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あの日の味
登場人物一覧
●『Close』
珍しくその看板が掛かっていた。
いや、珍しくというかなんというか閉店時間ぐらい普通にあるが……しかし今の時間帯は本来ここ『燃える石』は営業している筈なのだ。多くの荒くれ者達が集い始める時間。しかし店内に居たのはたった一人。
燃える石の店主。寡黙にして、謎多き人物。
静かな店内で響くのは何かを焼く音。調理場にいる店主の手元にあるのは、当然酒ではない。先程キドー (p3p000244)がラサからの土産にと持ってきた――ル=クブラーという大蛇の肉だ。
懐かしい。この蛇が出る地……ラサの方だが。最近はあちらの方へ行く機会に中々恵まれなかった。が、昔はよく狩りにいったものだ。調理は難しいと言われているが、任せろ慣れた物だ。
……しかしキドーはどこに行ったのだろうか。何故か肉を持って調理場に向かい、戻ってきた時にはいなくなっていたのだが。何か急用でも思い出したのだろうか? 折角の肉、振舞おうと思っていたのだが。
まぁいない者は仕方ない。いつ来ても渡せるように包んでおこう。うん。
ともあれ調理の続きだ。ル=クブラーの肉はどう焼いてもいいが……ここは蒲焼きにしよう。
そこから用意するのは、タレだ。秘伝のタレ。これには年代物の酒を料理酒代わりに使う。それから砂糖と醤油も用意しよう。もののついでに店の裏で栽培している合法(重要)ハーブを浸して香り付けとする。
ああそれからこれも入れよう。酒の仕入れの時に懇意にしている取引先から貰った合法(重要)な白い粉だ。これも全て目分量で混ぜ合わせれば……うん。中々いい色が出て来たぞ。食欲をそそる紫色だ。
しかしこれだけではヴァリエーションに欠けるな……そうだ。タレをもう一品作ろう。
それにはコイツだ。辛味の王様――ブート・ジョロキア。
激しい辛味が酒を促進する筈。ん、いや待てよ? 元々の大前提として砂糖を既に入れているではないか。これはしまった。プラスとマイナスを戦わせると0になってしまう。ここはドリアンに割って入ってもらい、和平交渉を行わせるとしよう。増援に納豆を入れてもいい。
うむ、素晴らしい香りだ。後は後ろ盾として用意したタコスミを入れるべきか入れないべきか……よし、入れよう。例え如何なる形であろうと仲間外れは良くない。この輪の中に入れてくれる。
ああ全く本当に――懐かしい。
昔、これをよく食べる者がいた。己が作る度、頼んでもいないのに椅子に座って毒見をと申し出て。
毒ないぞこの肉。いやもしかしたらあるかもしれないと。
まぁ一人分余計に作るぐらい負担も少なく。だからいつの間にか二人分、予め作るのが常となっていた。
「マスター! どうしたんだCloseなんてまさか不在……おぉ普通にいるじゃねぇか!」
「マスター、エール下さいエール!! いつもので――」
今もそうだ。つい、自分の分にプラスしてもう一人分作っていた。二人客が来たのならそちらに出すとしようか。何、元々キドーが持ってきたモノ。サービスだ。礼はキドーに言ってくれ。
「え……なんですかこの肉……マスターの手作り……えっ……?」
己の分はまた後で作り直せばいい。まだまだ量はあるのだから。
……しかしそうだ。量はあるのに減るのは少なかった。そうだ、そうだ。
なぜなら己ともう一人しか口にしなかったから。
他の誰も口にしなかった。正確には一度した者はいるが、二度目はなかったから。
だから二人で消費した。
二人で食べて、二人で飲んで。二人で話して。
タレの匂いが鼻を擽る。思い返されるはあの日々の記憶。あの頃の景色。
ああ――楽しかったのだろう。今思い返せば。あの時間は中々に貴重で……
だから工夫したものだ。肉の熱の伝わり方、タレの濃度。ハチミツに叩き込んだり海の幸と合わせてみたり、コーヒー粉を混ぜ合わせて見たりと――ささやかな範囲で微妙に変えて試したかの日々。
目頭を抑える。窓から零れている夕焼けが眩しい。カーテンを閉めねば。
「こ、こいつはル=クブラー・ミート……! どう料理しても大概不味くなるというあの……!」
そういえばそんな噂もあったか。しかしそんなモノはただの噂だ。
なぜならばあの人は毎日食べていたのだから。好物であったのだろうが、それを差し引いても。出す度食べていた。必ず食べていた。そんなものが不味い筈がない。いかん、陽射しの角度が厳しくなり始めている。カーテンを閉めねば。
そうだ。
出す度食べた。必ず食べた。
「マスター!? マスター聞いてるか、こいつ泡吹いて……マスター!!?」
格別だと言っていた。作る味が最高だと。
誰も食べなかった。あの肉を。
……ああ、そうだ。
きっとあの味は――あの場。あの一時限りの。
特別だったのだろう。
伏せた目元。閉じたカーテン。空の果てから零れている日の光は遮られて。
それでもまだ少し、眩しかった。