねぇ」
仇である吸血鬼の力を得れば対等に渡り合える。
それが、自分自身を縛り付ける鎖であろうとも。
理不尽に抗い。『悪を滅ぼす悪』となる。
「堕ちて、堕ちて、堕ちて――喰らってやる」
――――
――
妹の仇が目の前に居る。廃教会の屋根の上で肉塊になっている。
これは好機だ。
ヨハンナは蒼い瞳を男に向ける。
「復讐の果てに燃え……」
「っはは! 実に面白い」
再生した部分を一直線に伸ばし、帯の如く撓みでヨハンナの胴を引き裂く敵。
その反動で教会の屋根からずるりと男は落ちた。
二人は地面に這いつくばり再生を繰り返す。
「はぁ、はぁ」
「そろそろ疲れて来たんじゃないですか?」
「……」
肩で息をするヨハンナに男の絡みつく様な声が届いた。
これは時間稼ぎなのだろう。
お互いに手の内も性格も熟知している。
それだけ長い時間を戦ってきた。
――私がこの『失敗作』を生かしているのは、歯車として使える余地があるからでは無い。
楽しいからだ。哀れで美しいこの人形で遊ぶのが愉しいからだ。
大いなる意思が私を容認するのであれば、それはこの世界にとって『間違い』ではないということ。
永遠ともいえる吸血鬼の生の中、この人形と遊ぶ時間は弾けた雫の様に瑞々しく鮮明だ。
「さあ、もっと踊りましょう」
愉悦を含んだ笑みが男の顔に浮かぶ。
一瞬の間。
双方が接敵し、爆煙が上がった。
一撃一発が普通の人間であれば致命傷たり得るものだ。
今だから分かる。ヨハンナが人間であった頃。目の前の仇敵は『手加減』をしていたのだということを。
「絶対に、許さねえ!」
復讐の炎が文様としてヨハンナの右半身に浮かび上がる。
流れる血を触媒に引きずり出す生命力の塊。怨嗟の礫。
お互いの魔力の奔流が膨れ上がる。
これは、きっと最後の。命を賭けた角逐だ。
命を奪う為に研ぎ澄ませた刃は、己の魂を賭けた瞬間に極致の切れ味になる。
「憤怒、そして復讐の焔こそ我が刃」
紅蓮の焔が巻き上がり魔法陣がヨハンナの前に現れた。
同時に男の周りに青い炎が広がる。
それはヨハンナが術を繰るより早く彼女の元へ到達した。
右半身を焼かれ、右目を失い。それでもヨハンナの呪いは止まらない。
「復讐の果てに燃え尽きるのが我が生なり――!!!!」
ヨハンナの放った紅蓮の炎は仇敵の身体を捕え喰らい尽くした。
――――
――
薄暗い部屋に引かれたカーテンの隙間から朝日が差し込む。
サイドテーブルに置いた懐中時計を引き寄せて秒針が刻む音を聞いた。
同じリズムで繰り返される音に、少しだけ安堵して起き上がる。
半身の形見をぎゅっと胸に抱き込んで思考の海に身を預けた。
最後の瞬間は記憶から抜け落ちて。気づけば無辜なる混沌へ召喚されていた。
ヨハンナにとってそれは明確なロスタイムを意味し、いつ戻れるかも分からない現実に苛立ちを覚えた。
それが変化したのは、隣で眠る愛しい人に出会ってから。
復讐の炎は消えてはいないのに。
留め置かれた心が愛おしさで包まれていく感覚に、内側から罪悪感が擡げる。
元の世界で待つ『終わり』が怖いと思うほどに。心地よさを知ってしまったから。
けれど、もしかしたら。
『可能性』を見出すこの世界に、希望の光があるのでは無いか。
そう思えてしまう程に、ヨハンナは優しい光に包まれていた。
陽光の下に琥珀色の右目と蒼い左瞳が照らされる。
カーテンの隙間から空を見上げれば、ネモフィラと同じ蒼が高く高く広がっていた。